BIOGRAPHY

奥村 チヨ
2月18日 生まれ
千葉県野田市出身

千葉県野田市に生まれ、3歳から大阪府池田市に移り住む。兵庫県西宮市にある私学の女子校に在学中、知人が応募したCMソングのオーディションに合格、小野薬品のドリンク剤“リキホルモ”のCMソング「昨日、今日、明日」を歌ったことが歌手になるきっかけとなった。本来、歌うのはそれっきりで、将来は服飾デザイナーになりたかったのだという。だが、そのCMソングを聴いて彼女の才能を見抜き、大阪から呼びよせて卒業後に正式デビューさせたのは、東芝レコードの草野浩二ディレクターであった。
坂本九や弘田三枝子をはじめとするスターを世に送り出し、カヴァー・ポップス全盛時代を築いた立役者のひとり、草野ディレクターは、担当していた弘田三枝子が東芝からコロムビアへ移籍することになり、その後釜となるような女性シンガーを探していた。そこでたまたまリキホルモのCMソングを聴き、“パンチのミコちゃん”と呼ばれていた弘田のハツラツとした歌声を彷彿させる声に惚れ込んで、奥村にアプローチをかけた。翌65年3月に「あなたがいなくても/私を愛して」で鮮烈のデビューを飾る。カップリングの「私を愛して」がシルヴィ・バルタンのカヴァーだったことから、和製シルヴィ・バルタンの異名をとることとなる。コケティッシュな魅力と甘えた歌い方でたちまち人気を集める。
4枚目のシングル「ごめんネ…ジロー」のヒットで、フジテレビ新人奨励賞を受賞。そして、67年にはザ・ベンチャーズ作曲による「北国の青い空」がヒットしてさらに活躍の場を拡げる。
1969年 – 1970年に発表した「恋の奴隷」「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立。それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場を果たす。
1971年12月25日に発売された、「終着駅」も大ヒット 。それまでの一連の艶っぽい楽曲から脱却するかの様なしっとりとしたバラードは、千家和也が作詞してレコード大賞作詞賞を受賞。そして作曲した浜圭介と74年に結婚して第一線から退く、その後1980年にビクターから、「せめてさよならは・・・」をリリースして歌手活動を再開。ディナーショーなどのステージを中心に、マイペースな活動を続けている。1993年には、60年代ブームに乗って「恋の奴隷」がリバイバルヒット。個性的なスタイルと、時代を先取りしたファッションにも注目が集まり、新しい若い世代のファンも数多く獲得した。
2018年1月歌手活動からの卒業を発表 。
1月24日には卒業アルバム「ありがとう~サイレントムーン」をユニバーサル ミュージックより発売する。