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デビュー25周年記念
〜村治佳織から届いた25のメッセージ〜

村治佳織から届いた25のメッセージを毎日更新していきます!(日&祝除く、最終掲載9/18予定)

ギタリスト村治佳織がデビュー25周年を迎えた。コアなクラシックファンに認められ、一般のファンからも愛される村治佳織は、クラシック界においてとても稀有な存在だ。しかも15歳でのデビュー以来、常にトップランナーとしてクラシック界を牽引してきたその輝きは、デビューから25年を経た現在も少しも変わっていない。  

村治佳織にとっての25年とは、いったいどんな時間だったのだろう。記念アルバム『シネマ』の発売に際して行った久しぶりのインタビューの中で、印象に残った彼女の言葉をすくい上げ、25のメッセージとして並べてみた。

インタビュアー:田中 泰(日本クラシックソムリエ協会 代表理事)

1.デビュー25周年(2018/9/4 UP)
デビューしてからの25年間は、頭の中になんとなく残っている感じですが、作ってきたアルバムを改めて見ると「これは幻ではなかったんだな」と思います。デビュー10年目に初めてのベスト盤を作って選曲にも関わった際に、これまでのアルバムを初めてじっくり聴く機会を与えられたのです。15歳でデビューしてからの10年間は、作ったアルバムを聴き直して悦にいるといった余裕はまったくありません。聴き直してああいう風に弾けばよかったと考えてしまうのも嫌だったので、楽しむという心境にはとてもなれなかったのです。10年経ってようやく妹が演奏するのを聴くような感じで懐かしく聴けましたね。10年経つとこんな風に思うようになるんだなと感じたのが、今から15年も前のことです(笑)
2.15歳の自分(2018/9/4 UP)
最近のフィギュアスケートの選手や将棋の藤井聡太くんを見ていると、14〜15歳というのは1つの区切りであり出発点であるように感じますね。ある程度完成して人前に出るようなタイミングなのでしょう。自分では全然計画していないのに自分の人生の中でさまざまなことが起きたわけですから不思議な数字だとも思います。当時同年代で世に出る音楽家はほとんどいなかったので全てが初めて。比較することすらもできずに、初めて起きる様々なことを懸命にこなしたという印象です。父や福田進一先生、それに当時のプロデューサーなど、周りを取り囲んでくれているすべての方々とっても初めてのことだったわけですから、まさに手探り状態ですね。どうやったらギタリストになれるのかとか、デビューできるのかを考えたわけではなかったけれど、自分はギターを弾く人なんだという自覚だけは持っていました。その思いは小学校に入るちょっと前ぐらいから持っていましたね。他の道を選択するという考えは全くなくて、それが何となく続いていくんだろうと思っていたのですから単純です。本当に周りの環境に恵まれていたんだなと思います。
3.デビュー(2018/9/5 UP)
福田先生が、当時ビクターのディレクターだった野島さんに「凄い子がいる」と紹介してくださったことがすべての始まりでした。CDデビューはコンクールの結果とは関係なく考えてくださっていたようなのですが、その数ヶ月後にタイミングよく東京国際ギターコンクールに優勝できてさらに拍車がかかったという感じです。若手ギタリストのデビューということだけで、1年間は年齢を伏せていたのも当時の方針でした。
4.デビューアルバム『エスプレッシーヴォ』(2018/9/5 UP)
デビューアルバムというのは誰のものでもそのエッセンスが詰まっていて特別ですね。推進力みたいなものを感じます。録音した当時の自分はまだ一度も日本を出たことがなかったことにも今更ながらびっくりです。全く行ったことのないヨーロッパの作曲家たちの作品を日本の下町で育った女の子が一所懸命に演奏しているのですから、人間の想像力は凄いなと思います。当時は先生に言われたことを懸命にこなしていたんでしょう。難しい曲をいかにクリアするかということと、良い音色を出すことに集中していたんだとも思います。インパクトのあるパガニーニの「カプリス」を薦めてくださったのは福田先生でした。
5.フランス留学(2018/9/6 UP)
当時ギター留学といえばフランスが主流でした。私の場合は、福田先生の留学先がパリであったこと、そしてその福田先生が講師を努めたフランスでのサマースクールに参加して、その帰りにパリのエコール・ノルマルを見学したことがきっかけで、フランス留学が決まったのです。パリで初めての一人暮らしをして、これまでの自分を改めて振りかえるという経験もしましたね。なんでギターなんだろうとか(笑)。ギターを辞めることはないけれど、辞めるという選択肢もあるんだということに初めて気が付いたのもこの頃でした。
