ドイツ・グラモフォン120周年記念サイト ドイツ・グラモフォン120周年記念サイト

ドイツ・グラモフォン120周年記念サイト

2018年、ドイツ・グラモフォンは120周年を迎えます!

 

ドイツ・グラモフォンの歴史

 

1897-1909

  • エミール・ベルリナーはグラモフォン(円盤式蓄音機)とその平らなディスクという彼の新しい発明に対する特許を得た。

  • ドイツ・グラモフォン有限会社が12月6日に設立された。

  • ミラノで、絶賛を博していたテノールのエンリコ・カルーソーがこの会社のために10曲のアリアを録音した。当時もっとも有名なロシアのオペラ歌手、ヒョードル・シャリアピンがドイツ・グラモフォンと契約を結んだ。

  • ドイツ・グラモフォンは英国とスペインの王室御用達の納入会社となった。

  • ドイツ・グラモフォンの“Recording Angel(録音する天使)”のロゴは、今では伝説的になっているフランシス・バローのデザインによる犬のニッパーの“His Master’s Voice”のロゴに取り替えられた。

1910-1919

  • ベートーヴェンの交響曲第5番の初めての全曲録音が行なわれた ―― アルトゥール・ニキシュがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。

  • 第一次世界大戦の勃発でドイツ・グラモフォンは戦争商品の製造を禁じられ、その資産は敵国の財産としてドイツ政府によって没収された。1916年にドイツとイギリスの会社は袂を分かち、後者は英グラモフォンとして事業を続けたが、1931年に英コロンビアと合併し、エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(EMIとして知られる)を創立した。

  • ドイツ・グラモフォンはライプツィヒのポリフォン=ムジークヴェルケ社に買収された。

1920~1929

  • マイクロフォンを使用した電気的レコーディング・システムの導入はそれまでのアコースティック・レコーディング・システムに比べ格段の音質向上を実現させた。

  • ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してドイツ・グラモフォンでの初めての録音を行なった(ベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲)。

  • ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》の全曲録音(ブルーノ・キッテル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)が30㎝レコード11枚でリリースされた。

  • 11月27日、エミール・ベルリナーが亡くなった。

1930-1939

  • ポリフォンム=ジークヴェルケ社とドイツ・グラモフォンは合併し、ライプツィヒの工場は売却された。この会社はドイツ・グラモフォンの名称を持ち続けた。

  • ハイ・フィデリティ(ハイ・ファイ)録音が開発された。

  • アメリカで最初のステレオの実験が行なわれた。

  • ヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてドイツ・グラモフォンで録音した。

1940-1949

  • ジーメンス社はドイツ・グラモフォン有限会社の単独オーナーとなった。

  • ハノーファーの工場の一部が戦争で破壊された。

  • ベルリンのオフィスが戦争で破壊された。

  • ベルリンのスタジオが戦争で破壊された。

  • 古楽の録音を専門とする「アルヒーフ・プロダクション」が創設された。

  • 戦後最初のカタログが発行された。

  • ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとフェレンツ・フリッチャイが初めての録音を行なった。

1950-1959

  • ヴィルヘルム・ケンプがドイツ・グラモフォンでベートーヴェンのピアノ・ソナタの最初の全曲録音を開始した。

  • アマデウス四重奏団がドイツ・グラモフォンで最初の録音を行なった。

  • 33回転の長時間レコード(LP)の導入。

  • カール・ベームがドイツ・グラモフォンと契約し、最初の録音を行なった(ベートーヴェンの交響曲第5番)。

  • オフィスがハンブルグに移転した。最初のステレオ録音が行なわれた。

  • 新しいドイツ・グラモフォンのトレードマーク“カルトゥーシュ”が導入され、現在も使用されている。

  • ハノーファーの第2工場が射出成形[注:プラスチックなどの加工法のひとつ。加熱した材料を射出圧を加えて金型に押し込み、成形する。]によるレコード生産を開始した。

1960-1969

  • ジーメンスとフィリップスは録音所有権を合併し、DGG/PPI(フィリップス・フォノグラフィック・インダストリー)を組織した。

  • カラヤンの指揮によってベートーヴェンの交響曲全集の初のステレオ録音が行なわれた。

  • ムジカセット(「カセット」としてより知られている)が導入された。

  • 76枚のLPから成る初の『ベートーヴェン・エディション』をリリースした。

  • Selected Recordings from this Decade


    エフゲニ・ムラヴィンスキー

    チャイコフスキー

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    ピエール・フルニエ

    バッハ

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    ラファエル・クーベリック

    ドヴォルザーク

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    ヘンリク・シェリング

    バッハ

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1970-1979

  • ポリグラム・インターナショナルが設立された。

  • レナード・バーンスタインがドイツ・グラモフォンでの最初の録音を行なった。

  • アルヒーフ・プロダクションはバッハの没後225年を記念して、11巻、LP99枚から成る最初の『バッハ・エディション』をリリースした。

  • 最初のデジタル録音が行なわれた(ギドン・クレーメル、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲)。


  • レナード・バーンスタイン

    ビゼー

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    マウリツィオ・ポリーニ

    ショパン

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    ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

