BIOGRAPHY

タンジェリン・ドリーム / Tangerine Dream


ベルリン・スクールの創始者の一員にしてクラウト・ロック、ジャーマン・エレクトロ・ミュージックの源泉であるタンジェリン・ドリームは、1967年に元ザ・ワンズのエドガー・フローゼを中心に西ドイツで結成された。69年、フローゼ、クラウス・シュルツェ、コンラッド・シュニッツラーというメンバーとなり、70年にドイツの電子音楽/実験音楽を扱うオール・レーベルと契約。デビュー・アルバムの『エレクトロニック・メディテイション』を発表した。その後、シュルツェ、シュニッツラーが抜け、アジテーション・フリーのクリストファー・フランケとスティーヴ・シュローダーが加入。71年に『アルファ・ケンタウリ』をリリースするも、シュローダーがすぐにジ・アンツのピーター・バウマンに交代し、以降、7年続くラインナップが揃っている。72年に3作目の『ツァイト』、73年に4作目の『アテム』を発売。『アテム』がイギリスBBCの人気DJ、ジョン・ピールの目に留まり、彼の番組で頻繁にオンエアされたことでBBCプレイリストのアルバム・オブ・ジ・イヤーに選ばれたことがきっかけとなり、73年9月に新進気鋭のヴァージン・レコードとディールを交わすと同時に活動の拠点をイギリスへと移した。

74年2月、ヴァージンのカタログ10番目として発売された『フェードラ』から約10年に及ぶヴァージン・イヤーズが始まった。ヴァージンとの契約のアドヴァンスで購入したモーグやVCS3などのシンセサイザーを導入し、ミュージック・シーケンサーを全面的に使った『フェードラ』は、全英チャートの15位をマーク。ポップ・シーンに於けるエレクトロニック・ミュージック初の商業的成功を収め、ワールドワイドな活動の足がかりを掴むことになった。同年6月、ロンドンのヴィクトリア・パレス・シアターで渡英後初のコンサートを開催。翌75年3月、シーザー戦記で知られるルビコン川をテーマに『ルビコン』(全英10位)をリリース。アルバム発表後はオーストラリア(一時的に抜けたバウマンの代役はミヒャエル・ヘーニッヒが務めた)、ヨーロッパ・ツアーに出かけ、10月のクロイドン、フェアフィールド・ホールズでのコンサートはライヴ・アルバム『リコシェ』(全英40位)として12月に発売された。76年2月には、それまでの音響系のスタイルから音楽性を変化させ、メロディックなサウンドと叙情性を強調した『ストラスフィア』(全英39位)を発表。77年は初の全米ツアーを実施し、ウィリアム・フリードキン監督のサスペンス映画『恐怖の報酬』の音楽も手がけた。7月にMCAから発売された映画のサウンドトラックは全米チャートの25位を記録。これを皮切りに映画音楽の世界にも足を踏み入れていくことになる。10月には全米ツアーの模様を収めたライヴ・アルバム『アンコール(アメリカン・ツアー1977)』をリリース(全英55位/全米178位)するが、バウマンがソロ活動を始めるために脱退。代わってバンド創生期のメンバーだったスティーヴ・ジョリフとクラウス・クリューガーをメンバーに迎え、ヴォーカルやドラムを導入して新たな方向性を見出していった。

