BIOGRAPHY

NIGHTWISH / ナイトウィッシュ


Bio “Nightwish”はフィンランド・メタルの世界において最も(わずか数年で)成功をおさめたバンドの1つだ。世界各国で250万枚ものアルバムセールスを記録した。彼らのオペラ調のヴォーカルとヘヴィメタルを融合した独自のスタイルは革新的な成功のカギとなった。
Nightwishは1996年に中心メンバーでソングライターのツォーマスによって結成される。友人だったギターのエンプと当時シベリウス音楽院の学生だったターヤをボーカルに起用し、アコースティック・バンドとしてバンドを始動する。
最初の3曲は1996年10月から2ヶ月ほどかけて友人のTero Kinnunenよってレコーディングが行われた。このデモ・テープの反応は比較的良かったが将来性を見いだせないと考えられ、あまり出回ることはなくいくつかのレコード会社や雑誌社にとどまっている。批評記事を読んだツォーマスは試験的にバンド編成のアレンジを試る。アコースティックの代わりにエレキ・ギターを使い、ドラムも加えることにした。1997年4月、バンドはレコーディングに入りドラム/パーカッションはユッカ・ネヴァライネンが担当した。この時のデモ・テープがレコード契約のキッカケとなる。
SpinefarmレコーズのA&R, Ewo Rytkonenは単なるレーベルの社員ではなく90年代にBabylon Whoresというバンドで活躍していたギターリストでもあった。ツォーマスは彼のもう1つのバンド”Nattvindens Grat”のツアーに帯同していたEwoに”Nightwish”のデモ・テープを手渡し、それから間もなくEwoからオファーを受ける。

1997年 5月、NightwishはSpinefarmレコーズと契約を結ぶ。同年の8月、バンドはデビュー・アルバムのレコーディングに入る。アルバムの発売に先立ちシングル”The Carpenter”をリリース。シングルはフィンランドのシングル・チャートにランクインし、1997年10月に発売されたアルバム”Angels Fall First”も発売後すぐにランクイン。Nightwishはツアーを開始。1997年大晦日、彼らの出身地であるKiteeで初ライブを行う。そして1998年4月、初プロモーション・ビデオ”The Carpenter”を製作する。その後ベーシストの Sami Vanskaがバンドに加入する。そして8月初旬、長年の友人であるTero Kinnunenのスタジオで2ndアルバム”Oceanborn”のレコーディングにはいり10月下旬に完成した。11月13日、Kiteeでライブを行いその模様がファースト・シングル”Sacrament of Wilderness”のビデオに使用される。

1998年11月26日、シングル”Sacrament of Wilderness”を発売、12月7日、アルバム”Oceanborn”がリリースされる。シングル3曲(“Sacrament of Wilderness”, “Walking in the Air””The Carpenter”) 同時にチャートTOP10入りを果たす。これはフィンランドで初の快挙であり未だこの記録は破られていない。アルバム”Oceanborn”は大ヒット、30週にわたりチャートインする。アルバムリリース後フィンランド国内で勢力的にライブを行う。殆どの会場やフェスティバルはオペラ・メタルファンで埋め尽くされていた。そして彼らは国外へと活動の場を広げていく。

1999年、Spinefarmレコーズは”Oceanborn”のヨーロッパ数カ国(GASとベネルクス)におけるライセンスを”German Drakkar Entertainment”に許諾。Drakkarはバンドの国外での活躍のためにレールを敷き、春にアルバムを発売する。そして秋にヨーロッパ各地をツアーで回り好評を得る。そしてドイツ限定シングル”Sleeping Sun”を発売しわずか1ヶ月で15000枚を売り上げる。
※ベネルクス(ベネルクス、Benelux)とは、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国をまとめて呼ぶ名称。ベネルクス三国もしくはベネルックスとも言う。
※GAS: ドイツ、オーストリア、スイス