    シューベルト

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    カルロス・クライバー

    ベートーヴェン

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    カール・ベーム

    ブラームス

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1980-1989

  • 最初のコンパクトディスクがザルツブルク復活祭音楽祭で共同開発者のソニー、フィリップス、ポリグラム(その最初のヨーロッパの製造会社)によって売り出された。

  • CDの導入・大量生産の最初のドイツ・グラモフォンのタイトルとなったのがヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるR.シュトラウスの《アルプス交響曲》であった。

  • ドイツ・グラモフォンは初めてヴラディーミル・ホロヴィッツの録音をリリースした(ドキュメンタリー『最後のロマンティスト』のサウンドトラック)。

  • ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕80年を祝してドイツ・グラモフォンはこの指揮者がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振って録音した100の名曲CD25枚組の『カラヤン・エディション』をリリースした。

  • Selected Recordings from this Decade


    アンネ=ゾフィー・ムター&ヘルベルト・フォン・カラヤン

    ベートーヴェン

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    カルロス・クライバー

    ブラームス

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    マルタ・アルゲリッチ

    シューマン

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    カルロ・マリア・ジュリーニ

    ブルックナー

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    レナード・バーンスタイン

    ウェスト・サイド・ストーリー

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  • Selected Recordings from this Decade



    エマーソン弦楽四重奏団

    ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ボロディン

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    ルドルフ・ゼルキン

    ベートーヴェン

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    クラウディオ・アバド

    ベルク

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    レナード・バーンスタイン

    マーラー

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    ヘルベルト・フォン・カラヤン

    ブルックナー

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1990-1999

  • 4Ⅾオーディオ録音技術が導入された。

  • ドイツ・グラモフォンのカタログから伝説的録音を取り上げた『ザ・オリジナルス 』シリーズの発売が開始された。

  • ハノーファーに「エミール・ベルリナー・ミュージアム」がオープンした。

  • 「アルヒーフ・プロダクション」がレーベル創設50周年を迎えた。

  • ドイツ・グラモフォン創立100周年が国際的に祝われた。過去1世紀にわたってドイツ・グラモフォンを形作ってきたアーティストたちによるCD63枚組の『100周年コレクション』がリリースされた。

  • 直ちに評価された現代音楽のシリーズ「20/21」の導入で、現代の作曲家や音楽家たちは新しい紹介の場を手に入れた。

2000-2009

  • 新しい1000年の始まりの年にシーグラム社はユニバーサル・エンタテインメントの持ち株をヴィヴェンディ社に売却した。

  • ワールド・ミュージックを専門とする「エッジ・レーベル」がスタートした。

  • ドイツ・グラモフォンはこの年のクラシックFM/グラモフォン賞の「レーベル・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

  • ドイツ・グラモフォンが半世紀にわたってハンブルクのアルテ・ラーベンシュトラーセに置いていた本社をハンブルク港近くに立つ歴史的建物であるスローマンハウスに移した。

  • 創立111年を記念してドイツ・グラモフォンは偉大なアーティストたちが得意とする幅広いレパートリーによる、もっとも有名な録音111を含む55枚組のCDボックスをリリースした。

2010-2017

  • ドイツ・グラモフォンはベルリンに戻った。

  • ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とドイツ・グラモフォンは消費者が選んだCDエディションとともに録音100年を祝った。

  • ベートーヴェンの第9アプリがリリースされた。

  • 「アルヒーフ・プロダクション」が66回目の誕生日を祝った。

  • クレメンス・トラウトマンが社長を引き継いだ。

  • アップル・ミュージックで「ドイツ・グラモフォンキュレーター・チャンネル」が新たに始められた。

  • 新モーツァルト完全エディション『モーツァルト225』がデッカ・クラシックスと共同でリリースされた。


1887~1909年 The First Decade

主な加入アーティスト

サラ・ベルナール
エマ・カルヴェ
エンリコ・カルーソー
フョードル・シャリアピン
レオポルド・デムート
エマ・デスティノヴァー
ジェラルディン・ファーラー
メアリー・ガーデン
アルフレート・グリューンフェルト
マリー・グートハイル=ショーダー
ヨゼフ・ホフマン
ヨーゼフ・ヨアヒム
ネリー・メルバ

ドイツ・グラモフォンの物語は録音そのものの誕生までさかのぼる。この会社は1898年に最初のレコードと蓄音機の製造とともにハノーファーで設立された。役員はエミール・ベルリナー(1851-1929)―― 音盤とプレーヤーの両方を考案したハノーファー生まれのアメリカ人 ―― と弟のジョゼフ(1858-1938)であった。彼らの工場はグラモフォン社のためにシェラック音盤[注:酸化アルミニウムや硫酸バリウムなどの粉末を、カイガラムシの分泌する天然樹脂であるシェラックで固めた混合物が主原料であった。]を製造するのにアメリカ製の水圧式プレス機を使用した。グラモフォン社はその年の少し前にロンドンでエミールの仲間であるウィリアム・バリー・オーエン(1860-1914)によって設立された会社で、録音はエミールのアメリカの仲間であるフレッド・ガイズバーグ(1873-1951)が担当した。ドイツ・グラモフォンがベルリンに本社を移し、株式会社となった1900年までにはベルリナーの音盤[注:1887年に発明した円盤式レコード「グラモフォン」]は業界規格としてエジソンの円筒式フォノグラフ[注:トーマス・エジソンが1877年に発明した直径の8㎝の錫箔を貼ったシリンダー(円筒)を回転し、針で溝をつけて録音・再生する蓄音機]を凌ぎ、ガイスバーグはこの新しいメディアが社会的地位を得るために著名なアーティストたちと契約を結ぶことに忙殺されていた。

