BIOGRAPHY

PATRICK WOLF / パトリック・ウルフ


Bio パトリック・ウルフは現在24歳。彼は人生の半分以上の間、自分の才能を磨くことに費やしてきた。全ては12歳の時に始まり、初めてのレコーディングはガレージ・セールで買ったキーボードとテープ・レコーダーによるものだったが、それは結果として驚くほどに独特で斬新な作品に仕上がっていた。彼の音楽のルーツはPJハーヴェイからシュトックハウゼン、そしてイギリス民謡から伝説のジャズ・トランペッター兼シンガー、チェット・ベイカーまでと幅広い。その中でも特に初期のエレクトロニック・ミュージックに心を奪われた。なんとまだ十代になったばかりの時からレオン・テルミンが1919年に発明したエレクトロニック楽器のテルミンを手にしていたのだ。
14歳になる頃には既にパフォーマンスをしていた。曲を書き始め、レコーディングばかりしていた矢先、パトリックの類まれな才能にいち早く目をつけたファット・キャット・レコードというインディー・レーベルに声をかけられ、コンピューターやミキシング・デスクを与えられた。それらが彼独特のプロダクションとプログラミングに一層磨きをかけることになった。また彼の母親がよくかけていたジョニ・ミッチェルのレコードも彼のソングランティングの才能を開花させることになった。
そしてパトリックは16歳の時に家を出て、その後の数年をストリングのカルテットでお金を稼いだ。Maison Crimineauxというグループを結成し、騒々しく荒々しい破壊主義的な倫理観をホワイトノイズやポップにのせて奏でた。
そんな中、パトリックにとって運命的な出来事が起こる。
Maison Crimineauxがパリで公演した際、なんと観客の中にキャピトルKがいた。この出会いがきっかけとなり、彼は後にパトリックのデビュー・アルバム、『Lycanthropy』をリリースさせる。そのアルバムはウルフの10代の功績と災難の記録である。この『Lycanthropy』は2003年の夏に小さなインディー・レーベルからリリースされ、賞賛の嵐が起きた。彼はビオラ奏者としてチックス・オン・スピードやザ・ヒドゥン・カメラズのゲスト出演をしていた。ドイツのレーベル、Tomlabがアメリカとヨーロッパ進出のためにパトリックと契約、その関係が2005年の『Wind in the Wires』というセカンド・アルバムにつながっていく。
『Lycanthropy』をレコーディングしている間、パトリックは一年間ロンドンのグリニッジにあるトリニティー・カレッジ音楽学校で作曲を学ぶ。その成果はセカンド・アルバム『Wind in the Wires』で聴くことができる。デビュー・アルバムより評判がよかったのである。
パトリックはヨーロッパで精力的にツアーをした。ブロック・パーティーは彼の大ファンで、2005年秋のツアーには呼んだほどである。この2005年はウルフにとって飛躍の年になった。コンサートは満員になり、ついにポリドールUKとの契約を果たした。その後、彼は冬をウィーンとロンドンでコンサートの新曲のプレビューをしたり、レコーディングを行った。そのコンサートは”パトリック・ウルフとの夕べ”というタイトルで2006年の3月にロンドンのブルームスバリーで行われた。
ニューアルバム『マジック・ポジション』は6月末に完成した。作詞作曲、プロデュース、アレンジ、全てウルフによるものであり、マリアンヌ・フェイスフルとラリキン・ラヴのエドワード・ラリキンをゲストとしてフィーチャーした他、ウィーン交響楽団のメンバーも参加している。
2007年秋のバーバリー・キャンペーンの広告キャラクターも務める予定で、日本国内でも既に2007年7月2日に行われた初の来日公演で大絶賛を浴び、ファッション・ミュージック双方のシーンから注目の的となっている。