6.カルチャーショック(2018/9/6 UP)
パリで学んだことの1つが、自分の意見をしっかり持つということでした。それまでは父や福田先生が周りに居てくれて、学ぶというよりも吸収するという意識が強かったのです。ところが留学して驚いたのは、生徒が授業中に「僕はこう思います」と先生にはっきり言う姿です。自分の意思を持つことは当時の自分にとってとても新鮮なカルチャーショックでした。これは音楽に限ったことではありませんね。エコール・ノルマルで師事していたポンセ先生は、1小節に何十分も時間をかけて教えてくださる方で、1音たりとも気を抜かずに心を込めるということを学びました。時間をかけてじっくりやること。そして「頭と心と腕を常につなげてよく循環させなさい」と言われたことが、今も心に残っています。
7.目に見えない力の存在(2018/9/7 UP)
留学中は、普段の生活の中で同年代の仲間と普通に音楽の話ができるのがすごく新鮮でした。留学中に『カヴァティーナ』のレコーディングを行ったのですが、そのタイミングでCMも決まって「充実野菜」の撮影をパリで行ったのです。同じ頃TBSの「情熱大陸」に出られたのも大きかったですね。元々はパリ留学のドキュメンタリーを撮る企画だったのですが、ロドリーゴさんから「CDを聴きましたよ」という手紙が届いたのがきっかけで、ドキュメンタリーも“ロドリーゴさんに会いに行く”という内容の方が良いのじゃないかと自分からお願いしたのです。結果的に本当にたくさんの人が番組を観てくださった訳です。その直後に伊藤園のCMも決まって、なんだか凄いなと思いました。発信することの大切さを知ると共に、目に見えない力の存在も感じるようになったのです。
8.独り立ち(2018/9/7 UP)
デッカ・レーベルに移籍したのがまさに独り立ちの時ですね。これは素晴らしいタイミングでした。『カヴァティーナ』を録音していた20歳の頃にもデッカからお話をいただいていたのですが、その時はまだ勉強中だったのと、ビクターとの仕事に何の不満も感じていなかったこともあってお断りしていたのです。でもデッカはその後5年間も私のことを忘れずに待っていてくださったのです。25歳になって勉強も終わり、ヨーロッパとのつながりを失いたくないと思っているところに再びお話をいただいて、ワールドワイドの契約があればさらに可能性も広がるなと思って移籍に踏みきったのです。
9.テクニック(2018/9/8 UP)
キャリアの中で休養期間もあったので、テクニックでさらに上を目指そうという意識からはしだいに離れて行ったように思います。それでも15歳から20代の中頃までは、技術的なことに関しても常にベストなものを追求したいという気持ちがありましたね。アルバムで言うと4作目の『パストラル』あたりまでは福田先生の影響を大きく受けていました。真似をしようとしているわけではないのに「福田さんの弾き方に似てますね」と言われたりして、嬉しかった反面もっと自分の弾き方を追求しなければいけないとも思っていました。先生は男性ですから男性ならではのダイナミックさというものを持っています。私も音量などを含めて先生の男性的な部分も取り入れようと頑張って力強く弾くことに集中していた時期があったのですが、最近は音量のことを言われても気にならなくなっています。力を抜いて、自分が出せる音の中で様々な音楽を作り出すことを楽しむほうが、体にも優しいし長続きできるだろうなと思うようになったのです。
10.ライブとレコーディング(2018/9/8 UP)
ライブとレコーディングは、かなりの違いがあるものだと思っています。遠くで聴くのと間近で聴くのの違いでしょうか。レコーディングの場合は、自分がどこまで繊細になれるのかを経験させてもらっています。しかもライブとは比較にならないほど小さな音で弾くので最初はびっくりしましたが、今はレコーディングが近くなってくると練習の時から小さな音で密度の高い音楽を作り出すことを心がけるようにしています。でも出来あがったアルバムに関してライブとの違いを言われることはほとんどないので、音楽の作り方の本質は変わらないのでしょうね。濃縮還元ジュースの薄めていない濃いエキスがライブだとすると、 CDは様々な状況で様々な方々に聴いていただくということかなと。炭酸水で割ったりお水で割ったり、その濃いエキスをジュースにして、皆様に自由に楽しんでいただく感じかもしれませんね(笑)
11.父親(2018/9/10 UP)
