BIOGRAPHY

ローリング・ストーンズが直々にアイルランド最大のスタジアム公演の前座に選ぶバンドは、勝者になることが約束されていると気づくであろう。アイルランドが新たに世界に放つ最高にエキサイティングなバンド、ジ・アカデミックは、ミック・ジャガーが認めた2020年待望のインディー・ポップ王子達である。パーティーを巻き起こす4人組の、最高に高揚感があり、非常にメロディアスなギター主体のサウンドは、学生時代から一緒にプレイして来た親しい仲間達の産物だ。彼らは当初、ザ・ストロークスやヴァンパイア・ウィークエンドのサウンドが好きで意気投合した。

クレイグ・フィッツジェラルド(リード・ボーカル&ギター)、ディーン・ギャヴィン(ドラム)、そしてマシュー・マータ(ギター)とステファン・マータ(ベース)の兄弟は、アイルランドの片田舎で育った。しかし、大都市の娯楽がなかったおかげで、彼らは最も大事なこと、彼らのスキルを磨いて美しい爆音を作ることに集中できたのだ。「僕達が育った場所が、かなり田舎なのは確かだよ」、ステファンは認める。彼は兄のマシューが放課後に他のメンバーを集めて音楽について語り合った後、バンドに加入することになった。「一番近くにある都市も、アイルランドの中ではかなり小さな街だから。でも、そこは音楽で有名な街で、バンドの初期にすごく僕達の役に立ってくれた」

元ワン・ダイレクションのナイル・ホーランの故郷であり、若きジェイムズ・ジョイスが愛した街でもあるムリンガーと、その周辺で行われるフェスティバルに、4人は出演し始めた。その中には、奇妙なフェスもあった。「“テッド牧師”フェスティバルとかね」と、クレイグは笑う。そのフェスティバルの週末、彼らは空き地のトラックの荷台の上で、少人数の観客に向けて演奏をした。背後では、古い遊園地がガタガタと音を立てていた。「あらゆるタイプの人達が出演してたよ。ストリートパフォーマーとか、カバーバンドとか、ファイヤーダンサーとかね」。彼らの地元のミニ・グラストンベリー・フェスについて、ステファンは言う。「でも、とにかくローカルなフェスで、観に来てた人達の誰もが、数キロ圏内に住んでたと思うよ!」

彼らが腕を磨き始めた場所は、そこだけではなかった。「当初、僕達のやったショウは、ほぼ全て奇妙だった」と、ステファン。「クレアっていう田舎の州のホテルの大広間で、アラバマ・スリーの前座をやったんだけど、ルー・リードが亡くなった夜で、彼らはヴェルベット・アンダーグラウンドの「ヘロイン」をカバーしたんだ。『ツイン・ピークス』のお蔵入りシーンを見てるような気分だった」

彼らの最初の正式なショウもまた、かなり妙な雰囲気だった。地元のパブのバンド対決の夜で、そのコンテストに投票するためにはお酒を一杯買わなければならなかったので、彼らは最下位になった。当時、メンバーはまだティーンの前半で、彼らの倍の年齢のファンを持つバンドと、気難しい酒飲みの客には対抗できなかったのだ。「その夜は、ウイスキーを飲み尽くせる地元のメタル・バンドが一等になったよ!」。ステファンはそう言って笑った。

当時の彼らは、フランス語のマジノ(Maginot)というバンド名で活動していた。「でも、アイルランドの田舎では受け入れられない名前だってことが明らかになってね」。初期の少々気どった名前についてステファンは説明する。その頃、クレイグはティーンネイジャーの通過儀礼として、孤独と不安を描いたJ.D.サリンジャーの名作『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた。「アカデミック(学問的)」という文字が最初のページに書かれているのを見て、クレイグは突然、その言葉の力に打たれた。「見れば見るほど、その言葉が僕達のやっていることのように感じられたんだ」、彼は振り返る。「それに全員がまだ学校に通っていたから、完全に筋が通ったんだ」。また、それはバンドの初期の音楽に影響を与えた本でもあった。ステファンの説明によると、「ティーンネイジャーから大人に移行する上で、責任が出て来たり、純真さが失われたりして苦闘することについての本なんだ」。

