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| ■小澤征爾 年表 |
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1935 |
満州の奉天(現・中国の瀋陽)に生まれる。 |
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1941 |
一家で日本へ戻る。 |
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1945 |
長兄からピアノのレッスンを受け始める。 |
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1948 |
成城学園中学に入学。 ピアノを豊増昇に師事。 |
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1949 |
齋藤秀雄に弟子入り。氏は、子供のための音楽教室~桐朋学園を通しての恩師となる。 |
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1952 |
桐朋学園女子高校附属音楽科に入学。 |
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1955 |
桐朋学園短期大学に入学。 |
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1959 |
スクーターと共に貨物船で単身渡仏。ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。 |
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1960 |
カラヤンの弟子を選出するコンクールで優勝。カラヤンに師事し、以後生涯に亘って親交を結ぶ。
ブザンソンの審査員ミュンシュに誘われて参加したタングルウッド音楽祭にて、クーセヴィツキー大賞を受賞。 |
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1961 |
日独修好100周年記念行事にて、初めてベルリン・フィルを指揮。
バーンスタインのもと、当シーズン、ニューヨーク・フィルの副指揮者を務める。
同オーケストラの日本公演にも同行。バーンスタインとも生涯に亘って親交を結ぶ。
日本フィルを指揮して、日本のオーケストラの定期公演にデビュー。 |
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1962 |
N響と指揮契約を結び、メシアン「トゥランガリラ交響曲」を日本初演。 著書「ボクの音楽武者修行」が出版される。 |
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1963 |
シカゴ響によるラヴィニア音楽祭に急遽代役で出演し賞賛を浴びる。 |
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1964 |
ラヴィニア音楽祭の音楽監督に就任(~68)。 |
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1965 |
トロント響の音楽監督に就任(~69)。 |
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1966 |
ウィーン響を指揮して、ウィーンおよびムジークフェラインにデビュー。
ザルツブルク音楽祭並びにウィーン・フィルにデビュー。
ベルリン・フィルの定期公演にデビュー。 |
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1967 |
ニューヨーク・フィルの定期公演で、武満徹「ノヴェンバー・ステップス」を世界初演。 |
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1968 |
ボストン響の定期公演にデビュー。
日本フィルの首席指揮者兼ミュージカル・アドヴァイザーに就任(~72)。 |
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1969 |
トロント響と日本公演を行う。
ザルツブルク音楽祭におけるモーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》で、オペラ指揮を本格的にスタート。
ボストン響との初録音を行う。パリ管の定期公演にデビュー。 |
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1970 |
タングルウッド音楽祭の芸術監督に就任(~2002)。サンフランシスコ響の音楽監督に就任(~76)。 |
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1972 |
日本フィルの一部楽員と共に新日本フィルを結成し、首席指揮者に就任(91~名誉芸術監督。99~桂冠名誉指揮者)。 |
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1973 |
ボストン響の第13代音楽監督に就任(~2002)。以後米国では異例の長期体制を築く。 |
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1974 |
英国ロイヤル・オペラにデビュー(チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》)。 |
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1975 |
サンフランシスコ響と日本公演を行う。 |
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1978 |
ボストン響と初の日本公演を行う。中国政府の公式招待により中国中央楽団に客演。 |
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1979 |
ボストン響と中国公演を行う。パリ・オペラ座にデビュー(ラヴェル《子供と魔法》、ストラヴィンスキー《エディプス王》)。 |
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1980 |
ミラノ・スカラ座にデビュー(プッチーニ《トスカ》)。 |
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1983 |
パリ・オペラ座で、メシアン《アッシジの聖フランチェスコ》を世界初演。ベルリン・フィルとの初録音を行う。 |
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1984 |
齋藤秀雄没後10周年のメモリアル・コンサートを指揮、このとき特別編成されたオーケストラがサイトウ・キネン・オーケストラの母体となる。 |
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1986 |
サントリーホールのオープニングシリーズで、カラヤンの代役としてベルリン・フィルを指揮。 |
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1987 |
正式に活動を開始したサイトウ・キネン・オーケストラと欧州公演を行う。 |
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1988 |
ウィーン国立歌劇場にデビュー(チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》)。 |
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1989 |
ベルリン・フィルの大晦日の「ジルヴェスター・コンサート」で、晋友会合唱団と共に、オルフ「カルミナ・ブラーナ」を演奏。 |
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1990 |
ウィーン・フィルの定期公演にデビュー。 <ヘネシー・オペラ・シリーズ>が開始され(~97)、第1回はモーツァルト《イドメネオ》を上演。水戸室内管の芸術顧問に就任(~継続中)。 |
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1991 |
ウィーン・フィルとの初録音を行う。 |
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1992 |
<サイトウ・キネン・フェスティバル松本>が開始され、総監督に就任(~継続中)、第1回はストラヴィンスキー《エディプス王》を上演。
ベルリン・フィルよりハンス・フォン・ビューロー・メダルを授与。
メトロポリタン・オペラにデビュー(チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》)。 |
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1993 |
ウィーン・フィルと日本、韓国、台湾公演を行う。 |
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1994 |
生地の中国・瀋陽にて、遼寧響を指揮。
ボストン響の日本公演で、<ベルリオーズ・フェスティヴァル>を行う。
タングルウッドにセイジ・オザワ・ホール完成。 |
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1995 |
32年ぶりにN響を指揮。 |
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1997 |
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ・メモリアルの杮落しで、サイトウ・キネン・オーケストラ他とバッハ「マタイ受難曲」を演奏。 |
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1998 |
長野冬季オリンピックの音楽監督を務め、開会式では世界五大陸を結ぶ「第九」を指揮。
パリ・オペラ座と<サイトウ・キネン・フェスティバル松本>との共同制作を実現し、プーランク《カルメル会修道女の対話》を、同年松本、翌年パリで上演。 |
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2000 |
若手音楽家の育成を旨とする<小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト>を開始(~継続中)。
米国ハーバード大学より名誉博士号を授与。 |
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2002 |
日本人として初めてウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに登場。同公演のライヴCDがクラシックの枠を超えた大ベストセラーを記録し、社会現象ともなる。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任(~2010)、就任最初のプレミエ公演としてクルシェネク《ジョニーは演奏する》を上演。
オーストリア政府より勲一等十字勲章を受章。
ボストン響の音楽監督として最後の定期公演を指揮(マーラーの交響曲第9番)。 |
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2003 |
毎日芸術賞、サントリー音楽賞を受賞。 |
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2004 |
ウィーン国立歌劇場の日本公演で、モーツァルト《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》を指揮。
仏ソルボンヌ大学より名誉博士号を授与。 |
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2005 |
<東京のオペラの森>が開始され、音楽監督に就任(~2008)、第1回は、フィレンツェ歌劇場との共同制作で、R.シュトラウス《エレクトラ》を上演。<小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト>初の中国公演を行う。 |
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2007 |
ウィーン国立歌劇場名誉会員に選出。 |
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2008 |
仏政府よりレジオン・ドヌール勲章オフィシエを授与。
日本の文化勲章を受章。 |
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2009 |
<小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクト>を開始、中国公演も行う。 |
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2010 |
1月7日 病気療養のため音楽活動を休止すると公表。
11月2日 日本人初となるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「名誉団員」の称号を贈られる。
12月14日 ニューヨークのカーネギーホールで約1年ぶりに本格復帰し完全復活を遂げる。 |
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(2009年まで柴田克彦・編) |
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