1901年、テノールのエンリコ・カルーソー(1873-1921)がミラノでグラモフォン社のために最初の録音を行なった。カルーソーのあとバリトンのマッティーア・バッティスティーニ(1856-1928)、ソプラノのエマ・カルヴェ(1858-1942)、アレッサンドロ・モレスキ(1858-1922。最後のカストラート)、バリトンのアントニオ・スコッティ(1866-1936)、テノールのレオ・スレザーク(1873-1946)、テノールのフランチェスコ・タマーニョ(1850-1905。ヴェルディの《オテロ》のタイトル・ロールの創唱者)、ソプラノのジェラルディン・ファーラー(1882-1962)、ソプラノのメアリー・ガーデン(1874-1967)、メッゾ・ソプラノのエレナ・ゲルハルト(1883-1961)らが続いた。

ロシアのバス、フョードル・シャリアピン(1873-1938)は蓄音機によって実際にその名声を確立した最初の歌手となった。1904年、この会社は偉大なネリー・メルバ(1861-1931)を説得し、録音することに成功し、1年後ガイスバーグはメルバの後の世界的大オペラ・スター、ソプラノのアデリーナ・パッティ(1843-1919)のウェールズにある邸宅に録音チームと録音機材を向かわせた。ドイツ・グラモフォンは間もなく英国、スペイン王室の御用達に指名され、これによって究極のお墨付きを手に入れた。1907年までにハノーファーの工場ではおよそ200台のプレス機が稼働し、この年初の両面レコードを生産した。


1910~1919年 The Second Decade

主な加入アーティスト

ヴィルヘルム・バックハウス
マッティア・バッティスティーニ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クレア・ドゥクス
アルフレッド・ヘルツ
フリッツ・クライスラー
シャルロッテ(ロッテ)・レーマン
アルトゥール・ニキシュ
ハインリヒ・シュルスヌス

1910年に最初のオーケストラの録音が売り出された。それはヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)が弾くグリーグのピアノ協奏曲の第1楽章で、バックハウスはこの2年前にバッハの《平均律クラフィーア曲集》の選集を弾いて録音デビューを飾っていた。1911年にはもうひとりの有名なピアニスト、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860-1941)が録音デビューした。

1913年、オーケストラ作品の全曲録音でセンセーションを巻き起こした。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を首席指揮者のアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が振ったベートーヴェンの交響曲第5番で、両面レコード4枚、1枚当たり9.50マルク(現在の価格で約2.25ドル、約1.70ユーロ)で発売された。英国では数か月にわたって片面レコードで発売された。この時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるワーグナーの《パルジファル》抜粋も発売された。

第一次世界大戦の勃発で、イギリス籍であったドイツ・グラモフォン社の資産は、敵国の財産であるとの理由でドイツ政府によって没収された。1916年、ドイツとイギリスの会社 ―― 後者は後年EMIになる ―― は別々の道を歩むことになる。ドイツ・グラモフォンはもはや“His Master’s Voice”の登録商標を使用することも、ドイツから外国にレコードを輸出することもできなくなった。カルーソー、メルバ、パッティらトップ・ランクのアーティストのレコードを販売できなくなり、新しいレパートリーを築き上げなければならなかった。その後数年間、録音方針はドイツ、中央ヨーロッパのすばらしいアーティストたちに集中することになった。


1920~1929年 The Third Decade

主な加入アーティスト

フリッツ・ブッシュ
カール・フレッシュ
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ヴィルヘルム・ケンプ
オットー・クレンペラー
アレクサンダー・キプニス
エミ・レイズナー
カスパー・メルキオール
ハンス・プフィッツナー
エリーザベト・シューマン
リヒャルト・シュトラウス

1920年、25歳のヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)がドイツ・グラモフォンでの初めての録音を行ない(ベートーヴェン)、またソプラノのエリーザベト・シューマン(1888-1952)もドイツ・グラモフォンで初めての録音を行なった(《フィガロの結婚》の〈自分で自分がわからない〉をドイツ語訳で歌った)。ソプラノのマリア・イヴォーギュン(1891-1987)、指揮者のヘルマン・アーベントロート(1883-1956)、レオ・ブレッヒ(1871-1958)、ハンス・プフィッツナー(1869-1949)らを起用し、短縮版ではない、スコアに忠実な演奏という録音哲学をもってこの会社は新しい方向に向かい始めた。

