特別寄稿 西寺郷太(NONA REEVES)が語るマッカートニー・シリーズ

『マッカートニーⅢ』が本日、リリースされた。『マッカートニーⅢ』をより深く知るために過去のマッカートニー・シリーズを検証している今回の特集。最後はNONA REEVESの西寺郷太さんに過去のシリーズの全曲を解説してもらった。西寺郷太さんはミュージシャンとして活躍しながら、音楽評論も多数執筆。マイケル・ジャクソンをはじめポール・マッカートニーから筒美京平と幅広いジャンルを取り上げている。今回はミュージシャンから見たマッカートニー・シリーズを切り口に、これらの楽曲たちがいかに時代を先取りしていたかをわかりやすく解説してもらった。また音楽プロデューサーとして時代にアジャストする西寺郷太さんだからこその面白い視座が『ポール・マッカートニー』『マッカートニーⅡ』の魅力を多角的に照らし出している。ポール・マッカートニーがどうやって『マッカートニーⅢ』へたどり着いたか。その道程をこのテキストで楽しんでもらいたい。

テキスト・構成:西寺郷太(NONA REEVES) 編集:森内淳/秋元美乃


『ポール・マッカートニー』(1970年リリース)


1970年4月17日金曜日 英国リリース
収録曲:ラヴリー・リンダ/きっと何かが待っている/バレンタイン・デイ/エヴリナイト/燃ゆる太陽の如く〜グラシズ/ジャンク/男はとっても寂しいもの/ウー・ユー/ママ・ミス・アメリカ/テディ・ボーイ/シンガロング・ジャンク/恋することのもどかしさ/クリーン・アクロア(全13曲)

●この時代に一つのフォーマットでしか音楽制作ができない人は生き残っていけない

『マッカートニー』(1970年)、『マッカートニーII』(1980年)、そして『マッカートニーIII』(2020年)。これまでの2作と同じく、2020年というまた新たなディケイドのスタート地点に「名字名義」の3作目をリリースすることになるポール・マッカートニー。

まずザ・ビートルズ末期の混迷の中、極限まで傷ついたポールが生み出した初のソロ・アルバム『マッカートニー』から振り返ってみましょう。この作品で彼が見せた「剥き身でラフな姿」は、今でいう Instagram や YouTube のようなSNS感覚、自由な姿勢の先駆けであるように思えます。世界一の人気と影響力を誇るロックバンドの中心人物が、主に4トラックのマルチトラック・レコーダーで思うままに録音したレコードをリリースしたこと。その衝撃は、自宅録音が普通になった現在の視点からは想像もつきません。   

『マッカートニー』の翌年、1971年2月にはキャロル・キングの名作『つづれおり(Tapestry)』が大ヒットするなど本格的な「シンガーソングライター」ブームが到来していることを考えると、よりパーソナルな詞世界を打ち出したシンプルで素朴な『マッカートニー』的サウンドは時代の波をポールが感じ取っていた証に思えます。ほぼ同じタイミングでリリースされたビートルズのラスト・シングル(日・米)「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」には、ジョン・レノンとアラン・クレインから再プロデュースを依頼されたフィル・スペクターが壮大な管弦オーケストレーションと14人の女性コーラスを加えました。無断で行われたオーバーダビングにポールが激怒したのも、彼なりの鋭い時代感覚のなせる業だったのかもしれません。孤独の淵で救いを求めるように、絞るように生み出したバラードに予想もしないゴージャスなアレンジが施されてしまうと歌詞や曲のそのもののイメージが真逆に伝わってしまうわけですから。

『マッカートニー』発売は、彼がビートルズ脱退を宣言した1週間後の1970年4月17日。その1ヶ月後にラスト・アルバム『レット・イット・ビー』が発売されビートルズの解散は決定的になります……。60年代にポップ・ミュージックの「究極の完成形」をビートルズで作り切り、富も名声も得たポールは、エンジニアもプロデューサーも有能な音楽的パートナーも豪勢なスタジオも時には必要ない、「未完成な荒削りな音源にもそこだけにしかない味がある」という真実にいち早く気がついていました。ドラム、ギター、ベース、キーボード、作詞・作曲・編曲、もちろんヴォーカルとまさにオールマイティなポールは、当時最新の技術を使って自由に自分だけで音楽をまとめることが出来たのです。

