Biography

プリアンカ/ Priyanka Chopra


インド生まれ、18歳でミス・ワールド受賞。その後女優としてボリウッドで活躍。その人気と美貌はアメリカでも評価され、エミネムやレディー・ガガを世に放出したレコード会社、インタースコープと契約。リード・シングル「イン・マイ・シティー」はレディー・ガガを多く手掛けたスーパー・プロデューサー、レッドワンとブラック・アイド・ピーズのリーダーのウィル・アイ・アムがフィーチャ―するなど、デビューから豪華キャストが揃った待望のリリースとなる。

Priyanka アー写


ストーリー:

数々の賞を受賞しているボリウッド・スター、プリアンカ・チョプラは、数十本の映画で主演を務め、一躍、インドで大人気の女優となった。そして、間もなくデビューアルバムをリリースし、音楽の世界にも進出する。きわどいダンス・ポップの大作であるこのアルバムで、元ミス・ワールドのプリアンカは世界的にメジャーな初のインド人ミュージシャンとなるだろう。

DesiHits/インタースコープ・レコード/2101レコードからリリースされるデビューアルバムは、コンテンポラリーとクラシック両方のインド音楽の崇高なスタイルに、ポップ、ヒップホップ、エレクトロを魅惑的に融合したものを取り入れている。東洋と西洋を大胆にブレンドしつつ、粋な作品に仕上げるため、プリアンカは、最先端のプロデューサーや作曲家たち、レッドワン(レディー・ガガ、ニッキー・ミナージュ、ピットブル)、ブライアン・ケネディ(リアーナ、ブランディ、クリス・ブラウン)、ボニー・マッキー(ケイティ・ペリー、ケシャ、ブリトニー・スピアーズ)、エスター・ディーン(ビヨンセ、リル・ウェイン、アッシャー)らの協力を得た。ロサンゼルス、ロンドン、イビサでレコーディングされたこのアルバムは、インドの楽器を取り入れ、ビートの効いたメロディアスなサウンドとなっており、現代の文化の国際的な雰囲気を見事に表現している。

「このアルバムのサウンドは、私自身と私の出身地―インドだけじゃなくて、世界のあらゆる場所―を反映しているの」とプリアンカは言う。両親が2人とも軍医であったため、幼少時代は、都市を転々として過ごし、13歳の時に、アメリカ合衆国に引っ越して、西洋のクラシック音楽と演劇、ダンスを学んだ。「子供の頃、かなり旅をしたから、さまざまな異文化を理解しながら育ったわ」とプリアンカは語る。「そんな生い立ちが音楽へのアプローチの仕方に大きな影響を与えたし、作曲とサウンドへの可能性に対する感覚も広げてくれたの」。

世界中を渡り歩いた人生への情熱的なオマージュとも言えるデビュー・シングル「In My City」は、昨年9月にNFLネットワークの「サーズデイ・ナイト・フットボール」で紹介され、リリース1週目で10万枚以上のセールスを記録した。ウィル・アイ・アムをゲストに迎えた「In My City」は、プリアンカの甘く艶やかなヴォーカルに、豊かなシンセの音、パワフルなビートを重ね合わせたサウンドとなっている。ポップの優れた才能と巧みな音使いが融合し、「Exotic」(ダンスホールのようなリズムとピットブルの激しいゲストヴォーカルをフィーチャーしたスイングするセクシーなナンバー)や「Flames」(シンセのパルス音と原始的なグルーヴで構築されたクラブ向けナンバー)といった楽曲が生み出された。抗しがたいほどの激しさを持つ「Erase」(彗星のごとく現れたプロデューサー/DJデュオ、ザ・チェーンスモーカーズとのコラボレーション)では、プリアンカは恋煩いの気持ちを表した歌詞を張り詰めた声で歌い上げる。その歌声は、めまいがするほどの激しいビートによくマッチしている。

2002年のタミル映画「Thamizhan」でデビューして以来、40本以上の映画に出演してきたプリアンカは、スクリーンからポップシーンへの挑戦において、大いなる自己発見をすることとなった。「映画の役を引き受けるかどうかを決める時は直感に頼ることにしているの。どの曲をこのアルバムに収録するかも、同じく直感で決めたわ」とプリアンカは言う。「ミュージシャンとしての自分自身を模索する中で、作曲した楽曲は40曲ほど」。その過程において、プリアンカは自身の創造性が育まれていくのを感じた。「音楽を作ることについて一番興味をそそったのは、歌詞を書く作業だったわ」とプリアンカ。「以前からよく詩や散文を書いてきたのだけれど、自己表現の形として、書く作業に深く入り込んでいくことは、すごく面白かった。最終的に、このアルバムには、私のいろんな人格が表れているの。仕事中毒な私に、ぶっ飛んだパーティーガールの私、そして、世界はこうでなくちゃいけないという理想を抱えた私という感じにね。そういうのを全部表現して、精神的にすごくスッキリしたわ」。

幼少期の夢は、エンジニアになることだったが、音楽を昔からずっとこよなく愛してきた。「両親は2人とも医者だけど、どちらもとても音楽好きなの」とプリアンカは言う。「父はインドのクラシック音楽が好きで歌も歌うし、母はザ・ビートルズから、ドアーズ、50セントまで何でも聞くの。だから、私は本当にさまざまなタイプの音楽を聞いて育ったのよ」。家族は、キャリア形成においても重要な役割を果たした。2000年、母がミス・インドのコンテストにこっそりプリアンカをエントリーさせたのだ。そのコンテストで2位になったプリアンカは、同年後半に、ミス・ワールドで優勝した。「ミス・ワールドに選ばれたら、映画の出演依頼が来るようになった。それで、こう考えたの。『いいわ、やってみましょう』って。いつだって、学校には戻れるんだからと思っていたわ」とプリアンカは言う。「Andaaz」で2003年のフィルムフェア賞の最優秀新人女優賞を獲得、そして、2008年には、恋愛映画「Fashion」で主役を演じ、ナショナル・フィルム・アワードの最優秀女優賞を獲得した。

映画から音楽への転身で、プリアンカは、ポップカルチャーのアーティストとして急速に世界に知られるようになり、その恩恵を故郷に還元しようと力を注いでいる。「1人の女の子としてインドで成長をする中で、ポップカルチャーの世界に自分の居場所があるとは思えなかった。自分の世界じゃないと思っていたの」と彼女は言う。「インドの子供たち、そして世界中の子供たちに、誰にでも居場所があるという感覚を与えることは、私にとってものすごく意味のあることよ」。子供たちの生活を向上させるため、プリアンカはユニセフの親善大使として活動し、子供たちの権利を守り、インドにおける女子教育の推進に尽力している。

現在はムンバイに拠点を置きながらも、永遠の放浪者であるプリアンカ。メインの住まいは”飛行機”だと語る。プリアンカは、ポップミュージックであまり取り上げられていない文化を世界中のリスナーに紹介することを心から楽しんでいる。「私がやろうとしていることの1つは、故郷から何かを持ってきて、インドが何を与えてくれるのかを知らない人たちと分かち合うこと」と彼女は言う。
「人はそうやって、新しい世界を発見するの」。同時に、プリアンカは各地域同士に深いつながりを持たせることも願っている。「今、みんながそうであるように、私も世界の一部分だけに属しているとは思わない」とプリアンカ。「私は地球の子供で、私の音楽はあらゆる異なったエネルギーを統合するものなの。それゆえ、有機的で、エキサイティングで、とても旬なのよ」。

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翻訳:日本映像翻訳アカデミー/平間久美子
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