BIOGRAPHY

ZEE AVI / ジィ・アーヴィ


Bio


ジィ・アーヴィ はまだ若干23歳だが、成熟した魂の持ち主である。小柄な身体に大いなる才能を秘めた彼女は、手つかずの自然の楽園であるマレーシア東部の古代の島、ボルネオという生まれ故郷の稀有な環境をそのまま写し取ったような音楽で、ユニバーサルなメッセージを世界中にもたらすのだ。

アーヴィが、イアン・モントーンのモントーン・レーベルとジャック・ジョンソンのブラッシュファイアー・レコーズの提携後初のジョイント・リリース作となるデビュー・アルバムをLAでレコーディングすることになった経緯は、まさしく21世紀的ストーリーで、いかにインターネットが音楽ビジネスを変貌させ、世界を小さくしたかという手本のような話だ。

ボルネオ島のサラワク州にある小さな町、ミリで生まれたジィ・アーヴィは、南シナ海のそばのリベラルで温かな家庭に育ち、父親はエネルギー・コンサルタント業を営んでいた。「私は弁護士になるように育てられたの」と彼女は言うが、彼女の身体の中には音楽の血が流れていた。彼女の父方の祖父は様々なバンドで歌を歌い、ダブル・ベースやアコーディオン、ヴァイオリンやギターを弾いていたのである。

12歳の時、ジィはボルネオからクアラルンプールに移り住み、以来ずっとそこで暮らしている。17歳の時、ジィは部屋にひとりで何時間もこもって独学でギターをマスターした。その後ロンドンでファッション・デザインの勉強をしていた4年間はギターからはすっかり疎遠になっていたが、クアラルンプールに戻って来てから、彼女は再び楽器を手にし、自分で曲を書き始め、バンドと一緒にライヴ・パフォーマンスをこなすようになった。

ジィはウェブカムを使って自作の曲のレコーディングを始め、それを友達に聴いてもらおうとYoutubeにアップした。「自分の知らない人が新しいコメントをつけてくれる度に、もの凄く嬉しかったのを憶えてるわ……そのうちのひとつに、『思わず言葉を失ってしまった――これをお気に入りに入れさせてもらって、色々考えさせてもらってもいいかな?』っていうコメントがあったのよ」。それはイギリスのシンガー・ソングライター、クリス・ロウリーがYoutube用のZzzzzzzzapというハンドルネームで書き込んだコメントだった。彼は彼女のヴィデオを自分のサイトにポスティングし始め、そこから文字通り雪だるま式に支持のウイルスが伝染していったのである。
22歳の誕生日の前日、ジィは「自分では最後にするつもりだったビデオ」をポスティングする。それは”No Christmas For Me”というホリデイ・ソングだった。だが次にメールボックスを開けた時、アーヴィには3000通近いメッセージが届いており、その中には名の知れたレーベルからのオファーも多数混じっていた。そのうち一通はイアン・モントーンからのものだった。彼はラカンターズのドラマー、パトリック・キーラーからユーチューブで彼女のクリップを見せられ、モントーン・レーベルから彼女の音楽をリリースするよう連絡を取ってみろと強く勧められていたのである。

気づいた時にはジィはブラッシュファイアー所有のソーラーパワー式スタジオ、プラスティック・プラントでプロデューサーのロバート・カランザと共に初めてのレコーディングのため、LA行きの飛行機に乗っていた。”No Christmas For Me”は間もなくクリスマス・チャリティ・アルバム『This Warm December, A Brushfire Holiday, Vol.1』にフィーチュアされることになった。

キャット・パワーからレジーナ・スペクター、レナード・コーエン、トム・ウェイツ、ジョリー・ホランド、ダニエル・ジョンストン、そしてクリス・ガルノーといったエキセントリックなアーティストたちから、ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドといったジャズの大御所、更にヴェルヴェット・アンダーグラウンドやレッド・ツェッペリンといったクラシックまで、極めて幅広く折衷的な影響を持ちながら、自称”Rock lover at heart(心の底ではロックが恋人)”の彼女は、ダークでほろ苦いロマンスの本質の中に、希望や楽観主義で風穴を開けている。

情緒豊かな”Honey Bee”のスキャット・ヴォーカルから、ペギー・リーの実存主義的な恋の歌”Is That All There Is”を彷彿とする、別れを毒づく”Is This the End”まで、ジィは希望を持って愛を探し求めながら、同じくらいそこに潜む心の痛みも知っているのである。 ジィ・アーヴィのデビュー作に収められた曲は、そこに一員として受け容れられたいというよそ者の願望や、どこか新しい土地に行きたいという煮え切らない欲求、後悔や喪失感に満ちながら、同時に茶目っ気たっぷりで、世慣れた様子の鋭敏な感受性を感じさせる。
「私はいつも一匹狼でいることが多かったの、」彼女は頷く。「”Honey Bee”は周囲の人たちから何となく浮いてる2人の不適応者たちの間のロマンスを歌っているの。2人は他のみんなたちと同じになることのプレッシャーを何とかして避けようとしてるのよ」。

彼女が初めてウクレレで書いた曲”Just You and Me”には、1920年代のニューオーリンズ・スウィング・ジャズ的な雰囲気がある。 「私は昔のジャズからメロディ感覚を身につけたの。自分の感じたままを、飾らないストレートな言葉で表現して、あまりハーモニーも重ねないのよ、」ジィは言う。「ただたっぷりの正直さだけ。私は他愛のないことが嬉しい女の子なのよ」。

“Story of…” の素朴なアコースティック・ギターはイーノ風のアンビエント・サウンドでテコ入れされ、揺らめくようなサウンドに仕上がった。一方”Poppy”は自伝的な内容に「少しだけ詩的な表現の自由を与え」、2年で終わりを迎えた恋愛を振り返っている。

「私の歌は結構ダークなのよね、」ジィは認める。「大半はロマンスのりアリティの側にスポットを当ててるから。自分の感情の捌け口なのよ」。

彼女のライヴ経験はクアラルンプールでのギグに限られているが、ジィは今年1月にイギリスのTVウェブキャスト/ブロードキャスト番組『From The Basement』に出演している。ここにはレディオヘッドのトム・ヨークやダミアン・ライス、ザ・ホワイト・ストライプスやザ・シンズも出演していた。この『From The Basement』はアメリカでもIFCチャンネルで放送予定だ。

マレーシアからロサンジェルスへ、ジィ・アーヴィは旅を楽しんでおり、今は更に多くの乗客を受け容れる準備万端だ。「いまだに夢じゃないかって自分をつねってみるのよ、」彼女は興奮気味にまくし立てる。「両親からは、いつもちゃんと地に足をつけてることが大事だって言われてるわ。とても感謝してるけど、でも同時に屋根を吹っ飛ばして飛び上がりたいような気分でいっぱいよ。ここまでも本当にビックリするような道のりだったもの、大勢の素晴らしい人たちと一緒に仕事をさせてもらえてね。本当に幸運だと思うわ」。


ジィ・アーヴィのブラッシュファイア・レコードからのデビュー・アルバムはきっとその幸運に対する恩返しになっていることだろう……いや、きっとそれ以上のものになっているに違いない。