BIOGRAPHY

RICH BOY / リッチ・ボーイ


Bio ゾーン4/インタースコープに籍を置くアーティスト、”リッチ・ボーイ”の名の由来は、金銭的状態を示すものではなく、近所の仲間に付けてもらったニックネームだと語る(「オレが”リッチ”だから付けてくれた名前、ではないんや。」)。しかし本名モリース・リチャーズ、才能豊かな23歳はデビュー・アルバム『リッチ・ボーイ』によって彼自身のアーティスト名もあながち間違いではなかったことを証明してくれる。

アラバマ州はモビールで生まれ、プラスとマイナスが共存する典型的なゲットー環境で育つ。
「オヤジ・・・は1日中働いてた」、とリッチ・ボーイは話す。ゲットーのど真ん中に経営する父親のリキュール・ストア(酒屋)の周りで彼は、ドラッグ中毒者や、ドライヴ・バイ・シューティングなどの”マイナス面”を目撃しては日々を過ごす。
「オレが尊敬してたのはクラック・ディーラーやった」、と語る彼。
「仲間のドープ・ボーイらと集まってヤバいことやりまくってたよ」、と当時を振り返る。
「ヤバいことの詳細は話せねぇけど、おふくろを泣かせたことは一度もなかった。オレの行動がおふくろを苦しめてるって分かった瞬間、心に決めたんや。ストリートで腐ったコトばっかやってんじゃなく、もっと”プラス”なこと始めようって。ワルもいっぱいやってきたけど、オレはおふくろに連れられ、教会へ通ってた頃もあったよ」

このプラス面が彼をタスキージー大学へと導く。専攻は機械工学。そこでの1学期目、ラッパーとしてはまだであったものの、彼のキャリアを左右する出来事が起きる。 
「寮の廊下歩いてたらビートが聞こえてきたんや。で、ドアーが開いてるヤツの部屋の前で立ち止まった。」と運命の日を回想する。
「オレは、”それ誰のCD?”って訊いたら、ヤツは”このビート今オレがつくったばっかなんや。”って教えてくれた。マジビビッて、”作り方教えてくれよ”ってヤツに頼んだんや。」

その日を境にリッチ・ボーイはビートを作って日々を過ごし始める。若い頃教会でドラムを叩いていた彼にはプロダクション才能が自然に目覚め、新しく見出した技巧にのめりこみ、大学は二の次となっていた。1年以内にビートCDを制作、トラックを買うまでに至った。
「それがプロのアーティストとしての第一歩やった」とリッチ・ボーイは話す。
初めての報酬は多くなかったものの、ラップ・ビジネスで食っていけると彼を奮い立たせる十分なものであった。大学1年を終え、自分の信条に従い中退、フルタイムでプロデューサーになる夢を追いかけようと決心する。

南部の大御所ラップ・アーティスト=UGKや8ボール&MJG、クライム・ボス、ESGにトゥー・ショートなどに影響を受けていたリッチ・ボーイ。モビールでのラップシーンは既に大きかったがラジオでプレイされるのは簡単ではなかった。地元アーティストは”地元”で終わる、のが常であった。にも関わらず、彼はDJとアポを取っていると受付に言い張り、ローカルラジオ局WBLXに入り込む。「自分制作のビートにラップを載せてラジオでプレイしてもらおうと企んでたんや」と、リッチ・ボーイ。遂に夕方のパーソナリティ、ニック・アット・ナイト(ザ・クランクモンスター)がリッチ・ボーイの”コールド・アズ・アイス”をスピンし始めることとなる。

「その曲聞いた途端、彼、興奮しまくってた。それからは毎晩スピンしてくれたんや」と、リッチ・ボーイは話す。

間もなく、アトランタにベースを構えるラップ・グループ、ジム・クロウがラジオ局に新盤のプロモでやってくる。リッチ・ボーイはその機会を捉え、メンバーの1人、ポロウ・ダ・ドンにCDのコピーを渡すことに成功。「ポロウがある日電話でこう言ってくれた。”ラップ始めてみないか?”って」それからポロウはリッチ・ボーイをアトランタに飛ばし、スタジオセッションを始める。偶然この頃ジャジー・フェイもリッチ・ボーイのミュージックを聴いており、キャッシュ・マネー・レコーズのマニー・フレッシュと会わせるよう調整する。これでリッチ・ボーイは両サイドのキャンプと関係を深め始める。

