『oar』オフィシャル・テキスト

【第3弾】2020年2月14日(金)掲載
角銅真実 『oar』オフィシャル・インタヴュー (後編)

文:松永良平

─これまで出した3枚のアルバム・タイトルにも、何かしらの遠く離れたところにいる人に向けてのベクトルというか、届けたいっていう気持ちはあったように思いますけど、『oar』はそれがいちばん明確に表れている作品ですね。

そうかもしれません。『oar』というタイトルも、言葉としておもしろいですよね。オールが英語でそう書くってわたしもはじめて知ったので、みんなも「ああ、海をこぐボートのオールですか」って反応する気がするし、それもいい。「ear (耳)」に似てるのもいいなって思いました。

─耳に向かってオールで漕いでいる状態というか。まさに「人に聞いてもらいたい」という意味でもあるし。3枚のなかでも、いちばん自分が前に進んでる状態を出してる。

じつはディレクターさんが「ユニバーサルで出しませんか」って話を下さったときは、もうだいたい曲はできていて、自分で作ろうと思ってたくらいだったんです。

─アルバムにはレコーディングには、SONGBOOK TRIOの石若駿、西田修大、ceroのサポートとして一緒に活動している光永渉、石若くんとSMTKというバンドをやっているオーストラリア出身のベーシスト、マーティ・ホロベック、ギターの中村大史、それからストリングスや木管楽器もあって、これまでになく多くのメンバーが参加してますよね。

今回はプリプロみたいなことを前よりすごくやって、「この曲はこうしたいからこうしてください」みたいなのを言って曲を固めていきました。以前のわたしは行き当たりばったりで、「(ファーストのプロデュース、録音を担当した)大城(真)さん、明日レコーディングしたい」とか衝動的に言ってレコーディングしていたんです。その頃は、ライヴで何回もやって曲を固めて、スタジオでもレコーディングしながらディレクションしていくような方法だったけど、今回は関わる人も多かったし、場所も時間も事前に決まって限られていたから、しっかりしたプリプロが必要でした。でも、逆にスタジオに入るまでの時間は割とあったので、客観的に曲を考える時間は今までよりいちばんありました。そういう過程もおもしろかったですね。

─作詞家、角銅真実としての変化は感じてますか?

特にこのアルバムに入ってる歌は、言葉の意味が聴かれる場所が変わったりすることでちょっとずつ意味も変わるのがおもしろいと思っています。
 わたしは、もともとマリンバやってたのになんで歌を歌うようになったかって考えるんですけど、東京での生活のなかで、住んでるマンションには大きなマリンバは置けなくて、ギターと声ならできたからだと思うんです。都市生活のなかで自分と音楽の関係性が変わってく中で、言葉がでてきたというのはすごくある。
 もともと打楽器って、わたしにとって身のまわりのものを叩いて音を出すことで再認識する楽器なんです。一回音楽にすることで自分のなかに落とし込む。歌の曲も自分にあったことや自分が考えてることを一回、箱庭じゃないけど歌にして眺めることで初めて受け入れるという感覚がすごくあります。だから、その落とし込み方自体はいままでとはあんまり変わらないことなんです。
 いまは、自分の声を使って「うれしい」とか「かなしい」とか歌える事がすごいおもしろい。インタレスティングって意味の「おもしろい」です。「こういうこと言っていいんだ」っていう発見が、この一年、歌ったり録音したりすることのなかにあった。
 最近やってる新しい曲は歌詞が決まってなくて、そのライヴ中に見たものとかを歌うんです。それもおもしろいです。

─〈FESTIVAL de FRUE 2019〉に出ていたトン・ゼーを見たときの歌手としての感動について語ってましたけど、同じフェスにジョアナ・ケイロスも出ていましたよね。彼女も、打楽器をやり、クラリネットもやり、歌も歌うという意味では「マルチ・ミュージシャン」として通じるものを感じませんか?

