BIOGRAPHY

「愛は憎しみよりも遙かに強い。憎しみは破壊であり、愛は生産なのだから」 リンヴァル・ゴールディング

ザ・スペシャルズが10曲を収めた真新しいアルバムを携えて戻ってくる。その影響力と重要性、心躍らせるパフォーマンスによって、バンドはこの国のDNAに刻まれている。彼らが存在しない音楽シーンを思い描くことは不可能だ。その足取りは、1979年の驚異的で無骨なシングル「Gangsters」から、解散前最後の曲である1981年の画期的な「Ghost Town」に至る。彼らはスカにパンクを導入し、幅広いトピックについて、この国で培った政治的関心を持ち込んだ。ザ・スペシャルズはたちまちのうちにシーンを支配した。2年間で、チャート1位を獲得した2曲を含む7枚のシングルと、2枚のアルバムをヒットさせ、ツアーの会場を満員にした。大衆が目にする舞台を席巻したことや、観衆が発する熱量は、ただただその伝説を補強する材料となった。彼らはあらゆる場面に顔を出した。トップ・オブ・ザ・ポップス、レディオ・ワン、各地のナイトクラブ、学校でのダンスイベントなど。当時のイギリスに蔓延していた分断は、これ以上ないほど深刻なものだった。極右思想に熱狂する若者たち、路上での暴力、保守的な政府といったように。だが、彼らは唐突にその活動を終えた。

1981年4月、ザ・スペシャルズは10日間を費やして、レミントン・スパにある8トラック仕様の地元スタジオで「Ghost Town」のレコーディングを行った。この曲は1981年7月の3週に亘ってチャート1位を守り、1981年7月9日のトップ・オブ・ザ・ポップス出演で最高潮に達した。しかし番組終了後の楽屋でバンドは解散となった。振り返ってみると、当時の状況がいかに特殊だったかを象徴しているのは、彼らがテレビに出て、大物司会者ジミー・サヴィルからも、怖いもの知らずのアダム・アントからも紹介を受けたという事実かもしれない。

このときのザ・スペシャルズの顔ぶれが、再びスタジオ入りすることはもはや実現しなかった。「俺たちはセカンド・アルバム『More Specials』を制作した」とリンヴァルは言う。「でも大変だったよ! 毎日のように誰かが抜けて、バンドはばらばらになる。それが翌日になればまた元通りになっていたりしたんだ」

2009年、イギリスが新たな不況に直面していたとき、ライヴを行うためにスペシャルズは再結成する。ただ、結成時のメンバーであるジェリー・ダマーズは最初のリハーサル時に他のメンバーと衝突したために不参加となった。テリー・ホール、リンヴァル・ゴールディング、ホレス・パンター、ジョン・ブラッドベリー(ブラッド)、ネヴィル・ステイプル、ロディ・“ラディエイション”・バイヤーズの6人は完売となったツアーを実施し、以降さまざまなオファーが届き続ける。

「長期的な計画は何もなかった」と、確かな技術を持ったザ・スペシャルズのベーシストで、物腰の柔らかなホレスが言う。「それが自分たちも気づかないうちに2012年になっていた。やがてネヴィルが健康の悪化を理由に辞め、都合よくロディも抜けた。そうして俺たち4人が残った。全員が正しい方向を向いていて、考えも一致していた」

「2015年の終わりごろ、リンヴァルとブラッドと俺で小さなリハーサル室に集まって、ハンドマイクを使ってデモをいくつか録った」とホレスは話を続ける。「そして知ってのとおり、ブラッドが亡くなった(2015年12月、心臓発作による)。そのあと自分たちを立て直すのに、1年かそのくらいはかかったよ」

それでも最終的に彼らは立ち直り、レコーディングを行う。全10曲、オリジナルといくつかのカヴァー曲。それが『Encore』だ。

本作はとんでもなく素晴らしい―過去40年を認識し、これまでザ・スペシャルズがやってきたことを受け止め、さらに前進させている。聴き手はそのサウンドに合わせて踊ることができる。プロデュースはオリジナルメンバーであるテリー・ホール、リンヴァル・ゴールディング、ホレス・パンターが務める。同時に長年ザ・スペシャルズのキーボードを担当するニコライ・トープ・ラーセンが名を連ねる。

「初期のスペシャルズでは、ジェリーによるところがすごく大きかった」とホレスは付け加える。「お前はこれを弾け、お前はあれを弾けっていう感じだった。対して今回は、あらゆる過程が楽しくて仕方がない。誰かが蔑ろにされることもないし、まるで違う目標を持っているやつもいなかった。俺たちは全員がこの素晴らしいアルバムを完成させたいと願っていた」

