BIOGRAPHY

THE POLICE


POLICE_bio1977年、スチュワート・コープランド(ドラムス)、スティング(ベース・ギター)、アンリ・パドヴァーニ(ギター)のメンバーで結成。コープランドはカーヴド・エアのドラマーとして既に2枚のアルバムを発表、スティングもまたラスト・イグジットなどのメンバーとしてレコーディングを経験していた。

同年5月、ポリスはマネージャーのマイルス・コープランド(スチュワートの実兄)のレーベル、イリーガルからデビュー・シングル「フォール・アウト」を発表、前後して2人目のギタリスト、アンディ・サマーズが加入する。サマーズはズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド、アニマルズなどの一員として60年代から活動を続けてきたベテランで正式な音楽教育も受けていた。

ほどなくパドヴァーニが脱退、コープランド、スティング、サマーズのトリオとなったポリスは78年にA&Mから「ロクサーヌ」でメジャー・デビュー、3人の音楽はジャズ、レゲエ等の要素を折衷した高度なものだったが、マイルスは巧みなイメージ戦略によってバンドをパンク・ブームの波に乗せることに成功、同年11月のファースト・アルバム『アウトランドス・ダムール』は翌79年に英6位まで上昇し、次いで発表されたシングル「孤独のメッセージ」とセカンド・アルバム『白いレガッタ』は相次いで英チャート首位をマークした。

以降、82年までの間、バンドは一連のシングル(「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」、「高校教師」、「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」、「マジック」)とアルバム『ゼニヤッタ・モンダッタ』、『ゴースト・イン・ザ・マシーン』を英チャート首位に送り込み、名実共にロック・シーンの頂点に君臨、80年にはグラミー賞も受賞している。

83年のアルバム『シンクロニシティー』は英米両国のヒット・チャートを制覇、ここからは、同じく英米で首位をマークした「見つめていたい」以下4曲のヒット曲も生まれ、それぞれに趣向を凝らしたプロモーション・ビデオも話題を呼んだ。
80年代半ばにメンバーのソロ活動が本格化、86年には新作の制作開始が伝えられるも、間もなくポリスはその活動を終えた。バンドの顔、スティングは、しかし、以降もソロ・アーティストとして高い人気と評価を維持、一方のポリスの人気もまた衰えることはなく、86年の『ポリス・ザ・シングルス~見つめていたい』は英1位、米7位をマーク、92年の『グレイテスト・ヒッツ』もまた英10位まで上昇している。03年、ポリスはロックの殿堂入りを果たし、これを祝う式典では久々に3人が揃ってライヴ・パフォーマンスを披露した。 (若月眞人)