INTERVIEW-02

キッス 地獄の真相
ファン・クラブ巨大化に裏付けられる人気肥大と、”マーチャンダイズとタイアップ”のはじまり。

【地獄の真相 第二回】
 初代キッス担当ディレクター 横田晶氏インタビュー

1万人を超えたファン・クラブ会員

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『THE ULTIMATE KISS FANZINE PHENOMENON 1976-2009』では世界各国の良質なFC会報が紹介されている。

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「日本のFCの会報にはA+の評価を与えるべきだろう。」-ジーン・シモンズ

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同書籍に紹介されている各国のFC会報。
もちろんこのなかに日本のFCのものも含まれている。

1975年、『地獄への接吻』をもってキッスの作品が正式に日本でも発売されるようになってからというもの、この特異なバンドの人気は時間経過と比例しながら急上昇のカーブを描いていくことになった。たとえばファン・クラブの会員数推移などはそれを如実に物語っている。日本でのキッスFCの初代会長を務めた青柳つとむさんは以前、当時を振り返りながら「発足当初は100人も集まらないだろうと思っていたけども、『アライヴ!~地獄の狂獣』が出ると500人を超えた」と証言している。しかもピーク時には、同FCの会員数は1万人を突破。コピーで作られていた会報も当然ながら印刷物になっていた。そして当時のキッス担当ディレクターだった横田晶さんは次のように語っている。

「レコードのセールスももちろんですけど、FCのほうもすごいことになってましたね。会員は1万人を超えて、会報もきちんと印刷するようになって……。なにしろ当時は、会社に出入りしてる印刷業者からの請求書についても、FC宛のもののほうが金額が高かったくらいで(笑)。スタッフも10名以上いました。当時はパソコンとかもないんで、会報発送の宛名書きなんかも全部手書き。ビクターのスタッフと一緒になって、夜中までかかって作業してましたね。ラジオの洋楽番組にリクエストの電話をかけまくったりとか(笑)。会長の青柳君がすごく熱心にやってくれてたんです。実は当初、マネージャーのビル・オーコインから”FCは男性に運営させたほうがいい”という助言があったんです。日本盤がリリースされるようになる以前から、キッスのレコード・ジャケットにはファン・レターの宛先が書かれていたんで、日本からの手紙が向こうに相当たくさん届いてたようなんですね。しかも大半が女性ファンからのもの。それはもちろん歓迎すべきことなんですけど、”女性ファンは飛びつくのが早いが、熱意が長続きしにくい”というのが彼の持論だったんです。しかも女性がFC会長とかを務めると、ファン同士の嫉妬だとかやっかみも出てくるじゃないですか。そういうことになるのはレコード会社としても避けたかった。そこに現れたのが青柳君だった。とはいえ、結果的にはFCが大きくなり過ぎて、我々の手には負えなくなってしまったんですよね。数百人規模のものなら個人でも運営可能でしょうけど、さすがに1万人を超える規模のものになってくると、いわゆる会社が運営しないと無理が出てきますから」

結果、同FCは1978年いっぱいをもって解散。FC自体が肥大して手に負えなくなっただけでなく、「バンドが世界的に大きくなってきて、会報制作などの面での制約が大きくなってきたこと」などもその要因のひとつだったと青柳氏は認めている。たとえばバンドのロゴや写真を用いることにも支障が生じてくるようになったのだ。言うまでもなく、それはちょうどキッスがマーチャンダイズ・ビジネスに積極的に取り組み始めた時代とも重なっている。

