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『Heisei Free Soul』リリース記念対談

橋本徹(SUBURBIA)× 柳樂光隆(Jazz The New Chapter)
構成・文/waltzanova


 
平成は音楽を自分色に染めていくことができるようになった時代

―まずは平成という時代がお二人にとってどのような時代だったかというのをうかがいたいんですが。

橋本:平成という時代は、街に流れる音楽や、空間のBGMを、どんどん自分色に染めていくことができた時代だと思います。メディアとしてはレコードからCDへの移行、そして12インチ・シングルの隆盛、つまりクラブ・ミュージックが盛り上がり、ヒップホップがポピュラリティーを得た時代ですね。昭和までは音楽そのものや作り手と聴き手、ジャーナリズムもジャンルごとに分化していましたが、そこを越境するという楽しみ方が広がったのも大きいですね。あらゆる意味でエクレクティックになったというか。旧譜がCDリイシューされて新譜と同列に聴けたり、ヒップホップのサンプリングやカヴァーを通して、感受性のままに折衷的・越境的に音楽を深掘りできるようになったこともプラス面でした。

―橋本さんが1990年代初めに提案したディスクガイド「Suburbia Suite」はその象徴とも言える存在でしたね。

橋本:「Suburbia Suite」も「Free Soul」もともに、新旧問わず世界中の広大な音楽という海の中を自由に行き来して、気分やシチュエイションに応じて魅力を分かち合うというタイプのリスニング・スタイルを広め、音楽シーンに影響を与えたと思います。リスナーの一般教養の書き換えということも含めてですね。

柳樂:橋本さんが当初提案したのは、DJカルチャーを通過して切り取ったリスニング用の音楽だった、というところが新鮮でしたね。

橋本:普通の音楽好きもDJ化していったというか、お気に入りの曲を集めて自家製コンピレイションを作ったりすることが一般化しましたよね。作り手と聴き手と紹介者が混ざり合っているというか。2010年代以降はSNSによってそれがより加速するわけですが。

柳樂:ストリーミング・サーヴィスの普及が音楽革命みたいに扱われることが多いけど、意外と変わってないなと思いますよね。「Free Soul」や「Ultimate Breaks & Beats」みたいなコンピレイションもその前身みたいな感じですしね。

橋本:そうそう、コンピレイションはプレイリストの雛型というか礎みたいなものだと感じるね。

柳樂:藤原ヒロシのミックステープなんて、まさにそういう感じですよね(笑)。

橋本:MUROくんの「Diggin’」シリーズとか。

柳樂:そうですね。外為法の改正で大きな輸入盤屋ができて、円高の影響もあって90年代は外資系のメガストアにすごく勢いがあったという。

―1990年にHMV渋谷がオープンしているんですね。「渋谷系の総本山」と言われて、90年代半ばには「Free Soul」のコンピがこのお店の邦楽売り場のチャートで1位になりました。2009年に一回閉店したことも含め、時代の流れとシンクロしていますね。

橋本:タワーレコード渋谷店も大型化した現店舗への移転が1994年だからね。音楽ファンにとって街のレコード屋が外資系CDショップに変わったというのは象徴的な出来事だと言えますね。

柳樂:ストリーミングも、ものすごく大量にある音源の中から自分のセンスとかけたいテーマやシチュエイションによって曲を選んでいくんだけど、そういう聴き方は前からあったし、橋本さんはずっとそれをやってるだけとも言える(笑)。

橋本:そうかもしれない(笑)。CDと12インチの時代になって一気に情報量が増えたのと、サブスクリプションが登場したときのインパクトは重なる部分もありますね。テイストメイカーが重要になったというか、キュレイター的な存在が注目されるようになった。ショップBGMやストリーミングのプレイリスト、コンピレイションCDなど、いろいろな選曲をするんだけど、「Free Soul」の名を冠すときは、ソウル・ミュージック周辺のグルーヴィー&メロウなテイストというところは外さないようにしているね。

   

『Heisei Free Soul』のコンセプトと橋本徹の特殊な選曲術

柳樂:(『Heisei Free Soul』の曲目を見ながら)それをずっとやってきた人の30年という感じがありますね。ただ、ソウルというジャンルではなくテイストで選んでるからレニー・クラヴィッツの「It Ain’t Over ‘Til It’s Over」も入るということが重要なんですよね。

橋本:今回はその年を象徴する名作を、というのがテーマだったから、必然的に名前のあるアーティストを取り上げるというのがゲームの規則だったところがあるしね。レニクラやQ・ティップ、ノラ・ジョーンズ……ジャンルを横断して名前のメジャー度が比較的高いアーティストの中で、ストライクゾーンの出し入れをしていく感じだったね。

