BIOGRAPHY

1925年東京生まれ、1943年東京音楽学校(今の東京芸大)に入学、戦争のため休学して満州へ。

戦後一家で引き揚げたあとは二子玉川のダンスホールで歌い手となり、そこでピアノを弾いていた作曲家米山正夫の知遇を得る。米山の紹介で1948年テイチクから歌謡曲歌手としてデビュー。まもなく当時の人気バンド原孝太郎と東京六重奏団の専属となりシャンソン、歌謡曲を歌う。数々のラジオ、コンサートに出演後早川真平ひきいるオルケスタティピカ東京の専属となり1951年ビクターからタンゴ歌手として再デビュー。

1953年勉強のため渡ったアルゼンチンでペロン大統領主催のエビータ追悼コンサートに急遽出演、大統領を前にうたい、大喝采をあび、アルゼンチンで自伝のドラマが作られるほどのスターとなった。帰国後は民放各局で自身の番組をもち、日本にタンゴ黄金時代をもたらした。今もなおアルゼンチンで語り継がれる永遠の大スター藤沢嵐子。