1921年、ソプラノのフリーダ・ライダー(1888-1975)が《タンホイザー》の〈歌の殿堂〉を録音し、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)はバリトンのハインリヒ・シュルスヌス(1888-1952)が自身の歌曲を録音する際にピアノ伴奏を務めた。シュルスヌスは間もなくこの会社の主要な歌手のひとりになった。1924年、ドイツ・グラモフォンはニッパーの“His Master’s Voice”の登録商標を再び使用してよいことになっただけでなく、戦前の原盤をドイツでの発売に使用することができるようになった。一方ポリドールのロゴは輸出用レコードに付けられることになった。この時期のリリースはワーグナーが重視され、レオ・ブレッヒ指揮のシュターツカペレ・ベルリン、あるいはマックス・フォン・シリングス(1868-1933)指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がしばしば起用された。

電気的レコーディング・システム[注:それまでは音声の機械的な振動を直接レコード盤に伝えて、刻み込む方式(アコースティック・レコーディング)であったが、これは音声をマイクロフォンで電気信号に変換して録音する方式。]が導入された1925年までにはオスカー・フリート(1871-1941)ほかの指揮者たちがベルリン・シュターツカペレを振ったベートーヴェンの全9曲の交響曲に加え、ブルックナーの第7番やマーラーの第2番のような大きな規模の交響曲を発売した。1926年、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲を録音し、このメディアに対して抱いていた懐疑心を払拭した。“ベートーヴェン・イヤー”の1927年、アメリカのブランズウィック・レーベルを買収したが、そのカタログにはオットー・クレンペラー(1885-1973)、ハンス・プフィッツナー、R.シュトラウスが指揮するベートーヴェンの交響曲に加え、オーケストラはすべてシュターツカペレ・ベルリンで、クレンペラー指揮のブルックナーの交響曲第8番のアダージョ、ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)指揮のハイドンの《オックスフォード》交響曲、R.シュトラウス指揮のモーツァルトの第39番と《ジュピター》交響曲、ブルーノ・ワルター(1876-1962)指揮のチャイコフスキーの《悲愴》交響曲、エーリヒ・クライバー(1890-1956)指揮のヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇《こうもり》序曲などが入っていた。またシュターツカペレ・ベルリンはR.シュトラウスが自らの交響詩を指揮する録音にも参加した(1926~1933年)。

1929年にエミール・ベルリナーが亡くなった頃までにはドイツ・グラモフォンの年間レコード製造枚数はほぼ1,000万枚に達し、ハノーファーの工場はおよそ600人を雇用していた。


1930~1939年 The Fourth Decade

主な加入アーティスト

クラウディオ・アラウ
エルナ・ベルガー
アレグザンダー・ブライロフスキー
ヴィリ・ドムグラーフ=ファスベンダー
サミュエル・ドゥシュキン
マックス・フィードラー
ガリミール弦楽四重奏団
マンフレート・グルリット
ハンス・クナッパーツブッシュ
ピエトロ・マスカーニ
モーリス・ラヴェル
ウィルヘルム・ロード
ヴィクトル・デ・サバタ
カール・シューリヒト

1930年、モーリス・ラヴェル(1875-1937)の《ボレロ》が、作曲者自身がラムルー管弦楽団を指揮して、この会社の新しいフランスの子会社、ソシエテ・フォノグラフィック・フランセーズ・ポリドール社によって録音された。世界的な大恐慌[注:1929年10月のアメリカの株価大暴落に始まった世界恐慌]はレコード売り上げの下落を招き、1932年にポリフォン社と合併して本社をハノーファーに戻した。

数年間でのさらなる生産量の下落を受け、1937年にドイツ・グラモフォン株式会社は清算に入ったが、その代わりドイツ・グラモフォン有限会社がドイツ銀行とテレフンケン社による共同出資によって設立された。第3帝国[注:1933年から45年にかけてのヒトラー率いるナチスが支配したドイツ帝国の名称]の規制はますます大きくなっていったにもかかわらず、いくつかの重要な録音は続けられた。1938年12月、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)の最初のレコード(シュターツカペレ・ベルリンを指揮したモーツァルトの歌劇《魔笛》序曲)がリリースされた。

この時期のドイツ・グラモフォンのアーティストはほかに、指揮者ではパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)、カール・シューリヒト(1880-1967)、ヴィクトール・デ・サバタ(1892-1967)、ピアニストではエリー・ナイ(1882-1968)、ヴァイオリニストではゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)、歌手ではソプラノのエルナ・ベルガー(1900-1990)、ソプラノのティアーナ・レムニツ(1897-1994)、テノールのヴァルター・ルートヴィヒ(1902-1981)、テノールのユリウス・パツァーク(1898-1974)らがいた。


1940~1949年 The Fifth Decade

主な加入アーティスト

ゲザ・アンダ
マリア・チェボターリ
ヒルデ・ギューデン
ハンス・ホッター
ヘルベルト・フォン・カラヤン
マルガレーテ・クローゼ
アンネリース・クッパー
マックス・ローレンツ
マリア・ミュラー
ヘルムート・ヴァルヒャ

