BIOGRAPHY

MORRISSEY / モリッシー

MORRISSEY / モリッシー

『Years Of Refusal』2009年

ある部屋に、あなたはモリッシーと座っている。そして部屋にはもう1人。恐らくモリッシーと一対一で話すより会話が盛り上がるだろうとの配慮から、同席しているのだろう。この人物は、モリッシーにとって唯一の友なのだろうか? 茶目っ気のある世捨て人=モリッシーと一緒にいると、そんなことを考えずにはいられない。モリッシーの人生とキャリアには、これまで数々の噂が付きまとってきたが、彼は面白がったり憤激したりしながら、噂の渦巻くがままに任せてきた。あるいは、彼に関するスキャンダルや告発、侮辱的な風評を世間が大げさに言いふらしても、どうすることもきずに傍観していたとも言える。それがやがて彼のことを我々が知るには、信頼性の高い自伝的な内容の情報を過剰なまでに提供してくれる彼の曲か、あるいは突飛な筋書きが土台になっている世間の勝手な評判を元に想像するしかない、というレベルにまで達してしまったのである。そういった世の中の評判によって彼は、正直なところ、実際の彼自身というよりむしろ - もしかしたら解剖学上、ある種のグロテスクさを有しているかもしれない - “聖なる怪物”のように考えられているのだ。。

一冊の本でも足りないくらいなのだから、このような薄っぺらい小冊子では、モリッシーについて真に語らねばならないことを語り尽くせはしないだろう。だから取りあえず、彼は彼の曲で描かれているような人物ではないということ、そして世間のイメージとは違うということだけ言っておく。ただそのどちらもが、このような歌詞を思いつく性格の持ち主なのだという意味において、そしてその結果あれほどまでに熱心な詮索の対象になってしまうのだという意味において、寡黙かつ憂いと苦悩に満ちた、モリッシーの人物像を暗示しているのは確かだ。彼は自分の曲と、それによって引き起される騒ぎを敢えて利用し、自ら喜んで外界と距離を置こうとすらしている。そうすれば自分の存在を誇示しつつ、同時に姿を隠したままでいられるからだ。彼は、周囲が思っているような人ではない。彼はもっと平凡で、だがより一層謎めいているのだ。

では、この部屋にいるもう一人の人物は、”モリッシーとは極めて親しいものの、その熱烈さを世間に公表するほどではない”といった立場の人なのだろうか? それともモリッシーとはまだ出会ったばかりで、彼の人生の内側に数日間招き入れられているだけなのか? そして、まるで何かの賞に当たったかのように、音楽や神話作りを通じて我々の知るところとなった”伝説のモリッシー”ではなく、自分だけが知る”素のモリッシー”として、彼がただ食事をしたり、飲んだり、髭を剃ったり、人付き合いを避けて過ごしている瞬間に立ち会える、貴重なアクセス権のようなものを得ていると? ”素のモリッシー”とはつまり、 彼がこれまで自らの作品のジャケットで、自分の関心の対象となっているものに光を当てつつ、同時に見る側の視界を大幅に遮るようにしながら、人々に注意を向けさせたり逸らさせたりしていた、あのモリッシーである。

この”もう一人の人物”は、もしかしたら何か言うべきでない単語をこちらが口にしてしまったり、マズい振る舞いをしてしまった場合に、どちらか1人を、もしくは2人ともを暗殺する要員として、この部屋に待機しているのかもしれない。そこに居合せ、そばに寄り添っているその人物から、予想外のことを聞かされそうだと思ったほぼ正にその瞬間、モリッシーはまるで人生の終幕が目の前に迫ってきたとでも言いたげな表情をしばしば浮かべる。その人物は常に、モリッシーを驚かせるようなネタを隠し持っているかにも見えた。この場合の彼の表情は、普段の面持ちとは少しばかり異なっており、それは彼がかなり内輪受けのジョークを楽しんでいるという現れだ。つまり30年以上前に彼が自分でネタにし始め、次第に途方もないオチを持つに至った、例のジョークである。