“Oceanborn”ならび”Sacrament of Wilderness”はフィンランド国内でも大ヒット。また、ドイツのバンド”Rage”の前座としてのツアーも決定。ツアーは好評を博しNightwishはさらにファン層を拡大することになる。ライブではメインアクトの出番を待たずに前座のNightwishのショーが終わると同時にファンが帰ってしまうという事もあった。

2000年初め、彼らは3枚目となるアルバム”Wishmaster”のレコーディングをTero KinnunenのCaverockスタジオで行う。レコーディング中に彼らの曲”Sleepwalker”がユーロヴィジョン・ソング・コンテストのフィンランド候補にノミネートされたことを知る。第1ラウンドを通過し電話投票でも圧勝するが最終的に2位に終わる。

2000年5月、アルバム”Wishmaster”を発売。フィンランドでチャート1位を記録、プラチナム・ディスクを獲得。ファンのみならずメディアからも認められドイツの雑誌”Rock Hard”2000年6月号で、Bon JoviとIron Maidenを超えてAlbum of Monthとして選ばれる。ドイツ国内チャートで初登場21位、フランスでは66位を記録。バンドは初のヘッドライナーとしてのヨーロッパ・ツアーを地元Kiteeを皮切りに開始し、フィンランドの一大フェスティバルへも参加。2000年7月、3週間かけてまわった南米(ブラジル、チリ、アルゼンチン、パナマ、メキシコ)でのツアーは大成功に終わる。さらに”Wacken Open Air”,”Biebop Metal Fest”へ参加しSinergyとEternal Tears Of Sorrowと共にヨーロッパツアーを回り、11月にはカナダ、モントリオールでもライブを行う。2000年大晦日にフィンランドの都市タンペレにある”Pakkahuone club”で行われたライブの模様を収録したDVD”From Wishes to Eternity ? Live”を製作し、翌年4月にフィンランドでDVDを発売。その後、世界各国でも発売される。

“From Wishes to Eternity” の大ヒットを受け2001年3月、バンドはギャリー・ムーアのカバー曲”Over The Hills And Far Away”、新曲を2曲、Angels Fall Firstに収録されていた”Astral Romance”のリメイクを含むEP “Over the Hills and Far Away”をレコーディングする。EPは2001年6月にフィンランドで発売。ドイツDrakkar Entertainmentバージョンにはライブ音源6曲、未発表曲の4曲が収録されている。

2001年8月、”Over the Hills and Far Away”のミュージック・ビデオをにフィンランドで製作するがその後バンドは活動を休止する。度重なるツアーが影響しNightwishは解散の危機に陥る。

ツォーマスは気持ちの整理をするためLapplandにハイキングに出かける。その時にバンドを続ける為には何かを変える必要があると決心する。彼によると長年にわたるバンド間の意見の不一致のため解散を考えたという。幸いにもバンド解散には至らなかったがアルバム ”Oceanborn”から参加したSami Vanskaが脱退。後任には”Tarot”、”Sinergy”で活動していたマルコが新メンバーとなる。Nightwishとの契約を決めたEwo Rytkonenは独立し自身のマネージメント会社”King Foo Entertainment”を設立、Nightwishのブッキング・エージェンシーとなりEwo Rytkonen本人もバンドのマネージャーになる。2002年初め、バンドは苦境からの転機を迎える。国内外で雑誌のファン投票でトップを飾る。メンバー変更など含めファンは彼らを見捨てずバンドの決断を全て支持した。