「ニコライはバンドの4人目のメンバーと言っていい」生来のやる気に満ち溢れた人物であるリンヴァルは言う。「あいつは最高のキーボード・プレイヤーであり、アレンジャーであり、プロデューサーだ。天からの贈り物だよ。一緒に仕事ができたのは幸運だったし、彼を抜きにして、俺たちはこの仕事をやり遂げられなかった」

言うまでもなく、皮肉なのは、40年前のザ・スペシャルズがこの国の状況を具体的に表現したということだ―7人のメンバーが発するメッセージは、典型的なイギリスの見放された街からの声だった。そして2018年現在、我々が直面しているのは、政権を担う保守的な政府、不況、そして「緊縮」政策が、弱い立場の人々を直撃している状況だ。多くのことが、一周して元に戻ってしまった。「恐ろしいと思わないか?」ホレスは言う。「今さら俺たちが偉そうに語る必要なんてどこにもない―もっとも、これまでだって、そんなことをしてきたつもりはないけど。今回の曲は、どれも今の時代に即している。けれど、不正義というものに時代は関係ないと俺はいつも言っている」

ザ・スペシャルズの優れている点は、彼らが今なお観察者であり続け、解説者にはならないということだ。また、ポップミュージックの本質とは何かをわかっていることだ。1曲目「Black Skin Blue Eyed Boys」、イコールズによる1973年の楽曲のカヴァーは、スペシャルズらしいサウンドでありながら、70年代のディスコ・サウンドとファンクが注入されている。アルバムは興奮で幕を開ける。

「イコールズは、イギリスで初めての多人種によるバンドだった」とコーヒーを飲みながら、ヴォーカルのテリー・ホールは言う。「スペシャルズが最初と思ってる人が大勢いるけど、実際は違う。だからこの曲は、彼らへの敬意の証だ。いろんな人が俺たちに“スペシャルズを見ていると、黒人と白人はうまくやっていけるって思う”って言うんだけど、俺とリンヴァルは、イコールズを見て同じことを思っていたんだ」

2曲目はリンヴァルによる楽曲だ。「BLM (Black Live Matter)」は聴き手に痛烈な一撃を与える。彼の父親がジャマイカからウィンドラッシュ号という船でイギリスにやってきたときのことから、リンヴァル自身がイギリスに移ってきたことが題材となっている―リンヴァルは1964年、サウサンプトン経由でグロスターにたどり着いた。組織的な人種差別が、この歌を取り巻いている。金属線のように張りつめた雰囲気の中、リンヴァルは淡々と自身の物語を述べる

「どの標識にもひたすら同じことが書いてある/“犬はお断り、アイルランド人はお断り、黒人もお断り”・・・ようこそイングランドへ」

「親父は、第二次世界大戦後のイングランドを再建するためにウィンドラッシュ号に乗ってイングランドにやってきた世代の人間だった」とリンヴァルは言う。「俺たちはよくその話を聞かされた。大抵は金曜日の夜遅く、親父が酒場から帰ってきたときに。“俺がどんなつらい目に遭ってきたか、お前たちにはわからないだろうな・・・”親父が初めてイングランドに来たときは、眠る場所さえ見つけられなかったらしい―グロスターのガレージで寝るしかなかったんだ」

続いて歌の内容は、リンヴァル自身の経験に移り、「黒いあの野郎」だの「いまいましいニガー」だのと呼ばれたことを明かす。その内容は極めて強烈で、胸を締め付ける。

「リンヴァルはそれが正しいとも間違っているとも言わない。論争をしかけてなどいないし、これはあくまでもあいつの物語でしかない」とホレスは言う。

ザ・スペシャルズの優れている点は、何かを非難するような仕草を見せないということだ。「レコーディングに入る前に話し合ったことがひとつある―今、俺たちを悩ませるさまざまなテーマとどのように向き合うべきか?」とテリーは言う。「そういったことについて叫んだり喚いたりするのはもうできない。なぜなら、俺たちはずいぶんと年を取った―そんなことをすれば威厳などまるでなくなるだろうし、そのうえ偽善になってしまうだろうから」

「Vote for Me」ではジャマイカのリズムと率直な歌詞を用いて、全世界に蔓延する、名前のついていない本質的な腐敗を暴く―そこには「Ghost Town」の名残がある。「俺に投票するなら約束するか?/公正で道徳的で誠実であると/俺たちに助力を惜しまないと」

