イーグル・ロック イーグル・ロック

イーグル・ロック

2015年8月26日発売  第2弾 アルバム解説

解説執筆者: 赤岩和美


uiby-15047_mom_extralarge

UIBY-15047

ジョン・レノン・トリビュート~カム・トゥゲザー

V.A


<解説>

 本作は、2001年10月2日に、ニューヨークのレディオ・シティ・ミュージック・ホールで開催された<銃規制と非暴力>を提唱するイヴェントの映像で、アメリカではTVネットワークで放送されたものだ。<非暴力>を訴えた今は亡きジョン・レノンのビートルズとソロの楽曲を多彩なミュージシャンが歌うスペシャル企画でもあった。1年前から計画されていたというが、この直前の9月11日にニューヨークやワシントンDCなどで起こった同時多発テロへの追悼コンサートにもなってしまった。9月21日にはニール・ヤングやポール・サイモンらが参加した4大ネットワークで放送された『アメリカ:トリビュート・トゥ・ヒーローズ』が、10月20日にはポール・マッカートニーやブルース・スプリングスティーンらが出演したニューヨークはマディソン・スエア・ガーデンでの『コンサート・フォー・ニューヨーク・シティー』が開催され、失意と共に前進への祈りも捧げられている。ジョンが訴えた非武装・非暴力や国境や宗教に囚われない世界への想い(イマジン)がここでは歌われている。
 ジョンのメッセージが残された映像で紹介される中、様々なアーティストによるパフォーマンスで全16曲が歌われている。このスペースでは詳細な紹介ができないが、ヨーコさんも参列の下、息子のショーン(+ルーファス・ウェインライト、モービー)、ジョンと同世代のルー・リードやビリー・プレストン(『レット・イット・ビー』の録音に参加)、シンディ・ローパー、アラニス・モリセット、シェルビー・リン、ネリー・ファータド、ナタリー・マーチャントら女性陣は母性的な歌声を披露し、デイヴ・マシューズは穏やかに、ストーン・テンプル・パイロッツはソリッドにロックし、MCも努めるアカデミー俳優のケヴィン・スペイシーも見事な歌を決めている。ニューヨークに自由と希望を求め、すべての人々が平和に暮らせる世界を想像したジョン・レノンの想いを、改めて、考えさせられるイヴェントだった。


uiby-15048_anm_extralarge

UIBY-15048

ディラネスク・ライヴ~ソングズ・オブ・ボブ・ディラン

ブライアン・フェリー


<解説>

 ブライアン・フェリーが、2007年にリリースした通算12作目のソロ・アルバム『ディラネスク』(英5位)は、全曲がボブ・ディランの楽曲をカヴァーした作品だった。フェリーは、ディランの楽曲をソロ・デビュー作『愚かなり、わが恋』(73年)で「はげしい雨が降る」(シングルが英10位)、2作目『アナザー・タイム・アナザー・プレイス』(74年)で「悲しきベイブ」。『ディラネスク』の前作『フランティック』(02年)でも、「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」と「くよくよするなよ」をカヴァーしたことがあった。

 尚、『フランティック』のリリース時にはフェリー率いるロキシー・ミュージックは、30周年記念として、83年の解散後では初めてとなる再結成ワールド・ツアーを01年から02年にかけて行っていた。『フランティック』には73年に脱退していたブライアン・イーノ(ツアーには不参加)がゲスト参加し、フェリーと共作もしていた為、オリジナルの5人での新作の噂も持ち上がっている。しかし、それは実現せずに、フェリーは新たなソロ作として、カヴァー作『ディラネスク』へと方向を変えることになった。
 本作は『ディラネスク』(英5位)の楽曲をフェリーのインタビューとスタジオ・ライヴの形で演奏するというTV番組をDVD化した作品で、バックを努めているのは、ブライアン・フェリー・オーケストラでも音楽監督を務めるコリン・グッド(p)、70年代のブライアン・フェリー・バンド以来の盟友クリス・スペディング(g)、フェリーの息子タラとバンド:ラバー・キス・グッドバイを組んでいたオリヴァー・トンプソン(g)、イーノに見出されたレオ・エイブラムス(g)、ピンク・フロイドのツアー・バンドでも活動したガイ・プラット(b)、80年代と01年再結成ロキシー・ミュージックのツアー・メンバーだったアンディー・ニューマーク(ds)という強力な布陣。本編では『ディラネスク』収録の11曲中9曲がディランの楽曲収録アルバムと共に紹介されているが、残る2曲もDVDにボーナス収録されている。「ベイビー・レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン」はデビュー作『ボブ・ディラン』収録のトラディショナル曲、「イフ・ノット・フォー・ユー」は『ニュー・モーニング』収録曲で、ジョージ・ハリソンやオリヴィア・ニュートン=ジョンのカヴァーでも知られている。また、「くよくよするなよ」のフル・ヴァージョンと73年の「はげしい雨が降る」のPVもボーナス収録されている。