「オーラの泉」で、“あなたがお父さんを選んで生まれてきたんですよ”と言われたことがあります。まさに、ギタリストになるために父親を選んだと思えるほど父との繋がりは深いのです。自分の好きなように活動したいと思った時期もありましたけれど、父親が嫌になることはなかったですね。父親がどういう人生を送ってきたのかを知りたくて、より一層近づいていったことがあるくらいです。留学先のパリから戻ってくるたびに散歩に誘って「こんな親孝行な娘いないよ(笑)」と言いながら「私が生まれる前はどんな人生でしたか」なんてインタビューしたりして(笑)。人間的にすごく合うので一緒にいるとホッとします。今回のアルバムについてもいろいろアドバイスしてくれました。曲目を伝えた時には自らYouTubeでチェックして「うん、いい選曲だね」なんて言ってくれたりして、とにかくいい人なんですよ。両親ともにですが、私にとって人生の宝だと思います。
12.ピアノの思い出(2018/9/10 UP)
ピアノは4歳から10歳まで先生について習っていました。尚美学園の子どもクラスに入っていて、ソルフェージュも4歳から習っていたのですが、これは父がギターのための音感教育のために必要だと思ったからでしょうね。ピアノはソナチネぐらいまでやりましたけれど、あくまでもギターのためだと割り切っていました。子どもながらに、“ピアノは電車に乗って習いに行くもので、ギターは家でやるもの”というふうに自分の中で区別できていたようです。
13.弟の存在(2018/9/11 UP)
弟の奏一とは4歳違いで、私の中では弟が生まれた日から“お姉ちゃんになれ”たという喜びの記憶が残っています。彼とはとても仲が良くて気も合います。彼の先生は福田先生ではなく鈴木大介さんでしたが、デビューは同じビクターからです。このままずっと同じ路線はどうなのだろうと思っていた矢先に彼の留学の話が持ち上がり、私が知っていたら行きたいと思っていたボストンの芸術高校を薦めたのです。自分のことでもないのに、人生で初めて親に対して強く主張をして意思を通しました。結果的にアメリカでエリオット・フィスク先生に習ったことは弟にとって本当に良かったようです。弾き方自体も変わったし、私が経験できなかったことを10代で経験してきたことについては羨ましく思いますね。弟とは今でも頻繁に連絡を取り合っています。最近も「改めて速弾きの練習をしてるんだけど、お姉ちゃんもやったほうがいいよ」なんて言われたりして、その何気ない一言に影響を受けています。今は子育てをしていて、子供と遊びながら練習をしている彼の姿を見ると偉いなあと思いますね。こっちは自由気ままですから(笑)。
 前作からデッカでの録音に彼も参加するようになったのですが、誰かと一緒に弾くとなった時に奏一以外は考えられませんでした。もちろん他の人ともやってみたいですけど、居心地よくやりたいと思ったら断然奏一です。阿吽の呼吸というのでしょうか。とても合わせやすいですね。デッカチームもこのデュオをすごく気に入ってくれていて、いつかデュオアルバムも実現しそうです。
14.小百合さん(2018/9/11 UP)
吉永小百合さんは私にとって無くてはならない人です。初めてお会いしたのは17歳の時でした。小百合さんもレコード会社は当時の私と同じビクターで、小百合さんのライフワークである原爆詩の朗読をCDにする折に、ディレクターが私のCDを小百合さんに紹介したのです。“若い世代に伝えたいことなのでぜひ若いアーティストにお願いしたい”ということもあって、私を気に入ってくださったようです。小百合さんのお名前はもちろん知っていましたけれど映画も観ていませんでしたし、原爆詩の朗読に私の音楽が合うんだろうかという不安もありました。お返事をしかねていたところに小百合さん直筆のお手紙が届き、女優というよりも1人の人間として取り組んでいることに心が動かされたのです。それ以来の長いお付き合いで、今年の誕生日もご一緒していただきました。小百合さんは私にとって無くてはならない人なのです。“言葉と音のコラヴォレーションは、表現というよりももっと大切なメッセージを伝えなければならない”というのが小百合さんのスタンスです。最初は言葉を聴きながら弾くのがとても難しかったのですが、最近は心地よいと思うようになってきています。この感覚は室内楽に似ていますね。
15.手の故障と病気(2018/9/12 UP)