彼の書く曲は、ザ・スミス時代と、そして”洒落た真似”を見せてきたソロを経て、自然に今回のニュー・アルバムの収録曲に至ったと言えよう。新作の曲では、直接的そして間接的に、この彼流のジョークと、それが結論に達するまでにどれだけの時間がかかったかということに言及しているのだ。

今回の曲は、直接的そして間接的に、他の様々なことにも触れている。だがこんな風にモリッシーと同じ部屋の中で対峙しながら、その”他の様々なこと”が何なのかを実際に尋ねるのは少々危険だ。勿論、かの有名なモリッシーの”風変わりな溜め息”を誘発したいのであれば、話は別だが。それは例のごとく、じれったさを表す勿体ぶった溜め息であるが、しかし同時に彼が大目に見てくれていること、そして嬉しがっていることの表れでもある。つまり、彼の心は沈んでいるものの、率直に言えば、長い歳月を経た末に、それでもなお人々が自分の曲に関心を抱いているということ、高慢さと赤裸々さが同居している曲の有りようや、その歌詞に興味を持っているということに、彼の胸はやはり今も高鳴っているのだ。今回の歌詞では、無常への怖れや、人生の限界という悲劇、新たに結ばれた関係から生まれたロマンティックな幸福も、大抵はやがて幻想から醒め、消えていってしまうということ、世俗的な関心にとらわれた生活の中で、人はそこから自分を解き放ってくれる魔法のようなきらめきをいかに探し求めているかということ、そして人間が置かれている過酷なまでに孤独な状況について、彼がどんな風に感じているかということ - そういった題材も幾つか扱っている。

彼の曲について「こんな風に感じた」と伝えれば、彼は何だかあまり信じられないといった風情で目をぐるりと回し、話題を変えてしまうことだろう。何か嬉しがらせるようなこと、だが恐らくは大して的を射ていないであろうことを言えば、彼は例の表情を浮かべるはずだ。そして多分、ふざけるのはやめて真剣に答えたいという自らの強い思いと必ずしも矛盾することなく、1970年代の英国のシットコム『On the Buses』のキャストの長所について、彼は慎重に熟慮を重ね、自分の記憶と照らし合わせるために、こちらに質問を仕返してくることだろう。その質問は相変わらず鋭く、曲においても当然ながらその鋭さは健在で、やはり同じように生気に溢れ、幾分悪意すらこもっており、それでもなお、実に旨味のある魅力たっぷりの几帳面さで、詳細を取捨選択し表現することができるのだ。

今回のニュー・アルバムにこういったタイトル(『Years of Refusal』)をつけた理由について、そして以前のアルバムのジャケットで手にしていたバイオリンや銃に代わり、今回赤ん坊を抱いている理由について、やはり何と言っても世の人々は知りたがっているし、また世間でも、貪欲に興味を追求し熱心に議論を交わし合うインターネットの世界でも、更なる噂が出回ることだろうから、それに関して尋ねると、彼の溜め息はほとんど本物の不快感交じりに変わるであろう。もしあなたが凄まじい強風に向かって船を出し、彼の描く伝説のイングランドとその消滅、及び/もしくは文化的かつ商業的な話題について語ったり、異端者のように国旗と戯れ、エンターテインメント界からの追放危機に晒されたことなどといった、彼がこれまで直面した厄介な状況を話題に出したりしたら、その溜め息と居心地の悪さは際限がなくなってしまうことだろう。

やや緊張の走る、居心地の悪い状況になった場合に関して言えば、モリッシーとその連れと同じ部屋に居るということに及ぶものはない。ある意味、この気まずい沈黙の対極にこそ、生気溢れる陶酔感に彩られた、彼の紡ぐ至高のメロディがあると言える。今作のタイトルやジャケットの赤ん坊について、また他の誰とも全く異なる彼の人となりについて、我々が抱いている疑問がどんなものであれ、その答えの全てがそこに含まれているのだ。「何もかも、聴き手の側に発見してほしいんだ。どうしてそうなったのか、その理由を自分から説明したくはないね。なぜこうしたのかとか、なぜそうしなかったのかとか、四六時中、同じことを説明するよう強いられるのは好きじゃない」。