―『Ultimate Free Soul 90s』と比べると、よりメジャー感があるように思いました。「ああ、あの年のヒット曲だな」ってものもありますし。

柳樂:橋本さんって、意外とアンダーグラウンド感があるようでない人なんだな、って僕も思うことがあって。DJっていうと小さいレコード屋行ってマイナーなレコード買ってきて暗いところでかけてるっていうイメージがあるけど(笑)、そうじゃないものも選んでますよね。

橋本:アンダーグラウンドな音楽も好きなんだけど、それをアンダーグラウンドのまま出したくないっていう気持ちもあって。しれっとマッドリブを混ぜ込んだりしてるんですけど(笑)。

柳樂:90年代は、MTVでPVが流れてました、みたいなものも多いですね。

橋本:それがその年の記憶を呼び覚ます装置というかキーになっている部分があるからね。『Heisei Free Soul』のプロジェクトは、クラブ・シーンとFMラジオの中間くらいを行けたらというバランスをめざしたというのはありますね。でも、今回忘れてるものがないかとビルボードのヒットチャートを各年眺めてみたんだけど、意外と「Free Soul」に持ってこられるものは少なくて、年間に1、2曲あればいい方だったんだよね。で、あればそちらを優先して、ない場合はDJパーティーで盛り上がったものや個人的な思い入れという基準で選んでいきました。その中で、「Free Soul」の特徴かなと思ってる「二人で聴いていい感じになる音楽」という物さしはどこかに残っているような気がしますが。

柳樂:今年でウォークマンが40周年っていうことで、どう音楽を変えたかという対談を先日したんですよ。それまでは家のステレオやカーステレオで聴いていたものが、完全に一人で聴けるように変わったというのが大きくて。

橋本:自分の日常のサウンドトラックとして持ち歩けるものになったよね。

柳樂:片や完全に閉じた世界で、一方クラブはオープンなところでみんなで音楽をシェアするみたいな感じなんだけど、意外と両者は近くて、DJが作ったミックステープをウォークマンで聴くというカルチャーもありましたよね。橋本さんのコンピレイションはちょっと特殊で、クラブでかかってもいいけど一人でも聴けるというところも大切なポイントで。

橋本:例えば「Good Mellows」シリーズは、クラブ・ミュージックとして作られているけどメロウ・チルアウトで、海辺で聴いて気持ちいいというコンセプトでセレクトしていますしね。「Mellow Beats」シリーズもそれに近い機能を持っていて、ヒップホップとジャズの蜜月をホーム・リスニングでということだし、「Cafe Apres-midi」シリーズはもちろんカフェのBGMとしてもいいけど、家でカフェみたいな心地よい雰囲気を味わえるということだから。「Free Soul」はまさにそうだけど、DJパーティーの楽しさをCDによって家やドライヴでも楽しめるようにという発想で、ジャケットやアートワーク込みでそういう気分をパッケージングするには、コンピレイションというのは最高のアートフォームだと思いますよ。

柳樂:DJの人がコンピを作ると、自然とDJっぽくなるというか、クラブ・プレイの感じが80パーセント、リスニング感が20パーセントという感じになったりするんですよね。メロウだったとしてもクラブのラウンジっぽくなる。橋本さんは全然違って、そこがよくわからないんですよ(笑)。

橋本:DJという意識より前に、普通に音楽が好きで聴いているリスナーだからね。クラブDJだけでなくアパレルのショップやカフェの選曲をしていることもあるし、いかにもDJですというクリシェに陥りたくないという気持ちも昔からあって。

柳樂:アナログ音源オンリーだったり、ファンクやディスコ一辺倒にならない塩梅というのが橋本徹だと思いますね。フィルターの通し方が違うというか。

橋本:熱心な音楽マニアじゃなくても「なんとなくいいよね」と思うものは大切にしていて、そこから外れるものは思いきって切ってしまうという選び方はしているね。例えば今回、1997年はロニ・サイズも候補だったんだけど、この流れだとちょっと違うかなと思って外したり、そういうのは結構あるな。逆に2011年のジェイムス・ブレイクは、震災の年というのもあって「これしかない!」と思ったんだけど、前後がうまくハマるかには気をかけて。「Wake Up Everybody」と「Afro Blue」が前後だったから、すごくいい流れになりましたけど。

柳樂:コンピCDって自分の作品を作るわけで、思い入れや条件づけみたいなものが縛りになることがありますよね。

橋本:僕はたくさん作ってるからか、割とそういうのに寛大なんだよね(笑)。もちろん、最初の何枚かはこれじゃなきゃ嫌だというのが強かったけど、最近はそのプロジェクトにタイミング的に合わないものは、運命を受け入れて次で入れればいいやと考えてますね。