ミュージシャンを漁師に喩えるならば、マッカートニー・シリーズは、釣った後、即座に船の上でさばき網で焼いて食べる「まかない飯」を、実際に客に売ってみようかな? といった発想に近いかもしれません。僕にはこのマッカートニー・シリーズが「一緒に船に乗るのは難しいかもしれないけど、もし食べたかったらせめて港までおいでよ」というポールからのメッセージに感じるんですよね。そうすれば、その場で魚をさばいて醤油だけで焼いて食べる新鮮な美味しさを味わわせてあげるよ、と。普段は街中の高級レストランに卸しているんだけど、そこだと綺麗で美しい料理にはなるけれど何故か港と「同じ」美味しさは出せないんだよねぇ、といった感じに思えて。だから、ファンやマニアにとってはプライベートの集いに呼ばれたような、特別で神聖なシリーズとしてそれぞれの心に大切に刻まれているのだと思います。

これから出る『マッカートニーIII』もいち早く聴かせていただきました。まさしくリラックスして聴けてジューシーな2020年的「ポール流・漁師のまかない」! とくに今、コロナ禍になって思うのは、ミュージシャンとして一つのフォーマットやメソッドでしか作品を発表できなかったり、大きなステージでのライブだけに命をかけていたり、巨額の制作費をかけて予約したスタジオじゃないと曲が録れなかったりする人は生き残ってはいけないのでは? ということ。信じられないほどタフなポールはまさに宅録のパイオニアですから、「ステイホーム」時代にも完全に対応出来ている。どんな時代も音楽を愛し続け、ファンを楽しませるポリシーを貫き通す姿は流石としか言いようがないです。

●『マッカートニー』『マッカートニーⅡ』で90年代を先取りしていたポール

僕は1973年生まれの完全に後追い世代ですが、『マッカートニー』は発表当時多くのメディア、ジャーナリストから酷評されたようです。4人の天才が激突し、名匠ジョージ・マーティンによって完璧にプロデュースされた世紀の傑作『アビイ・ロード』の完成度を期待したリスナーからすると、インストの小曲も多く「手抜き」みたいに思われたのも無理もない気がします。時を経た今はさすがに文句を言う人はいないでしょうけど……。音楽的な歩みを見ればポールはこの後、素人である奥さんリンダ・マッカートニーをコーラスやキーボーディストとして新バンド「ウイングス」のメンバーに抜擢します。歴史を知る今は当たり前のように捉えてしまいますが、普通に考えれば世界中の腕利きミュージシャンを集められる財力と音楽的名声と能力がポールにはあったのに、カメラマンでしかなかった奥さんにキーボードを教えこみバンド・メンバーにするなんて相当画期的で、パンキッシュなことですよね。リンダのコーラスは味があって素晴らしいですが、それにしても大抜擢であることには変わりありません。

1960年代中盤からのレコーディング技術の進歩も大きいですね。ビートルズの『ホワイト・アルバム(THE BEATLES)』あたりからレコーダーも小型に進化して、多重録音をしやすくなりました。それなら自宅でテープを回し、シンプルでざっくりとした曲としてそのまま完成させるのも楽しい、ということにマルチ・インストゥルメンタリストのポールは気がついてしまいます。演奏者との間の「ストレス」も生まれないですし……。もちろん一種の「ストレス」によって楽曲の深みや意外性が増す、それこそが「バンド」の素晴らしさなのですが。ビートルズ末期、精神的にも肉体的にもボロボロになったポールには愛する妻のリンダとともに音楽を生み出す「癒し」が必要でした。

僕は今、多くのミュージシャンと同じように家の中でDTM(デスクトップ・ミュージック)で作曲や編曲をしています。僕の場合はロジック・プロというDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)で日々曲を作っているんですが、ポールは同じことを50年前にすでに4トラックのレコーダーを使ってやってるんですよね。逆に言えば彼が世界一のバンド、ビートルズのメンバーだったからこそ、ここまで粗削りなサウンドや、アドリブのようなアレンジをも完成形と見做して作品化する冒険も許されたんです。当時批判もされましたが、ポールの狙いの正しさは歴史が証明しています。

では10年のインターバルで発表された二作を順番に聴きながら、各曲の印象を一言ずつ語っていきましょう。

『ポール・マッカートニー』(原題:McCartney)