2002年1月、4枚目のアルバムCentury ChildのレコーディングをFinnvoxスタジオで開始、Tero KinnunenのCaverockスタジオで作業を続ける。2002年3月、バンドはFinnvoxへ戻りボーカル、クワイア、パーカッションのレコーディング、ミキシングも平行して行う。アルバムにはJoensuu Cityオーケストラと共演した曲が5曲、ボーカルには新メンバーのMarco Hietalaも参加している。アルバム”Century Child”に収録されているファースト・シングル”Ever Dream”は発売2日間でゴールドディスクを獲得。アルバム自体も2002年5月に発売、大ヒットを記録しわずか発売2時間でゴールドディスクに。さらに2週間以内に30,000枚を売り上げ、プラチナ・ディスクになりその後も最速で売り上げを伸ばしてゆく。Nightwishは初めてシングル、アルバム?チャート両方でNo.1を獲得した。2002年、”Century Child”はフィンランドにおいて59,000枚を売り上げ、国内で2番目に最も売れたアルバムとなる。国外でもアルバムはヒット。ドイツでは5位、オーストリアでは15位を記録した。アルバム発売後バンドは3ヶ月に及ぶツアー”World Tour of the Century 2002″を開始。7月、南米でもソールドアウトの公演が続出、ブラジルではアルバムが1日で売り切れた。ヨーロッパ・ツアーも注目され、多くのライブの模様はインターネットでストリーミングされる。10,000人ものファンが集中しアクセスが困難になる事が多々あった。

ツアー後バンドは活動休止を発表。Sami Vanskaの脱退に続き一年間の活動休止のニュースをきいたファンの間ではあらゆる噂が流れた。2002年、バンドは休暇に入るも休息をとる暇は無かった。 ユッカは”Sethian”、” Bitch Driven”; ツォーマスは”Sethian”,”For My Pain”; エンプは”Altar”; マルコは”Tarot”とそれぞれ活動し ターヤはドイツで学校を卒業する。休暇中にツアー中に撮影されたオンステージ、プライベートの大量な映像とインタビューを交えたドキュメンタリーを製作。2時間15分のDVD”End of Innocence”は結成当時から2003年にいたるまでをバンドが自らの言葉で語るというものだ。

2003年10月6日、DVD”End of Innocence”を発売。同時に、レコード契約満了の時期にきていたNightwishはその後の契約について交渉を重ね、最終的に3社と契約を結ぶ。まず、フィンランドを除くヨーロッパはNuclear Blast、次にフィンランド、アジア、南アフリカの権利をSpinefarm Recordsが獲得する。最後にアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドはRoadrunnerが獲得する。

2003年後半、レーベルとの新契約が締結され5枚目のアルバム”Once”のレコーディングが始まる。新曲はLondon Sessionオーケストラとの共演により今まででもっともオーケストラ的で交響曲のような多様性のある作品に出来上がった。ファースト・シングル”Nemo”を発売し、多額の予算を投じたミュージック・ビデオを製作。 監督はShania TwainやEminemのビデオを手がけたAntti Jokinen。”Once”のリリース当日、フィンランドでプラチナ・ディスクになる。アルバムはフィンランドはもとよりヨーロッパ各国(ドイツ、ノルウェー、ギリシャ、スロベニア、ハンガリー)でNo.1に輝いた。その他各国でも(スイス、オーストリア、フランス、ブラジル)トップ10入りした。オーストリア、スウェーデン、スイスで20,000枚、ノルウェーで25,000枚を売り上げてゴールド・ディスクを獲得。ドイツ(200,000枚)とフィンランド(100,000枚)でもプラチナ・ディスクに。ミリオンセラーを記録した”Once”はバンド史上最大のヒットアルバムである。

2005年、初のベスト・アルバム”Highest Hopes-the Best of Nightwish”をリリース。バンドはベストアルバムのプロモーションの為”Sleeping Sun”のビデオを製作。監督はKatapult FilmproduktionのJorn Heitmannを起用。ビデオでメンバーは中世の騎士を演じた。ツォーマスはテンプル騎士団、ターヤは白いドレスをまとい、死を目前にした戦士達を見守る天使に扮した。この作品はフィンランド・ビデオ・グラミーの Muuvi-awardで銀賞を授賞。ベスト・アルバム発売後、バンドは2年半に及ぶツアーをフィンランドのHartwallアリーナで行われたライブで終了した。その模様を収録したものをDVD”End Of An Era”としてリリースする。会場の雰囲気は盛り上がっていたが同時に”Once” のワールドツアーがこれで終了してしまうという寂しさも感じられた。