第二次世界大戦勃発後、原料不足に直面し、ドイツ・グラモフォンの活動は再び停滞した ―― そして1941年に弱電部門を主力とする会社、ジーメンス・ウント・ハルスケ社によって買収された。生産量は縮小されたにもかかわらず、1942年にブルーノ・キッテル(1870-1948)指揮によるほぼ完全版に近いバッハの《マタイ受難曲》などの録音プロジェクトは進められた(その原盤は潜水艦で日本に届けられた。日本ポリドールが17,000セットをオーダーした)。1942年5月9日、ゲシュタポ[注:ナチスの国家秘密警察]はドイツ・グラモフォンにユダヤ人アーティストを使っての原盤の制作を正式に禁止し、彼らが録音したすべてのレコードの廃棄を命じた。しかしいくつかの録音、とくにカラヤンがシュターツカペレ・ベルリン、アムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、トリノのイタリア放送管弦楽団を指揮したレコードはこの年、そして翌年の間は発売され続けた。1943年に行なわれた録音の中にはR.シュトラウスが自身が指揮した《英雄の生涯》がある。

第二次世界大戦後、破壊されたハノーファーの工場、事務を執る建物が再建されている間、小規模なレコード生産の施設がベルリンにオープンした。1946年、ドイツ・グラモフォンは磁気テープを使用してすべての録音を行なう最初の会社となった。この翌年「アルヒーフ・プロダクション」が古楽を振興する目的で発足した ―― その最初の録音となったのはオルガニストのヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)がリューベックのヤコビ教会で演奏したバッハであった。ヴァルヒャはその後このレーベルと緊密な関係を持ち続けた。1949年、ドイツにおいて有していた“His Master’s Voice”の登録商標の独占的使用の権利をエレクトローラ社(独EMI)に売却され、チューリップ・クラウンのイエロー・ドイツ・グラモフォン・レーベルが導入された。指揮者のオイゲン・ヨッフム(1902-1987)、フェレンツ・フリッチャイ(1914-1963。1950年代にこの会社のアーティストの中心的人物であった)、バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)がイエロー・レーベルでの初めての録音を行なった。


1950~1959年 The Sixth Decade

主な加入アーティスト

アマデウス四重奏団
カール・ベーム
クリストフ・フォン・ドホナーニ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
フェレンツ・フリッチャイ
モニク・アース
パウル・ヒンデミット
オイゲン・ヨッフム
ロリン・マゼール
イーゴリ・マルケヴィチ
ダヴィッド・オイストラフ
イーゴリ・オイストラフ
カール・リヒター
スヴャトスラフ・リヒテル
ハンス・ロスバウト
ヴォルフガング・シュナイダーハン
マリア・シュターダー
リタ・シュトライヒ
フリッツ・ヴンダーリヒ
ニカノール・サバレタ

1950年、片面の演奏時間が9分まで収められる78回転レコードが導入された。これはドイツ・グラモフォンの新しいカッティング方式の発明に基づくもので、翌年この会社はその最初の33回転の長時間レコード(LPとして知られている)をリリースした。ヴィルヘルム・ケンプはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音を1950年に開始し、1953年に同ピアノ協奏曲全曲を録音した(ケンプは1960年代にステレオで再録音した)。

フルトヴェングラーは1951年にドイツ・グラモフォンとの関わりを再開した。アマデウス四重奏団とヴァイオリニストのヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はそれぞれ1951年と1952年にドイツ・グラモフォンでの最初の録音を行なった。1959年、すでにブラームス、ハイドン、モーツァルト、シューベルトを録音していたアマデウス四重奏団はベートーヴェンの弦楽四重奏曲のステレオによる全曲録音に乗り出した。この年にはカラヤンがEMIからこの会社に戻ってきた ―― カラヤンはドイツ・グラモフォンでその後30年の間に3つのベートーヴェンの交響曲全集、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》をはじめとした330枚のレコードを制作することになる。

カラヤンのほかに2人の指揮者が、戦後ドイツ・グラモフォンが古典派、ロマン派のレパートリーにおいて確固たる地位を確立する上で重要な役割を演じた。カール・ベーム(1894-1981。モーツァルト作品でもっとも有名で、友人のR.シュトラウス作品の指揮者)とラファエル・クーベリック(1914-1996。ドヴォルザーク、スメタナ作品、ワーグナーの歌劇《ローエングリン》、マーラーの交響曲全集で有名)である。多様な才能の持ち主であるアメリカの指揮者、ロリン・マゼール(1930-2014)は1957年に契約した。

アルヒーフ・レーベルは最初の数十年は中世・ルネサンス音楽のいくつかの先駆的録音を行なった。しかしながら中心となったのはバロック音楽、中でもヴァルヒャによるバッハのオルガン全集、ルドルフ・バウムガルトナー(1917-2002)、フリッツ・レーマン(1904-1956)、アウグスト・ヴェンツィンガー(1905-1996)、カール・リヒター(1926-1981)の指揮によるドイツ、イタリアの作品であった。リヒターはレーマンが亡くなった後、このレーベルのもっとも重要なバッハ指揮者となった。