●「ジャンク」に込められた「作り込み過ぎない方がいい」という気分

1.ラヴリー・リンダ 
世界最高のポップ・アイドルだったポールのソロ・アルバムが「リンダ」という特定の女性、愛妻に向けて歌った45秒の曲でスタートするのは相当な衝撃だったのではないでしょうか? 1曲目に機材のテストも兼ねて、最初にレコーディングされた「ラヴリー・リンダ」を収録することで「俺はもうアイドルじゃない。愛する妻がいるひとりの大人の男、父親であり、ソロ・アーティストさ」ということを示したかったのではないでしょうか。裏ジャケットでは生まれて間もない赤ちゃん長女のメアリーを抱いていますし。イントロのアコースティック・ギターの不規則な入り方が最高です。

2. きっと何かが待っている
ポールが全楽器を担当。ドラムも叩いているんですが、彼独特のリズムのタマり方が効果的ですね。童謡のようなメランコリックな響き。

3. バレンタイン・デイ
ポールのギタリストとしての魅力が味わえるインストゥルメンタル。自分ひとりで『アビイ・ロード』の「ジ・エンド」を敢えてこぢんまり再現したようなテイスト。

4. エヴリナイト
世紀の傑作。もともと、1969年1月のビートルズの『レット・イット・ビー(ゲット・バック)』セッションでもトライしていたということで、幻のビートルズの次作アルバムがあるとしたなら、そちらで完成していたかもしれない曲。ただベースもギターもドラムもポールが演奏しているこのバージョンに何一つ問題ないどころかアンサンブルも当然のごとく素晴らしいので、あまりの才能に彼がソロにならざるを得なかった必然も感じてしまったり。フィービー・スノウのカヴァー版も最高。

5. メドレー 燃ゆる太陽の如く/グラシズ
『バンド・オン・ザ・ラン』に繋がるような、ちょっとトロピカルな南国テイストのインストゥルメンタル。後半に一瞬現れて消える「グラシズ」はもともとフランク・シナトラに提供し、タイトルが「自殺」だとはなんだ、不穏だ! と返されてしまった「スーサイド」。このジャズ・タッチのムードもポールらしくて大好きです。

6. ジャンク
これはポール史上ベストスリーに入れたいくらいに好きな限りなく美しく寂しいバラードですね。1968年にインドで作曲し、『ホワイト・アルバム』に入らなかった曲ですが、1996年にリリースされたビートルズの『アンソロジー 3』には、ジョージ宅に残されたデモが収録されています。僕は発売当時からあの3枚の『アンソロジー』が好きで、今も何気なく聴いているんですけど、90年代当時の「作り込み過ぎない方がいい」という気分にすごくシンクロしていたことを思い出すんですよね。だから、むしろ個人的に「ジャンク」は96年の『アンソロジー』の想い出と重なって自分の若き日のもどかしさが投影された青春の一曲って感じもしています。ビートルズのメンバーとのトラブルで傷ついたポールを支えた愛妻リンダの頼りなく儚いコーラスも効果的。

7. 男はとっても寂しいもの
これもポールらしい曲ですね。こうして改めて聴くとこのアルバム、ここまでいわゆる「駄作」は一つもないな、と。

8. ウー・ユー
駄作はないと言った矢先に、この「ウー・ユー」はかなり遊びっぽい曲ですね(笑)。「オー! ダーリン」をもっと手軽にやった感じでしょうか。

9. ママ・ミス・アメリカ
またしてもインストゥルメンタル。ちょっと映画のBGMのような。このアルバムの評価がよくなかったのはこうしたインストが多かったからという説もありますが、考えてみればビートルズ時代はジョンやジョージも自信作を多数アルバムに用意していましたから、ポール自身のアルバムへの名曲の供給バランスはそのままであるとも言えます。タイトル通り、少しアメリカ南部感のある骨太のロック的なテイスト。当時頭角を現していたザ・バンドなどの土臭く渋いムードを実験的に試したのでしょうか。後のウイングス・サウンドを暗示する感じがありますね。

10. テディ・ボーイ
これまたポールが1968年にインドで作り、ビートルズのセッションに持っていった曲の一つ。のちの「アンクル・アルバート ~ ハルセイ提督」にも近い、いかにも「ポール的」な楽曲。仰々しい展開にも持っていけるポテンシャルの高い曲に思いますが、この明らかにデモテープ的な物寂しいバージョンも「バンド不在」を再確認するように胸にグッときます。これまたリンダのコーラスが素晴らしい。