柳樂:初期の橋本さんのコンピはやっぱりイケイケというか(笑)、ライナーの対談を読んでいても現場で盛り上がる曲をいっぱい入れたいっていうのを感じるんですよ。で、カフェ・アプレミディを開いてからの「Free Soul」は、曲の並べ方とかが変わってきているなと。

 

橋本:確かに90年代の方が、よりクラブに根ざして音楽生活を送っているコアな人たちへの目配りがあったかもしれないですね。気持ちとしては「bounce」の編集長をやっていたときにモットーにしていた「敷居は低く、奥は深く」というのはずっと変わっていないけど、90年代を通してコアに向けた部分には達成感があったので、レア・グルーヴからブラジリアン、ヨーロピアン・ジャズ、ディープ・ファンクみたいな当時のDJの流行の変わり身の早さやレア盤至上主義には違和感を感じるところもあって。狭い範囲でのトレンドで動いていきたくないというか、コンピレイションも楽曲単位からアーティストやレーベル単位へと向かったのもそれが理由のひとつでした。

―より広い視野でのある種の啓蒙活動ですね。

橋本:すごくマニアックなものを知っているのにカーティス・メイフィールドを聴いてないみたいな逆転現象に山ほど出くわしちゃったのもあって。スティーヴィー・ワンダーの「Golden Lady」のオリジナルを聴いて、「これ、ホセ・フェリシアーノのカヴァーですか?」みたいなこととか(笑)。平成になる前にいた頭の固いソウル親父のように、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット的なものをちゃんと聴かせたいみたいな意識が2000年前後に高まりました。90年代はクラブ・パーティーに根ざしていたのが、カフェ・アプレミディの店舗を1999年に始めたこともあって、リスナーとして想定してる人たちの質が変わっていったのかもしれません。

柳樂:橋本さんのイメージとして、ずっとDJを続けている人で、特に「Suburbia Suite」の頃はディガーっぽいという……。

―最近は少なくなったかもしれないけど、「マニアックな昔の音楽ばっかり聴いてる」とかですかね?

橋本:90年代前半はよく「橋本さん、新しいのも聴くんですか?」って言われたよ(笑)。渋谷系的な文脈で認知されていた「Free Soul」を始める前は「橋本さん、黒人も聴くんですか?」とかね。

柳樂:珍しいレア盤とか、新譜でもプロモとか流通量の少ないものを持ってるんだろうなという。

橋本:そういうものに対するアンチな気持ちが強くなっていったんだよね。レアかそうでないかとか、持ってる持ってないみたいな価値観がやっぱり好きになれなくて。僕の場合、現在進行形のものと行き来できる音楽が好きなんだよね。現在から見て輝いている過去の音楽とつながる瞬間を味わえたときが楽しいんです。

―さっき1999年にカフェ・アプレミディを始めて、という話が出ましたが、2000年代前半はアプレミディ関係のコンピレイションが多いですよね。

橋本:東京はカフェでブラジリアンで、みたいな雰囲気はあったよね。タワレコやHMVに行くと、モンド・グロッソの「LIFE」とかがヒットしていて、洋楽売り場ではアプレミディの幸せそうな老人の色とりどりのジャケットが並んでいるという。

―どちらも老人がモティーフだったので、よく覚えています。アメリカやイギリスとは違う東京独自の文化でしたよね。

   

1990年代前半―12インチとリミックス、サンプリング・カルチャーの全盛期

―ここから少し各論に移りたいんですが、やはり90年代前半のセレクションは音像も含めてキラキラしてますね。

橋本:日本の音楽シーンは、J-WAVEの開局や小箱クラブ・シーンの活況、渋谷系の隆盛など、当時の勢いを感じますね。渋谷近辺を中心として音楽ライフを送っていた人間としては、ネオアコやフリッパーズ・ギターを聴いていた人たちもUKソウル~グラウンド・ビート~アシッド・ジャズに流れて、そのグルーヴやメロウネスに感化された頃のドキュメントという感じかな。ヒップホップだったらデ・ラ・ソウルやトライブ・コールド・クエスト、ファーサイドといったニュー・スクール勢。

―僕も最初に聴いたヒップホップはそのあたりでしたね。スチャダラパーの影響も大きかったです。

橋本:ソウル・Ⅱ・ソウル、シャーデー、オマー、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートにジャミロクワイといったUKソウルを中心に、レニクラやスウィング・アウト・シスターなどのロック~ポップものも含め、毎週新譜が出るたびに音楽仲間と歓喜しあうという、それが渋谷らしいスタイルだったというイメージですね。ハウスだとフランキー・ナックルズの「The Whistle Song」がエポックメイキングだったし、UKではマッシヴ・アタックやビーツ・インターナショナル、プライマル・スクリームも重要でした。

