Biography

Bio

ペネ・パティ(兄)   モーゼス・マッケイ   アミタイ・パティ(弟)

二人のテナー歌手、マンゲレ出身のペネ・パティとアミタイ・パティの二兄弟にノースショア出身のバリトン歌手の従兄モーゼス・マッケイを加えた三人から成るトリオ、SOL3 MIOは、それぞれの力強く感動を呼ぶオペラ歌手特有の声が、その特徴だ。これに加わるのが、抑えがたいサモア特有の程よいユーモア。三人は自らを称して、最初にして最高の「現代音楽との隙間を埋めるクラシック歌手のトリオ」だと言う。だが、そのユニークな隙間の埋め方は、厳しい批評を突き抜ける可能性を秘めるとともに、アリアの世界とは通常縁遠い観客にも訴える力がある。そのステージで発揮される近親者特有の阿吽の呼吸、気さくなユーモア、無邪気なコミカルな掛け合いは、いずれをとっても、演技ではない。ありのままの自分たちの姿の延長であり、生涯かけて歌い演奏し観客を魅了してきた蓄積なのだ。

ある意味で、三人の生い立ちは珍しくはない。夢ある人生を求めてサモアからニュージーランドに移住し色々な犠牲を払いながら、音楽に励み聖歌隊で活躍し、細々した雑事も勤勉にこなしてきた。 しかしながら、移住初期の手堅く質素な時期は、平均的なものであったとは、とうてい言い難い。三人は数々の賞を獲得し表彰もされたが、中でも特筆に値するのは、ペネが、2010年のニュージーランド年間最優秀音楽家に選ばれたこと、アミタイが2012年レクサス・ソング・クエストを受賞したこと、モーゼスが昨年Dame Malvina Major Foundationの新人音楽家賞を受賞したことだ。三人ともオークランド大学音楽科で学んだが、生まれながらの特異な才能に舞台芸術の磨きを加わる基礎となったのは、ぎっしりと詰まった音楽経験、即ち、毎週、療養所で歌った少年合唱団の経験から、ジョージ・ベンソンの伴奏に至るまでの幅広い体験だった。2008年、モーゼスとペネは、合唱団の一員としてアンドレア・ボチェッリの伴奏を勤めたが、これが、きっかけとなって二人の目と耳はオペラの世界に向けて開き、三年後のSOL3 MIOの立ち上げに至る発端となった。 

三人は、ペネが由緒あるウェールズ国際声楽学校への入学を許可された後、ペネの送別会で即席のトリオとして演奏した。その時、聴衆の一人が、声を張り上げて三人はトリオを結成すべきだと言った。その時は一笑に付されたが、この考えは、次第に根づいていった。一年足らずのうちに、三人は、それぞれ、ウェールズの高名なデニス・オニールの下で個人教授を受けることを許可された。これは、この上ない絶好の機会となったが、同時に合わせて10万ドルが必要となった。三人は、本腰を入れて、並み居る募金運動協力者ともにSOL3 MIOを立ち上げた。募金運動のための演奏会は、マッセー高校の講堂で客入りが半数のまま始まったが、最後の演奏会は、2012年10月、オークランド市公会堂が満席となり、必要な資金が調達できた。今や、自分たちが名前をつけた作品のアルバムがあり、これは、当然ながらトリオの代名詞ともなったナポリ民謡で始まり、最後は、威勢の良い「我らサモア人」で終わる。このアルバムを以て、今や類まれとなった物語の第二章へと移行の準備が整った。 

この活気あふれる三人の音楽家は、歌うために生き続け、それを類まれな抑えきれない情熱をこめて行うと言っても過言ではないであろう。三人は、オペラに現実の世界を持ち込み、音楽の先入観と偏見を打破し、古式豊かなクラシック音楽に新たな生命を吹き込んだ。三人は、音楽を共有し聴衆を楽しませ啓蒙したいと願う。そして、それを行う際の気さくなマナーは,好感を呼び人から人へと伝わる。家族の伝統を引き継いだ舞台上のユーモア、サモアの陽気な国民性と誇りは確かにこのトリオの大きな特徴だが、切り札は何といっても、朗々とした独唱と泣く子も黙る合唱だ。生まれながらの豊かな音楽性、斉唱する時の血のつながりを思わせる声、決して消えることのない目の輝き、長年の厳しい学習と訓練。SOL3 MIOは端的に言えば、全く新たな聴衆を自分たちが生涯を捧げた音楽へと導く力を秘めていると言ってよい。