11. シンガロング・ジャンク
「ジャンク」のインストゥルメンタル。

12. メイビー・アイム・アメイズド(恋することのもどかしさ)
ビートルズ・ナンバーを入れても、ポール・マッカートニー史上屈指の傑作だと思いますね。ビートルズ解散の衝撃でファンであればあるほど『マッカートニー』をニュートラルに聴けるような精神状態ではなかったであろう当時も、この「メイビー・アイム・アメイズド」の異常なクオリティには、皆、驚いたんじゃないでしょうか。70年代のポール・マッカートニーの更なる快進撃の狼煙を上げたパワー・ロック・バラードの金字塔。オアシスなどの90年代ブリット・ポップの源流のような、スタジアムが似合う「ウイングス」テイストがほのかに香りますね。

13. クリーン・アクロア
『マッカートニー』の多くの曲は、4トラックで作っているんですが、何よりもその機動力、自由なスタイルにポールが素直に驚き、喜んでいる姿が伝わってくるのがいいですね。

 
1992年に大学生になり上京した僕は、ベックを代表とするローファイ、ベッドルームミュージックが主流になってゆくのを感じながら、本作や次作『ラム』でポールが打ち出した装飾を削り落とした世界観、自由な姿勢に対してビートルズ期以上に心酔していました。まだ「ジョンは骨太で政治的でロックで素晴らしい、対してポールは軽薄でポップ」みたいな、ジャーナリズムの固定観念のようなものが残っていた時代でしたから、それに反抗する意味もあり、「ポールこそが90年代的な音楽のあり方のパイオニア」だと仲間内の飲み会などで熱弁をふるっていたものです。今はポールを貶す人などいないですけどね。真の意味で後の「パンク」「オルタナティヴ」の先駆けはポールの音楽に対する姿勢だったのでは? という想いは今も変わりません。


2.『マッカートニーⅡ』(1980年リリース)

1980年5月16日金曜日リリース
収録曲:カミング・アップ/テンポラリー・セクレタリー/オン・ザ・ウェイ/ウォーターフォールズ/ノーボディ・ノウズ/フロント・パーラー/サマーズ・デイ・ソング/フローズン・ジャパニーズ/ボギー・ミュージック/ダークルーム/ワン・オブ・ディーズ・デイズ(全11曲)

●『マッカートニーⅡ』は究極のツンデレ・アルバム

『マッカートニーII』は今こそ再評価の時。「カミング・アップ」「テンポラリー・セクレタリー」「ワン・オブ・ディーズ・デイズ」「ウォーターフォールズ」など名曲揃いですし。ただ、究極のツンデレ・アルバムというか。「いい曲」と「いい意味でしょうもない曲」が基本交互にくるという(笑)。例えば、僕自身は「オン・ザ・ウェイ」は傑作とまでは思わないんですけど、だからこそ次の「ウォーターフォールズ」の良さが効いてくる、とか。

『マッカートニーII』がリリースされたのは、1980年5月16日。ちょうど『マッカートニー』から10年のタイミング。1980年1月16日、ウイングス日本公演のために来日したポールは成田空港の税関で大麻取締法違反(不法所持)で現行犯逮捕されてしまいます。この事件が決定打となってウイングスは空中分解。ただ、ピンチをチャンスに変えるというのがポールの持ち味。様々な証言を拾い集めると、彼自身も潜在的には「このままではいけない」と感じていたようですね。このタイミングでのソロ回帰は、その後80年代のポールの新たなる充実期につながっていきます。

『マッカートニーⅡ』発表前のポールは「ワンダフル・クリスマスタイム」(1979年)、「グッドナイト・トゥナイト」(1979年)でディスコ・ビートやシンセサイザー、プログラミングを導入し新たな時代へのクサビを確実に打ち続けていました。何故ポールがシンセサイザーやプログラミングに対して柔軟に対応できたのか? それはポールが類稀なるグルーヴ感覚を持つベーシストだったからじゃないでしょうか。ベースこそがダンス・ミュージックを司る肝ですから。ミニマルなフレーズを繰り返す「80年代」ダンス・ミュージックのフィーリング、ポイントを彼はディケイドが変わるこの時期、すでに掴んでいました。