―70年代ソウル周辺との架け橋になる曲がサンプリングやカヴァーで注目されましたね。マッシヴ・アタックならウィリアム・ディヴォーン「Be Thankful For What You’ve Got」だし、コートニー・パインはダイアナ・ロス「I’m Still Waiting」、デ・ラ・ソウルはスティーリーダンやマイティー・ライダース、トライブ・コールド・クエストならルー・リードやランプ、アイズレー・ブラザーズという感じで。

橋本:アメリカだとシャニースやTLC、SWVにアン・ヴォーグなどが、楽曲単位でアピールしてくる感じでしたね。イギリスではデズリーの「You Gotta Be」も女の子にすごく人気があったし。

柳樂:この時代のクラブ・ヒットは12インチってことが重要ですよね。今の若いリスナーは、アルバムでみんな聴いていたみたいに思うかもしれないけど、この当時は12インチがメインのフォーマットでしたね。 

橋本:デ・ラ・ソウル「Eye Know」やSWV「Right Here」、R.ケリー「Summer Bunnies」もそうだけど、オリジナルよりリミックスの方をみんな知っているという。そのどれもが70年代ソウル周辺の鮮やかな引用と再構築で成り立っているのがこの時代の特徴かな。

柳樂:今は定期的にリミックスを出してストリーミング・サーヴィスで話題性を保つようにしているアーティストがいますが、この時代はプロモ・オンリーとかUK盤オンリーのリミックスとかを出して、まずはクラブ・シーンに投げていくアーティストも多かったですよね。あと、橋本さんのこの選曲を見ていると、アメリカとイギリスが混在しながらもイギリスっぽさが濃いですよね。

橋本:80年代に育った人間が90年代にクラブで遊ぶようになると、自然とイギリスの音楽が好きっていう人が多かった。もとはスタイル・カウンシルを聴いていたりとか。

   

1990年代後半―アメリカとイギリス、それぞれの音楽的進化と「bounce」の編集

―僕は橋本さんの影響もあると思いますが、それがとても自然なことでしたね。その流れが切り替わるのはニュー・クラシック・ソウルあたりからですかね。サウンドも生っぽくなって。

橋本:ベイビーフェイスのフォーキー化、ディアンジェロ、エリカ・バドゥの登場というのが90年代後半を準備したね。一方、イギリスにおいてはトリップホップ、ドラムンベース、ブロークンビーツという、べース・ミュージックにつながっていく流れが出てきて、アメリカとイギリスが離れていくよね。90年代前半と後半でそれぞれトーキング・ラウドのコンピ『Talkin’ Loud Meets Free Soul』を作ってるけど、きれいにそのへんは移行していくね。

柳樂:ジャイルス・ピーターソンの神通力というか影響を日本人はかなり受けていて、それが徐々に薄れていくんですけど、ここでの選曲でもジャイルスっぽさが途中でなくなってきますね。

橋本:全く失われたわけじゃないけど、その年を代表するところまでは入ってこないかなという感じだよね。その代わりに浮上してくるのが、J・ディラ、エリカ・バドゥ、ディアンジェロ、ザ・ルーツ、Q・ティップなど、ソウルクエリアンズ周辺で、僕自身の中でも興味が流れていったんだよね。この時期は「bounce」の編集長をやってた時期だったから、ニュー・クラシック・ソウルやソウルクエリアンズ、一方でイギリスではロニ・サイズや4ヒーローをよく特集してたという記憶があるな。

柳樂:なるほど。

橋本:そことクロスする感じで、90年代的なものの完成形としてのメアリー・J.ブライジとローリン・ヒル。ローリンはその前にフージーズもあったけど、ファースト・アルバムにして集大成という感じだったね。

―ローリンの『The Miseducation Of Lauryn Hill』は98年ですね。橋本さんは99年になると2000年に近いイメージになっていくって話してましたよね。

橋本:TLCの「Silly Ho」の登場が象徴的だったと思うけど、サンプリングにお金がかかるようになって、R&Bやヒップホップが打ち込み主導のものになっていく。ティンバランドやネプチューンズとか。一方で、東京は逆にカフェ・ミュージック的なサニーな方向に向かうよね。日本のアーティストならオレンジ・ペコーとか。

   

2000年代前半―カフェ・ブームとアンダーグラウンド・ヒップホップのジャジー&メロウ

―あの頃、ボッサ・ハウスとかすごい流行ってましたよね。「Free Soul」や渋谷系を聴いていた人も、スケーマとかイルマとかのヨーロッパのボッサ・ハウス系に流れていったという印象もあります。