ジョアナはすごい好き。彼女の場合は、世界と彼女の間をつなぐトンネルみたいな存在としてクラリネットがあるんですよ。「自分のアイデンティティはクラリネットだ」って、いつも持ち歩いてるんだそうです。わたし、そういうアイデンティティがないから、うらやましい。「いいなあ。わたしもアイデンティティ欲しいな」って彼女に会ったとき言いました。
 いま、わたしはとりあえず歌に興味があって、それをやってるから、歌がそういう役割なのかもしれない。ジョアナにとってのクラリネットが、私は自分自身になっている。
 いま、わたしはまた楽器の方にも気持ちがたち返ってきているんです。『oar』を作ったことでいろいろ自分の考えが具体的になったから、もう一回楽器のこともできるような心境になっていて。
 じつは2月にブエノスアイレスに行ってきます。去年、サンティアゴ・バスケスさんと共演した縁で、ハンドサインのスクールの一週間集中プログラムに出ます。今まではいろんな楽器の文化を飲み込むだけが精一杯で、自分の言葉では自分の音楽をできないと思っていたけど、「あとは自分の好きにやるんで」みたいな気持ちにちょっとずつなれてきた。これからは楽器でも好きにやっていいと思ってます。

─自分が作っている作品を「人に伝えたい」という意味で「ポップ・ミュージック」という言葉は意識しますか?

これ(『oar』)ってポップ・ミュージックですか? わたしはなんと言われてもいいけど、自分ではそうじゃないと思っています。「ポップ」の意味があんまりわかってないですけど、ポップ・ミュージックって、みんなで分かち合う共感の音楽というのがひとつあると思っています。
 でも、わたしは誰かと本当に共感できることなんてないと思っていて。たとえば、何かを指して「これは白」とわたしは思うけど、みんな目玉はそれぞれ違うわけだし、白じゃなくてグレーだとしたらその幅も広いし、真っ黒とか真っ青に見えてる人もいるかもしれない。本当の真実ってないし、本当に分かち合えることってない。でも、分かり合えない人たちが一緒にいる状況はおもしろい。そういう意味で、人と向き合いたいという気持ちはすごくあるけど、本当に共感できることはないとわたしは思ってます。
 自分の音楽を作るうえでは、クラシックの影響も大きいですが、いちばん影響を受けたのはロック・ミュージックなんです。私の中で、ロック・ミュージックっていうのはひとりの気持ち。「この気持ちはわたししかわからない」というもの。共感じゃないから人に優しくなれる気がする。わかりあえないから。

─それは、浅川マキさんが歌った「並んで歩く」という言葉ともつながりますね。

そうなんです。だから、今回のアルバムもすごく信頼してるミュージシャンと作ったし、すごくいい雰囲気でいいものが録れたけど、最後の最後まで誰のことも信じなかった。「わたししか知らない、どうなるかわからない」みたいな気持ちを大事にしないといけない。関わる人が多いし、全部自分で演奏しているわけじゃないからこそ、最後まで「ひとり」ということは意識しました。逆にそうさせてくれたミュージシャンたちには本当に感謝しています。
 いままででいちばんオープンな気持ちで作ったし、聴かれた時に遠くまで届いて欲しいアルバムだったけど、根本的なところではそういうのがあるんです。「今回も孤独だな」と思って作りました。全然辛くはないけど(笑)

─でも、本当は孤独というか、独立してるものほど遠くに飛ぶと思いますよ。重たい共同体になるんじゃなくて。

そうですかね。飛んで欲しい。

─鳥は群れをなして飛ぶけど、飛んでる鳥一羽一羽はひとりじゃないですか。

いいこと言いますね(笑)

─あの鳥は何を考えて遠くまで飛んでるのかはわからないけど、なんとなく僕らの気持ちを乗せて運んでる気がするんですよ。鳥は鳥で「私は私で飛ぶだけよ」と思ってるんだけど、ちょっとだけぼくらに見られてることは感じてるんじゃないかな。ぼくらも「あの鳥、気持ち良さそうだな。楽しそうだな」って思ったりする。『oar』って、そういうアルバムでもある気がします。

そうかもしれません。あと、より強くなりたかった。人に届いて欲しいと思う分、自分のなかではエッジを持って作りました。「歌でわかる」というか、強度のあるものというか、どんなになっても「ここで全部言った」みたいな気持ちがあって。でも、作ってる間は、のびのびと楽しくやりました。「うれしい」とか「かなしい」とか、はっきり言葉で言うことがいまはちょっと楽しいのかもしれません。


Lantana (Short Video)



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【第2弾】2020年2月7日(金)掲載
角銅真実 『oar』オフィシャル・インタヴュー (前編)