uiby-15049_fdb_extralarge


UIBY-15049

ヒストリー・オブ・EW & F~シャイニング・スター

アース・ウィンド&ファイアー


<解説>

本作は、メンフィス生まれでシカゴ育ちのモーリス・ホワイト(vo,ds,kalimba)が、LAで結成した大所帯のファンク・バンド、アース・ウィンド&ファイアーの足跡を追った2001年制作の30周年記念の映像ドキュメンタリー作品で、タイトルの「シャイニング・スター」は彼らの初の全米1位ヒット曲で、グラミー賞のベストR&Bパフォーマンス・デュオ・オア・グループ・ウィズ・ヴォーカル部門を受賞した楽曲から名付けられている。 モーリスの弟のヴァーディン(b)とフレッド(ds)、ファルセット・ヴォイスが特徴的なフィリップ・ベイリー(vo)、アル・マッケイ(g)、ジョニー・グレアム(g)、ラルフ・ジョンソン(ds)、アンドリュー・ウールフォーク(sax)などのクラシック・ラインアップの面々による証言を交えて、EW&Fの30年の歴史が語られている。因みに、本作からは約15年が経っているが、EW&Fはパーキンソン症を患ってしまったモーリス(本作では元気にインタビューに答えており、今も健在)は帯同しないものの活動が続けられており、現在進行形のバンドでもある。
 モーリスの60年代のラムゼイ・ルイス・トリオでの珍しいTV映像に始まり(EW&Fの特徴のひとつだったカリンバ演奏がこの時代から行われていた事が映し出されるのは興味深い)、自らの音楽を求めて結成したEW&FがR&B、ソウル、ファンクから、ジャズやポップ、ロック、ディスコまでを包括する新時代のブラック・ミュージックを創造するバンドへと成長し、アフリカのルーツにまで遡り、精神性も極めて行く様子が語られている。ジャズ・ミュージシャンのファラオ・サンダースに「創造主はマスター・プランを持つ」という曲があるが、EW&Fの歩みはモーリスという創造主のプランに基づいて推進されていたことが明かされている。しかし、ディスコに挑戦した「ブギ・ワンダーランド」「レッツ・グルーヴ」(両者とも名曲だが)など時流に流された結果、80年代になると失速してしまうという苦悩が語れるのは興味深いところだ。
 最後には2000年の<ロックの殿堂>入りの受賞セレモニーも紹介され、”ブラック・ポップの歴史を変えた”と称されたアース・ウィンド&ファイアーの栄光の歴史を総括した見応えのあるドキュメンタリー作品となっている。 


uiby-15050_jcm_extralarge

UIBY-15050

ライヴ・イン・メンフィス

エルヴィス・コステロ&ジ・インポスターズ


<解説>

 エルヴィス・コステロの通算21作目として04年にリリースされたアルバム『ザ・デリヴァリー・マン』は、エルヴィス・コステロ&ジ・インポスターズ名義での初の作品だった(02年の『ホエン・アイ・ワズ・クルーエル』でも同じ布陣で制作されているので、実質的には2作目)。インポスターズは、コステロの前のバンドだったアトラクションズをマイナー・チェンジしたもので、スティーヴ・ナイーヴ(kbd)とピート・トーマス(ds)は変わらず、アメリカ人のデイヴ・ファラガー(b、元クラッカーなど)が新加入している。
 70年代のデビュー初期のパンク/パワー・ポップ/ロックン・ロールから、80年代にはカントリーやアメリカーナへの接近、90年代以降には、ロック作の合間に、クラシック、ジャズ、バート・バカラックとの共作、映画のサントラ、バレー音楽等々、多彩な作品を発表し、音楽の幅を大きく広げている。『ザ・デリヴァリー・マン』は、コステロが60年代のイギリスのビート・グループ(ストーンズやザ・フーなど)のカヴァーを通じて聞き、70年代になってオリジナルの存在を知ったというアメリカ南部のR&B/ソウル・ミュージックが生まれた土地のひとつミシシッピーを訪れ、田舎町のオックスフォードのスウィート・ティー・スタジオとクラークスデールのデルタ・レコーディングで、<隠された過去を持つ男と3人の女性の物語=ジョニー・キャッシュがモデル?>を綴ったコステロのオリジナル曲を録音した作品だった。
 本作は『ザ・デリヴァリー・マン』のリリースに合わせて、04年9月17日にメンフィスのハイ・トーン・クラブという200人規模の会場で収録されたライヴだ。前半と後半部では70年代の楽曲も織り混ぜられ、中盤は新作からの楽曲中心に、アルバムにも参加していたエミルー・ハリスが3曲をデュエットで歌っている(ジョニー・キャッシュやエミルーを見出したグラム・パーソンズ楽曲も)。名曲「アリソン」にエルヴィス・プレスリーの「サスピシャス・マインド」がメドレーで繋がるのはメンフィスでのライヴを意識したものだろう。DVDには、ミシシッピーを再訪したコステロとピート・トーマス(ds)が、レコーディング・スタジオやスタックス・レコードのミュージアム、伝説のブルースマンのゆかりの場所をドライヴしながら、R&B愛を語るロード・トリップ・ドキュメンタリーも収録されているので、こちらも必見だ。