リッチ・ボーイはアトランタでポロウのゾーン4エンターテインメントと契約を交わし、後にインタースコープ・レコーズ傘下のレーベルとなる。

「インタースコープではたくさんの伝説が生まれてきた」、とリッチ・ボーイ。「でもサウスからのアーティストでビッグなのはまだ居なかった気がしてたんや。だからオレが第一人者になりたかった。」十分可能性のある彼。濃い深南部の訛りがリリック中に浸透することで余計にリアルさが増す。しかしリッチ・ボーイのフローの良さはリスナーを飽きさせないことでもある。「色んなキャラで色んなフローをカマしてるんや。毎回同じ様なラップやったらオモろないやろ」と、彼は語る。

今インタースコープから特大級のサウス・アーティストが生まれようとしている。ファースト・シングルは”スロウ・サム・ディーズ”。ポロウ・ダ・ドンをfeat.し、モビールからマンハッタンまでのストリート中を響かせるアンセムに仕上がっている。「実際にキャディラック買ったばっかで、おふくろに見せに行ったんや」と、曲の由来を話すリッチ・ボーイ。「彼女に見せたら”あらまぁイイじゃないの。でも派手にする必要アリね。ペンキ塗ったりして、若者言葉で何て言うの・・・ そう、”ドルナマ”(金)。もっとドルナマ掛けなきゃ”そっから曲のフックを思いついた。おふくろのお陰や。ホンマにおふくろは何でもお見通しやろ?」

おふくろは本当にお見通しであった。”スロウ・サム・ディーズ”はスマッシュヒットとなり、リッチ・ボーイ初のTop10を記録する。MTVやBET、そしてライヴでは常にファンが盛り上がり、デビューアルバム”リッチ・ボーイ”は彼自身を次のレベルまで持ってく作品になる、と彼は話す。

パーカッションに載せたヴォーカルと奇妙なヴォーカル・ループを用いた”ゲット・トゥ・ポッピン”も既に人気のあるトラックとなっている。 また”ロール・モデルズ”ではデヴィッド・バナーとアラバマ州バーミングハム出身のアティチュードをfeat.し、ソリッドなトラックに仕上がっている。そしてセカンド・シングル”ボーイ・ルッカ・ヒア”はまさにサウスバリバリの音とリリックを届けてくれる。「オレの体内に流れてるサウスの血があの曲を創らせたんや;モビールをフルにレペゼンしてるで。だってニューヨーク行ったらアソコまで訛ってる人絶対おらへんで。オレは馬とかの周りで育ったんや」と、笑いながら話す彼。

リッチ・ボーイはモビールでの経験を元にラップをしているが、常に蔓延る他と「同じ様な内容」ライムでは満足しない。レゲエ色をモロに出した”ロスト・ガールズ”では不安定な若者女性の境遇についてライムしている。「あれは実際の経験からつくった曲なんや」とリッチ・ボーイ。「金目当てで男を追いかけ人生を棒に振る女性をたくさん見てきた。 こうやってマイナス面をプラスに変えようとしたのもアルバムの特徴や。クラックとかドープ・ボーイとか車のことだけライムしててもアカンやろ。」

アルバムは中毒マチガイ無いビートにA-リストのプロダクションチーム、ポロウ・ダ・ドン、リル・ジョン、ブライアン・キッド、そしてニードルズを迎え完成させられた。全体的に、現在のリッチ・ボーイを創り上げた経験を語りながらも、リスナーがビートに合わせ確実にスナップ可能な作品と仕上がっている。

「オレ自身の経験、また仲間とか他人の経験を元に書いた。詳細に渡って分析したようなライムは書いてねぇ、オレらしくもないしな。ただモビールに焦点を当て、そこでは何が起きてるのか、など”1人のブラックの若者”の思いをライムという言葉に重ねたんや。」