1956年、製造工場をハノーファーに置いたまま、本社をハンブルクに移した。この翌年、新しいドイツ・グラモフォンの登録商標に“カルトゥーシュ”が導入された。


1960~1969年 The Seventh Decade

主な加入アーティスト

クラウディオ・アバド
マルタ・アルゲリッチ
ジャネット・ベイカー
グレース・バンブリー
クリストフ・エッシェンバッハ
ブリギッテ・ファスベンダー
ピエール・フルニエ
フリードリヒ・グルダ
グンドゥラ・ヤノヴィッツ
ラファエル・クーベリック
クリスタ・ルートヴィヒ
サー・チャールズ・マッケラス
ジェラルド・ムーア
エッダ・モーザー
ビルギット・ニルソン
ナルシソ・イエペス

1960年、向こう数十年にわたってこのレーベルに加わることになる数多くの第一級のピアニストのひとり、マルタ・アルゲリッチと専属契約を結んだ。

1962年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したカラヤン初のステレオ録音によるベートーヴェン交響曲全集がドイツ・グラモフォン初の予約販売の形でリリースされた。

この10年間の初めの数年間、このレーベルはミラノ・スカラ座でいくつかのヴェルディのオペラを録音した ―― 1967年にドイツ・グラモフォン・デビューしたクラウディオ・アバド(1933-2014)は1970年代半ばにこのシリーズを再開した。アバドがその後数十年間にわたって行なった数多くの録音の中にはベートーヴェン、ブラームス、マーラー、メンデルスゾーン、シューベルトの交響曲全集、ラヴェルの管弦楽曲集のほか、1ダースを越えるオペラ全曲盤がある。

この時期の意義深い大規模なプロジェクトにはフィッシャー=ディースカウによるシューベルトの歌曲全集があり、次の10年間のうちにブラームス、リスト、シューマン、ヴォルフの歌曲全集が録音された。

1969年、翌年のベートーヴェン生誕200年記念を先取りし、LP76枚組による初の『ベートーヴェン・エディション』をリリースした。こうした作曲家のアニヴァーサリーを記念する全集は他に1977年と1997年のベートーヴェン、1975年と1985年のバッハ、1983年と1997年のブラームス、1985年のベルクがある。

電機工業会社のジーメンス社(ドイツのミュンヘン)とフィリップス社(オランダのアイントホーフェン)は1962年にレコード・ビジネスにおいて株式を一体化し、新しい統一体、DGG/PPI(フィリップス・フォノグラフィック・インダストリー)を設立した。しかしながらドイツ・グラモフォンは自身の録音活動とカタログの管理権は持ち続けた。


1970~1979年 The Eighth Decade

主な加入アーティスト

アーリーン・オジェー
ダニエル・バレンボイム
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
テレサ・ベルガンサ
レナード・バーンスタイン
ピエール・ブーレーズ
モンセラート・カバリェ
ホセ・カレーラス
プラシド・ドミンゴ
ミレッラ・フレーニ
サー・ジョン・エリオット・ガーディナー
エミール・ギレリス
カルロ・マリア・ジュリーニ
カルロス・クライバー
ギドン・クレーメル
サー・ユーディ・メニューイン
クルト・モル
アンネ=ゾフィー・ムター
小澤征爾
マウリツィオ・ポリーニ
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
クリスチャン・ツィメルマン
ピンカス・ズーカーマン

1971年のDGG/PPIの再組織でポリグラムが設立され、本社はバーン(オランダ)とハンブルクに置かれた。1973年、創立75周年を記念するためにドイツ・グラモフォンはLP93枚組の『ザ・シンフォニー』をリリースした。またこの10年においてアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)が一連の傑出した録音を開始したように国際的視野を広げ続けた。1972年、3人の指揮者が長期にわたる関わりをもち始めた。ダニエル・バレンボイム、小澤征爾、そしてもっとも重要なレナード・バーンスタイン(1918-1990)である。バーンスタインは1981年にドイツ・グラモフォンの専属アーティストとなった。バーンスタインはドイツ・オーストリアのシンフォニックなレパートリーのほとんどをウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのライヴ録音し、自身を含めた多くのアメリカ人作曲家の作品の録音も開始した(1985年に録音した自身の《ウェスト・サイド・ストーリー》はこの会社の歴史におけるベスト・セラーのひとつになった)。

カルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)は1976年にシカゴ交響楽団を指揮してドイツ・グラモフォンに初めて録音した。その後ウィーンでヴェルディの《リゴレット》、ロサンゼルスで同《ファルスタッフ》、ローマで同《トロヴァトーレ》を録音し、ジュリーニの長く離れていたオペラへの復帰を記録した。
 カルロス・クライバー(1930-2004)は1973年、ウェーバーの《魔弾の射手》を振って初めての録音を行ない、その後10年間でヴェルディの《椿姫》、ヨハン・シュトラウス2世の《こうもり》、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》―― それにベートーヴェン、ブラームス、シューベルトの交響曲、管弦楽曲を録音した。
1978年には14歳のヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムターが師であるカラヤンの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とモーツァルトの協奏曲で録音デビューを飾った。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルも、のちに数多くの称賛を受けることになる数多くのプロジェクトの最初の録音を行なった。ラサール四重奏団の新ウィーン楽派の録音は多くの賞を獲得した。アルヒーフ・レーベルは1977年にヴァイオリニストのラインハルト・ゲーベルと彼が率いるムジカ・アンティクヮ・ケルン、翌年チェンバロ奏者のトレヴァー・ピノックと彼が率いるイングリッシュ・コンサートと専属契約を結んだ。彼らは1950年代のヴェンツィンガーのバーゼル・スコラ・カントルム以来のこの会社の擁する第一級の古楽器アンサンブルとなった。また1978年にはジョン・エリオット・ガーディナーがイングリッシュ・バロック・ソロイスツを指揮してアルヒーフでの最初の録音を行なった。1980年、ポリグラムはデッカ・レコードを買収した。