橋本:僕はそのへんには結構アンチだったんだけど、2000年代が始まった頃のイメージだよね。僕自身も1999年にカフェ・アプレミディを始めているから、ソウルやジャズ・ファンクよりは、ブラジリアンやサロン・ジャズ、シンガー・ソングライターっぽいものが身近で人気を集めるようになっていったりするんだけど、2000年代前半の選曲候補にはそういう感じが出ているね。アメリカの「Ventura Highway」をサンプリングしたジャネット・ジャクソン「Someone To Call My Lover」とか、ルーファス・ウエインライトが歌うビートルズ「Across The Universe」、4ヒーローのミニー・リパートン・カヴァー「Les Fleur」とかは、カフェ・ブーム華やかなりし頃を思い出させるね。あとクープの「Summer Sun」は聴かない日がないくらいかかっていた(笑)。その一方で個人的な趣味としては、さっきのソウルクエリアンズ周りやマッドリブ、西海岸のアンダーグラウンド・ヒップホップといった方向に向かうんだよね。東京では2000年代にNujabesも登場して、ジャズとヒップホップの蜜月という時期になっていく。

―それが「Mellow Beats」のシリーズにつながっていくんですね。少し射程を長く取ると、ロバート・グラスパーもその頃シーンに登場している。

橋本:ソウルクエリアンズ周辺におけるロイ・ハーグローヴの存在も大きいよね。あと、カルロス・ニーニョのビルド・アン・アークというLAジャズが入ってきたのは大きいですね。

柳樂:ビルド・アン・アークは、ちょっと前まではファラオ・サンダースをそのままリメイクしていたような人たちだから、「Mellow Beats」のシリーズと地続きの感覚かつ次の流れの始まりだったとも言えますね。

橋本:4ヒーローもそうだけど、ジャズ・シーン特有の温故知新というか、過去を参照しつつも進化していったんだよね。覚えているのは、ボッサ・ハウスやレア盤ブームへの興味が薄れて、2002年くらいからレコード屋でどんどんアンダーグラウンド・ヒップホップのコーナーに行くようになったんだよね。カフェではホセ・ゴンザレスやベニー・シングスが流れていた、そういう時代。

柳樂:その頃のヒップホップはアブストラクトな方向へも向かっていましたね。ビート・ミュージックの走りというか。

橋本:イギリスだとベース・ミュージック、アメリカだとLAの方からビート・ミュージックっていう潮流が出てきて。その頃を象徴するってことになると、マッドリブになるんだけど。過去と行き来する現在進行形のものという観点で考えると、マッドリブとボビ・ハンフリー~マイゼル・ブラザーズの関係というのはその象徴のひとつだなと思って2003年に選びました。

柳樂:中古盤屋に通ってる人が買ってる新譜って感じですよね。ネオ・ソウル関係やストーンズ・スロウ周辺の感じ。

橋本:そうだね、『Heisei Free Soul』はこのあたりで急にメインストリーム・ヒットが減る(笑)。98年にスラム・ヴィレッジ、99年にMF・ドゥームを選曲候補にしたけど、最終的にJ・ディラとマッドリブが2004年に一緒にやるでしょ。2000年代前半のトピックはそこかな。スラム・ヴィレッジは、ロバート・グラスパーの「J Dillalude」にもつながっていく。

柳樂:J・ディラだって、中古レコードをいっぱい買ってる人が喜ぶサンプリングの人って感じもありましたよね。トライブ・コールド・クエスト的なものをこの時代に求めたら、自然とそこに行きつくっていうか。

橋本:J・ディラの功績は、古くは1995年に選んだファーサイド「Runnin’」からなんだけど、デトロイトから移住したLAのシーンへの貢献はもちろん、クリス・デイヴのドラムが典型的なように、2010年代のメジャー・シーンに彼の影響が表れている点だよね。

   

2000年代後半―「ていねいな暮らし」に寄り添ったオーガニック&アコースティック

―サンプリング・ヒップホップが少なくなって、スティーヴィー・ワンダー直系のドニ―や、ヴィンテイジ感のあるアリシア・キーズとかも、Free Soul界隈だと人気を集めていましたね。