手の場合は故障が起きる前にかなり前向きな自分でいられたので、意外にすっと前に進めた感じです。瞬間的にはびっくりしましたが“なんとかなるさ”といった感じで精神的にもまったく落ち込まずに過ごせました。ところが病気の方は人生で初めての挫折でした。これまでの人生で挫折や眼の前が真っ暗になるような思いをしたことがなかったのでこたえましたね。今までの流れはもう終わりで、いつ復帰するとか、復帰したいかとかを考えるのはやめたのです。今まで頑張ってきたんだから、今のこの時間を楽しむぞという感じですね。その間しばらく京都に住んでいたので、お寺巡りをしたり買い物をしたりというごく普通の生活をしていました。皆さんは大変な時間だったろうと思われるかもしれませんが、私にとっては日々の大切な時間を生きていると思って生活していたのです。取材を受けることもないので自分について考えることもなくなって“ギタリストだったこともあったなあ”なんてね。あとはなるようになるさという感じでした。
16.変化(2018/9/12 UP)
病気をきっかけに変わったことといえば、無理をするのはやめようという思いですね。これは演奏スタイルにおいても同様です。昔は大きな音でインパクトのある演奏をしたいと意識していたのですが、その気持ちがなくなりました。海外の女性ギタリストが力を抜いて弾いている姿を見て、これでもいいんだなと思うようになったのです。そんな折、吉永小百合さんの映画のジャパンプレミアで、鶴瓶さんと小百合さんの間に立たせていただき、ステージで演奏した時にすごく力が抜けて弾けたのです。その後鶴瓶さんがご自分のプライベートなステージに呼んでくださったりして、これはこれで新しい流れが進んでいるようにも思えました。力を抜いて弾いた演奏を深く受け止めてくださる方々がいると感じたことも収穫です。ギターは父の元に生まれてきたからやっているわけですし、デビューも自分の意思ではありません。私のタイプは自分の強い意志で動くというよりも、ふっと目の前に来たものを受け入れたほうがうまくいくように思えます。まわりに父や福田先生のように強い意志を持って動いている人もいるので、その人達の影響も受けていますね。周りの人から、目標を持って頑張りなさいと言われ続けているような気がします。
17.直心の交わり(2018/9/13 UP)
休養中は、お世話になった方に1対1で演奏を聴いてもらう機会が何度もありました。茶道で言うところの「直心の交わり」でしょうか。この人のために弾くということを経験したことによって、これからは少人数のコンサートもさらに大事にしようと考えるようになったのです。今回の録音においては、1つ1つを大事にしてこれたことにとても満足しています。以前ももちろん同じようにしてはいたのですが、次のプロジェクトが次々に始まるために、余韻に浸っている間もなく次の練習へ移行するといった感じだったのです。ところがこの数年は、1つのことに対して数ヶ月かけて練習し、終わったら1週間ぐらいボーッとしながら“いい時間だったなあ”なんて考えられる。その意味でも今回のアルバムは、音楽のみに集中して作った特別なアルバムだと言えそうです。
18.カラオケ(2018/9/13 UP)
趣味は「散歩、読書、カラオケ」とウィキペディアに掲載されていますが、確かにカラオケは好きで、始めると朝の4時くらいまで歌うこともあります。カラオケの面白さに目覚めたのは高校三年の時に歌ったドリカムで、歌も楽しいなあと思いました。美空ひばりさんの歌も好きで、今でも締めは「お祭りマンボ」です。そこはウィキペディアに書いてあるとおり。これを歌わないと終わらない感じですね(笑)。
19.読書(2018/9/14 UP)
最近読んだ中では、平野啓一郎さんの『マチネのあとで』が印象的でした。ギタリストが主人公ということもありますけど、本当に素晴らしくて、平野さんの才能を改めて認識した思いです。音楽の表現についてもまったく無理がないですね。いろいろ調べて自分のものにした上で言葉に紡いでいくというところが凄いと思います。音楽ではなく言葉から力をもらいたいと思う時には自己啓発本を手に取ります。ドキュメンタリーも好きで、最近読んだ、たかのてるこさんの「ダライ・ラマに恋して」や白洲正子さんの作品が印象に残っています。
20.25周年記念アルバム『シネマ』(2018/9/14 UP)
2年ぶりのアルバムということで、いくつかの選択肢があった中プロデューサーのドミニクが『シネマ』をテーマに半分以上の曲を提案してきてくれたのです。これまでは日本側で決めたものをドミニクに報告して実現するパターンだったのですが、今回は彼の熱意に乗ってみようということで『シネマ』に決まりました。普段はレコーディング中に“次は何にしよう”という話が出てきて自然に次の企画が決まることが多いですね。テーマについては、本質的にギターの世界を広げたいという気持ちが強いので、クラシックだけにこだわらずに様々なジャンルの音楽を取り入れようと考えています。今回の『シネマ』は2曲以外全部新曲で、「ギターってこんなに素晴らしい楽器ですよ」というメッセージが込められています。これまでは自分の表現に一生懸命で「ギターっていいなあ」という思いに浸っている余裕はなかったのですが、最近は自分で聴きたいアルバムを作りたいという気持ちが強くなっています。
