BIOGRAPHY

大橋純子

4月26日生まれ。北海道夕張市出身の彼女は、小学生の頃からポップスに興味を持ち、短期大学在学中には北大軽音楽サークルでバンド活動をする傍らHBCラジオで深夜放送のDJを務めている。

上京後、佐藤健と知り合い、ヤマハ音楽振興会でのアルバイトを紹介してもらい、その仲間と共にブラス入りのバンド〈スーパーマーケット〉を結成。

同バンドで録音したデモテープが縁でフィリップスのディレクターと知り合い、改めて同社スタジオでデモテープを録音。その抜群の歌唱力に興味を示したのが、彼女のデビューからディレクターを務める本城和治である。彼のディレクションのもとアルバム『フィーリング・ナウ』(74年6月)でソロデビュー。やがて、セカンド・アルバム『PAPER MOON』(76年5月)発売の際、プロモーションのために組んだバック・バンドが縁で、かねてからバンド活動を熱望していた彼女の要望を受けて、バンドを結成。バンドは〈美乃家セントラル・ステイション〉と名付けられ本格的に活動を開始する。彼女はデビュー当初から“バンドのなかのリード・ヴォーカル”というポジションを理想としていたという。

サード・アルバム『RAINBOW』(77年4月)からはアーティスト表記も〈大橋純子&美乃家セントラル・ステイション〉名義となり、そうしたバンド形態でのアルバム制作は8枚目のアルバム『HOT LIFE』(80年4月)まで続く。なお同レーベルにてオリジナルアルバムを合計11作品発表した後、ニューヨーク滞在による活動休止期間を経て88年にEPIC・ソニーへ移籍。同レーベルで3作を発表した後、93年にVAPへ移籍。最新作は07年に出身地である北海道夕張応援のためのチャリティ・カヴァー・アルバムとして発表した「Terra」。09年6月には第二弾「Terra2」を発表。

一方、ヒットチャートに目を転じると、シングル「シンプル・ラブ」(77年4月)がオリコン最高44位を記録するスマッシュ・ヒット。同作で一躍その名を世に知らしめ、その後「たそがれマイ・ラブ」(78年8月)で同チャート最高2位、「シルエット・ロマンス」(81年11月)で最高7位、「愛は時を越えて」(92年10月)で最高30位を記録するなどソロシンガーとして不動の地位を築いている。

受賞暦

<1977年>
第3回マジョルカ世界音楽祭「シンプル・ラブ」第3位入賞
東京音楽祭国内大会「シルバー・カナリー賞」受賞
東京音楽祭世界大会「外国審査員団賞」受賞

<1978年>
第20回レコード大賞「たそがれマイ・ラブ」金賞受賞

<1979年>
東京音楽祭世界大会「ビューティフル・ミー」最優秀歌唱賞受賞
ソウル音楽祭「ビューティフル・ミー」(英語バージョン)グランプリ受賞

<1982年>
第24回日本レコード大賞「シルエット・ロマンス」最優秀歌唱賞受賞

<1992年>
第34回日本レコード大賞「愛は時を越えて」編曲賞受賞