1980年、ジュゼッペ・シノーポリ(1946-2001)がその最初のドイツ・グラモフォン録音の指揮をとった ―― そしてその3年後に最初の長期間にわたる専属録音契約を結び、フィルハーモニア管弦楽団とのマーラーの交響曲全集、シュターツカペレ・ドレスデンとのブルックナーの交響曲、それにいくつかのオペラを録音することになる。ジェイムズ・レヴァインは1987年にドイツ・グラモフォンの専属アーティストとなり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、イツァーク・パールマンとモーツァルトの交響曲全集、ヴァイオリン協奏曲全集を、メトロポリタン歌劇場公演のワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》などの録音を行なった。

ケンプの引退後のこのレーベルの3人の主要なピアニストはマルタ・アルゲリッチ、マウリツィオ・ポリーニ、クリスチャン・ツィメルマンで、それぞれがショパン、リスト、20世紀の作品という、ケンプが概して避けてきたレパートリーで傑出した録音を行なった。イーヴォ・ポゴレリチは1981年に録音を始めた。2人の年配の鍵盤楽器の“政治家”がドイツ・グラモフォンにやってきた。1981年にルドルフ・ゼルキン(1903-1991)、そしてヴラディーミル・ホロヴィッツ(1904-1989)は1985年から89年の間に5枚のベスト・セラー録音をリリースした。また、若い世代のアーティストたちがこのレーベルに加わり始めた。歌手ではソプラノのキャスリーン・バトル(1984年)、メッゾ・ソプラノのアンネ・ソフィー・フォン・オッター(1985年)、しばらくしてバス・バリトンのブリン・ターフェル(1993年)、バス・バリトンのトーマス・クヴァストホフ(1999年)、器楽奏者ではチェリストのミッシャ・マイスキー(1982年)、ピアニストのマリア・ジョアン・ピリス(1989年)、弦楽四重奏団ではハーゲン四重奏団(1985年)、エマーソン弦楽四重奏団(1987年)、オーケストラではオルフェウス室内管弦楽団(1985年)らである。

1984年の末、ジーメンス社は所有するポリグラム・インターナショナルの半分の株式のうちの40%をフィリップス社に売却し、フィリップス社は1987年に残りの10%を買い取った。1986年、ハノーファーの工場 ―― CDの最初で最大の製造工場 ―― は、化学会社のデュポン社との合弁事業のハノーファー工場の一部としてポリグラムからフィリップスによって買収された。ハノーファーの工場はこのレーベルのもっとも重要な供給工場として存続した。1987年、ユニテル社とのライセンス契約に基づき、姉妹関係にあるポリグラムのレーベル、フィリップス、デッカとともに、コンサート映像やオペラ映像のビデオ・カセット、レーザー・ディスクの発売を開始し、クラシック音楽の映像収録は新しい時代に突入した。


1989年と1990年、音楽界は長くドイツ・グラモフォンと関わりをもってきた2人の偉大な指揮者を失った。ヘルベルト・フォン・カラヤンとレナード・バーンスタインである。それと同時に高い評価を受ける2人の指揮者がドイツ・グラモフォンで活動の新たな段階に入った。ピエール・ブーレーズ(1925-2016)とアンドレ・プレヴィンで、自身の作品を含めて20世紀の作品を取り上げた。アルヒーフ・レーベルではジョン・エリオット・ガーディナーがバロック時代の作品(バッハのオラトリオ、モンテヴェルディのオペラ)、古典派の作品(モーツァルトのオペラ、ベートーヴェンの交響曲)だけでなく、古楽器によるロマン派の作品を録音した。

指揮者のチョン・ミョンフン(1990年)、オリヴァー・ナッセンとクリスティアン・ティーレマン(1995年)とが新たに録音契約を結んだ。アルヒーフ・レーベルのアーティストの顔触れはポール・マクリーシュと彼が率いるガブリエリ・コンソート & プレーヤー、マルク・ミンコフスキと彼が率いるレ・ミュジシャン・デュ・ルーブル、それにルネサンス・ウィンド・バンド、ピッファロらが契約し、さらに国際的になった。1998年、ポリグラムはシーグラム社に買収され ―― そしてその子会社のユニバーサル社と合併し、世界最大のレコード会社、ユニバーサル・ミュージック・グループを形成した。この年、ドイツ・グラモフォンも今日世界最大の、もっとも成功したクラシック音楽レコード会社として創立100周年を迎えた。