「僕が誰かのインタビューを読む時に期待するのは、他では聞いたことのない内容が語られてるかどうかだね。何か一風変わったことを言ってもらいたい。いつもいつも同じような答えばかりは聞きたくないんだ」。インタビューでの彼がやや曖昧な調子になることがあるのはそのせいだが、つまるところ彼は進んでそうしているのだと言いつつも、彼の顔にはたちまち軽蔑と、魔的な魅力と、そして純度の高い絶望感を匂わせる表情がパッと浮かんでくる。そして、創作の上で特定の目的を追求する際、それをもう少しばかり分かり易いものにするために、自分がやっていることが何なのかを説明するという、エンターテナーとしてのある種の義務を負っているのではないか、と尋ねた際には、その表情は意地悪な顔つきに変わる。

「誰に対して? 僕は誰に対しても義務など負っていないよ。これぽっちもね。僕自身に対してなら、確かにある。でも他の人に対しては全くないな」。

そして彼は、「誰かが僕の役目を果たさなきゃいけないわけだから」と言おうとする時に浮かべる表情になるのだ。つまり、自分にその役目が回ってきた時に、嬉しがり、驚き、そしてほんの少し困惑していることを、はっきり示している表情。そして勿論、「他に選択肢がなかったんだよ」と説明する時に浮かべる、面白がっているような、有罪判決を受けたような、そして優しく咎めるような、あの顔つきになる。選択の余地がなかった事柄は、彼には数多くあるようだ。その中には、例えば下記のようなことが含まれている。

1)自分自身であるということ。頑固に自分のやり方を曲げず、常に不安定な状態に身を置くということ。

2)歌い手になること。それは結局、彼の全てとなっている。歌を書き、自分で書いた歌を歌い、歓喜と悲嘆の狭間で今にも爆発しそうになりながら、そしてビリー・フューリーやデヴィッド・ヨハンセン、ジョブライアスやハワード・ディヴォートといったシンガーたちのファンとして歌いながら、彼だけに可能な手法で、ある特定の実存主義的な問題を芝居がかったやり方で表現すること。ちなみに上記の人々は皆、見事なまでに環境不適応だった歌い手で、彼らが凄まじい熱情を迸らせながら歌っていたのは、愛、不眠症、正義、虐待、家庭の不幸、辛く厳しい職務、歪んだ情熱、そして広大な黒い海原のど真ん中にいる時の感覚といったテーマであった。モリッシーもその一人だ。なぜなら彼は、その一人になりたいと思っていたからである。「すごく幼い頃から、いつも歌を歌っていたよ。トップ30の曲を歌ってた。チャートにどんな曲が入っているのか、必ずチェックしていたんだ。台所のテーブルの上に立っては、よく歌っていたっけ。やがてそのキッチン・テーブルが、ステージになった。歌詞のテーマが悲しいことや辛いことだったりするのに、なぜこのシンガーは聴き手をうっとりさせられるんだろうと、その歌い方に夢中になっていったんだ」。

3)ザ・スミスの、残酷なまでに傷つき易いヴォーカリストになること。それ以前の彼は何年もの間、1人でいることを極めて好む音楽ファンであり、当然ながら彼の過ごしたその日々は、自棄、彷徨、憎悪、退屈、地方都市の悪意、青年期独特の恐怖感、復讐心に燃えた報復、屈辱的な失敗、狂気じみた残忍さ、これ見よがしな不機嫌さ、そして異様な、かつ現在は失われてしまった、マンチェスター市内及び近郊の街が伝統的に抱えてきた重荷の痛ましき抜け殻[※近年再開発されるまでマンチェスター地域に数多く存在していた、廃工場や倉庫などの廃屋群を指す?] - そういったものでいっぱいだった。1970年代のマンチェスターは、そういう街だったのだ。1970年代に入って出現した、具体的かつ想像力に富んだこのような風景に対する彼の執着。また彼の生まれた1959年にまで遡る、それ以前の時代に対する物理的及び形而上的な結びつき。彼はそういったものを、”大衆文化に魅了された、抑鬱的で好戦的な気性の、繊細で観察力の鋭い子供がやがて、かつて自分が褒め讃え、ストーカーまがいのことまでしたような、そういうポップスターになった”という、ある種の音楽ファンタジーへと変換したのであった。