uiby-15051_why_extralarge

UIBY-15051

70th. バースデイ・コンサート

ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ


<解説>

 60年代のブリティッシュ・ブルース・シーンを牽引し、<ブリティッシュ・ブルースの父>の異名も持つシンガー=ギタリスト=オルガニストが、ジョン・メイオールだ。彼が率いたブルース・ブレーカーズには、クリームを結成するエリック・クラプトンとジャック・ブルース、ローリング・ストーンズに加入したミック・テイラー、フリートウッド・マックを結成したピーター・グリーンとミック・フリートウッドとジョン・マクヴィー、コロシアムを結成したジョン・ハイズマンとトニー・リーヴスとディック・ヘクストール=スミス、他にもエインズリー・ダンバー(ジャーニー他)、アンディー・フレイザー(フリー)等々、ブリティッシュ・ロックの後のVIPが多く在籍していたことでも知られている。70年代以降にはアメリカに拠点を移し、現在も活動を続ける現役のブルース・マンである。
 本作は、03年7月19日に彼の故郷(チェシャー州マックルスフィールド)にも近いリヴァプールのキングス・ドッグという埠頭に設営されたステージで、70歳の誕生日(33年11月29日生まれ)に先駆けたユニセフへのチャリティーも兼ねたスペシャル・ショーで撮影されたライヴである。当時のブルース・ブレーカーズは、テキサス出身のバディ・ウィッテイングトン(g,vo)を中心に、トム・カニング(kbd)、ハンク・ヴァン・シクル(b)、ジョー・ユール(ds)という布陣だったが、スペシャル・ゲストとして60年代にブルース・ブレーカーズのメンバーだったミック・テイラー(g)が4曲、続いてエリック・クラプトン(g,vo)が7曲(ラストにはふたりがジョイント)に参加、久々の共演を果たしている。更にブリティッシュ・ジャズ&ブルースの重鎮クリス・バーバー(tb)も友情出演している。テイラーは参加作『クルセイド』(67年)から「オー・プリティ・ウーマン」、クラプトンは『ウィズ・エリック・クラプトン』(66年)から「ハイダウェイ」「オール・ユア・ラヴ」といったファンにはお馴染みの曲ながら、両者のソロでは演奏されない珍しい楽曲が演奏されているのが聞き所だ。


5858788/uiby-15052_ipm_extralarge

UIBY-15052

キーン・プレゼンツ ナイト・フォー・ウォー・チャイルド

V.A.


<解説>

2004年に英3位のヒットとなった「サムウェア・オンリー・ウィ・ノウ」でブレイクしたキーンは、トム・チャップリン(vo)、ティム・ライス=オクスリー(kbd,b,vo)、リチャード・ヒューズ(ds)という変則編成のトリオとして注目を集めた(現在は本作にゲスト出演しているジェス・クインbを加えた4人組)。今までの4枚のスタジオ・アルバムはすべて英1位を記録するヒットになっている。 彼らは、07年に<ウォー・チャイルド>の為のチャリティー・ソング「ザ・ナイト・スカイ」(本DVDのボーナスとしてMVとメイキングも収録)をリリースしているが、本作はそれに合わせて11月1日にロンドンのブリクストン・アカデミーで行ったチャリティー・コンサートを収録したライヴ作だ。ウォー・チャイルドは戦争下にある子供たちの救済・支援を目的としたNGOで、多くのミュージシャンが賛同し、支援を行っている。ポール・マッカートニーとポール・ウェラーとノエル・ギャラガーらのプロジェクト・バンド:スモーキン・モージョ・フィルターズの「カム・トゥゲザー」を収録した”The Help Album”を皮切りに”1 Love”、”Hope”など5枚のチャリティー・アルバムのリリースや、オペラ歌手ルチアーノ・パバロッティ主催の毎年のイヴェント(エリック・クラプトン、ボノ他)なども知られている。
 ゲストとして、キーンに音楽を始めるキッカケを作った彼らのアイドルであったペット・ショップ・ボーイズ、06年にメジャー・デビュー曲「スマイル」で英1位を獲得したリリー・アレン(バックはキーンで、2曲目の「エヴリバディーズ・チェンジング」はキーンの曲)、英フォーク・ロック界のレジェンド:リチャード・トンプソンを父に持つテディー・トンプソン、アメリカ人のシンガー・ソングライターでこの頃はラカウンターズ(ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトらとのバンド)でも活動中のブレンダン・ベンソン(バックはキーン)、2組の男女の兄弟からなるマジック・ナンバーズ、英国生まれでニューヨークで活動するシンガー・ソングライター:フィンドレイ・ブラウンが出演している。キーンは「クリスタル・ボール」、前記「サムウェア~」「ベッドシェイプド」というシングル・ヒットに加え、「ザ・ナイト・スカイ」のB面にも収録されたカヴァー曲、クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダー・プレッシャー」を歌っている。


5858789/uiby-15053_yvv_extralarge

UIBY-15053

マーヴィン・ゲイの真実

マーヴィン・ゲイ


<解説>

 マーヴィン・ゲイがプロで活動していたのは、59年から84年までの僅か25年間だった。84年に実の父親に射殺されるという非業の死を迎え、伝説になってしまったのである。今回リリースされる2作のアンソロジー・ビデオ「マーヴィン・ゲイの真実」と「ホワッツ・ゴーイン・オン~ライフ・アンド・デス・オブ・マーヴィン・ゲイ」は、異なる方法で描かれたマーヴィンのヒストリカル・ドキュメンタリー作だ。
 本作「マーヴィン・ゲイの真実」は、最初の妻アンナ、2番目の妻ジャン、息子のフランク、弟のフランキー、80年代のバック・バンドのメンバーたち、後年のマーヴィンを支えたベルギーのプロモーター:フレディ・クルサート、マーヴィンのラスト作でグラミー賞受賞曲「セクシュアル・ヒーリング」を収録した『ミッドナイト・ラヴ』をリリースしたコロンビア・レコーズの副社長ラーキン・アーノルド、ベルギーまで取材に訪れ、復活作「セクシュアル・ヒーリング」の作詞に協力したローリング・ストーン誌の記者デヴィッド・リッツなどの証言を交えて綴ったドキュメンタリー作である。「ホワッツ・ゴーイン・オン~」では、60年代のモータウン・レコーズでのヒット・ヒストリーが詳しく描かれているが、本作はモータウン時代はダイジェスト的にまとめられ、70年代後半の苦難の時代から『セクシュアル・ヒーリング』での復活劇を重点に置いた構成となっている。
 ベルギーでの再帰にかけてのリハーサル、「セクシュアル・ヒーリング」が生まれる元となった新機材の話(ドラム・マシーン、シンセ)と歌詞が生まれる背景、最後のセクシュアル・ヒーリング・ツアーの映像、悲劇的な父親との関係と父親の裁判模様、エイプリル・フール(4月1日)に悲報を聞いたジャンの嘆きなど、知られざるストーリーも明かされる。
 ボーナス映像として、本編では断片的に使われていた76年の初めて行ったヨーロッパ・ツアーからアムステルダムでのライヴが3トラック(メドレーを含め)収録されている。60年代にタミー・テレルやキム・ウェストンら女性シンガーたちとデュエットした楽曲のメドレーはフローレンス・ライルズとのデュオで聞かせている(彼女とのデュエットはこのツアーで収録された『ライヴ・アット・ロンドン・パラディアム』でも聞ける)。