21.楽器(2018/9/15 UP)
これまでメインで使ってきたギターは何本もあります。15歳の時に使っていた楽器は、途中15年間ほど使わずに置いてあったのですが、今は再びメインの楽器に返り咲いています。1992年製の楽器で、使い始めた当時は、音量はあっても音色の細かいニュアンスが出しにくい楽器だったのですが、26年経った今はそれなりにニュアンスが出せる楽器になったのです。置いといただけなんですけどね(笑)。この楽器を弾くと15歳当時の新鮮な気持ちが蘇ってきて、昔持っていた若さや推進力といったものをギターからもらっています。今回のアルバム『シネマ』は4本のギターを使って録音しました。これは特筆モノですよ。15歳の時に使っていた楽器ポール・ジェイコブスンと『トランスフォーメーション』の録音で使った楽器、そしてデッカ移籍以降メインで使ってきた楽器に、今回出会った1859年製の楽器の計4本です。1859年製の楽器は1年前から借りていたのですが、これまで全く使う機会がなかったのです。ところが今回使ってみたらとても良くて、古き良き時代の音楽に合うかなあと思って「禁じられた遊び」と「ゴッドファーザー」の2曲を予定していたところが、結局10曲も弾いてしまいました。音の質と減衰の具合がとても素敵なのです。まさに150年の熟成ですね。結果的に25年間自分が大切にしてきたギター3本と、新たに出会ったギターを加えた4本のギターをミックスできたことに大満足です。
22.ポートレート(2018/9/15 UP)
写真撮影に関しては、毎回チーム全体の意見を反映することを一番に考えています。それはカメラマンや衣装やヘアメイクも含めて全てです。今回は25周年のヒストリカルなので、わがままを言ってもいいかなと思ってこだわりまくりです(笑)。普段は、良い録音さえできれば、あとは皆さんの意見を取り入れながらというノリですが、今回はちょっと特別な感じです。デビューしたての頃は、笑いたいシチュエーションではない時に無理して笑顔を作るのが嫌で、「笑って」と言われると「そんな…私アイドルじゃないし…」なんて思っていたのです。それが変わってきたのは、音のチームとは別に、イメージを作るチームと仕事をする楽しさを味わうようになってからですね。その道のプロフェッショナルに接して自分でも良い表現をしたいと思うようになってきたのです。という訳で今回のアルバム『シネマ』のアートワークへの思い入れはかなり強いですよ。人生は映画のようなものですしね。
23.映画(2018/9/18 UP)
それほどたくさんではないですけれど、好きな映画はちょこちょこ観ています。今回のアルバムは映画がテーマなので、最近の映画もすごく気になっていて、ファッションデザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリー映画は5回も観に行きました。彼の人柄やその描き方に惹きつけられるし、音楽も素晴らしいと思います。今回『シネマ』でとりあげた作品もせっせと観ている最中です(笑)。
24.今後のビジョン(2018/9/18 UP)
休養中は、新しい曲というよりも、今まで自分が出会ってきた曲をもう一度洗い直して弾いてみたいと思っていました。でも最近は今までやってこなかった曲を弾いてみたいと思うようになってきています。ギターの有名曲の中にも、ヒナステラやブローウェルのギター・ソナタなど、まだ弾いてない曲がありますしね。いずれは改めてバッハにも取り組んでみたいです。その意味では、自分が弾きたいと思う曲と世の中に発信する曲とが違っていてもいいように思います。40代はいろいろできると思うので楽しみです。今は成り行き主義で生きているので、そのうち面白い企画が湧いてくるのかなあ。
25.教えること(2018/9/18 UP)
生徒はまったくとっていませんし、マスタークラスすらもやっていません。ゼロに等しいです。教えるのは難しいと思いますが、頭の中で考えていることを言葉にすることは自分にとっても勉強になるかもしれませんね。その意味ではテクニックを教えるのではなく、音楽を伝えるということでしょう。音楽の素晴らしさを伝えることが重要ですね。父がまさしくそうで、好きなことをそのまま教えてくれるという感じです。私を何が何でもギタリストにしたいというような空気はそこにはまったくありませんでした。私も80歳ぐらいになったら教えてみようかな(笑)