4)そして今も彼は曲を書き、そしてそれを真心込めて歌っているということ。たとえこの世界が、過去も現在もひっくるめた焼き直しのポップ・ミュージックで溢れ、これまでにないほどの混乱状態になっていても、だ。そしてザ・スミス時代の自分自身の曲と張り合わなくてはならないとしても、である。ザ・スミスの曲に関して言えば、モリッシーが当時と同じことを何度も繰り返しやっていないからといって、彼を憎む人がいるほどだ。つまり、そんな再生産があたかも可能なことであるかように、そして彼が腹いせの気持ちから、実際には存在しない楽曲を敢えて発表せずにいるかのように思い込んでいる人々が世の中にはいる、ということである。

そして彼は現在、ソロ・シンガーとして自分自身が作り上げてきた作品とも張り合わなくてはならない。彼のソロ曲はザ・スミス時代の曲と比べ、そこまで深い印象を与えていないと不平を言う人もいるし、彼のソロ・キャリアは成功と失敗、勝利と退歩に分類することができ、調子が良い時もあれば悪い時もあると考えている人もいる。この考えは勿論、モリッシーのように特別な人がどのようにして作品づくりをするものなのかについて、判断を誤っていると言えよう。彼は、前に進まなければならないのだ。かつて(少なくとも彼の考えの中では)存在していた世界について、表現を変えて語ってみたり、新たに心の中に描き直すということに彼が相当のめり込んでいることを考えれば、不思議にも思えるだろうけれども。自分自身を曲に置き換えながら、彼は前に進まなければならない。そういった曲を書くこそが、彼が永遠に生き続け、鮮やかに輝き続けるための道なのだから。

まず第一に彼は、かつて自らが負った古傷について心理歴史学的な目録を作り、ザ・スミスで歌っていた時代と決別し、前に進まなければならない。その古傷は、彼に自由を与えたと同時に、期待という名の監獄の中に彼を閉じ込めていたからだ。そして彼は自分自身のアルバムを制作する度に、常に前に進まなければならない。確かに彼は、音楽的には伝統主義者になると心に決めた。そして彼の作品は、曲作りに携わるようになる前から彼がどんな音楽を好んでいたかを、自身と我々に思い起こさせてくれるようなものになっている。そして各曲とも、ある特定の様式を反映したものとなっているだろう。だがそのどれ1つとして、お互いに全く似ていない。他と比べてより深みのある曲もあれば、甘く優しい曲、辛辣な曲、思慮分別に長けた曲もある。またどこかぼんやりとした曲、さほど正道を外れていない曲や、今までにないくらい簡潔だったり、自意識の高さが表れていたり、グリッター調の派手な曲もある。だが結局のところ、彼は立ち止まったりはしていない。批評家やファンのように新しい曲を以前の曲と比べることによってではなく、ただ単に - しかしそこまで単純にではないが - 彼が今現在感じていることを反映した曲を書くことによって、前に歩み続けているのだ。