タイトル”End Of An Era”(1つの時代の終わり)にはより深い意味があった。公演終了後、ターヤに公開書類が渡されその内容に全てが記されている。




ターヤへ
Nightwishはいま分岐点に来ている。終止符を打つべきか、このままハッキリとしないまま引きずるのか。このプロジェクトにたずさわって9年になるけれど、まだあきらめる気にはなれない。バンドはぼくらの生き様であり、行き甲斐なんだ。それをあきらめる事は出来ない。
だから僕らは今後、君とMarceloと一緒にやっていく事は出来ない。去年、とても残念な事があってそれがずっと毎日のように僕の頭をよぎっていた。君の態度や行動はNightwishに相応しいものではない。まさか親しい友人だった君のそんな姿をみるとは思いもしなかった。
1年も口を聞かないような僕等が同じバンドにいるべきではない。
ぼくらはどうしてもビジネス的な弊害が常につきまとう業界に関わっている。しかしぼくらは友情があるからこそ、また心から音楽が好きだからこそバンドを組んでいるんだ。精神的に満たされることはお金より大事なはずだよ。Nightwishはバンドであって、それは感動なんだ。
残念なことに、君にとってそういった感情とはまったく関係のないビジネスやお金のほうが事の方大事になってしまった。
バンドの活動を通して何を得られたかではなく、君はバンドのために自分自身とキャリアを犠牲にしたと感じているようだね。
トロントへ向かう機内で君が僕に言った言葉にもそういう態度がハッキリあらわれていた: 「私にはもうNightwishは必要ないわ。ツォーマス、覚えておいてね、私、いつ辞めてもいいのよ。前もって伝えておくわ。」
もう僕には君の為に曲を書くことはできない。
君はまるで自分がNightwishの単なる”ゲスト・ミュージシャン”のようだと言った。だから、Nightwishは別の女性ヴォーカルと活動していくことにするよ。
僕らと同様に君はきっと安堵しているだろうね。みんな十分苦しんだと思う。
君は何があろうと次のアルバムで終わりにすると言ったね。でも、僕たちは燃え尽きるまで続けたいんだ。だから次のアルバム製作に僕等は君を必要としない。
4人とも幾度もこの事について考えた。そして最終的にこれが僕らが本当にやりたい事なんだと気付いた。唯一ぼくらに出来ることだからね。2004年12月、ドイツで君は言ったね「今後、二度と2週間以上のツアーはしない。」と。また、報酬の額や会場が小さすぎるアメリカとオーストラリアは問題外だと。

