BIOGRAPHY

UNKLE / アンクル


JAMES LAVELLE: 19歳でMo’Waxレーベルを立ち上げ、ヒップホップのみならず90年代クラブ・ミュージックの構図を大きく塗り替えたスーパーA&R、ジェームス・ラヴェル。決して交わることのなかった異なるジャンルからリミキサーを起用することで、クラブ・ミュージック・シーンに革命をもたらしたと言っても過言ではない。レーベルからはDJシャドウ/DJクラッシュ/Dr.オクタゴン/ラ・ファンク・モブ/マニー・マーク/ルーク・ヴァイバート/カール・クレイグなどなど、シーンを代表するアーティストがリリースされている。彼の進化はとどまるところを知らず、アート/ファッションの分野にまで多大な影響を与えている。そして今年UNKLEとしての5年ぶり待望のアルバムがリリースされる。

90年代にかなり物議をかもしたアルバムの一枚であるアンクルのデビュー・アルバム『サイエンス・フィクション』から4年の月日が流れた。DJシャドウ、ヴァーヴ最盛期のリチャード・アシュクロフト、ビースティー・ボーイズのマイクDなどをゲストに迎え、野心とヴィジョンに満ち溢れ、時代のあまりにも先を行ったアルバムだった。アルバムのハイライトは、レディオヘッドのトム・ヨークをフィーチャーした「Rabbit In Your Headlights」、バッドリー・ドローン・ボーイをフィーチャーした「Nursery Rhyme」。ウィル・マローンのストリングスとフューチュラ2000のアートワークを伴ったこのアルバムは、全世界で40万人が購入した。

しかし、それは当時のことで、今は今、状況はまったく違う。『サイエンス・フィクション』リリース後、DJシャドウはアメリカに戻り、アンダーグラウンド・ヒップホップの領域でQuannumレーベルの仕事をし、アルバム『ザ・プライヴェート・プレス』を作った(A&Rはジェームス・ラヴェル)。アンクルの不変のメンバーであるジェームス・ラヴェルは、長いこと友人だったリチャード・ファイルを新しいプロダクション・パートナーとして育て上げた。ジェームスはリチャードについてこのように言っている。「リチャードは音楽を愛している。彼はオープン・マインドで、技術的にも優れていて、狂人で、スターで、僕の親友だ。」(英Jockey Slut誌、2002)。

ジェームスとリチャードは、1994年にブライトンで出会った。当時リチャードは学生だったが、メディアの勉強よりもドラムンベース・シーンにより惹かれていた。彼はエド・ラッシュとパイレート・ラジオでDJをやっていて、そこでエンジニアのイルスと会った。リチャードとイルスはジェームスと出会い、Mo’ Waxからシングルをリリースした。「うまく気が合ったんだ。」とジェームス。そして彼らは行動を共にするようになり、リチャードはジェームスのDJツアーに参加するようになった。1998年のある夜、ギグの帰りの車の中で、ジェームスはリチャードがラジオに合わせて歌うのを聞いた。『サイエンス・フィクション』のフロントとなるキャラクターを探していたジェームスは、自分の隣に座っている人がそうだと確信した。リチャードはビートをプログラムできるよう機材の使い方を覚え、アコースティック・ギターを携え、ファルセット・ヴォイスを発し、アンクルのセカンド・アルバムのために自分の曲に取り組む決意をした。

2000年、ジェームスとリチャードはロンドンのオールド・ストリートのフラットに移り住んだ。実り多き快楽の時、失われた週末。ジェームスはこの隠れ家と、金曜日のFabricでのレジデンス・パーティから解放された時間に、大変エキサイトした。パーティは時には火曜日まで続くこともあった。彼らはフラットにスタジオをセットアップし、日々演奏し、アイデアを交換し、ハードに働いた。リミックスやブートレッグをやるために”Unkle Sounds”を作った。同じ年、彼らはMo’ Waxのバンド、サウスをプロデュースし、ジョナサン・グレイサーの’Sexy Beast’のサウンドトラックをレコーディングした。この時、アンクルをハイプと非難できる人はいなかった。彼らは同じアイデアを持つ2人の仲間だった。「その時期は、世間vs俺たち、という感じだった。俺たちはやりたいことをやっていくんだ、と。」(ジェイムス)