文:松永良平

─新作『oar』は、構造としては前のソロ2作(『時間の上に夢が飛んでいる』2017年、セカンド『Ya Chaika』2018年)と似てはいるんですよ。タイトルが日付の曲がいくつか入ってるのも同じ。だけど、出来上がってきた音楽は歌のあるポップスになっている。まずはそういうふうになっていった気持ちのなりゆきから聞かせてください。

角銅 歌に変わっていったのは、ふたつ、あ、みっつ理由があります。ひとつは、ceroや他のアーティストとの仕事で、歌とともに音楽をする機会が多くなったこと。
 ふたつめは、もともとわたしにとって音楽を作ることは生きてることをサンプリングするっていうか、生きていることの態度を表すという感覚があるのですが、その中でも歌とか言葉をより自分に近いものとして扱うという変化です。
 みっつめは、石若(駿)くんと一緒に演奏するSONGBOOK TRIOのライヴや、『Songbook』シリーズの制作をやるようになって、自分で歌を自分の声で自分の言葉で歌うという機会の中で変わった部分はあるかもしれないです。そのみっつで、確かに変わっていったと思います。
 以前はライヴでも打楽器をやっていたし、ピアノの音とかに対しては言葉よりも音で反応するほうがいろいろ対応できたと思っていました。だけど、いまは言葉と歌でも他の楽器に対して即興的にやれるようになってきたのかな。石若くんはわたしの歌に反応してくれるし、それがおもしろかった。ただ伴奏に合わせて歌うってことじゃないんです。

─単なる伴奏に合わせて歌ったりハーモニーを作ったりする音楽という意味では、ceroでここ数年やってきたことの影響も大きいですか?

角銅 はい、大きいです。アルバム(『POLY LIFE MULTI SOUL』2018年)の制作に関わったとき、最初にceroの3人から送られてきたデモをサポートのみんなも一回共有したんです。「どんな音楽にしていこう?」って考えて作ることに立ち会ったし、「人に届けるために音楽の種にどういう要素を入れていくか?」とかを一緒に考えていった。わたしは自分の音楽に対してはそういう作り方はしていないと思ってるけど、知恵とか工夫をみんなで出していくっていう作業は影響として大きかった。それは、みんなとシェアしてオープンにして作っていくだけでなく、結果的にできた音楽を聴く人に対してもオープンにする作業だったというか。

─最近だと、田島貴男さん、原田知世さん、原田郁子さんとのコラボレーションというのもありましたよね。みなさん、歌という意味で自分だけの個性を持っている。

角銅 あと、FRUEのフェス(〈FESTIVAL de FRUE 2019〉2019年10月31日、11月1日)で見たトン・ゼーもすごかった。ああなりたいっていうのとは違いますが、歌手とはああいうものだと思いました。わたしが尊敬している灰野(敬二)さんの歌もそうだけど、これまでやってきたなかでいろんな歌手に会ったというのは大きかったですね。

─角銅さん自身も「いい声ですね」って言われる機会も多かったと思うんですが。

角銅 そうですか? でも、「いい声ですね」とか「自分の音楽に声を取り入れたら?」って言ってくれる人たちに後押しはされました。やっぱり、音楽はその人の態度を表すものという思いがわたしは強いし、声ってその人の状態を表すのにいちばん手っ取り早いし、強い。そういうものとして、声はすごくおもしろいと思います。

─角銅さんは常に新しいことをしていたいタイプの音楽家だと思うんです。特にライヴでは自分でも予想のつかない展開を好むところもある。いっぽうで、今回取り組んだ「歌」という表現は、ポップスというある程度決まった形を繰り返し表現するという行為が必要なものでもありますよね。