柳樂:コリーヌ・ベイリー・レイも「Free Soul」っぽいですね。リンダ・ルイスとかを好きそうな人が反応しそうな感じで。 

橋本:この頃、もうアラフォーになっているような「Free Soul」好きや元渋谷系好きが、彼女の登場で心を潤されたというか(笑)。

柳樂:ベニー・シングスとかもね。

橋本:ベニー・シングスはキンドレッド・スピリッツ関係だったから、ビルド・アン・アークとかを好きだった人が自然と手を伸ばしていった感じもあったね。

―一貫してヴィンテイジ感やオーガニック感、アコースティック感がある選曲ですね。「Free Soul」のフォーキー・サイドというか。

柳樂:ジャック・ジョンソンは『Heisei Free Soul』のコンピには入ってないけど選曲候補リストには入っていて、この時代の雰囲気がよく伝わりますね。トミー・ゲレロとかも人気を集めました。

橋本:久しぶりに東京のFMで受けるいい感じにスタイリングされたジャンルになったんだよね、そのへんが。サーフ・カルチャーとの親和性もあって、音楽的にも「Free Soul」のストライクゾーンだったし。『スプラウト』は映画もサントラもすごく好きだったな。

―当時は“ロハス”とか“スローライフ”とかが流行っていた時代でもありました。「クウネル系」という言葉もあって。

柳樂:ハナレグミっていつなのかな?

―ハナレグミのファースト・アルバムは2002年ですね。「Free Soul」のコンピに入っていた人気曲、ブッカー・Tの「Jamaica Song」をカヴァーして人気を呼びました。

橋本:「ていねいな生活」や「上質な暮らし」がキーワードになっていたりして、カフェ・ブームの延長線上にある感じだよね。

柳樂:橋本さんのパブリック・イメージはそういうものと隣接してる感じがあるけど、実際はそうでもないですよね。

橋本:うん、カフェ・ブームやメロウ・ヒップホップ~ジャジー・ヒップホップのブームに関して、企画もの的な音楽的に薄いCDと自分のコンピを一緒にされることに対してすごく拒否感があったのを覚えてるな。カフェの音楽が、ボサノヴァやソフト・ロックでしょみたいなイメージからなかなかアップデイトされていかないことにも違和感を感じてたし。

柳樂:橋本さんはカフェをやっているけど、中心は常に音楽にあるからってのもあるんでしょうね。ブームが起こる前のカフェは夜はクラブでDJをするような男子の昼間の秘密基地的な場所でもあったんだけど、それが徐々に一般的なものになっていくにつれて、相対的にカフェでの音楽の価値が下がっていった感じはあるしね。後に「J-POPのボサノバ・カヴァー」みたいなものが出てくる流れと一緒にされたくない気持ちという感じですかね。

―2007年のエイミー・ワインハウスもヴィンテイジ感がありますが。

柳樂:でも、エイミーと「クウネル系」の食い合わせは最悪だよね(笑)。ヤク中でタトゥーだらけでっていう。

橋本:最初はJ・ディラ&コモン&ディアンジェロの「So Far To Go」やニーヨを候補に挙げてたんだけど、なんかエイミー入れたいなって直前で差し替えたんだよね。エイミーは60~70年代との距離感が近いしね。

柳樂:ファーストはネオ・ソウルだし。

橋本:セカンドもマーク・ロンソンと組んでこういう作品を作ったというのは、ひとつの金字塔だと思うよ。

   

2010年代前半―リベラルなアーバン・ミュージックと「Free Soul」テイストがリンク

橋本:それでは、そろそろ「Jazz The New Chapter」ともクロスする2010年代へ行きましょうか(笑)。

柳樂:2000年代前半は、さっきも話が出たように日本だとイタリアン・ジャズとかフィンランド・ジャズなんかが話題に上ることが多かったですね。これって基本的にクラブ経由のものなので、サンプリングや引用、カヴァーが多いんですが、アメリカだとこのくらいの時期からジャズ・ミュージシャンがスタンダードを演奏しなくなるんですよ。それよりも新しいスタンダードとなるべき曲を探したりオリジナルを演奏したりする方向に向かって。

橋本:J・ディラやレディオヘッド、ニック・ドレイクとかだね。

柳樂:で、その流れが割と他のジャンルともつながっているんですよ。過去に引きずられないというか。

橋本:ロバート・グラスパーの『Double Booked』は2009年だっけ? あのアルバムの後、NYのジャズ・シーンとアーバン・ミュージック・シーンみたいなものがどんどん混ざり合っていくんだけど、2008年の選挙を経て翌年にオバマが大統領に就任した、その空気感というのが反映されていると思うんだよね。僕の好きな音楽が一気に増えて、黒人のリベラル・ミュージックの名作がどんどん生まれていく。その象徴であり幕開きが2010年のジョン・レジェンド&ザ・ルーツがコモンとメラニー・フィオナをフィーチャーしたハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのカヴァー「Wake Up Everybody」、MVも感動的だよね。