uiby-15054_csq_extralarge

UIBY-1504

ホワッツ・ゴーイング・オン~ライフ・アンド・デス・オブ・マーヴィン・ゲイ

マーヴィン・ゲイ


<解説>

今回リリースされる2作のアンソロジー・ビデオ「ホワッツ・ゴーイン・オン~ライフ・アンド・デス・オブ・マーヴィン・ゲイ」(本作)と「マーヴィン・ゲイの真実」は異なる視点から描かれたマーヴィン・ゲイの映像ドキュメンタリーである。
 「~真実」は二人の妻アンナとジャンや弟フランキー、バック・ミュージシャンやプロモーター、レコード会社関係者などの証言により綴られたアンソロジー作だったが、本作はBBCが制作した1人称の部分も用いたユニークなインサイド・ストーリーとなっている。生前にマーヴィンが残したインタビュー証言を俳優がナレーションで織り交ぜながら進行するという面白いスタイルが採られており、幼年期のマーヴィンと父親の過酷な関係も俳優が演じたものが使われている。
 また、「~真実」ではダイジェスト的だったモータウン・レコーズ時代のエピソードが、こちらでは多くのヒット曲のアーカイヴ映像と共にフィーチャーされている。ポップ&スウィートな「プライド・アンド・ジョイ」「スタボーン・カインダ・フェロウ」「ハウ・スウィート・イット・イズ」「悲しい噂」等々、そして、タミー・テレルやキム・ウェストンら女性シンガーとのデュエット・ヒッツのひとつ「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、更に社会性を盛り込んだ「ホワッツ・ゴーイン・オン」と性と愛を歌った「レッツ・ゲット・イット・オン」などのニュー・ソウル・ムーヴメントを牽引した曲に至るマーヴィンの歌の歴史が描かれており、60~70年代のマーヴィンの源流を知ることができる。モータウンの社長ベリー・ゴーディーや作曲家のラモント・ドジャーの証言で、マーヴィンのミュージシャンとしての才能の豊かさも語られる。70年代のトパンガ・キャニオン、ハワイ、ベルギーなどへの税金や慰謝料問題での逃避行とドラッグ過、82年の「セクシュアル・ヒーリング」でのカムバックとグラミー賞受賞、そして、幼少期から確執のあった父親との衝突と84年4月1日に起きた実父による悲劇の射殺事件と、正にドラマのような運命が描かれている。不世出のソウル・シンガー、マーヴィン・ゲイが残した優れた音楽と、彼の数奇な人生が織り成す物語は、ある種の神話として存在し続けることを、この作品は証明している。DVDにボーナス収録されているライヴは76年のヨーロッパ・ツアーからアムステルダムでの映像だ。


uiby-15055_qzn_extralarge

UIBY-15055

ライヴ・アット・シェファーズ・ブッシュ・ロンドン

マイク&ザ・メカニックス&ポール・キャラック


<解説>

 70年代のプログレッシヴ・ロック・シーンを切り開いたバンドのひとつ、ジェネシスはピーター・ガブリエルとスティーヴ・ハケットと相次ぐメンバーの脱退という苦難に会いながらも、80年代になるとポップ化を進め、ヒット・チャートでの大成功も収めている。そして、フィル・コリンズ(vo,ds)を筆頭に、マイク・ラザフォード(b,vo)とトニー・バンクス(kbd)も、グループでの活動以外にソロでの作品を発表し始めている。
 しかし、マイク・ラザフォード(g,b)が発表した2作のソロ・アルバム”Smallcreep’s Day”(’80)と”Acting Very Strange”(’82)は中ヒットに終わってしまった。次にラザフォードが企画したのが、プロジェクト・バンド、マイク+ザ・メカニックスの始動だった。帯同したのは、ポール・キャラック(vo,g,kbd、元エース、スクイーズ他)とポール・ヤング(vo、元サッド・カフェ、80年代にブレイクしたソロ・シンガーとは別人)のふたりのヴォーカリストを含む5人編成だった。すると、85年のデビュー曲「サイレント・ランニング」は英21位、米6位のヒットになり、86年の「オール・アイ・ニード・イズ・ア・ミラクル」は米5位、89年の「リヴィング・イヤーズ」は米1位、英2位とヒット。既に米1位ヒットを放っていたフィル・コリンズとピーター・ガブリエルに続いて、同じ英国バンド出身の3人目のソロでの全米1位はビートルズに続く快挙になった。
 しかし、2000年にポール・ヤングが心臓発作で急逝してしまった。残されたラザフォードとキャラックは、新たにマイク+ザ・メカニックス+ポール・キャラック名義で新作『リワイアード』(04年)をリリースし、再生を図っている。本作はそのアルバム発売に合わせて行われたツアーから、9月7日のロンドンはシェファーズ・ブッシュで収録されたライヴだ。ヤングが歌っていた楽曲「ワード・オブ・マウス」などもキャラックがヴォーカルを担当している点も聞きものだ。キャラックはソロ・シンガーとしても活躍するソウルフルな声の持ち主として人気も高い(最近のエリック・クラプトン・バンドでもキーボードと歌を担当)。サポートにジェイミー・モーゼス(g、クイーンのサポート・ギター)、ギャリー・ウォリス(ds,perc)、オリジナル・ドラマーだったピーター・ヴァン・フック(perc,ds)らも参加。また、ボーナス収録の親子3代の絆を歌った感動的な「リヴィング・イヤーズ」など7曲のPVも見ものだ。