自分たちが書いた曲に自信を持った彼らは、スタジオに入り、アンクルのセカンド・アルバム『ネヴァー・ネヴァー・ランド』の作業を開始した。パーティに来ていたソングライターのAnt Gennが、ジェームスにプロダクションと作曲で彼の技術を提供したいとアプローチして来た。結果、Gennは豊潤で心臓が破裂してしまいそうなメロディを書いてくれた。また彼はロンドンのクラブやバンド・カルチャーの中にいるミュージシャンをこのアルバムのために紹介してくれた。こうしてアンクル・ギャングが勢揃いし、デモ作りに入った。最初に出来上がったものは、2002年9月11日にイギリスのテレビ局Channel 4で放映された。ジェームスとマッシヴ・アタックの3Dとアニメーション製作チームShynolaによって作られた反戦ビデオだった。「ビデオのイメージは(9.11を)反映している。飛行機が生き物を落とし環境が破壊していく。グローバリゼーション、利害関係、お互いの取り扱い方が反映されているんだ。」

「『ネヴァー・ネヴァー・ランド』は、感情の高低の衝突。美しいレコードだ。」とリチャードは言う。リチャードが書いた曲の主題は、リチャードとジェイムスのパーソナリティやオールド・ストリートのフラットで過ごした時間、ロンドンでの生活の最高の時期と最低の時期、などが映し出されたものだ。ジェイムスもまた社会的な影響が大きかったことを強調する。仲間のこと、ロンドンでの生活、人との出会い・別れ。イアン・ブラウン――彼がアンクルと共演した1998年の「ビー・ゼア」は、全英TOP10入した――は、今作の「レイン」にも参加している。プライマル・スクリームのマニがベースを弾いているが、ストーン・ローゼズ解散以来、この2人が共演するのは初のことである。マニは「イン・ア・ステイト」でもベースで参加している。長い友人でありインスピレーションである3D(マッシヴ・アタック)は「インヴェイジョン」に参加。ジャーヴィス・コッカー(元パルプ)とブライアン・イーノは共にシンセサイザーで「アイ・ニード・サムシング・ストロンガー」に参加。クイーン・オブ・ザ・ストーン・エイジのヴォーカル、ジョシュ・オムは「フェイス・イン・マインド」にスキッツォイドなヴォーカルを提供。サウスのジョエルはビートルズ調のバラード「グロウ」に参加。リチャード・ファイルはビートにおいてその存在を感じさせ、また「イン・ア・ステイト」では10CCのグレアム・グールドマンの140トラックのヴォーカル・オーケストラにファルセット・ヴォイスを寄せている。リチャードは「パニック・アタック」「ホワット・アー・ユー・トゥ・ミー」「インサイド」でも聖歌隊のように美しい声を聴かせる。ダンス・ミュージックのテクニックを適用してノン・ダンス・ミュージックを作った『ネヴァー・ネヴァー・ランド』には、クラブ的ニュアンスが脈打ち、ヒップホップの美学がある。サンプリングで特筆すべきは、1曲目「バック・アンド・フォース」のブラック・サバス期のオジー・オズボーンのヴォーカルと、「アイ・フォー・アン・アイ」のノーマン・ホイットフィールド(アンディスピューテッド・トゥルース)である。

アルバムの雰囲気は豊潤で、センサラウンド・サウンドで映画を見るようなものだ。『サイエンス・フィクション』がコンピレーション的だったとしたら、『ネヴァー・ネヴァー・ランド』は完全に旅である。そしてそれはアンクルの男たちにとって、長い道のりだった。