角銅 そうなんですよね。でも、音楽自体が同じことをやっても場所で意味合いが変わるというおもしろさがあります。歌っていうのはその日の自分の体調や声も含めて、同じ曲でも毎回意味が変わるし、わたしはアレンジもわりと毎回変えちゃうから。だから、基本的にはわたしが今までやっていたソロのライヴとそんなに変わりません。歌の一曲が一個の楽器の一音みたいな気持ちだと思います。
 でも、確かに歌にまつわる制約はありますね。それについて「自由」という言葉で説明するとしたら、今までは身の回りのものを鳴らして、自分が世界をどうとらえるかの自由みたいなことをいろいろ組み替えて夢中になっていました。でも、今回は歌を歌ってる。歌や言葉って、暮らしのなかで受け取る自由がもっとあるというか。受け取った人の身体の中に入ってどんどん変わっていって、その人と歌との境界線がどんどんなくなっていく。そういう、受け取る自由があることがすごくおもしろいなと思います。
 あと、今回のアルバムを作るとき、初めて「人に聴いてほしい」っていう気持ちになっていたんです。前作の『Ya Chaika』は、ceroとかでの活動を通じて自分の手のひらくらいまで「社会」というものが入ってきて、びっくりしながらそれを見つめてたアルバムでもあった気がするけど、今回は「人に聴いてほしい」とか、誰かに自分の歌が聴かれた後のことや自分が誰かの歌を聴いたとき、みたいなことを考えた。っていうのはあるかもしれません。
 母親が『Ya Chaika』を聴いて「すごく好き」って言ってくれたんです。「寝る前に聴いて泣いてる」とか、「お酒飲みながらひとりで聴く」みたいに。母は若い頃にお嫁さんに来て、子育てもあったし、自分がやりたいことができなかったと思う。そんな自分の子どもが音楽の道に進んで、自分の声とかを使って音楽をやってることに驚いたと思う。初めて「Asa」(石若駿『Songbook』2017年)を聞いたときは、母は「恥ずかしくて(娘の声が)聴けない」って言ってたくらいだったんです。たぶん、わたしが自分の言葉で音楽をやろうとしてることへの戸惑いもあったんだと思う。そういう時期もあったけど、しばらくして「いつも聴いてます」って言ってくれたのがすごいうれしかった。

─歌ものに向かったということもありますけど、今回はカヴァーも2曲入ってますよね。ひとつは浅川マキさんの「わたしの金曜日」。もう一曲はFISHMANSの「いかれたBaby」。角銅さんのライヴではマキさんの「少年」も歌ってましたね。

角銅 (浅川マキが)大好きなんです。(生前には)会えなかったから、わたしが勝手に思ってるだけなんですけど、マキさんはくよくよしてなくて、悲しいけど、かっこいいし、優しい。「わたしの金曜日」の歌詞に「名前も知らない男の人」が出てきますよね。普通なら「その人ともう会えないの?」みたいなラブソングっぽい歌詞になるけど、マキさんは「並んで歩く」っていうだけなんですよ。そういう表現が優しいし、強いっていうか、可笑しい。そういうところにわたしも「あーっ」って思って惹かれちゃう。暗いし、深くまで潜っていくようなところもあるけど、どこかがカラッとしててかわいいんですよ。そこに女の人の強さ、豊かさを感じます。
 わたし、この曲で、オリジナルにある最後の歌詞を歌っていません。でも、それは心のなかでは鳴ってる音なんです。言わないけど聴こえるくらいの音。そうすることで、歌がその人のなかで変容してゆくというのをアルバムのなかで表現したくて。自分の歌も最終的に誰かのなかで、誰の曲かわからなくなって、自分のなかでも全然違う曲になっていったらおもしろいなと思ったんです。たまに聴き返したら「あれ? これこんな曲だったっけ?」みたいになったらいいな、って。
 (「いかれたBaby」は)、わたしがKAKULULU(東池袋)のライヴでこの曲をカヴァーしたのをディレクターさんが見てくれていて、「(アルバムでも)やったらどうですか?」って勧めてくれました。佐藤(伸治)さんとも会ったことないけど、歌に惹かれるというか、強くわーっと来ます。

─佐藤さんにも「曲を完結させない」「聴いてる人のなかで変わっていってもいい」と考えていたようなところがあった気がします。そう考えると、この2曲も、角銅さんの歌に対する気持ちを前向きにさせたような存在に思えます。歌を起承転結で完結させなくてもいい。オープンエンドでいい。

角銅 わたしは全部そうかも。人生がオープンエンド(笑)。いまは『oar』は「聴いてほしい」と思って作ったから、これを聴いてほしい。だけど、また新しいことしたいなとも思っています。アレンジもどんどん変えるし、人と出会いがあったら変わっていくだろうし、きっと言葉も変わっていくんじゃないかな。