これらの曲は皆、自分の思いや感情について綴った絶望的なまでに繊細な独特の作品を、10代、20代、30代、そして40代を過ごしてきた、1970年代、80年代、90年代に、彼が既に書いてきたという事実と繋がりを持っている。ああいった曲を1980年代に書いた人物が、今その20?25年後に、このような新曲を書いているということ。そして彼は間違いなく、あの時と同じ人間であるが、あの頃の彼とは違う。それはつまり正確に言えば、彼が1980年代にああいった曲を書いていながらも、こうして続けていくことを決意したからだ。もしくは、そうするより他に選択肢はなかったからである。かつてのような、突如として湧き上がる衝動や切迫感を表現していないように感じられるからというだけで、彼のどんな新しい作品をも退けてしまうのは、著しくひねくれたな考えに思えてならない。昔のモリッシーは極めて、桁外れなくらい感情表現豊かだったのだから、彼はもう活動を止め、第一線から退き、ずっと引っ込んでいるべきだと、もしくはかつて彼がよく言っていたように「チードル・ヒューム[※マンチェスター郊外の地名]に引っ越して、そこで暮らす」べきだ決めつけるのは - モリッシーにとっては、そんな差別待遇は慣れっこのことだが - 酷く軽卒な判断に思えるのだ。

一方、彼は軟弱になってしまったとか、ピントがずれてきてしまっているとか、正体を見破られてしまったとかと感じている人々もいるが、そんな人々のことなどはものともせずに、モリッシーは今もなお、独立心旺盛で、不可解で、自ら創造し、危ういながらも維持し続けてきた、昔と変わらぬ気迫を漲らせているのだ。

彼の新作には常に、ザ・スミスの名高いアルバムや好評を博したソロ作と同じくらいの魅力が詰まっている。なぜならそれは、その元々の書き手本人が、苦心して築き上げてきた伝説という重荷や自らの遺産にまつわるゴタゴタと向き合うという経験を積んだ上で、現在立っているその場所から、その時代の中から湧き上がり、生まれた作品だからである。彼が求めていたのは、温かな好意かもしれない。しかし彼が手にしたのは注目だ。アルバムを経るごとに、曲を経るごとに、ヴァースを経るごとに、黄昏を迎えるごとに、彼は現在進行形のドラマを、言葉で地図を描いた世界を、終わりなき人生の悲喜劇を、物語を前に進める原動力となる喪失や悔恨、切望や苦悩を、紡ぎ上げ編み上げていく。そしてそれら全てが、やがて1つのものとしてまとめ上げられていくのだ。そして彼がそれまでに書いてきたあらゆる作品が、いずれ最終的に完成することになる、生涯かけての孤独な行動様式の中で、重要な位置を占めることになるのだろう。

ところで、今回のニュー・アルバムにおける彼の言葉遣いや言い回しは、賞賛に値すると言えよう。少なくとも今回に限っては、彼の歌詞はよりシンプルになり、小気味良いほど有益だ。これだけの年齢を重ね、これだけ多くの作品を生み出してきた今、言わなくても構わないと思えるようなことを全部削ぎ落とし、それでやっていこうと決意したかのようである。

5)人生は短く、悲しみに満ちていると考えながら、計り知れないほど彼はそれを愛しているということ。そして痛みを伴うほどに歪んでいる自己の存在を、人間であることの危険なまでの不思議さや、抑制された不協和音を反映している、華麗な言葉と豪奢な筆致とがぎっしり詰まった曲を通じて、詳細に描写するということ。