●80年代へ変化していくための通過儀礼

「シリー・ラヴ・ソング(心のラヴ・ソング)」(1976年)や、サビに至るまでワンノートで淡々と突き進む「レット・エム・イン」(1976年)などポールの楽曲はベースが面白い曲が多いですけど、80年代は生演奏の気持ちよさから、メカニカルなビート、クウォンタイズされたデジタル的リズムに変革していった時代でした。ポールはソロになったことで、メンバーに遠慮することなくドラムマシンだったりデジタル統括のレコーディングに思う存分対応できることになりました。

80年代、世の中はよりプラスティックな響き、インパクト重視のいわゆる「MTVポップ」を求めていきます。MTVは81年夏に開局しその後の音楽世界を一変させるんですけど、MTV前夜に満ちていた息吹をポールなりに感じて作り上げたのが究極ミニマム・ポップ「カミング・アップ」であったり、「フローズン・ジャパニーズ」におけるYMOの発見と換骨奪胎であったり……。その意味で『マッカートニーII』は、その後の『タッグ・オブ・ウォー』や「セイ・セイ・セイ」などで花開く「80年代ポール」へとメタモルフォーゼしていくための通過儀礼という気がします。

『マッカートニーⅡ』(原題:McCartneyⅡ)

●エイティーズ・ポップの先駆けのようなアルバム

1. カミング・アップ
ポールのソロ曲の中では割と最初に知ったこともあり、今も強い思い入れがあるシングルです。細野晴臣さんが細野晴臣&イエロー・マジック・バンドとして、1978年にリリースしたアルバム『はらいそ』に収録された「東京ラッシュ」という曲に似ている気がするんですよね。時代的には、細野さんの方が先。ポールが単独で全米シングル・チャート1位を記録した最後の曲。

2. テンポラリー・セクレタリー
シンセサイザーに元々インストールされていたシーケンスを利用して作られたという不思議な魅力を持つ曲ですね。もしもギターが中心のアレンジになればビートルズの『リヴォルヴァー』に収録されてもおかしくないストレンジ・ポップです。ポール自身はイアン・デューリーから少し影響を受けたと言っていますね。シングル・カットもされていますし。2015年からライブのセットリストに組み込まれていることを考えると、ポールもお気に入りなんじゃないでしょうか。

3. オン・ザ・ウェイ
ウイングスに渡すためのデモみたいな仕上がり。ポールはギターが弾きたかったんだろうなとか、レコーディングしながら「何か」気持ちよくなるものを吸っていたのかなぁ? なんて思っちゃう曲ですね(笑)。

4. ウォーターフォールズ
アルバムからの第2弾シングル。「オン・ザ・ウェイ」からの流れがアメとムチじゃないですが、この歴史的バラードで急にグッときますね。シンセサイザーとフェンダー・ローズ、間奏のアコースティック・ギター・ソロだけで敢えてこぢんまり完成させたところがポールの天才性。イントロなし。最後までベースもリズムも入ってこない。シンプルの極地。例えばジョージ・マーティン、デイヴィッド・フォスター、クインシー・ジョーンズのプロデュースで「ウォーターフォールズ」をやっていたら、また違った面白いものになっただろうなとも思いますが。

5. ノーボディ・ノウズ
後のシングル「プレス」(1986年)のイントロに似ていませんか? 『マッカートニーII』は、あくまで実験の場で、ここでチャレンジしたことをその後の曲たちに活かしている気がします。

6. フロント・パーラー
当時、ポールが日本の歌謡曲を聴いて「なんだこれは?」と思って作ったという説もありますね。アイドル歌謡の何かを耳にして、妙にチープでカラフルに感じたんでしょうか。アトリエに落ちているピカソが描いた切れ端を集めても、それはそれでアートになる、みたいな感覚がマッカートニー・シリーズの魅力ですね。

7. サマーズ・デイ・ソング
不思議なもので、80年代当時に聴いた時ほど散漫な印象は受けないんですよね、このアルバム。適度なリラックス状態を提供している、という意味ではストリーミングでの「ながら聴き」に適しているのかもしれません。この「サマーズ・デイ・ソング」のある種、間の抜けたヒーリング感は、むしろ40年の時を経た今の方がしっくりきますね。