uiby-15056_zem_extralarge

UIBY-15056

ライヴ・イン・グラスゴー2006

ポール・ロジャース


<解説>

 フリーやバッド・カンパニーでの活躍で知られるポール・ロジャース(vo,g)は、ブリティッシュ・ロック・シーンが生んだ最高峰のブルース・ロック・シンガーのひとりだ。82年のバッド・カンパニー脱退後には、ソロ活動に入るが、一方で、80年代にはジミー・ペイジと組んだザ・ファーム、90年代にはケニー・ジョーンズ(スモール・フェイシズ、フェイシズ)と組んだザ・ロウ、そして、01年にはバッド・カンパニーに復帰してのツアー参加、その後はソロやバッド・カンパニーと並行して04年から09年の間にはクイーン+ポール・ロジャースでの活動も行っていた。
 本作は、06年の10月に行われたリーダー・バンドでのイギリスでの8公演のショート・ツアーから、最終公演となった10月13日のスコットランドのグラスゴーでのライヴを収録したものだ。バンド・メンバーは、03年のロジャースのアメリカ・ツアーにも参加したハワード・リース(g,vo、元ハート)、リン・ソーレンセン(b,vo)と、新規にライアン・ホイル(ds、コレクティヴ・ソウル)とカーティス・デングラー(g)が加わった布陣だ。リースとソーレンセンは08年と09年のバッド・カンパニー(ロジャース、サイモン・カーク、ミック・ラルフス)のメンバーとしても起用された実力者だ。
 演奏されている楽曲は、フリー時代の”I’ll Be Creepin'””The Stealer””Ride On Pony””Be My Friend””Fire And Water””Wishing Well””All Right Now””I’m A Mover””The Hunter”、バッド・カンパニー時代の”Feel Like Makin’ Love””Bad Company””Can’t Get Enough””Seagull”、ザ・ファームの”Radioactive”、ソロ作でマディ・ウォーターズのカヴァー・アルバム『マディ・ウォーターズ・ブルース』から”Lousiana Blues”、そして、新曲の”I Just Want To See You Smile”と”Warboys”と、正に<ベスト・オブ・ポール・ロジャース>といった選曲となっている。尚、”Warboys”はこの後に発表されるクイーン+ポール・ロジャースの唯一のスタジオ・アルバム『コスモス・ロック』に収録される楽曲の初披露としても要チェックだ。


uiby-15057_uqh_extralarge

UIBY-15057

ピーター・グリーン・スプリンター・グループ・イン・コンサート

ピーター・グリーン・スプリンター・グループ


<解説>

 60年代のイギリスの通称ホワイト・ボーイ・ブルース・シーンで、エリック・クラプトンやミック・テイラーと共に重要な位置にいたのが、ピーター・グリーンだった。クラプトンに代わって、ジョン・メイオールのブルースブレーカーズに参加し注目を集めたグリーンだったが、同グループのミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーらと、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックを結成し、60年代後半のブルース・ロック・ムーヴメントを牽引していった。しかし、70年のドイツはミュンヘン公演で出会った左翼映画監督と女優のカルト・コミューンでLSD体験をし、抜け出せなくなったグリーンはフリートウッド・マックからの脱退を表明し、全財産をコミューンに提供するという事件を起こしている。その後、ソロ作やフリートウッド・マックのツアーの代理ギタリスト、セッションなどもこなしていたが、ドラッグと精神的ダメージでのリハビリに入り、表舞台から姿を消していった。

 79年に、弟のマイクの尽力でレコード会社との契約に成功し、80年代にかけて5枚のソロ・アルバムを制作、レイ・ドーセットらとのカトマンズなどでも作品を残している。その後、ドラッグやアルコールで体調を壊していた時期もあるが、97年には、71年頃に一緒にシングルを作っていたナイジェル・ワトソンやコージー・パウエルらとピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成し、再々カムバックを飾っている。98年にパウエルは交通事故で亡くなってしまうが、バンドはワトソン(g,vo)と継続し、04年の解散までに8枚のアルバムを発表している。
 本作は03年のツアーから、スワン・シアター(ロンドン?)でのライヴを撮影した作品だ。前半はアコースティック・セット、後半はエレクトリック・セットで、ブルース色の強い演奏が聞けるが、フリートウッド・マック時代の名曲「アルバトロス」や「マン・オブ・ザ・ワールド」「グリーン・マナリシ」「ブラック・マジック・ウーマン」といったグリーンのオリジナル曲や敬愛するロバート・ジョンソンやフレディ・キングのブルース曲、スプリンター・グループのメンバーの楽曲をレイドバックした演奏でプレイする姿が印象的だ。また、公私にわたり、グリーンの復活を支えたワトソンは交互にヴォーカルもとっており、ここでも存在感を示している点にも注目だ。