そしてモリッシーは、「僕の内側は愛でいっぱいなんだ」と訴えながら、実にくつろいだ顔を見せる。その言葉を彼が口にするのは単に、「モリッシーがそんなことを言うなんて信じられない」とでもいうような、それに反応する相手の表情が見たいからだ。「僕は誰も傷つけたくないんだよ」ということを示そうとして、彼が浮かべて見せる真摯かつオドオドしたような顔に、あなたはきっと心惹かれることだろう。しかしもしあなたが、どうして彼は時々、敗北主義者的なまでに自己防衛的だと思えるような行動をとることがあるのかと疑問に感じたなら、彼のその主張に異議を申し立てても構わないのだが。そしてまた、人生は本質的に孤独なものであり、何度も繰り返される”現在”からの逃避であり、文章表現に長けた天才だけがしっかり捉えることのできる、儚くもきらびやかな蜃気楼であるとして、曲の中で彼がいかに鮮やかに人生模様を描き出しているかと伝えたりすると - なぜこのようなことを言うのかといえば、彼の才能、つまり彼の生死に関わる複雑かつ並外れた才能は、嘲笑されるのではなく賞賛を受ける時ですら、どういうわけか過小評価されていると思えるからだ - そんな時、決まって彼が浮かべる表情がある。このような褒めそやしの言葉は、彼にある種の鬱状態を引き起すきっかけとなってしまうかもしれない。あるいは自分は軽く見られているのだと感じさせ、誰一人として - いや、ほんの僅かな人しか、と言うべきか。そしてその人たちは、彼が正式にイングランド北部で暮らしていた頃に彼の知り合いだった、非常に少数の人々のことだ - 本気で彼に近づいたりはせず、誰にも真似のできない彼ならではのイマジネーションや、知性に訴えかける自己満足的な彼の喜びの中にある本質的な無邪気さを完全には理解してくれないと感じさせ、フラストレーションを喚び起こしてしまうかもしれない。

モリッシーと、そして時にモリッシーが言ってるのが冗談なのか、それとも単に天の邪鬼なことを言ってるだけなのかハッキリしないことがあるため、ここは笑うところだと教えるために同席しているのであろうもう一人の人物と、同じ部屋でしばらく過ごした後には、きっと何かが起きることだろう。

次に起きるのが何なのかは、今いるのがどこなのか次第だ。そこは、モリッシーのジョークのオチを暗示する、以前ベリー・ゴーディJr.[※モータウンの創始者]がショービジネス界の狂乱の頂点に立っていた頃に所有していた、邸宅の一室なのか? それとも、ブラックバーンもしくはスランディドゥノ、あるいはパリもしくはローマでのギグの後、畏敬と憧れの念に打たれた数人の人々と会ってお喋りしたり、何か他のことに少し気を取られながらも、またジョークを一発繰り出している場面なのか? あるいは、”地球上で最も孤立した、他の誰にも会わずに済む場所”としての機能を立派に果たしている、豪華な匿名のホテルのスイートルームなのか?

あなたがモリッシーと過ごしていたその場所が、例えばロンドン中心部にあるホテルの一室だったとすれば、次には間違いなく何かが起こる。真面目な話、モリッシーには食事が必要になり、そしてチーズトーストを探しにどこかに繰り出すことだろう。目の前にいる彼は、ロンドンのピカデリー地区から殆ど目と鼻の先にいて、タイムリミットが刻一刻と迫る中、自身のことからは話題を反らしながら、こちらが話題についていけないほどに、あれやこれやと頭の中で思いを巡らせている、立派な風采のエンターテイナーだ。彼はフォートナム&メイソンには行かないことにした。それは、1970年代に彼が過ごしたむさ苦しい家とはかけ離れた所だからというわけではなく、古風な趣の、或る高級カフェに行きたいと心に決めていたからである。というのも、そこでは彼の正体を知る者に出会う可能性はゼロで、彼は心からくつろげるから。ザ・スミスはいつになったら再結成するのか尋ねてくる人は誰もおらず、落ち着いた、素晴らしく良い雰囲気が漂う、嫌になるほどセンチメンタルなそのカフェでは、彼はわざわざ進退窮まった時のような表情を浮かべる必要はない。観光客や年配の女性たちが作る長蛇の列の後ろに並び、辛抱強くテーブルが空くのを待つモリッシー。それ自体、特筆すべき価値のある、壮観とも言うべき珍しい光景だ。「昼食のお供をしましょうか?」と、あなたは彼に尋ねる。彼は連れを必要としてるのだろうか? それとも一人にしてほしいのか?

しばしの沈黙。苦悶の始まりを示すおなじみの表情が、彼の顔に浮かぶ。死に至る苦痛に抗う時に漏らすような、控えめな苛立ちのこもった溜め息。

「ああ、話せば長くなってしまうからやめておくよ……」