「これは投票の意義についての歌だ―投票なんて煩わしいだろうか? もしわざわざ投票するとすれば、人は何のために票を投じるのだろう」とテリーは言う。「俺はアメリカ大統領としてのトランプのことはまるで理解できない。あるいは、周囲であらゆることが崩壊しているのに、テリーザ・メイ首相がアバの曲に合わせて踊っていることも理解できない。正気じゃないよ」次に来るのは、一部のメンバーがファン・ボーイ・スリーとしてヒットさせた曲をカヴァーした「The Lunatics Have Taken Over The Asylum」だ。

「この曲は元々、”Ghost Town”の続編になる予定だった」とリンヴァルは言う。「だが、スペシャルズ内で俺たちが抱えていた重圧や恒常的な問題があったために、ファン・ボーイ・スリーとしてリリースするしかなかった。それを再び取り上げることができたのは、すごくよかった。イントロの見事なキーボードは、ニコライによるもので、最終的には手がつけられない境地に達している。これぞまさにザ・スペシャルズだ」

歯切れのいいパーカッションが特徴的な1981年のオリジナル・ヴァージョンに、さらなるラテン音楽の手法が取り入れられている。これがまた素晴らしい。そして歌詞には、何十年も経た今もなお遠慮は一切ない。「核武装せよとカウボーイは俺たちに言った/俺は異議を唱えられるような人間だろうか」

「ほとんど何も変わっていないという気分にならざるを得ない」とテリーは言う。「この歌詞はレーガン大統領時代に書いたものだ。あのころは、世界の政治はこれ以上ひどくなりようがないって思われていた。だけど今はさらにひどい・・・現実とは思えないほどだ」

「Breaking Point」の題材はインターネット、テクノロジー、ソーシャルメディアだ。音楽自体は、ワイマール憲法下の共和制ドイツのサウンドそのもので、そこに作曲家ジャック・ブレルのテイストが加わっている。

「こういうタイプの音楽を俺は聴いているんだ」とテリーは言う。「限界点(Breaking Point)っていうのは、俺が日々感じていることなんだ。家のドアを開けても、またすぐに閉めたくなる。気づいたら、外に出るのも本当に大変になった。それぞれに電話を使っている人々の間を、ジグザグに移動することになる。今はもう、俺たちの脳ではテクノロジーを処理しきれないっていう時代に来てしまった」

ヴァレンタインズの楽曲「Blam Blam Fever」は、1967年にTrojanレーベルからリリースされたもので、銃文化について思いを巡らしている。

「ホレスがこの曲を持ってきた」とテリーが言う。「俺たちはTrojanのことならよく知ってるつもりだったんだけど、こんな曲があるのは知らなかった」この曲は、スペシャルズに完璧にマッチしている。

「これは特にアメリカにぴったりの曲だ」現在シアトルで暮らすリンヴァルは言う。「皆の考え方はこうだ―銃を持たなかったら、どうやって自分自身を守れるんだ? どうかしている。あんたはまともじゃない、ってね。だけど、待ってほしい、まともなのは俺のほうだと思ってる。なぜなら、俺は誰のことも撃ちたいと思わないんだから」

「The Ten Commandments」は、プリンス・バスターの「Ten Commandments of Man」(1965)に対するアンサーソングだ。女性に対してプリンス・バスターの自我を聞き入れるよう促す言葉がリストアップされていた曲である。今回新たに生まれ変わったパワフルで迫力満点の「Ten Commandments」で取り上げているのは、レイプ・カルチャーや女性蔑視、自尊心、オルト・ライト、“ネットのエセ知識人”、そして20歳のサフィーヤ・カーンだ。サフィーヤは、2017年にバーミンガムで行われた反レイシストのカウンターデモで、EDL(右翼団体のイングランド防衛同盟)のメンバーに、ありえないほどやさしい笑顔を浮かべて勇敢に立ち向かった姿を写真に撮られた女性だ。そのとき彼女はザ・スペシャルズのTシャツを着ており、それを見たバンドが接触を試みたという。

音楽的にはドーン・ペンの「No No No」をアップエンドして、変化を求める賛歌へと形を変えた曲になっている。サフィーヤにとってレコーディング・スタジオは初めて訪れる場所だったが、とても居心地が良かったらしい。

