BIOGRAPHY

ピンク・マルティーニ アーティスト写真
1994年、米オレゴン州ポートランド市を拠点とするトーマス・ローダーデールは、地元の街の政界で活動しながら、いつか市長に立候補しようと考えていた。他の熱心な政治家の卵達と同じように、ありとあらゆる政治資金集めのイベントにくまなく足を運んでいたトーマス。しかしそういったイベントで演奏されている音楽が、なんとも盛り上がりに欠け、活気も感じられず、大音量なだけで取っ付きにくいものばかりであることを知り、彼は愕然としたのであった。クラシックやジャズ、懐かしのポップスなど、ジャンルの壁を超えた世界中のあらゆる音楽からインスピレーションを得ていた彼は、保守派にもリベラル派にも同じように興味を持ってもらえるようにとの期待を抱き、1994年、”小さなオーケストラ”ことピンク・マルティーニを結成。同バンドを率いて、人権や、手頃な価格の住宅、環境、図書館、公共放送、教育、公園の拡充といった、進歩的運動を支える政治資金集めのイベントで、より美しく、より人々に受け入れられやすいBGMを提供したいと考えたのである。

1年後、トーマスはハーバード大学時代の旧友で当時ニューヨーク在住だったチャイナ・フォーブスに電話をし、彼女にピンク・マルティーニへの参加を依頼した。一緒に曲作りを始めた彼らが書いた最初の曲、「サンパティーク」はフランスで突如センセーションを巻き起こし、フランスのヴィクトワール・ド・ラ・ムジーク賞では年間最優秀楽曲部門にノミネートされた。サビの「Je ne veux pas travailler」(私は働きたくない)という一節は、フランスの労働者のストライキでは標語として定着している。


「ピンク・マルティーニのメンバーは、全員それぞれ違った言語を学び、また世界中の色んな地域を発祥とする様々なスタイルの音楽を学んできたんだ。だから必然的に、僕らのレパートリーはものすごく多彩になっているんだよね」と、トーマスは語る。「ある瞬間には、リオデジャネイロのサンバ・パレードのど真ん中にいる気分になったかと思えば、また次の瞬間には、1930年代のフランスのミュージックホールにいたり、はたまたナポリの宮殿にいたりする。音楽を通じて都市を巡る、ちょっとした旅行記みたいなものだね。僕らはとてもアメリカ的なバンドではあるけど、海外で過ごす時間も長くて…それで海外では、より幅広い意味でのアメリカ全体を代表するような、そういう外交的な役割を果たす機会もあるんだ。つまり、様々な国にルーツを持ち、様々な言語で話し、様々な宗教を信じる人々から成り、世界で最も多様な住民が暮らす国であり続ける、このアメリカという国をね」。

12人のミュージシャンを擁するピンク・マルティーニのレパートリーは、多言語で歌われており、彼らは交響楽団を従えて、ヨーロッパ、アジア、ギリシャ、トルコ、中東、北アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、南米、北米など、世界各地のコンサート・ステージに立っている。ピンク・マルティーニがヨーロッパでデビューを果たしたのは、1997年のカンヌ映画祭でのこと。そしてノーマン・レイデンの指揮の下、オレゴン交響楽団を従えてのオーケストラ・デビューは、1998年であった。それ以降、ピンク・マルティーニは世界各国で50以上の交響楽団と共演。その中には、ロサンゼルス・フィルハーモニックとのハリウッド・ボウルでの複数回の共演や、ボストン・ポップス・オーケストラ、ケネディ・センターでのナショナル交響楽団との共演、サンフランシスコ交響楽団、そしてロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにおけるBBCコンサート管弦楽団との共演も含まれている。その他、ロサンゼルス・フィルハーモニックとは、フランク・ゲーリーが新たに設計したウォルト・ディズニー・コンサート・ホールの杮落しでも共演を果たし、その後2003年、2004年、2008年、2011年と、同ホール恒例の大晦日コンサートにも登場。カーネギー・ホールでの2公演も完売。そして改築したニューヨーク近代美術館の再オープン記念パーティーにも出演。2008年には、第80回アカデミー賞の公式打ち上げパーティー『ガバナーズ・ボール』に出演している。同じく2008年に、オーストラリアのシドニー・フェスティバルでオープニングも飾った。フランスにおいては、2011年に伝説的なオリンピア劇場で2公演が完売した他、2012年にはパリでランバンのデザイナーであるアルベール・エルバスの就任10周年記念イベントに出演した。

