BIOGRAPHY

フジコ・ヘミング/Fuzjko Hemming
ピアニスト、アーティスト。
1931年12月5日、日本人ピアニストの母と、スウェーデン人デザイナーの父を両親として、ドイツ・ベルリンに生まれる。弟は個性派俳優の大月ウルフ。
母の手ひとつで東京で育ち、5歳の頃より母の手ほどきでピアノを始める。10歳の頃より、日本に移住したレオニード・クロイツァーから指導を受け、青山学院高等部在学中に17歳でデビュー・リサイタルを果たす。東京藝術大学入学後、日本音楽コンクールや文化放送音楽賞などで入賞。戦争の混乱で国籍を失っていたが、ドイツ大使館の支援により28歳でベルリン芸術大学に入学した。優秀な成績を収めるとすぐに、ベルリンで単独リサイタルを成功させ、ウィーンへと活動の場を移す。レナード・バーンスタインなど多くの著名音楽家の知遇を得るが、注目のリサイタル直前、風邪を悪化させ聴力を失い、大きなチャンスを逃してしまう。失意の中、父の母国スウェーデンで療養し、国籍を回復。その後はドイツ各地で子供たちにピアノを教えながら、演奏活動を続けた。
母の死から2年後の1995年、30数年にわたる欧州生活に区切りをつけ帰国。苦しい生活の中、ホームコンサートや聖路加国際病院での慰問演奏を続けると、やがて口コミが広がり、旧東京音楽学校奏楽堂でのリサイタルを成功させる。1999年、NHKのETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』で取り上げられると一夜にして大反響を呼び、60代後半で“フジコブーム”が巻き起こる。アルバムCDがクラシック界では異例の200万枚という大ヒットを記録し、日本ゴールドディスク大賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを4度受賞。日本武道館や米国カーネギー・ホールでの単独公演を成功させると、その後はパリに拠点を移し、世界各地で演奏活動を行った。
ソロ以外でも、モスクワ・フィルハーモニー交響楽団やハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団など、各国のオーケストラとの共演も数知れず、名門レーベル「Decca Records」から多くの名盤をワールド・リリース。また、画家としての顔も持ち、オリジナリティーに溢れた絵画やイラストも人気が高い。
2018年、彼女のワールドツアーに密着した劇場映画『フジコ・ヘミングの時間』(監督:小松莊一良)が異例のロングランヒットを記録。海外にも公開が広がり、第22回上海国際映画祭に招待上映される。そして、フジコ自身が2年の歳月をかけて選曲したオールタイム・ベストアルバム『COLORS』と、続編映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』を製作する中、2024年4月21日、92歳で旅立った。
独特なファッションや言動、自分を信じて努力を続け、夢をあきらめない姿は多くの人を勇気づけ、「最もチケットが取れないピアニスト」として最晩年まで圧倒的な人気を誇った。生涯独身を貫き、自宅で20匹以上の保護猫を育てるなど、動物愛護や社会的弱者への支援に尽力。慈愛に満ちたチャリティー活動を長年にわたって継続した。
2025年、生前交流のあった菅野美穂がナレーションを務めた最後の映画『フジコ・ヘミング 永遠の音色』が公開され、今なお新たなファンを生み出し続けている。