このバンドのメンバーは、一緒に成長した。そして彼らが10代前半で苦労したおかげで、ジ・アカデミックは最高のライブバンドの一つになったのだ。彼らはサウス・バイ・サウス・ウエスト(SXSW)で成功を収め、ヴァンで全米の田舎をツアーして周り、ファンベースを築き上げて、最近はロンドンのスカーラでの公演を完売にし、コロナ禍の前にエレクトリック・ボールルームという大会場での公演もほぼ完売にしていた。
「この間の数回のロンドン公演は、めちゃくちゃ凄かった」とクレイグは言う。彼らのワイルドで素晴らしいショウでは、どんなことも起こりうる。「俺たちはライブの自然発生的な面をすごく大事にしてきた。しっかりと計画を立てることはないし、何に対しても心をオープンにして、その瞬間を生きてるんだ」と、4人がステージ上に上がった時に何が起こるかをステファンが説明する。「どのショウも、それぞれにユニークな体験になる。同じショウは2度とないんだ」。

音楽に関して言うと、ジ・アカデミックはすでにアイルランドのチャートで首位を獲得したアルバムを発表している。2018年の『Tales from Backseat』だ。だが2020年、彼らは世界征服に乗り出そうとしている。ニュー・アルバム(世界の大半の国ではデビュー作となる)の発表を2021年に控え、まずは6曲入りのEPがリリースされる。先行シングルは、勢いのあるニューウェーヴ・スタイルの「Anything Could Happen」で、トーキング・ヘッズやエルヴィス・コステロのストップ/スタートのパターンのリズムに影響されている。歌詞は「土曜の夜のために全ての感情をセーブしておく」人達が泥酔して感情的になることについてで、人としての成長や友情、誰も完璧ではないと受け入れることがテーマになっている。色々な意味で、現在の奇妙な時期に癒しをもたらす曲と言えるだろう。
「友人や知人を見て、彼らのベストの状態じゃないことに気づく曲なんだ」、バンドのメインソングライターであるクレイグが説明する。「人ってよく自分を疑ってしまうものだと思う。この曲で言おうとしてるのは、自分の力を信じろ、その夢を追いかけて、誰にも反対させるなってことなんだ。世界中にそのチャンスがあるんだから!」

それに続くシングル「Acting My Age」もまた、キャッチーな自信を向上させる曲。悪い行いをしても悪い人間にはなっていないという、誰もが経験することについての暖かく心のこもった曲である。「自虐的になるのって、すごく簡単なんだよ」。この曲について、クレイグは言う。彼が優しい目で人間観察をしていることが分かる曲だ。「でも、この曲は許すことについて歌っているんだ」。どちらの曲も、最初から最後まで、心地よいクラシックな雰囲気が滲み出ており、彼らの優れたポップセンスが光っている。だから、アカデミック・ポップというのは決して悪い形容ではない。「ポップ・バンドと呼ばれることに関しては、何も問題はないよ」と、ステファン。「僕たちがそういう音楽が好きだっていう事実を避けることはしないよ」。

これら2曲が非常にタイムレスに聞こえるのは、驚くことではない。デュア・リパやマーク・ロンソン、デュラン・デュランと一緒に仕事をした経歴のあるカイザー・チーフスの元ドラマー、ニック・ホジソンがプロデュースを手がけたのだ。「ニックとの仕事は、最高だった。彼は僕達が子供の頃に大きな影響を受けたサウンドのインディー・ディスコを手がけてきた人だし、一緒に部屋に入ると、全てが自然に流れ出てくる貴重な人なんだ」。クレイグはそう説明する。そのエネルギーが、間違いなく聞き取れる。ジ・アカデミックが大きな成功を収める日は近いであろう。