8. フローズン・ジャパニーズ
フィル・コリンズとピーター・ガブリエル、当時エンジニアのヒュー・パジャムが生み出し、1980年代一世を風靡したゲート・リヴァーブによるド派手なドラム・サウンド。スタジオでフィル・コリンズがシンプルなドラムパターンを叩いている時、偶然「発見」された想定外の不思議な響き。世界中に衝撃をもたらしたのは、ピーター・ガブリエルの3枚目のソロ・アルバム『ピーター・ガブリエル III』の1曲目「侵入者(Intruder)」というのが定説で、その作品がリリースされたのは1980年5月30日。さらに翌1981年1月5日にリリースされたフィルのソロ・シングル「夜の囁き(In The Air Tonight)」で決定づけられたと言われています。『マッカートニーII』がリリースされたのは、1980年5月16日。もちろん「フローズン・ジャパニーズ」のドラムにポールが施した黎明期のデジタルリヴァーブを使ったエフェクティヴな処理は、フィルの「ゲート・リヴァーブ」サウンドほど完成されたものではないですが、その「非現実的な」生ドラムの加工は同じベクトルの冒険心ではないかと今にして思います。

9. ボギー・ミュージック
「ボギー・ミュージック」は、エルヴィス・プレスリーへのオマージュが感じられていいですよね。エルヴィスが1977年に亡くなって、その後数年の間に彼に影響を受けたアーティストが「自分なりのエルヴィス」を再構築し作品化、ヒットさせていきました。クイーンの「愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」(1979年)は、フレディ流のエルヴィスでしたし。ポールにとっての「ボギー・ミュージック」が、ジョンの「スターティング・オーヴァー」(1980年)だったと僕は思ってるんです。それに加えて、ダブ的でDJライクなディレイ遊びっぽい部分もあるのがユーモラスで楽しいですね。

10. ダークルーム
ワンコードで作られたレゲエ調の曲。もともとは約11分の長さだったものを、ポールが短く編集したそうです。テンポやビートが変化したり。地味だが楽しい。次曲へのつながりも完璧。

11. ワン・オブ・ディーズ・デイズ
この曲は歌詞が特に素晴らしいですね。「いつの日か僕が落ち着いたら、正しいことは何なのか見極めて、新鮮な空気を深呼吸」「物事は巡り巡る」「近い将来 僕らが落ち着いて時間に余裕が出来たら 正しいものは何なのか見えてくるはず」。この言葉は、40年後である今年発表する『マッカートニー III』につながってくるわけですから……。

 
ポール・マッカートニーのキャリア、音楽への向かい方をざっくりと4つに分けると次のようになります。「1960年代、ビートルズのポール」「1970年代、ウイングスのポール」、そして今に至るまで「大衆にむけてヒット曲を作るソロのポール」「自分のために遊び感覚、癒しを含めて気ままに録音するポール」。『マッカートニーIII』を2020年にリリースすることによって、点と点でしかなかったそれまでの2作が長い歴史をかけた大河ドラマのようにつながって、それぞれの価値、理解、深みも更に増していくはずです。ビートルズ空中分解という波乱の中、ソロ活動をスタートさせた当時は予想すらしなかった長い物語。「名字三部作」を I、II、IIIと連続で聴いたとすれば、50年という歳月の中でポールと共に濃密な音楽的時間旅行を体験できる。誰もが疲弊し傷ついたこの年の終わりに、大きな楽しみをくれるポールには感謝しかありません。


『マッカートニーⅢ』(原題:McCartneyⅢ)

2020年12月18日金曜日リリース

収録曲:ロング・テイルド・ウィンター・バード Long Tailed Winter Bird/ファインド・マイ・ウェイ Find My Way/プリティ・ボーイズ Pretty Boys/ウィメン・アンド・ワイヴズ Women And Wives/ラヴァトリー・リル Lavatory Lil/ディープ・ディープ・フィーリング Deep Deep Feeling/スライディン Slidin’/ザ・キス・オブ・ヴィーナス The Kiss Of Venus/シィーズ・ザ・デイ Seize The Day/ディープ・ダウン Deep Down/ウィンター・バード/ホエン・ウィンター・カムズ Winter Bird/When Winter Comes(全11曲)


西寺郷太(NONA REEVES) プロフィール

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に小松シゲル(Dr.)、奥田健介(G)と出会い、バンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997 年ワーナーミュージック・ジャパンよりデビュー。以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、鈴木雅之、岡村靖幸、Negicco、私立恵比寿中学などの多くの作品、アーティストに携わる。日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80 年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。代表作に小説『噂のメロディー・メイカー』(扶桑社)、『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』『プリンス論』(新潮社)、『始めるノートメソッド』(スモール出版)など。現在、各種ストリーミング・サービスにて「西寺郷太の GOTOWN Podcast Club」毎週水曜更新。