BIOGRAPHY

MATT COSTA / マット・コスタ 


Bio シンガーソングライターのマット・コスタが後に『アンファミリア・フェイセズ』となるアルバムを書いた時、2005年にデビューを飾った時に続き、彼の宝物をすべて棚に並べた。その宝物を見つめては思い出に浸っていた。「そうすることによって自分が愛するものが見えるんだよ」と彼は言う(宝物とは彼の大好きな本や、木のパイプ、箱に一杯入った1950年代後期の45回転のレコードなどである。)「イマジネーションをめぐらせるんだ。日常生活は想像の世界ほどエキサイティングではないからね。」
 想像の世界に生きているように見えるが、コスタの今までの人生は決してつまらないものではなかった。ペット用墓地の隣で育ち、トランペットとピアノを弾き、地元カルフォルニアのハンティントン・ビーチにある学校に通うよりも、スケートボードが中心の生活をしていた。スケートボードで滑る事の自由と即興的なところにはまっていた。彼は言う「スケボーを通していろんな音楽を発見したんだ。B面でさえ僕にとっては新しい発見さ。誰も聴かないような曲でもね。」
数年後、彼がまさにプロになる少し前に彼の人生を変えてしまう出来事が起こる。苦痛を伴った手術から回復する時間が彼を作曲活動に駆り立てたのであった。ギターで曲をつくり、カリフォルニアのアートシーンを通して知り合ったノーダウトのギターリスト=トム・デュモントのガイドのもと、『ソングズ・ウィー・シング』をレコーディングした。「彼が最初に教えてくれたことは”練習しすぎるな、フィーリングを大事にするんだ”」とマットは言う。「その言葉がすごく印象的で今でも心の中にある。それこそ音楽をつくるのにキーとなるからね。頭の中にぱっと光が差したかのようだった。」
美しいフォークのサウンドが強みの『ソングズ・ウィー・シング』では彼の優しく奏でるアコースティックで巧みなギター・サウンドを聴くことができる。マットは、ヴァンに乗って各地へ移動して、北米の多くの大きな音楽フェスに参加した。
ステージでは、The 88やElvis Perkinsなど他のアーティストとコラボレーションした。カルフォルニアに戻りサクラメントで『アンファミリア・フェイセズ』のほとんどの曲を書いた。そしてサンタアナで2007年の春にアルバムをレコーディングした。再びトム・デュモントと組み、The 88からはAdam Merrinが数曲参加した。マットにとってブラッシュファイアー・レコーズからリリースする2枚目のアルバムである。レーベルは、マットをサポートし続けるジャック・ジョンソンが共同設立者である。
軽快なピアノで始まる”ミスター・ピティフル”、そしてアコースティック・ナンバー”ネヴァー・ルッキング・バック”からまるで織物のような”バウンド”、パワフルなポップの”エマージェンシー・コール”等、『アンファミリア・フェイセズ』でコスタは大きな野望をアピールするメロディーでShinsや Spoon 、Ben Foldsを彷彿とさせる。マットのサウンドは明るく弾んでいて、しかも内省的になることに恐れてはいない。”トライング・トゥ・ルーズ・マイ・マインド”では彼の手術後のダークな時期、彼が直面したパニックアタック(後に痛み止めを飲んだことによる副作用だったと知らされる)について歌っている。アルバム・タイトルは彼がアルバムを制作しているときの気持ちに由来しているという。
「僕はいつも人が本当はどんなことを考えているか疑わしく思っている。みんな誰もが知らない一面を持っているのさ。unfamiliar face (知らない顔)をね。」
マットは今まで歌のアイデアに不足したことはない。(したとしてもテープレコーダーが切れたという程度だが。)彼は話す時も、まるで詩のようにユーモアに溢れた話し方で語る。
彼とバンドが中西部をツアーでまわっている時、竜巻の中を運転していたのに数時間後まで気づかなかったことを話してくれた時や、テキーラを飲みすぎてバルコニーから落ちた時に植木があったことにより助かったこと話などなど。

『アンファミリア・フェイセズ』の曲を書いていた時、想像力をかきたてるために緑色にマット自身がペイントしたサクラメントのベッドルームにこもり、私物を眺めては物語をつくっていった。「毎日同じものを見ては違う思い出に思いを馳せていた。同じ部屋にいるのに毎回違った気分になるんだよ、歌だって同じ事さ。毎回聴く度に新しいことを発見するんだ。」彼は感慨深く言う。