―「ヴェトナムに平和を」というプラカードが「イラクに平和を」に変わるんですよね。

橋本:歌詞も含め非常にエデュテインメントになっているのがすごく示唆的で。2010年代が始まったと位置づけたくなりますね。ジャズならテイラー・アイグスティのアルバム・タイトル『Daylight At Midnight』だったり。

柳樂:この頃、CDが売れなくなってきてライヴの時代だ、みたいな話になり始めてましたね。

橋本:日本だと2000年代もフェスの時代で、僕はDJがやりづらかったイメージがあるなあ。EDMとか乙女ハウスみたいなのじゃないとお呼びじゃない感じで(笑)。90年代に比べると、自分の音楽趣味というのがオルタナティヴな存在になっているという意識は、2011年くらいまで引きずっていたかな。で、Nujabesが亡くなったことなどもあり、内向的なものを好んで聴いていたのが2010年代の最初。そこに震災が起きて、ジェイムス・ブレイクの幽体離脱的なサウンドが当時の心象風景にハマったのを覚えています。 

柳樂:僕が本当に再発を買わなくなったのが、この2011年くらいの時期なんですよ。たぶん再発を出し切った時期なんだと思うんですけど、これ以降になると辺境ものに行ったり、レコードを掘る行為が完全にハードルが高いものになったというか。マッドリブでさえ勢いが落ちたというのが象徴的に思えますね。

橋本:僕はこの時期に自分の心に合う新譜を探していたら、NYのアーバン・ミュージックとジャズの接点というのが一番魅力的に映ったんだよね。

柳樂:誰も知らないようなマイナーなものを探してきて聴く回路が切れていたというか、その必然性をあまり感じていない時期でしたね、僕は。一方でメジャーなところが面白くなってきた時期でもあって、その象徴はカニエ・ウエストでしょうか。カニエが選曲候補になかったのは意外に感じました。

橋本:2000年代でリストアップしようか迷ったんだけど、今はあまり心情的に入れづらいタイミングで。R.ケリーしかりなんだけど(笑)。

柳樂:ヒップホップ好きじゃない人でも、カニエはチェックしなきゃという雰囲気がありましたよね。すごく売れてるものが面白く聴こえるようになった時期ですよね。ロバート・グラスパーやテイラー・アイグスティもメジャー・レーベルからですもんね。 

橋本:そうそう、ジャズなら彼らに続いてデリック・ホッジやケンドリック・スコットなんかも。このあたりから、メインストリームの音楽シーンと僕自身の音楽的な趣味と「Free Soul」的なテイストがリンクしていって。だから『2010s Urban』シリーズを作らせてもらって嬉しかったですね。2013年の終わりに「2010s Urban」をテーマにした「Suburbia Suite」のスペシャル・イシューをまとめることができたし。

柳樂:90年代初頭に還った感じがありますよね。2000年代前半は頑張って掘らないといけなかった感じがあったから(笑)。

橋本:売れてるものをレコード屋でチェックすればいい感じになっていくよね。ストリーミングの普及も新譜へのアクセスを容易にしていった部分があるし。2013年はライとクアドロン、ロビン・ハンニバル大活躍の年だね。そしてダフト・パンク、ジャスティン・ティンバーレイク、翌年のマイケル・ジャクソン……。

―ディスコ・リヴァイヴァル的な時期でもありましたね。

橋本:ロビン・シックのヒットも含め、ファレルの活躍が象徴的だね。あとはやはりマイケル・ジャクソンの再評価かな。亡くなったのは2009年だけど、「Love Never Felt So Good」が2014年に陽の目を見てヒットして。僕たちのDJパーティーでもあれだけかかったっていうのは凄いなと。その翌年の2015年の収録曲はジャネット・ジャクソンの「Broken Hearts Heal」なんだけど、「マイケルよ永遠なれ」っていう気持ちを込めた曲としてはジャネットの録音時のエピソードも含め極めつけかなと。で、2010年代も後半に向かうとチャンス・ザ・ラッパー周辺のシカゴ勢、カマシ・ワシントンを中心にしたLAジャズ、マック・ミラーも並んでくる。

柳樂:このあたりからまたサンプリング的な感覚が戻ってきますね。

  

2010年代後半―東京という街だからこそ生まれ育まれた「Free Soul」カルチャー

橋本:「Free Soul」のDJパーティーが再び活発化するようになってくるのもこの頃だね。2014年に20周年を迎えて、たくさんCDを作らせてもらったのも大きかったと思うけど。それ以降、90年代に70年代の音楽と一緒にトーキング・ラウドやアシッド・ジャズがかかっていたように、新しい音楽が古い音楽に混ざってかかったり。中でもサンダーキャットやトム・ミッシュは「何でこんなに人気があるんだろう?」ってくらい人気があるね。