uiby-15058_gxv_extralarge

UIBY-15058

ライブ・アット・ザ・ユニオン・チャペル

プロコル・ハルム


<解説>

 67年にリリースされたプロコル・ハルムの「青い影」は、世界各国のチャートの1位を獲得し、当時だけで1000万枚を売り上げる大ヒットになっている。04年の調査ではイギリスで過去75年間に最も多く放送された楽曲だったと発表されている。
 元々はパラマウンツというR&Bバンドで活動していたゲイリー・ブルッカー(vo,p)が、ソロで再出発しようとしていた時に紹介された作詞家キース・リードと書いた曲が「青い影」だった。バッハの「G線上のアリア」や「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」にインスパイアされたバロック調の楽曲で、録音に際し集められたミュージシャンが、プロコル・ハルムになった。ブルッカーを軸にメンバー・チェンジを重ねつつも、67年から77年までの間に10枚のアルバムを発表して解散。ブルッカーはソロやエリック・クラプトンのバンドなどで活動を続けていた。
 90年になると、全アルバムでドラムスを担当していたBJウィルソンの死を追悼する為に再結成し、アルバム”The Prodigal Stranger”(91年)を発表し、ツアーも始めている。 本作は93年3月から12月まで行った63公演のヨーロッパと北米ツアーから、62公演目に当たる12月12日のロンドンはイズリントンのユニオン・チャペルでのライヴを収録した作品だ。19世紀末に建てられたネオ・ゴシック調の教会とヴェニュー(音楽やコメディなどに使用)を兼ねた雰囲気のある場所で、プロコル・ハルムのクラシカルなサウンドにもピッタリの会場だ。この時の編成は、ゲイリー・ブルッカー(vo,p)に、オリジナル・メンバーでもあり、この直後に脱退したマシュー・フィッシャー(org)、ジェフ・ホワイトホーン(g、元IF、クロウラーなど)、マット・ペグ(b、後にジェスロ・タル、ジェスロ・タルの前任者デイヴ・ペグの息子)、マーク・ブルゼズィキ(ds、元ビッグ・カントリー)という布陣。この年にリリースしたアルバム”The Well’s On Fire”から8曲が演奏されているが、他は77年までの9枚のスタジオ作とシングルから万遍なく演奏されており、<ベスト・オブ・プロコル・ハルム>といった構成だ。また、「青い影」は原曲にはないセカンド・ヴァースを加えたロング・ヴァージョンに、また、「シンプル・シスター」での「クール・ジャーク」、「クエスチョン」での「いとしのレイラ」を挿入したアレンジはライヴならではのお楽しみだ。


uiby-15059_hpx_extralarge

UIBY-15059

ライヴ・インコンサート~ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー

レイ・チャールズ


<解説>

 音楽界で単に<ザ・ジーニアス=天才>という呼称で知られるのがレイ・チャールズである。マイケル・ジャクソンなら<キング・オブ・ポップ>、オーティス・レディングは<キング・オブ・ソウル>、ジェームス・ブラウンは<ゴッドファーザー・オブ・ソウル>、チャック・ベリーは<キング・オブ・ロックン・ロール>などジャンル名を付けて呼ばれたが、レイ・チャールズはシンプルに<ジーニアス>で通じる存在であった。レイは残念ながら、2004年6月10日に、73歳で亡くなってしまったが、彼が残した名曲・名演は永久に不滅である。
 本作は、81年1月27日にカナダのエドモントンにあるジュビリー・オーディトリウムでTV用に収録されたライヴ映像だ。この時のレイは51歳で、円熟期とも言える時期でもあった。バックには、彼のバンドと女性コーラスのレイレッツに加え、当地のエドモントン・シンフォニー・オーケストラ(エンド・クレジットにはTV収録時に使われたITVコンサート・オーケストラ名義)が彩りを添えている。クラシックから、ロック、ポップ、カントリーまで柔軟に演奏するオーケストラである。プロコル・ハルムと71年に共演したライヴ盤も有名だ。
 TV番組用に50分弱とコンパクトなライヴになっているが、レイの歌でも60年にヒットしたホーギー・カーマイケルとスチュワート・ゴレル作の「ジョージア・オン・マイ・マインド」(のちにジョージア州の州歌になった)や、ロジャース&ハマースタインの「ホワット・ア・ビューティフル・モーニング」(ミュージカル「オクラホマ)や「サム・エンチャンテッド・イヴニング(魅惑の宵)」(同「南太平洋」)レイレッツを従えた「ヒット・ザ・ロード・ジャック(旅立てジャック)」(61年)、「愛さずにはいられない」(62年)、「ホワッド・アイ・セイ」(59年)といったレイを代表する曲や、ジョニー・ナッシュの72年のレゲエ・ヒット「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」まで多彩な楽曲を、レイ・スタイルで見事に歌い上げている。「ホワッド・アイ・セイ」の前にはカントリー式ブルー・ヨーデルなどのアドリブを交えて観客を盛り上げているのもエンターテインメント溢れるレイ・スタイルだ。50年代のR&B、60年代のカントリーなどジャンルを超えたレイの音楽への愛情を感じさせるパフォーマンスが堪能できるはずだ。