Lark~November 21~わたしの金曜日 (Short Video)


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【第1弾】2020年1月31日(金)掲載
音楽で自由になるために。

文:松永良平

 「ベネズエラ人の友達に『マナミは何のために生まれてきた?』って聞かれたことがあるんです。そのときに、すっと『自由になるため』って答えが自分から出てきた。なんでそう言ったのか、あとで考えるといろいろおもしろいんですよね」(2017年のインタビューより/聞き手は筆者)

 角銅真実と初めて言葉を交わした日のことは覚えている。2016年11月3日、仙台。ceroのツアー〈Modern Steps〉初日の夜だった。
 このツアーからceroはサポート・メンバーが入れ替わり、古川麦(ばく)、小田朋美、角銅真実が参加した。3人とも東京藝大出身でそれぞれに旧知の間柄だったが、すでにソロ・アルバムの発表や多方面での活動もしていた古川、小田に対し、彼女はまだ未知数な存在に思えていた時期だった。
 少女のような面影を残し、地元の長崎弁を隠さずにしゃべる彼女は、打ち上げの乾杯でビールのジョッキを周囲が驚くほどの力強さでぶつけ合っていた。いま考えれば、それは彼女の世界とceroという新しい社会の衝突音のようでもあった。ガラスのジョッキが叩かれて出す音から、自分なりの感覚で関わり方をつかみ取ろうとしていたのかもしれない。
 あれから3年ほど経った。
 ceroのサポートとしてツアーや大きなフェス、レコーディングに参加する経験を積みながら、彼女自身の活動も積極的に進み始めていった。ファースト・ソロ『時間の上に夢が飛んでいる』(2017年)、セカンド『Ya Chaika』(2018年)を相次いでリリース。弾き語りから大編成でのタコマンションオーケストラ、自在な形態でのセッションなど、多様な編成でのソロ活動を展開している。なかでも、藝大時代からの旧知であるドラマー石若駿のポップ・ソング・プロジェクト、SONGBOOK TRIOにはギタリストの西田修大と共に参加。EP『SONGBOOK』シリーズでも、歌と言葉を伝えるシンガーとして重要な役割を担っている。
 また、舞台や美術展示、映像作品への音楽提供も行い、原田知世のツアーやORIGINAL LOVEのレコーディングへの参加、原田郁子とのユニット「くくく」や韓国のシンガー・ソングライター、イ・ランとのコラボレーション(彼女がイ・ランの作品をプロデュースする予定があるという)が開始するなど、国内外で彼女の才能への注目は高まっている。

 藝大でマリンバを正式に学んだ。
 その経歴だけ聞くと、音楽エリート・コースを歩んできたように思われるかもしれないが、彼女の人生をひもとくとまるで違うことに驚く。環境や出会いに恵まれた順風というものではない。少女時代の彼女はひとりの時間を愛し、自分と向かい合い、自分に問いかけ、自分が自分であるという現実から自由になろうとしていた。体重を忘れて鳥のように飛び立つことを夢見ていたかのように、ハードル走に本格的に打ち込んでいた時期もあった。学校の授業すらほとんど受けていなかったという彼女が藝大を目指すきっかけになったのは、Eテレで放映されていた『ドレミノテレビ』(2003~06年)で奇抜なパーカッションを叩いていた山口ともの演奏に出会ったことだった。
 東京藝大に合格してからは、世界に名高いパーカッショニスト、高田みどりに師事。「日本のジャズ」という括りを超えて現代のジャパニーズ・ポップを更新しようとしている同世代の才能と出会っていった時期でもあるが、彼女自身はここでも苦悩を重ねた。技術とは何か? 演奏とは何か? 音楽とは何か? 表現とは何か?