以前、インタビュ-でもしTarjaが脱退するようなことがあればバンドを続けていく事は出来ないだろうと言った事がある。周囲の人間も同意見だろう。でも、たった1人の人間の為にあきらめる事はできない。それがもし異なる目標をもち、同じ価値観を共有出来ない人間だとしたらなおさらだ。
君が作曲やアレンジに関わらなかった事、この9年間スタジオ入りする前に一度もリハーサルに来なかった事はどうでもよかった。ツアー中一緒に行動したがらなかったり、君が明らかにバンドの顔となっていたことも。
僕等は全てを受け入れたが君の強欲さにはうんざりだ。君はぼくらのファンを認めずそして決して約束を守ろうとはしなかった。2004~2005年の間はバンド活動を最優先すると皆で決めたはずだった。でも、どうやら君にはそれよりも他に大切な事があったらしい。その良い例がオスロでの公演の時だ….すでにショーはソールド・アウトしていたにも関わらず君は自分のソロ・コンサートのリハーサルをしたり、友達と遊ぶ時間が欲しいが為に公演をキャンセルしたいと言ってきた。これが実際に Marceloが語ったキャンセルの理由だ。でも、これは僕等が抱えていた問題のほんの一部でしかない。これほど自分勝手にファンを無視する最悪のやり方は想像も出来ない。
Nightwishは僕等の生き様であり、同時に責任を持つべき”仕事”でもある。それはメンバー、そしてファンに対してもだ。君と一緒では僕等はするべき責任を果たす事ができない。
君たち二人どちらのせいでこんな自体に陥ったのかはわからない。Marceloは昔はとっても可愛いらしい子だった君を自分を失ったわがままなディーヴァにしてしまった。もうすでに取り返しがつかない状況を君は十分すぎるほど理解しているはずだ。
自分のストレスや不幸を僕ら4人のせいと感じ、君の意見を尊重してもらえないと思っているね。でも、僕らは常に君を素晴らしいシンガー、友達としてリスペクトしてきたつもりだ。この2年間すべて君の指示どうりに動いたし、君だけがいつもより多くの報酬を要求をしてきた。僕たちが最も残念なのは君のその”代償と金銭に対する強欲な態度”だ。
これからはMarceloではなく自分の心に従うことができるようになれるといいね。人間の欲、便宜主義、愛は危険な組み合わせだ。自分を失わないで欲しい。
この決断は決して誇れるものでは無いけれど、仕方がなかったんだ。僕等の間の溝はあまりにも深すぎた。そして全員一致で決断したものだし、もう話し合いで解決できるレベルを超えてしまった。
君の人生とキャリアの幸運をお祈りしています。




ツォーマス
エンプ、ユッカ、マルコ
追伸: これは皆に宛てた公開文書です。

このまま”Nightwish”は終わってしまうのだろうか?それは誰にもわからなかった。
メディア間では大騒ぎになりフィンランドだけでも数えきれない程の雑誌がこの出来事を取り上げたが、すでに真相は周知の事実だった。しだいに騒ぎは収まりツォーマスは将来を語り始めた。
それから、どうなったか?
僕らはまるで暗い海を航海しているようだ。自然の4つの元素うち水は感情を象徴するものだ。よって”航海”はこれに相応しいメタファーろう。ニューアルバム”Dark Passion Play”はメロディーと歌詞を駆使し、今まで見たことも感じた事もない陰気な雰囲気を思いおこさせるNightwishの物語だ。寓話とそれを意味するものは常にクリエイターの秘められた視点を映し出すが、この場合はツォーマスをさす。過去から現在にいたるまでに起こった様々な事柄がとうぜん今回のアルバムの内容に影響をあたえている。周知の通りツォーマスは音楽を通して表現することに長けている。そしてその音楽は感情に満ちていて、時に繊細-時に計り知れない…それがおそらくNightwishの人気の秘密だろう。素晴らしい音楽というものは単に聴くだけでなく、そこから何かを感じとり、経験することだ。センシティブな人々に向けた繊細な音楽とでも言おうか。

Nightwishは6枚目になるこのアルバムで過去と決別し、新しい方向性を見いだしている。それはとても力強く、ソングライターの自信を表している。新しい時代に対する自信、過去を振り返らず意の向くまま行動する。そして決して妥協を許さない汚れの無さがアルバムでは表現されていている。その内容はより豊かで且つ多彩であり、エスニック調の雰囲気も加えられ非常にスケールの大きい仕上がりになっている。アネットの美声は明るく、力強い。そして以前のシンガーよりも多彩な声の持ち主だ。彼女は本当の意味でNightwish相応しい人材だ。重く、暗い雰囲気を持つ作品だが、その中にもポジティブな要素が存在する。どんな厳しい状況においても必ず希望があるという事をおしえてくれる。そして航海は無事に慣れ親しんだ海で終結する。生まれ変わったNightwishのサウンドは今までになく力強く、ためらいは無い。