uiby-15060_ysv_extralarge

UIBY-15060

サマー・ブリーズ~グレイティスト・ヒッツ・ライヴ

アイズレー・ブラザーズ


<解説>

 「シャウト」(59年)や「ツイスト・アンド・シャウト」(63年)といったロックン・ロール・クラシックになった楽曲のオリジネーターとして、また「イッツ・ユア・シング」(69年)や「ソウル・レディ」(73年)などのファンキー・ソウルでブラック・ミュージックに新時代を築いたバンドとして知られるのが、アイズレー・ブラザースだ。
 バンド名の通り、元々は6人兄弟の内の3人により結成されたトリオで、最初はオーケリー、ルディー、ロナルドのコーラス・グループだった。4人目の兄弟ヴァーノンが加わるが、約2年後に死亡し、元のトリオになり、3人で書いた「シャウト」が47位になっている。この曲は多くのカヴァーが作られたが、イギリスではルルのカヴァーで7位のヒットとなり、有名になった。63年にはバート・バーンズ作の「ツイスト・アンド・シャウト」が米17位を記録するが、この曲はイギリスではビートルズやブライアン・プール&ザ・トレメローズのカヴァーでヒットし、知られることになった。また、64年には自身のレーベル:Tネックを設立し、自由な作品制作にも挑戦している(63~65年頃には、若き日のジミ・ヘンドリクスがギタリストで参加)。60年代末にはマーヴィンとアーニーの若い兄弟も加わり、R&Bやファンク色も加えた新たなブラック・ミュージックを作り出している。その後、86年にオーケリーが心臓発作で死去、89年にはルディーが脱退、97年にはマーヴィンが病気でリタイア(10年に死去)と悲劇に襲われ、活動休止期もあったが、現在も活動中だ。
 本作は、ロナルド(vo)とアーニー(g)を軸とした編成期の05年のライヴだ。83年のクワイエット・ストーム/R&Bヒット「シルクの似合う夜」でのダンサーを加えたセクシーなパフォーマンスに始まり、R&Bやファンク、R&Rなどを織り交ぜたバラエティーに富んだ演奏と歌が楽しめる。DVDタイトルにもなっている「サマー・ブリーズ」はシールズ&クロフツの72年のヒット曲をカヴァーしたもので、イギリスでは74年にアイズレー・ブラザーズで16位のヒットになっている。また、「ハロー・イッツ・ミー」はトッド・ラングレンのカヴァーで、こうしたAOR系のアレンジもアイズレー・ブラザーズの多彩な音楽性の一面を示したものとして注目される。ジミ・ヘンドリクスにも刺激を受けたというアーニーのギター演奏も要チェックだ。


uiby-15061_hjq_extralarge

UIBY-15061

トニー・ベネットズ・ニューヨーク

トニー・ベネット


<解説> 

 トニー・ベネットとレディ・ガガが2014年に発表したデュエット・アルバム『チーク・トゥ・チーク』は全米アルバム・チャートの1位に輝き、88歳のベネットにとっては最高齢での米1位獲得の記録にもなった。ガガとはツアーも行い、ガガ世代の若いファンの間でもベネットの存在が再認識されている。
 また、06年に80歳を記念して、彼を敬愛するミュージシャンたちとデュエットしたアルバム『デュエッツ』(ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、セリーヌ・ディオン、ボノ、エルヴィス・コステロ等々)と11年発表の続編『デュエッツⅡ』(レディ・ガガ、マライア・キャリー、アレサ・フランクリン等々)でも、新たなファンを掴み、現役のシンガーであることを証明した。
 ベネットはニューヨークはクイーンズ生まれのイタリア系アメリカ人で、50年代初めにデビューし、ヒットを積み重ねているが、62年のヒット曲「霧のサンフランシスコ」が彼を代表する曲として記憶されている。本作でも証言されているが、この曲の影響もあり、ベネットがニューヨーカーであると思わないアメリカ人も多かったそうだ。
 本作は98年にイギリスのBBCが制作したベネットのバイオグラフィー・プログラムで、ベネット本人と姉のマリー、マネージャーとして80年代の再生を仕掛けた息子のダニー、彼を発掘したプロデューサー:ミッチ・ミラー、ウィントン・マルサリス、元ニューヨーク州知事のマリオ・クオモなどの証言を交えて、ベネットの歴史を描いた優れたドキュメンタリーだ。ベネットが歩んだ戦後のアメリカのエンターテインメントの世界の流れ、70年代の不遇の時代から、80年代の復活など日本では余り知られていなかった時期の歴史も興味深く見ることができる。
 古いアーカイヴ映像も使われているが、メイン・フィーチャーされている96年のアトランティック・シティーのカジノ&ホテル<シーザース>のステージでの、永遠のクルーナーぶりを示したパフォーマンスがタップリと味わえるのも嬉しいところだ。


uiby-15062_qmv_extralarge

UIBY-15062

ニューポート・フォーク・フェスティバル

V.A.


<解説>

ニューポート・フォーク・フェスティヴァルは、1959年にロード・アイランド州ニューポートで第1回が開催された野外フェスだ。54年に始まった同地でのニュポート・ジャズ・フェスティヴァルを企画していたジョージ・ウェインが、プロモーターのアルバート・グロスマン(ボブ・ディランやザ・バンド、ピーター・ポール&マリーなどのマネージャー)やフォーク・シンガーのピート・シーガーらと組んで始めたフォーク、ブルース、カントリー、ブルーグラスなどのミュージシャンが集うアメリカのユース・カルチャーの象徴となったイヴェントだった。70年代の中断期もあったが、85年に復活し、現在も続けられている伝統的なフェスになっている。
 本作は、62年から65年の同フェスを記録したドキュメンタリーで(冒頭のクレジットには66年までとあるが、後に訂正されている)、監督に当たったのは後に70年の英ワイト島フェスのドキュメンタリー「ワイト島1970-輝かしきロックの残像」も手掛けたマレー・ラーナー。67年に公開され、アカデミー賞にもノミネートされた作品だった。
 当初は旧世代のフォーク・ミュージシャンが出演していたが、ここで撮影された63年頃からは新世代のフォーク・ミュージシャンが主流になり、ピーター・ポール&マリー、ジョーン・バエズ、バフィー・セント・マリー、ジュディー・コリンズ、イギリスからドノヴァンなどが出演するようになっている。中でもボブ・ディランの登場は事件にもなった。ディランはジョーン・バエズに紹介され、63年から出演しているが、65年のマイク・ブルームフィールド(g)やアル・クーパー(kbd)らのエレクトリック・バンドをバックにした演奏は、アコースティックに拘る守旧派からバッシングを受ける事態になった。フォークとロックにはまだ溝があり、ディランが打ち出したフォーク・ロック路線は賛否両論を巻き起こしたのである。その時のエレクトリック演奏もここに収められている。他にもブルースのハウリン・ウルフやミシシッピ・ジョン・ハートなど、ゴスペルのステイプル・シンガーズ、ブルース・ロックのポール・バターフィールド・ブルース・バンド、他にもカントリーやブルーグラス、アイリッシュ・ダンスなど多彩な音楽が奏でられている。60年代の変革する時代の一場面を描いた貴重なドキュメンタリー作である。