78年3月には新編成による『サイクロン』(全英37位)を発表。ほどなくしてジョリフがバンドを離れるも、79年2月の『フォース・マジョール』が全英26位とヒット。その後、クリューガーも抜けるが、ヨハネス・シュメーリンクを加えてバウマンがいた時代のようなキーボード・トリオの体制に戻った。80年5月、長尺曲の中にメロディック・ショート・トラックを盛り込んだ『タングラム』(全英36位)をリリースし、81年1月に東ベルリンの共和国宮殿で開催されたコンサートを収めたライヴ・アルバム『Quichotte』をドイツのアミガから発売(86年7月にヴァージン/キャロラインから『Pergamon』として再発)。3月にはマイケル・マン監督の映画『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』のサウンドトラック『シーフ』(全英43位/全米153位)を発表し、9月には冷戦下に於ける核戦争の脅威をテーマにした『イグジット』(全英43位/全米195位)と立て続けにリリースしたほか、スラッシャー映画『Strange Behavior』のサウンドトラックも制作した。ちなみにこの作品は2022年にレコード・ストア・デイ限定商品として発売されている。82年になると3月に『ホワイト・イーグル』(全英57位)を発表。このアルバムのタイトル曲がドイツのテレビ・シリーズ『Tatort』のテーマ曲として起用され、シングルがドイツで13位をマークするヒットとなったこともあり、『ホワイト・イーグル』はドイツでも42位とヒット。番組のサウンドトラック『Das Mädchen auf der Treppe』もリリースされた。同年にはジェームズ・グリッケンハウス監督の映画『ザ・ソルジャー』のサウンドトラックも手がけ、ロンドンのドミニオン・シアターでのライヴを収めた『ロゴス - タンジェリン・ドリーム・ライブ』を12月に発表した。この時のライヴ音源は、83年公開の映画『ザ・キープ』にも使われ、のちにサウンドトラックもリリースされている。その83年6月には東京、愛知、大阪で初来日公演を敢行。また、『SFザ・ウェーブ/地球外生物からのSOS!』のサウンドトラックのリリースやトム・クルーズ主演の『卒業白書』、『炎の少女チャーリー』の音楽制作を行ない(2作品ともサウンドトラックの発売は84年)、11月にクトゥルフ神話に登場する架空の地名をタイトルに使った『ハイパーボリア』(全英45位/独64位)を発表した。この作品を以てヴァージンとの契約を終了している。

その後、バンドはライヴ活動を減らし、映画音楽の制作に力を入れていく中で新たにジャイヴ・エレクトロと契約を結び、84年11月に83年12月に収録したワルシャワ公演のライヴ盤『ポーランド(ザ・ワルシャワ・コンサート)』を発表。通称ブルー・イヤーズをスタートさせた。85年5月にはアメリカのテレビドラマ『驚異のスーパー・バイク ストリートホーク』のテーマ曲や映画『魔界SFX軍団/死霊のニンジャ』のオープニング曲を収録したオリジナル・アルバム『ル・パーク』をリリースする。そのあと10月にヨハネス・シュメーリンクが脱退し、新メンバーにヨハネス・シュメーリンクが加入。86年8月にアクアをテーマにした『アンダーウォーター・サンライト』 、87年6月に『タイガー』をリリースしたが、フローゼと長きに亘って活動をともにしてきたクリストファー・フランケが脱退。以降はフローゼ主導のバンドとなり、プライベート・ミュージック(メルローズ・イヤーズ)、ミラマー(シアトル・イヤーズ)、TDI(ミレニアム/TDIイヤーズ)、イーストゲート(イーストゲート・イヤーズ)といったレーベル移籍と息子ジェローム・フローゼや日本人ヴァイオリニスト、山根星子らが加わるなどメンバー・チェンジを繰り返しながら活動を続けた。これまでに100枚以上の作品を残している。なお、2009年には2度目となる来日を果たし、伊豆修善寺のサイクル・スポーツ・センターで開かれたエレクトロニック・ミュージック・フェスティヴァル〈メタモルフォーゼ09〉に出演。10年に『IZU(伊豆)ライヴ・イン・ジャパン2009』というライヴ・アルバムをリリースした。

2015年1月20日、エドガー・フローゼがウィーンにて肺塞栓症で死去。残されたメンバーのトーステン・クォーシュニック、山根星子、ウルリッヒ・シュナウスは、フローゼの妻ビアンカ・フローゼ・アクアイと協力してフローゼの遺志を継ぎ、タンジェリン・ドリームとしての活動を続けていくことを決めた(クォンタム・イヤーズ)。20年にはシュナウスが抜け、18年からゲスト参加していたパウル・フリックが正式メンバーとなっている(20年6月に予定されていた3度目の来日はコロナウイルスの影響で中止)。現時点での最新オリジナル・アルバムは22年にリリースされた『Raum』。

間もなく結成60周年を迎えようとしているタンジェリン・ドリームは、機材やスタジオ技術の進化とともにサイケデリックな実験音楽、プログレッシヴなシンセサイザー・ミュージック、ニューエイジ、アンビエント、エレクトロニカといった音楽的変遷を見せながら、ポピュラー・ミュージックから映画音楽、ゲーム・ミュージックにまで多大な貢献を果たしてきた。彼らの歩みはまさにテクノロジーと音楽の歴史そのものなのである。