The 25th memorial of Herbert von Karajan The 25th memorial of Herbert von Karajan

☆連載インタビュー「カラヤンの真実」話:眞鍋圭子 最終回掲載! >>詳細へ

☆百田尚樹氏より「私とカラヤン」コメントを頂戴いたしました! >>コメントへ

The 25th memorial of Herbert von Karajan

20世紀最大の偉大な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン。
1954年の初来日以来、カラヤンは全部で11回来日し、数多くの公演を行いました。


☆百田尚樹氏よりコメントを頂戴いたしました!(2014.05.08UP)

小説『永遠のO』『モンスター』などで知られる放送作家・小説家の百田尚樹氏よりコメントを頂戴いたしました。

「私とカラヤン」

私は若い頃から今も大のフルトヴェングラー・ファンである。ご存知のとおり、カラヤンはフルトヴェングラー亡き後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者となった。フルトヴェングラーがカラヤンを嫌っていたことで、実は私も若い頃はカラヤンが好きではなかった。彼はまたフルトヴェングラーのように頭の中には音楽しかないといった愛すべき「音楽バカ」ではなく、金と権力を好み、営業戦略に長けたところがあったので、尚更だった。若者は芸術家に要求するものが多いのである。 しかし大人になって人生がわかってくると、考えが変わった。人間と芸術は切り離して考えるべきである、と。そうして虚心にカラヤンの演奏を聴いてみると、その指揮は実に素晴らしかった。
彼は生涯にわたって膨大なコンサートとレコーディングを行い、そのレパートリーも古典から現代音楽まで網羅していたが、驚くのは、それらの演奏のほとんどが高レベルであることだった。彼が残した夥しいCDは「工場の大量生産」をイメージさせなくもないが、しかし「カラヤン工場」から出荷される製品は、極めて質が高く、品質管理も万全だった。古今、これほどの仕事をなした指揮者はいない。その意味で、カラヤンこそ、まさしく「プロ中のプロ」であったと言える。また彼は近代的なコンサート指揮者のイメージがあるが、実はオペラ劇場で研鑽を積んだ「古いタイプ」の指揮者である。それだけにオペラが素晴らしい。
生前は「偉大なるフルトヴェングラー」と比較され続けたカラヤンであったが、没後二十五年を経た今、ヘルベルト・フォン・カラヤンこそ、フルトヴェングラーの後継者としてふさわしい男であった、と私は思う。

百田尚樹氏


☆皆様からお送り頂いたコメントの一部をご紹介☆

皆様にとってのカラヤンの魅力や想い、エピソードなどを幅広く募集させて頂きました!コンサートをご覧になったことのある方からはそのご感想などをご投稿頂きました。その一部をご紹介させていただきます。

中・高校生時代にはNHK TVでBPOのライブ映像(勿論、ステレオ放送ではない)を食い入るように見て、クラッシック音楽鑑賞の門戸を開いて貰いました。今から20年程前、欧州出張の際、ザルツブルクで、自宅詣でをしようとアニフにバスで出掛けました。ホテルの人に「51番」のバスに乗ると良いが2系統あるので気を付けるように言われたのですが、やはり誤った行き先のバスに乗ってしまいました。途中で降車し天気の良い中、田舎道を30分以上歩き何とかアニフの町に。あやふやなドイツ語でカラヤンの自宅の場所を町人に尋ねたつもりがお墓のある教会に案内して頂いた。思ったより質素なお墓にお参りしてきました。心洗われるひとときでした。

ご覧になった公演:1970年5月頃、上野文化会館
1970年、大学1年で北海道から上京したが、大阪万博開催時で、同じ週にカラヤン=BPO、G・セル=クリーブランドO、都響の演奏会で上野に通う。曲目は忘れましたが、カラヤンの演奏会の最後の曲が終わった時、圧倒的なエンディングで立ち上がれなかった。カーテンコールで楽員が下がった後も拍手が鳴り止まず、カラヤンが一人で何度もステージに呼び戻されていたことが、忘れられない。

ペンネーム:Uratti51 さん

フォン・カラヤンの来日公演は、1973年以降最後の来日まで幾度となく聴くことができ、マーラーの交響曲第6番、チャイコフスキーの交響曲第4番、ドヴォルジャークの交響曲第8番など、忘れることのできない演奏に接することができましたが、彼の本領は、「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」、「トゥーランドット」、「トスカ」、「ファルスタッフ」などのオペラにあったような気がします。美しい旋律の歌わせ方は、まさに比類のないものでした。ウイーン・フィルとのコンビで生で聴くことができなかったのは本当に残念です。

ご覧になった公演:1973年 NHKホール
フォン・カラヤンのコンサートで最も印象に残っているのは、1973年のNHKホールのオープンの時です。恐らく彼の全盛時代だったのではないでしょうか。友人の名前を借りて、チケットを全公演分手に入れ、ベルリン・フィルの充実した響きを堪能したものです。3階後方席で聴いたブルックナーの第7交響曲では、良いオーケストラはホールを選ばないものだと痛感しました。