なにしろ彼らは、のちにはロゴ入りの哺乳瓶から棺桶に至るまでを販売しているバンド。しかし当時、FCにオフィシャル写真やロゴの使用を認めようとしなかったのは、メンバーたち自身ではなく、バンドに金の匂いを感じ始めていた取り巻きたちだろう。実際、彼ら自身は、いわゆる会社運営によるものでなくても世界各国のFCの活動について容認しており、営利目的の悪質なものには厳しく目を光らせつつも、熱意に満ちたFCとは良好な関係を保っている。たとえば現在の日本では、先頃ついに発足したオフィシャルFCの『KISS ARMY JAPAN』の他にも、1980年に創設されたKISS FAN CLUB JAPANが存続しているが、同FCの会報は、世界各国の良質なFC会報が紹介されている『THE ULTIMATE KISS FANZINE PHENOMENON 1976-2009』という本のなかでも取り上げられており、ジーン・シモンズ自身が「日本のFCの会報にはA+の評価を与えるべきだろう。日本語が読めなくてもこの内容の濃さは理解できるし、これほどの長きにわたりコンスタントに会報を発行していること自体が素晴らしい」とコメントを寄せていたりもする。

ところでさきほど”女性ファン”という言葉が出てきたが、十代の少女たちがロック・ファンの何割かを担うようになったのもこの時代からだったかもしれない。当然ながらそこには理由がある。横田氏は次のように語っている。 「キッスももちろんですが、すでにクイーンもいて、エアロスミスも出てきて。当時の”三大バンド”ですよね。その頃から”ロック少女”が急増し始めたと思うんです。べつにクイーンやエアロスミスをライバル視するようなことはありませんでしたが(笑)、そこで相乗効果があったのは確かですね。その”三大バンド”を追いかけるようにして、キッスと同じカサブランカからはエンジェルも出てきた。その後、チープ・トリックとか、それこそベイ・シティ・ローラーズとかも登場して、アイドル的な人気の高いロック・バンドが取り上げられる機会や媒体というのも増えてきたんです」

そんな話の途中、エンジェルの名前が登場したときに横田氏の口からこぼれてきたのは「しかしとにかく、まだまだ未成熟な時代でしたからね」という言葉だった。その発言は、次のように続いている。

「エンジェルの来日中、バンドを招聘した日本のプロモーターが倒産してしまい、バンドは全公演を消化できないまま帰国せざるを得なくなったんです。キッスとは直接関係のない話ですが、それによってカサブランカとちょっと揉めたことはありましたね。当時できたばかりの招聘会社だったんですが、正直、仕事ぶりは素人でした。先方の用意した通訳が高校の先生で、ろくに知識もなかったり(笑)。しかしとにかく昔の話ですよ。インターネットはおろかファクスすらもなかった。カサブランカとかビル・オーコインとのやりとりは、すべて基本的にテレックスでしたから。そういえば、ひとつ思い出しましたけど、当時のジーンには、あのシェールとのスキャンダルがあったじゃないですか。実は彼女、エンジェルのメンバーとも付き合っていたらしくて、あるメンバーが”俺とジーンは兄弟なんだ”と言っていた記憶があります(笑)」

バンドスタッフ・プレス関係者、総勢100人超えでの初来日

最後の逸話はともかく、音楽業界そのものがまだまだ未成熟だった時代に、あれこれと新しいことを始めようとしていたのがキッスだった。たとえば彼らの初来日時には、当時のパンアメリカン機を借り切って、数多くのプレス関係者なども同行させていたという。横田氏の回想は次のように続いている。

「向こうのマスコミ関係者だけでも確か20数名やってきたんです。アメリカ本国だけじゃなく、カナダのジャーナリストとか、南米の記者とか。バンドのスタッフも60名ぐらいいたはずだから、一行は100人を超えてたんじゃないでしょうか。こちらとしては面倒な話でもありました。先方から言われたんです。”バンドの面倒はウドー音楽事務所の人たちが見てくれるから、ビクター側は記者たちやスタッフの世話をしてやってくれ”と」

参考までに、筆者は2007年にビル・オーコインと話をしているのだが、その際、彼が認めていたのは「プレス関係者の大半はそれまで日本に行ったことがなく、ジャパン・ツアーに同行できるというだけで興奮していた」という事実と、「原稿を1本書くごとに、かならず”パンアメリカン航空”という言葉を文中に入れるという条件をつけた」という裏話。要するに、いわゆるタイアップみたいなことがその頃すでに始まっていたわけである。さて、次回はいよいよ最終回。当時の、メンバーたちの素顔に迫ることにする。

取材/文 増田勇一

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