ピンク・マルティーニのデビュー・アルバム『サンパティーク』は、1997年、バンド自らが立ち上げたインディペンデント・レーベル、ハインツ・レコーズ(名称の由来はトーマスの愛犬の名)からリリース。同アルバムは瞬く間に国際的な注目を集め、バンドは2000年、フランスのヴィクトワール・ド・ラ・ムジーク賞で、年間最優秀楽曲部門と最優秀新人部門にノミネートされた。2004年には『ハング・オン・リトル・トマト』を、2007年には『ヘイ・ユジーン』を、そして2009年には『草原の輝き』をリリース。そして2010年11月、『ジョイ・トゥ・ザ・ワールド』を発表した。これは世界中の国々の曲を収録したホリデイ・アルバムで、宗派の垣根を越えた祝祭気分に満ちている。同作はレビューでも絶賛され、2010年のクリスマス時期から年末年始にかけては、全米のスターバックスの各店舗で販売された。ピンク・マルティーニがこれまで発表してきたアルバム5枚は全て、フランス、カナダ、ギリシャ、そしてトルコでゴールド・ディスクを獲得。世界中で250万枚を優に超える売上を記録している。 2011年秋には、2枚のアルバムが発売された。ピンク・マルティーニの17年のキャリアの人気曲と8曲の未発表音源を集めた『レトロスペクティヴ』と、日本の伝説的な歌手である由紀さおりとのコラボレーションによる『1969』である。『1969』は日本でプラチナ・ディスクに認定され、セールス・チャート4位を記録。「ジャパン・タイムズ」は「ポップスの伝統に対する由紀さおりとピンク・マルティーニの愛情とリスペクトが、全ての曲に輝いている」と評した。

ピンク・マルティーニは、これまでに様々なアーティストと共演してきている。ジミー・スコット、キャロル・チャニング、ルーファス・ウェインライト、マーサ・ウェインライト、ジェーン・パウエル、アンリ・サルヴァドール、チャベーラ・バルガス、ジョーイ・アリアス (ニューヨークのパフォーマー)、ベイジル・ツイスト(操り人形師)、ジョルジュ・ムスタキ、マイケル・ファインスタイン、ガス・ヴァン・サント(映画監督)、ダンディ・ウォーホルズのコートニー・テイラー・テイラー、ノーマン・レイデン(クラリネット奏者、指揮者)、和田 弘、アルバ・クレメンテ(イタリアの女優、ソングライター)、DJジョニー・ダイネル、チ・チ・ヴァレンティ、セサミ・ストリートのオリジナル・キャスト、カリフォルニア州チュラビスタのボニータ・ビスタ・ハイスクールのマーチング・バンド、オレゴン州ポートランド市のパシフィック・ユース合唱団などなど。

2011年3月、チャイナ・フォーブスが声帯の手術のために休養に入った際、ストーム・ラージがシンガーとしてピンク・マルティーニと共演するようになった。その後チャイナは完全復活を果たし、今後は両シンガーともピンク・マルティーニとの活動を継続する。

ピンク・マルティーニのゲスト・アーティストは実に華々しい。アリ・シャピロ(ナショナル・パブリック・ラジオのホワイトハウス担当記者)、アイダ・レイ・カハナ(ニューヨークのセントラル・シナゴーグで5年間、礼拝の主唱者を務めたソプラノ歌手)、マスミ・ティムソン(箏奏者)、モーリーン・ラヴ(ハープ奏者)、キム・ハストレイター(Paper Magazine誌 編集長)などに加え、最近では(「サウンド・オブ・ミュージック」で知られる)マリア&ゲオルク・フォン・トラップ夫妻の4人の曾孫とも共演し、現在彼らとの共同アルバム・プロジェクトが進行中。

2012年1月、トーマスは95歳の伝説的なフィリス・ディラー(女優、コメディエンヌ)と、チャーリー・チャップリンの「スマイル」を録音。同曲は、来たるピンク・マルティーニのニュー・アルバム『ゲット・ハッピー』(仮題)に収録予定である。