 「音楽教育を受けていく上で、あまりにいろいろ無自覚に身についた部分を感じたというか、無自覚に文化に巻き込まれて他人の言葉で音楽やいろんなものを紡いでしまっているような。『わたしの中心みたいなとこはなんだろう?』って思って、楽器を本当にやらなくなりましたね。一度、自分でイチから考るために頭を整理したかったのだと思います」(前出インタビューより)

 答えの見えない問いかけを繰り返しながらも、卒業後も音楽を続けてきた彼女が、ようやく音楽に対する前向きな楽しさを取り戻し始めたのは2015年頃。シンガー・ソングライター野田薫とのトリオや、大学時代から知る古川麦の単独ライヴ用に組まれた古川麦オーケストラへの参加など、活動がそれまでより広いフィールドへと徐々に広がっていく。その決定打となったのが、16年11月からのceroへのサポート参加だった。
 現代型ポップとしてミクスチャーなスタイルを持つceroの演奏に加わり、大観衆の前でのライヴを経験したことは少なからず彼女に影響をもたらした。さらに言えば、 ceroの音楽性の根幹に「歌」があったことも大きい。ceroで演奏することの魅力について、彼女は17年当時こう語ってくれた。

 「音楽とはちょっと違う話かもしれないけど、『愛してるよ』って歌うじゃないですか。そこにわたしはびっくりして。ライヴでも毎回、タンバリン叩きながら『いま、この人(ceroのリードボーカル髙城晶平)、“愛してるよ”って言うとるよ! この大勢の人の前で! すご~』って思って。わたしも『愛してるよ』はハモるんで、歌いながら『わたしの口もおなじこと言った!』って思うんです(笑)。『大勢に“愛してるよ”っていうメッセージを伝えるような音楽を、わたしもいまやってるんや!』という驚きと喜びですね。それが一番の衝撃だったし、びっくりしたし、好きなところなんです。あんまり音楽でそういうふうにびっくりしたことはない。だって、すごくないですか?」(前出インタビューより)

 本来はリズム面の強化を目的としてパーカッショニストとして声がかかったのに、シンガーとしての自分の発見にもつながっているというのが面白い。その発見は、ソロ作『時間の上に夢が飛んでいる』『Ya Chaika』でも試されていった。ファーストでは、まだ“ヴォイス”的な要素が強かったが、セカンドでは確実に「歌」になりつつあった。17年の12月にリリースされた石若駿のファーストEP『Songbook』で彼女が石若の曲に歌詞をつけて歌った「Asa」も重要だろう。あのプロジェクトは、歌い手としての角銅真実を育む試金石でもあった。

 足早に歩みを振り返ったが、角銅真実という稀有な音楽家が、決して突然変異的に現れたのではなく、トライ&エラーを経てここに至っているということを、少しでもわかってもらいたく、あえて字数を重ねた。
 サード・アルバムにして、初のメジャー・リリースとなる新作『oar』は、彼女にとって初めて「歌」をはっきりと意識して作った作品でもある。石若駿、西田修大、光永渉など、これまでも彼女と活動を共にしてきた盟友たちの手も借りつつ、彼女が見つめた歌の世界が大きく広がっている。そして、それは発売元であるユニバーサルからの要請ではなく、彼女自身が最初から考えていたことだった。
 「歌」というフォーマットや、「意味」を持つ言葉は、ある意味で表現に殻をかぶせる行為でもある。音楽で自由になることを求めてきた彼女にとって、それはもしかして大きな心境の変化なのだろうか?
 だが、アルバムを聴いて、そして彼女とじっくり話をして、それは杞憂だとわかった。

 「歌が聴いた人の中で変容してゆくということをアルバムのなかで表したかった」(新作『oar』についてのインタビューより)

 これまでの彼女の作る音楽やリリースしたアルバムに宿っていたのは、自分自身がもっと自由になるために動き続け、変わり続けることだった。だが、いまの彼女には、自分から出てきた音楽が自分を離れてどこか知らない場所に暮らす誰かの中で変わってゆくことも、ひとつの新しい自由として見え始めている。
 実感というかたちでしっかりと心に根付いていくのは、まだこれからかもしれない。それとも、またすごいスピードで次の海へと漕ぎ出していくのかもしれない。だけど、彼女は自分の「歌」が人の心の中に響いて、形を変えて残っていくことを許した。そのやり方でも、人は音楽で自由になれる。その根幹はまるで変わらずに。

 海を漕ぐオールが「oar」と書くことを初めて知ったと彼女は言った。そして、その「oar」が、耳を表す「ear」に似ているのもいいと思うと付け加えた。
 そう見えるのは、単なる錯覚じゃない。角銅真実自身に「oar」と「ear」の両方が一緒に見えているからだ。


December 13 / Lullaby (Short Video)


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