第4回:マッカートニーⅡ(詳細その1)

 
連載4回目は、“マッカートニー・シリーズ”の2作目となる『マッカートニーⅡ』について、2回に分けて紹介する。まずは、アルバムが出来上がるまでの背景について――。

『マッカートニー』からちょうど10年。ポールはなぜ、続編の『マッカートニーⅡ』を発売することにしたのか。その理由を探る上で、今回も3つのキーワードを設け、話を進めてみる。

 1.アルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』の不評
 2.ウイングスを続ける意欲の低下
 3.日本での現行犯逮捕と公演中止

では、キーワードをそれぞれ順に追ってみる。
 
まず『バック・トゥ・ジ・エッグ』は、ポールがウイングスを率いて75年から76年にかけて全米ツアーで頂点に上り詰めた後、新メンバー2人を加えて制作したアルバムだった(イギリスは79年6月8日発売)。しかもポールは、アメリカではビートルズ時代から続いていたキャピトルを離れ、新たにコロムビア(CBS)と契約し、心機一転、新生ウイングスとして新たに羽ばたく心づもりでいた。『バック・トゥ・ジ・エッグ』が、パンク、ニューウェイヴ全盛の79年、流行りのサウンドを取り入れた意欲作となった背景には、そうした流れがあった。

『バック・トゥ・ジ・エッグ』について、もうひとつ見逃せないことがある。「1979年」=70年代最後という年代だ。思えば69年(60年代の最後の年)にビートルズはポール主導で『ゲット・バック』を制作したが、それから10年後、『ゲット・バック』と趣の近い『バック・トゥ・ジ・エッグ』というタイトルのアルバムでポールは70年代を締めくくろうとしたに違いない。その意味では『バック・トゥ・ジ・エッグ』は、ウイングス版“ゲット・バック・セッション”の結晶でもあったと思うし、ジョンが復活シングル「スターティング・オーヴァー」に込めた想いと、向かう先はどことなく似ているようにも思う。

 
しかもアルバムには、70年代に活躍したイギリスを代表するロック・ミュージシャンが一堂に会した「ロケストラ」(ロックとオーケストラの融合を意味したポールの造語)という豪華セッション(スーパー・バンド)による曲も収録された。

参加メンバーは、ウイングスの他に、ザ・フー、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンなどのメンバー――具体的に言うと、ギターはデヴィッド・ギルモア、ハンク・マーヴィン、ピート・タウンゼント、ベースはジョン・ポール・ジョーンズ、ロニー・レイン、ブルース・トーマス、ドラムスはジョン・ボーナム、ケニー・ジョーンズ、パーカッションはスピーディ・アクウェイ、トニー・カー、レイ・クーパー、モーリス・パート、キーボードはトニー・アシュトン、そしてホーンは76年のライヴでお馴染みのハウイ・ケイシー、トニー・ドーシー、スティーヴ・ハワード、サディアス・リチャードという豪華な顔ぶれとなった。演奏されたのは「ロケストラのテーマ」。70年代を締めくくるのにこれほどふさわしい曲はない。もちろん“70年代のロック・ミュージシャン”の頂点はポールである(と自分でも思っていたはずだ)。

 
と、このように話題性は十分だった。にもかかわらず、アルバムはイギリスで6位、アメリカでも8位までしか上がらず、70年代のポールのアルバムでは、ウイングスのデビュー・アルバム『ウイングス・ワイルド・ライフ』以来最低の記録となった(それでもトップ10入り、ではあるけれど…)。

一所懸命作っても売れない作品はもちろんある。だが『バック・トゥ・ジ・エッグ』は、70年代の最後を飾る、それこそビートルズの『アビイ・ロード』のような力作として仕上がったのに、思ったほどの評判にならない。ポールの心境やいかに?である。まるでポールの失意の思いを象徴するかのような動きがアルバム発売後にあった。

新作発売後、メンバーを一新したにもかかわらず、ポールはアルバム発売記念のツアーを行なわなかったのだ。そればかりか、ツアーをやる代わりに、夏の6週間を費やして、自宅で気ままなレコーディングに没頭したのである。

バンドよりも個人――。その動きは、ビートルズの『レット・イット・ビー』よりも自分の『マッカートニー』に力を入れた70年の状況に相通じるものがある。ただし、今回の方が事態はより深刻だ。

まさか70年代を締めくくるためにはツアーは12月にやるのがいいとポールがハナから思っていたわけはないだろうけれど、ウイングスのUKツアーは、結局、アルバム発売から半年近くも経った11月25日のリヴァプールから12月17日のグラスゴーまで8都市で行なわれた。

さらに12月29日に開催された“カンボジア難民救済コンサート”に、ウイングスはトリで出演した。ザ・フー、クイーン、クラッシュ、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、プリテンダーズ、スペシャルズ、ロックパイルなどが出演したこのチャリティ・ライヴでは、ライヴ版ロケストラも結成され、「ロケストラのテーマ」の演奏で70年代の最後は華々しく締めくくられた。ここでも主役はもちろんポールである(と自分でも思っていたはずだ)。

 
そして1980年。大麻の前科を理由に幻に終わった75年の来日公演中止を乗り越え、ポールは66年のビートルズの日本公演以来、13年半ぶりに日本にやって来た。だれもが待ち焦がれていたウイングスの日本公演がついに!である。…だが、ポールは日本に「やって来た」だけで終わってしまった。まさかの大麻不法所持による現行犯逮捕である。

興味深いことに、2011年に発売された『マッカートニーⅡ』のアーカイヴ・コレクションのインタビューで、ポールはその時のことを、こんなふうに語っている。

「僕にとってはすごく変な時期だった。このバンドで日本に行くのが嫌だったからね。それにリハーサル不足だと思っていた。そういうのは好きじゃない。僕は大抵いいライヴができると自信が持てるようになるまでリハーサルするんだ。その場合は喜んでツアーに出るよ。でも公演が決まっていて、東京でリハーサルするという話だったから“うーん、ちょっとギリギリだよね……”って感じだった。それで動揺していたんだ。で突然逮捕されてしまった。分かんないけど、すごく奇妙だな、と思うんだ。まるで演奏しなくて済むようにわざと逮捕されたかのような。今でも謎だよ。“僕が逮捕されるように、誰かがそこに置いたのか?”とも思ったりする。分かんない。サイコ・ドラマみたいだよ」

日本公演が、たとえば半年ぶりのライヴだったとしたら、まだ頷ける発言だが、来日の3週間前にはUKツアーを行なっているし、日本公演のリハーサル映像も残されている。あれだけ前向きの(そう思える)ポールにしては、珍しく後ろ向きの物言いには、どこか歯切れの悪さも残る。

そして、この逮捕劇が尾を引き、ウイングスは活動停止=解散へと向かってしまうのだ。その代わりに、というわけではないものの、先に触れた「夏の6週間を費やして、自宅で気ままなレコーディングに没頭した」曲を厳選したアルバムを、ポールは公表することに決めた。もともと発表する予定ではなく、車の中であくまで自分のために流して楽しもうと思っていたという作品集――それが『マッカートニーⅡ』だった。

 
次回は『マッカートニーⅡ』の内容や、ジョンの死について紹介します。

 
 
☆ 第1回:マッカートニー・シリーズとは(総論)>>
☆ 第2回:マッカートニー(詳細その1)>>
☆ 第3回:マッカートニー(詳細その2)>>
 


『マッカートニーⅢ』2020年12月18日発売