柳樂:「Free Soul」が作ってきた土壌に合ったんじゃないですか? あとは FMとか。最初にトム・ミッシュを聴いたとき、こんなにJ-WAVEっぽい音楽って存在するんだって感じだった(笑)。

―僕はフィーリングとしてジャミロクワイが登場したときのことを思い出しましたね。風通しのいい感じというか抜け方に同質のものを感じました。

橋本:ジャミロクワイはJKのキャラも大きかったけど、トム・ミッシュは控えめなところが今っぽいなと。星野源の時代というか(笑)。音楽性的にもサンダーキャットとトム・ミッシュはAOR~シティ・ポップ・リヴァイヴァルの系譜でも聴けるからね。それも東京で受けやすい理由のひとつなんじゃないかな。

―最後はアリアナ・グランデですね。

橋本:2019年の1月の段階での選曲だったんだけど、『Heisei Free Soul』に彼女の名前があることも大事だったな。2016年のソランジュと逆でもよかったけど、曲自体もアリアナが過去から新たに脱皮して新境地に向かっている感じだし。もちろんマック・ミラーとの関係も踏まえてのセレクションだけどね。

柳樂:Nujabesが生きてたら好きそうですよね(笑)。部屋で聴くメロウ・ヒップホップと相性いいというか。

橋本:ジョン・コルトレーン・ヴァージョンをNujabesが大好きだった「My Favorite Things」を下敷きにしてるしね。

柳樂:それを言ったら、トム・ミッシュもNujabesのミックステープに入ってそうですよね。今、結構Nujabesが好きそうな音楽が出てきてますよね。『Ristorante Mixtape』にもアシッド・ジャズがたくさん入ってたけど。

橋本:90年代から2000年代にかけて渋谷に住んでたら自然にそうなるよね。CISCOやDMRに寄って、やしまでうどん食べて、アプレミディでお茶してっていう生活。彼が生きてたら、今回ぜひ入れたかったフランク・オーシャンやケンドリック・ラマーも好きだったと思うし、初めてロバート・グラスパーのライヴを観に行ったときは、Nujabesと一緒だったんだよね。

―柳樂さんは改めて平成の音楽シーンを橋本さんと振り返ってみていかがですか。

柳樂:橋本さんの趣味は基本的に変わっていなくて、定点観測的なんですよ。20代から趣味が変わっていないというか、ずっと同じ感覚で選曲している。自分なんて、枯れたり、擦れたりしてますから(笑)。でも、そういう永遠の25歳みたいな感覚であり続けてる人の視点だからこそ、この30年の時代の変化が見えるようになっているなと。その意味では役割としては中村とうようと一緒(笑)。90年代はクラブやFMでヒットしていたものとかみ合ってる感じがあって、2000年代になると自分が好きなものをいろいろ探してるというか掘ってる感じがある。で、2010年代になるとまたメインストリームのものが入ってきて、90年代みたいになってきてる。今って宇多田ヒカルやビヨンセを選ぶことが自然に思える時代で、橋本さんの選曲を通じてそういうものも見えてくるなと思いますね。あと、橋本さんと対談してると一貫してNujabesの名前が出てくるよね。

―確かに、今回も日本人だと唯一エントリーしているアーティストですね。2009年のジョヴァンカとベニー・シングスを迎えたシャーデー「Kiss Of Life」のカヴァー。

柳樂:うん、アメリカでもイギリスでもヨーロッパでもないというか、東京の渋谷だからこそ生まれた音楽だということをすごく象徴的に感じて、やはりこの位置にNujabesがいなければいけなかったと思いますね。橋本さんという変わらない人が選んでいるからこそ、そのときの東京で生活していると感じる空気感が滲んでいるんじゃないかな。例えば9.11のときのノラ・ジョーンズ「Don’t Know Why」だったり、3.11のジェイムス・ブレイク「Limit To Your Love」だったり。

―なるほど。

柳樂:自分がこういう企画をやったら、すごくわかりやすく現在の音楽の状況から逆算して選ぶと思うんだけど、今回の橋本さんはその時代の雰囲気やその時代の空気感をそのまま選曲している感じがありますよね。だから「Free Soul」好きな人が当時を振り返りながら聴くとたまらないんじゃないですか。

橋本:まさにそれが『Heisei Free Soul』の最も大きなコンセプトだし、25周年記念企画たるゆえんだからね。平成31年間のそれぞれの年の思い出を胸に聴けるという。

―個々人の平成という時代の思い出のサウンドトラックになるということですね。お二人とも今日はありがとうございました。


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