新しい1000年の始まりの年にユニバーサル・ミュージック・グループはヴィヴェンディ・グループによって買収され、これによってヴィヴェンディはニュー・メディア展望拡大のために、最大手のレコード会社をその提供サービス一覧に加えた。

ドイツ・グラモフォンはそのアーティスト名簿を新しく専属録音契約を結ぶことを通して強化することに専念した。そうしたアーティストには歌手ではソプラノのアンナ・ネトレプコ(2002年)、テノールのローランド・ビリャソンとメッゾ・ソプラノのエリーナ・ガランチャ(2006年)、ソプラノのパトリシア・プティボン(2008年)、ピアニストではエレーヌ・グリモー(2002年)、ラン・ラン(2003年)、ラファウ・ブレハッチ(2006年)、ピエール=ロラン・エマール(2007年)、ユジャ・ワンとアリス=紗良・オット(2008年)、ヴァイオリニストではヒラリー・ハーン(2002年)、ジュリアーノ・カルミニョーラ(2003年)、ダニエル・ホープ(2007年)らがいる。ジュリーニ、クライバー、シノーポリという伝説的指揮者が世を去ったこの10年間であったが、新しい指揮者、グスターボ・ドゥダメルが専属録音契約を結んだ。

2006年、新しいデジタル配信のみによる「DGコンサーツ」が、最高級のライヴ・オーケストラ録音をiTunesリスナーに届け、インターネットを通して世界のすばらしいコンサート・ホールへ招待した。

これらの業績が評価され、ドイツ・グラモフォンは『グラモフォン』誌によって「2007年、レーベル・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、「ドイツ・グラモフォンはクラシック音楽に関して最高のものをすべて象徴している」と評された。


この期間の大きな出来事は2011年9月にドイツ・グラモフォンがベルリンに戻ったことである。

設立以来ドイツ・グラモフォンは常に新しいテクノロジーの使用におけるパイオニアであり続けてきたが、デジタル・テクノロジーがおなじみのオーディオ、ビデオ製品を越える水準に達したのはこの10年の間であった。これらの最初となったのは2013年にリリースされたアプリ版「ベートーヴェン:交響曲第9番」であった。それはオーディオ・ヴィジュアルの、インタラクティヴの、情報に富んだiOSアプリで、この3つの要素を革命的な体験に統合した。その後2014年にトレヴァー・ピノック指揮の高い評価を得ているヴィヴァルディの《四季》のオリジナルを、マックス・リヒターによってリコンポーズドされたヴァージョンと比較する「ヴィヴァルディ:《四季》」のアプリが登場した。2015年にはニューヨークの「ジャイアンツ・アー・スモール」のプロデューサーたちとともに制作したiPhone/iPad アプリ『ハリウッドのピーターと狼』をリリースした。これはクラシック音楽のいつまでも記憶に残る旅、視覚面での驚き、デジタル・プレイがプロコフィエフの名作に新たな視点を与えた。このストーリーのナレーターはアリス・クーパー、ドイツ語版はカンピーノが務めた。

2015年の終わり、上級メディア担当取締役で受賞歴のあるジュリアード音楽院の学者、クレメンス・トラウトマンがこのレーベルの社長を引き継いだ。彼は国際戦略&アーティト・ディヴェロップメントの副社長としてユニバーサル・ミュージックのクラシック音楽部門のビジネスの包括的な役割を担ってきたマーク・ウィルキンソンの後を継いだ。

ストリーミング[注:音楽の動画などの大量のデータをインターネット上でリアルタイムに受信・再生すること]はこの期間においてリスナー、レコード会社にとって大きな変化のひとつであった。そういうわけでドイツ・グラモフォンがキュレーターのチームによって特別に選び出された録音でアップル・ミュージックの「キュレイテッド・チャンネル」をスタートさせたのは至極当然のことであった。このチャンネルは多くの熱心なフォロワーやクラシック音楽の世界をどこから始めるべきか判らない初心者のためにもガイド役となることができる。

また2015年、ドイツ・グラモフォンとバイロイト音楽祭は、将来映像リリースで協力するために、新しい長期にわたる共同制作を発表した。

この期間において新しく契約を結んだアーティストには、指揮者のパブロ・エラス=カサド、アンドリス・ネルソンス、ヤニック・ネゼ=セガン、ピアニストのチョ・ソンジン、ヤン・リシエツキ、ダニール・トリフォノフ、ヴィキングル・オラフソン、マレイ・ペライア、グリゴリー・ソコロフ、ヴァイオリニストのネマニャ・ラドゥロヴィチ、リサ・バティアシュヴィリ、オーボエ奏者のアルブレヒト・マイヤー、それにチェンバロ奏者のマハン・エスファハニ、マンドリン奏者のアヴィ・アヴィタル、シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカール、アコーディン奏者のクセーニャ・シドロワといったドイツ・グラモフォンには新しい、あるいは珍しい一連の器楽奏者たちがいる。

ストリーミングの分野での重要な戦略的発展において、ドイツ・グラモフォンはマックス・リヒター、ヨハン・ヨハンソン、ユップ・ベヴィンら、ネオ・クラシカル、映画音楽、アンビエント音楽の分野の作曲家・演奏家たちと契約した。

訳:長谷川勝英


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