HISTORY OF MOTOWN

モータウン・レコーズ

1959年1月にアメリカ、デトロイトで設立されて以来、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、スモーキー・ロビンソン、シュープリームス等のトップ・アーティストを輩出し続けるソウル・ミュージックの金字塔、モータウン・レコーズ。

2019年はモータウン・レコーズ設立60周年という記念の年にあたります。

 今から60年前の1959年にミシガン州デトロイトにて誕生したモータウン。創設者はベリー・ゴーディJr.。ジャズ専門のレコード店経営を経て、ソングライターなどとして活動していたゴーディが、制作・販売・宣伝・楽曲管理など全てを自社で行うインディペンデントな企業としてスタートさせたソウル・ミュージックのレコード会社だ。

 〈The Sound Of Young America〉をモットーとして、〈Hitsville USA〉という愛称でも親しまれたモータウンは、タムラを筆頭に、ゴーディ、ソウル、V.I.P.などの傍系レーベルも加えながら、後にファンク・ブラザーズと称される腕利きミュージシャンたちを起用してモータウン・サウンドを確立。副社長にしてミラクルズのメンバーでもあったスモーキー・ロビンソンやホーランド=ドジャー=ホーランドらを専属作家として、軽やかで弾むようなビートと口ずさみたくなるメロディで若者に向けたポップな楽曲を送り出していった。次々とヒットを量産する様は地元デトロイトの自動車工場にも例えられた。アーティストとしては、シュープリームスやマーサ&ザ・ヴァンデラス、マーヴェレッツといった女性グループ、テンプテーションズやフォー・トップスといった男性グループ、そしてマーヴィン・ゲイや、現在も唯一の生え抜きとしてモータウンに所属するスティーヴィー・ワンダーなどを輩出。創立から5年を経た60年代半ば頃には全米を代表するレーベルとなり、ビートルズやローリング・ストーンズなどにも影響を与えながら世界中で親しまれていくようになる。

 グラディス・ナイト&ザ・ピップスが活躍し始めた60年代後期にはプロデューサーとしてノーマン・ホイットフィールドが台頭し、テンプテーションズやエドウィン・スターなどがサイケデリックなソウル/ファンクでヒットを連発。同時にアシュフォード&シンプソンがNYから洗練されたメロディやサウンドを運び込み、西海岸のミュージシャンとの交流も活発化していく。こうして社内情勢が変化していく中で登場したのが、若き日のマイケル・ジャクソンを含むジャクソン5だった。そして70年以降は、スティーヴィー・ワンダーがレーベルからセルフ・プロデュース権を勝ち取ったこともあり、アーティスト主導のシンガー/ソングライター的な作品が増加。マーヴィン・ゲイの『What’s Going On』(71年)はその象徴的なアルバムだろう。ダイアナ・ロスをはじめ、グループから独立してソロ・シンガーになる動きが出てきたのもこの頃からだ。一方で、フォー・トップスなど古参アーティストの一部は、社内や時代の変化に伴いレーベルを退社している。
 72年にはLAに本社を移転。その前年にはモーウェストのような傍系レーベルも誕生しているが、以降は新しいアーティストの入社、映画業界への進出などもあり、サウンドが多様化。西海岸を中心にフィラデルフィアやNYなどで録音された作品も増え、バーニー・エイルズが社長を務めた70年代中~後期には、ファンク、ディスコ、AORなどに接近してクロスオーヴァー化していく。この時代に躍進したのがコモドアーズだった。ジェイ・ラスカーを社長に迎えた前後の70年代後半から80年代中期にかけては、リック・ジェームスがモータウンの革命児として活躍。テンプテーションズのリユニオン企画に手を貸したほか、ティーナ・マリーやメアリー・ジェーン・ガールズを手掛けてレーベル・イメージを刷新している。デバージやダズ・バンドなどが登場したのもこの頃だ。モータウン25周年記念イヴェント『モータウン25』が行われた83年には配給をMCAに委ね、インディペンデント・レーベルとしての活動に終止符を打ったモータウン。とはいえ、コモドアーズから独立したライオネル・リッチーの活躍などによって、レーベルのブランド力はさらに高まっていく。

 ラスカーの社長辞任後、88年にはMCAにカタログを売却。そこで新社長に就任したのがジェリル・バズビーで、ここから現在のR&Bに繋がる新時代が幕を開ける。クワイエット・ストームとニュー・ジャック・スウィングのブームを反映したリリースが続いたこの時期には、ボーイズ、トゥデイ、ジョニー・ギル、シャニース、そしてボーイズIIメンといった当時の若手がレーベルの看板に。スムース・ジャズを扱う傍系のモージャズが誕生したのもこの頃だ。以後、バズビーの後任として94年から元アップタウン総帥のアンドレ・ハレル、97年からはジョージ・ジャクソンが社長に就任し、ヒップホップ・ソウル以降のR&Bを送り出す。だが、新人の発掘だけでなく古参にも再び活躍の場を与え、ユニバーサル傘下となったモータウンに新たなブランド・イメージを与えたのは、99年に社長となったキダー・マッセンバーグだった。彼は自身が育成したエリカ・バドゥをモータウンに呼び込み、当時新人だったインディア.アリーを送り出すなどして、以前から標榜していたネオ・ソウルの発信源としてもレーベルを機能させていく。

 2004年には、音楽業界屈指の女性エグゼクティヴであるシルヴィア・ローンが社長に就任。2005年から2011年までの新譜は、主にユニバーサルと合併した“ユニバーサル・モータウン”というレーベルからのリリースとなり、KEMなどがヒットを飛ばした。その後、2012年にモータウンへ移籍したNe-Yoが同社の要職に就いたあたりからはモータウンという名称に戻し、モータウン・ゴスペルも発足。〈The New Definition Of Soul〉をモットーに掲げる現在はBJ・ザ・シカゴ・キッドやミーゴスなど新世代のR&B/ヒップホップ・アクトを抱え、ユニバール傘下のキャピトル・ミュージック・グループとも連携を図りながら新しい音楽を発信し続けている。その姿勢は、まさに〈The Sound Of Young America〉という当初のモットーのまま。創立60周年を迎えたモータウンは、今もかつてのスピリットを受け継ぎながら未来に向かっているのだ。

(林 剛)