「こんなに難しいと思わなかった」とサフィーヤ。「でもみんなでスタジオへ入る直前にうまくまとめることができたの。今まで音楽に携わったことはなかったし、次に何が起こるのか検討もつかなかった。でも彼らが“俺たちを信じて任せてくれればいい”と言って、とてもうまくミックスしてくれたわ」

「こんなお願いをされて彼女はとても驚いていた」とリンヴァルはサフィーヤについて語る。「だが自分の思いを伝える彼女は、若さも手伝って、とてもエネルギーに満ちていたよ。彼女はすばらしい」

「彼らはアルバムの主題を語りで取り上げている 」サフィーヤは付け足して言う。「このトラックに関しては、プリンス・バスター、スリーフォード・モッズ、ザ・フォールの中から何か得られればと思っていた。みんな私が大好きなミュージシャン・・・私はもちろん女性としての視点からだけど」

「Embarrassed By You」はマーク・アダムスと書いた曲だが、リンヴァルはもともと彼とコヴェントリーのErnesford Grange Schoolで出会っていたという。

「トップ・オブ・ザ・ポップスか何かで俺たちが知られていた頃、俺は音楽について若者と話すためにちょくちょく学校へ立ち寄っていた」とリンヴァル。「マーク・アダムスと出会ったとき、彼は12歳だったよ。両親にも会ったんだが、そのとき“この子は音楽が大好きなんです”と言われたから、“じゃあ俺のところに来たらいい”って言ったんだ。それで友だちになって、長年にわたって手を組んだ(注:マーク・アダムスは90年代にバンドでキーボードを担当していた)。まずマークが手をつけて、テリーが残りの歌詞を書いた。盗みや刃傷事件を起こす仲間に困惑し、“抜けよう”と歌う曲だ」

「Life and Times of a Man Called Depression」は「Breaking Point」の前編といえるかもしれない。テリーが語りで歌うこのトラックは、むしろ自叙伝に近いだろう。

「俺の頭の浮き沈みについてはぜひ話しておきたい」とホール。「11年前に初めて(双極性障害と)診断を受けたときと比べると、今の自分は随分変わった。大体のことはコントロールができるようなったが、以前はそれすらできなかったんだ。大事なのは助けを求めることで、そうすれば周りが耳を傾けてくれるし、病気についてもっと理解してくれる。こっちがどう感じているか、この病気がどういうものかを分かってくれる」

壮大なスケールの「We Sell Hope」がアルバムのフィナーレを飾る。ここ数年、ライヴのアンコール曲はドラマーのジョン・ブラッドベリーを讃えて「All the Time in the World」が定番になっているが、これらの2曲はよく似ていて、音的にも歌詞的にもほろ苦い内容になっている。「いろんな世界を見てきた / これほど美しい場所はない」

「この歌詞が意味しているのは、お互いに対して親切であるべきだということ。誰かにしてあげられることはそれくらいのものだからな。リスペクトと優しさで相手を慈しむ」テリーは話す。

絶妙な音楽だ。

「優秀なミュージシャンが周りにいてくれて、俺たちはとても恵まれているよ」とホラス。「ギターにスティーヴ・クラドック、ドラムにケンリック・ロウを迎えることができたのもとてもラッキーだった。彼らなくして、楽曲のサウンドはこれほど素晴らしいものにはならなかった。そして2009年から親交のあるトロンボーンのティム・スマートもそうだ。今回の楽曲は、名曲というだけでなく、最高のミュージシャンたちによって演奏されている」。

ザ・スペシャルズの卓越した点は天性の音楽への理解にある。「Monkey Man」から「Blam Blam Fever」までの往年の名曲を再解釈し、その素晴らしい要素を新たな楽曲に融合させる才能だ。時代が移り変わろうとも、ザ・スペシャルズが周りに与える影響力は決して衰えない。それは私たちオーディエンスの望みでもある。

「かれこれ40年、この仕事を続けてきた。これまで俺たちがやってきたことを誇りに思っている。ときどき頬をつねって、夢ではないことを確かめたくなるよ」とリンヴァル。「かつて父がそうしてくれたように、自分の肩をぽんと叩いて『よくやった』と褒めてあげたい。また今回の楽曲づくりを通して、メンバー間の距離が今まで以上に縮まったと感じる」。

ホレスは言う。「これがスペシャルズってバンドだ。俺たちはそれぞれ全く違うタイプの人間だが、3人が集まれば世界でもっとも偉大なロックンロール・バンドになれる。少なくとも俺はそう思うよ、何か歴史に残るような凄いことが起こせるってさ」