uiby-15063_tqd_extralarge

UIBY-15063

ベイビー・スネイクス

フランク・ザッパ


<解説>

 フランク・ザッパは、MTV時代に先駆けて、映像作品にも重点を置いていた先見の明があるミュージシャンのひとりだった。ザッパは早くも、71年に「200モーテル」という映画を共同で監督していた先進的なクリエイターでもあった。本作は81年に発表されたザッパ監督となる2作目の映像作品で、翌年の「ダブ・ルーム・スペシャル」(74年と81年の映像を編集)にも繋がるライヴとリハーサルやクレイ・アニメーションなどを構成して作り上げた独創的な映像作となっている。 ライヴ・シーンは77年のニューヨークのザ・パラディウムで行ったハロウィーン・コンサートで撮影されている。「ダブ・ルーム・スペシャル」にも同じ会場での81年のハロウィーン・ショーのライヴが使用されており、ザッパ・フリークにはお馴染みの聖地だ。
 この時のバンドは、ザッパ(vo,g)、エイドリアン・ブリュー(g,vo)、テリー・ボジオ(ds,vo)、パトリック・オハーン(b)、トミー・マーズ(kbd,vo)、エド・マン(perc)、ピーター・ウルフ(kbd)という布陣だった。79年のザッパのアルバム『シーク・ヤブーティ』(ライヴ音源をスタジオでトリートメントした作品)の布陣でもある。このバンドでのミュンヘン公演を見たブライアン・イーノはブリューを発見し、デヴィッド・ボウイに知らせ、ビューがボウイのバンドに引き抜かれた話は知られている。また、ボジオ、オハーン、ウルフはグループ87を結成し、ボジオはジョン・ウェットンらの第2期UKに参加後、オハーンやウォーレン・ククレロ(g、本作に登場し、ザッパにバンドに加入させろと直訴する場面もある。ブリュー脱退後に加入した。のちにデュラン・デュランにも参加)らとミッシング・パーソンズを結成し、成功している。ザッパ軍団の中でも役者揃いのバンドだったと言えるだろう。また、初期のマザース・オブ・インヴェンションのベーシストだったロイ・エストラーダ(リトル・フィートを結成)も寸劇演者として出演している。『ダブ・ルーム・スペシャル』でも使われていたブルース・ビックフォードのクレイ・アニメーションも随所でイマジネーティヴに挿入され、ザッパの秘めた主張(前のレコード会社の悪魔的な面など)を描いている。尚、2003年にDVD化された際にザッパの息子で彼の音楽を演奏するバンド:ザッパ・プレイズ・ザッパも率いているドゥイージル・ザッパが5.1chミックスを新たに追加している。


uiby-15064_vft_extralarge

UIBY-15064

エンドレス・ハーモニー

ビーチ・ボーイズ


<解説>

 ビーチ・ボーイズは、2012年にブライアン・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、ブルース・ジョンストン、デヴィッド・マークスというキー・メンバーが結集し、50周年アニヴァーサリー・ツアーをスタートし、約20年ぶりとなる新作『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ〜神が創りしラジオ』を発表している。この布陣での来日公演も行われたが、その後は、ラヴ&ジョンストンがビーチ・ボーイズ名義での活動を行い、一方でウィルソンのツアーにジャーディンとマークスが加わったりと、分裂はしているものの、ビーチ・ボーイズを巡る伝説物語はまだまだ続きがありそうだ。

 本作は元々は98年8月に発表されたビーチ・ボーイズの映像アンソロジー作で、2月に亡くなってしまったカール・ウィルソンへの追悼作にもなった作品だった。そして、2000年には新たな映像やリミックスや別ミックスなどのレア音源を加えて再編集されたものがDVDとしてリイシューされている。本作はその2000年版である。また、サウンド・トラックCDも98年に発売されたが、2000年盤も新音源に差し替えてリイシューされている。 監督を務めたのは、ビーチ・ボーイズが設立したレーベル、ブラザー・レコーズのアーカイヴ・マネージャーであるアラン・ボイドだ。彼は近年も『スマイル・セッションズ』や『カリフォルニアの夢』といったボックスや、iTunesで”Keep An Eye On Summer – The Beach Boys Sessions 1964″”Live In Sacramento 1964″といったアーカイヴ音源を共同制作しており、ビーチ・ボーイズをよく知る人物でもある。
 ビーチ・ボーイズの栄光と苦難が描かれた物語は、ご覧になって頂くのが一番だが、70年代のヨーロッパやイギリスでの珍しい映像は流石にブラザー・レコーズのアーカイヴィストならではの発掘だ。また、DVDのボーナスに収録されたレア・フィルム&フォトをバックにした6曲の5.1サラウンド・ミックス(+80年のネブワースのライヴ映像から追加で1曲)と5曲のTVライヴやPVも見逃せない。