ペンネーム:リッキー さん

やはり、1973年の来日コンサートで聴いたベートーベンの交響曲第5番でしょうか。重厚で明快な演奏が今でも耳に残っています。

ご覧になった公演:1973年 NHKホール
圧倒的なカリスマ性に圧倒されました。

ペンネーム:FIGARO さん

クラシックへの目覚めは中学生だったでしょうか。
カラヤンとの最初の出会いは、今から約40年前、グラモフォンのレコード、ビゼーの組曲「カルメン」、「アルルの女」でした。
当時中学生だった私は「オケ指揮者といったらカラヤンやろ!」という姉の言葉を鵜呑みにしてそのレコードを買ったのです。それでもこのレコードが好きで今でもこの演奏が好きです。「アルルの女」ではドファイエのサックスの音色が、BPOのやや硬質な音のなかで煌めいていて第2組曲ばかり聞いていたのような。その後は、少ない小遣いをカラヤンの投資しました。

ご覧になった公演:1977年11月 大阪フェスティバルホール
最初の演目はブラームスの3番でしたが颯爽と登場した姿は今でも瞼に焼き付いています。今は亡き大屋政子さんも聴きにきていたのことも印象的でした。

ペンネーム:白髪ばっは さん

小学校4年位だったと記憶してますが、初めて買って貰ったクラシックの「レコード」がカラヤンの運命&未完成でした。それから幾年月、”グラモフォン”と”EMI”レーベルによるカラヤンのLPは、田舎の音楽好き少年の’バイブル’だったと思います。長じてから、カラヤン&ベルリンフィルの公演を聴く機会を3度程得ました。その中の白眉は、1984年、ブラームスの3番と1番のプログラムでした。終演後、鳴りやまぬ拍手の中、グランドピアノに被せるカバーを身に纏い、”終わり”を身振りで示していたカラヤンの姿は、今でも鮮明に思い出せます。’音楽評論’を生業とする方々からは「カラヤン」という名前を評価しないことが’評論家’の証のように扱われていたような感がありますが(敬愛するY田氏は違う書きぶりですが)、楽譜を読む喜び、楽器を奏でる悦び、アンサンブルに参加する歓び、を知っている『音楽fan』からすると、いろんなことを学ぶことができる指揮者であったと、今更ながら思います。

ご覧になった公演:1981年 NHKホール、1984年、普門館&東京文化会館
比較的小柄な方(欧米人としてですが)だったと記憶してますが、タクトを振り下ろした瞬間から、陳腐な言い方ですが、ホールという閉ざされた空間を超越し、鳴り響く音響の宇宙を案内してくれる「Conductor」というように感じました。結局3回しか公演を聴く機会を得なかったのですが、今まで聴いた何百回の演奏会の中で、私にとっては上位に残るものです。

ペンネーム:内野庄平 さん

40年来の音楽の先生です。たくさんの音楽をLPレコード、CDを通じてマエストロに教えてもらいました。62年録音の運命の第一楽章は、恐ろしく緊張感がありいまだに驚きを覚えています。
私が気楽な立場になりましたらお礼をかねてザルツブルクの近郊にあるお墓にお参りしたいと思っております。

ご覧になった公演:1982年 東京NHKホール
田園と悲愴でした。弦楽器がら聞いたことのない音が流れ、友人に自慢したのを覚えています。初めてマエストロの生を見ましたが、イメージより年取ってたかな。若かれし頃にベルリンのホールで聴きたかったです。

ペンネーム:NF206 さん

カラヤンと私は誕生日が一緒です。これは子供の頃からのささやかな自慢でした。

ご覧になった公演:1988年 サントリーホール
初めて生のステージに接した時には本当に感動しました。カラヤンの指揮によって会場中が揺れているように感じたことや、聴衆の期待感で会場内の温度が何度か上がっただろうことが忘れられない思い出です。

ペンネーム:スプートニク さん

カラヤンが指揮した曲は、せっかちな私には好ましく聞こえます。
また、最も印象深いCDは普門館の第九です。普門館の歴史とカラヤンの思い入れを知り、更に思い入れが強まりました。

ペンネーム:ken さん

デジタル録音の惑星です。火星の冒頭の弦の音がいいです。チャイコフスキーの悲愴、1971年録音のもの

ペンネーム:ノブーズ さん

私は中2の時、入院したことがあります。その時、亡き父が入院中に買ってきてくれたレコードが、カラヤン指揮ベルリンフィルの運命/未完成でした。私にとっては初めてのクラシックレコードでした。当時はレコードを聴くといってもポータブル電蓄しかありませんでしたが、退院後も何度も何度もそのレコードを聴きました。他にレコードを持っていなかったので、それは唯一のレコードでもありました。盤が擦り切れるまで繰り返し聞いていました。あれから50年になりますが、父が初めて買ってくれたレコード、カラヤンとの出会いでもありました。

ペンネーム:やっぱりカラヤンが好き さん

レコードのジャケットの一枚の写真、金髪をうねらせてタクトを振る何ともいえぬ表情に魅了されて以来のファンです。

ペンネーム:かっちゃん さん

東京文化会館で中学生のころ(50年前)、友人と一緒にカラヤン指揮の映画「バラの騎士」を見ました。生でなく映像のカラヤンは初めてでした。 同じころ、銀座の喫茶店「ウエスト」でもカラヤンのレザーデスクでたしか「第九」を見たきがします。当時銀座のレコードショップ 十字屋 でカラヤンのポスター「グラムフォン」が印象的でした。
50年の歳月がたっても、カラヤンは偉大です。 また、ムターの能力を見つけ出し、一度休演していましたが復帰し、また最近、ムターを聴くことができました。

ペンネーム:つきじのえいちゃん さん