ドイツ・グラモフォン ベスト100premium ドイツ・グラモフォン ベスト100premium

ドイツ・グラモフォン ベスト100premium

ドイツ・グラモフォンの歴史

 ドイツ・グラモフォン(DG)の歴史は、レコードの歴史そのものといっても過言ではない。というのもDGは、円盤レコードの発明者エミール・ベルリナーのグラモフォン社(旧EMI)のプレス工場として1898年6月にドイツのハノーファーに設立されたからである。こうしてグラモフォン社のドイツの拠点として誕生したDGは、1900年代になると自社録音も開始して、1913年には巨匠ニキシュとベルリン・フィルでベートーヴェンの《運命》を録音するなど、その当初からクラシック・レコード界で国際的な注目を集めていった。そして、第1次世界大戦が始まると、英グラモフォン傘下のDGは敵国資産として没収され、純ドイツ資本の会社として生まれ変わり、新たな歩みをはじめることになる。DGが海外向けにポリドール・レーベルを使用したのは、この時からである。1925年には新しい電気吹き込みを採用して、フルトヴェングラーとの録音も始まり、ベルリン・フィルとベルリン国立歌劇場管弦楽団という2大オーケストラを有するDGの交響曲・管弦楽曲のレコードは、ピアノのケンプやスレザークとシュルスヌスに代表されるドイツ・リートとともに、DGの名声を世界中に轟かすことになった。ただ、ヒトラー政権による支配が始まった1930年代になると、ナチスの文化政策と新興テレフンケンの台頭によって、DGは苦境を迎え、かつては1000万枚に達していた年間生産枚数も、第2次大戦中には5分の1以下に落ち込んでしまったという。DGがカラヤンとの録音を開始したのは、そうした苦難の時代であった。

 しかし、第2次大戦が終わると、DGは荒廃の中からいち早く復興の狼煙をあげ、フリッチャイやヨッフム、マルケヴィチなど、40年代から50年代のDGを支えた指揮者たちを起用するとともに、46年にはバッハ以前の音楽を対象にした「アルヒーフ・プロダクション」を創設して、レコード界に大きな一石を投じた。DGがチューリップ・マークのイエロー・レーベルを採用したのは49年のことで、50年代にはフルトヴェングラーとの録音を再開したほか、ベームとも契約し、SP以来の看板ピアニストであったケンプもベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集や協奏曲全集を完成するなど、着実に成果をあげていった。
 そうしたDGが大きく飛躍するのは、59年にカラヤンと契約してからで、カラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビに加えて、クーベリックやマゼールとの録音も始まり、ピアノのアルゲリッチやエッシェンバッハ、室内楽のアマデウス四重奏団、声楽のF=ディースカウなども、DGのレパートリーをいっそう多彩で魅力的なものにしていった。ベートーヴェンとブラームスの交響曲全集、ワーグナーの《指環》全曲をはじめとするカラヤンの録音やスカラ座のオペラ・シリーズなどは、この時期のDGの躍進ぶりを端的に示す名盤たちといってよいだろう。また、すでに50年代から現代音楽にも熱心に取り組んできたDGの意欲的かつ良心的な仕事は、「アヴァンギャルド・シリーズ」などで世界的にも高い評価を受け、その伝統は、その後もカラヤンの「新ウィーン楽派管弦楽作品集」やラサール弦楽四重奏団の「新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲全集」といったレコード史に残る名盤に結実していった。
 さらに70年代のDGはカラヤン&ベルリン・フィルに加えてベーム&ウィーン・フィルという強力コンビも獲得して、その黄金時代を築いてゆくことになる。この時期に相次いで完成された「ベートーヴェン大全集」や「交響曲大全集」、F=ディースカウの「シューベルト歌曲大全集」などは、世界のトップ・レーベルに駆け昇ったDGの自信と自負を象徴するような企画といってよいだろう。特に、カラヤン、ベーム、アバド、小澤、バレンボイム、さらにジュリーニ、カルロス・クライバー、バーンスタインと、巨匠から新鋭まで綺羅星のごときスターがそろった指揮者陣と、ポリーニやミケランジェリ、ギレリス、ツィメルマン、ポゴレリチらが加わったピアノ陣は、完全に他社を圧倒していた。比較的手薄だったヴァイオリンにも、パールマンやズッカーマン、さらにカラヤンに見いだされたムター、ミンツ、鬼才クレーメルに巨匠ミルシテインらが加わり、室内楽でも前述のラサール弦楽四重奏団のほかメロス弦楽四重奏団が次々と注目すべき録音を行って、DGのレパートリーを一段と多彩で魅力的なものにしていった。カラヤンのマーラーやR.シュトラウス・シリーズ、バーンスタイン&ウィーン・フィルのベートーヴェンとブラームスの交響曲全集、ギレリスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ・シリーズ、F=ディースカウのシューマンやヴォルフなど、この時期の名盤は枚挙に暇がない。

 そして、80年代に入ってもDGの快進撃は続き、カラヤンがいち早くデジタル録音でベルリン・フィルとの3度目のベートーヴェン交響曲全集を完成したほか、バーンスタインのマーラー・シリーズも大きな話題を呼び、指揮者ではシノーポリとレヴァインも獲得し、ピアノではホロヴィッツとルドルフ・ゼルキンという2大巨匠の録音もはじまった。ハーゲン弦楽四重奏団やヴァイオリンのシャハム、チェロのマイスキー、ピアノのウゴルスキとピリス、さらにオルフェウス室内管弦楽団やエマーソン弦楽四重奏団といったアメリカ勢の加入も、DGのアーティストとレパートリーにいっそう新鮮な魅力を加えたといってよいだろう。
89年にカラヤン、90年にバーンスタインと2人の巨匠指揮者を相次いで失ったことは、DGにとって大きな痛手であった。しかし、90年代はカラヤンの後任としてベルリン・フィルの音楽監督となったアバドとともに、新たにDGの顔となったブーレーズとチョン・ミョンフンが期待に違わぬ活躍を示し、ガーディナーも意欲的な録音を開始し、ドイツの俊英ティーレマンも次代を担う逸材として大きな注目を集めた。また、ハード面でも、DGの技術陣が総力をあげて開発した「4Dオーディオ・レコーディング・システム」がデジタル時代をリードする画期的な録音システムとして大きな注目を集め、最新録音だけでなく、「オリジナルス・シリーズ」に代表されるアナログ録音の名盤のCD化においても大きな威力を発揮していることはご存知の通りである。
21世紀に入ってからもハーンやグリモー、エマールといった第一級アーティストの他レーベルからの移籍、ユンディ・リやトリフォノフ、庄司紗矢香、五嶋龍をはじめとする実力派若手スターの獲得、オペラ界のスーパー・スター、ネトレプコ、さらには“幻のピアニスト”ソコロフとの契約など、アーティスト層の厚さと多彩さは群を抜いている。指揮者においてもベネズエラの国を挙げた音楽教育システムから世界に羽ばたいたドゥダメルを筆頭に、ネゼ=セガンやネルソンスなど若い才能を次々と紹介している。
また、2001年からクラシック音楽の魅力をよりカジュアルに、より安価に楽しめるクラブでの有料イヴェント『イエロー・ラウンジ』を世界各地で開催し、クラシック音楽へのアクセスを容易にして新たな聴衆を獲得することにも積極的だ。近年は、ポスト・クラシカルと呼ばれるジャンルにおいても才能豊かなクリエーターとその作品の紹介にも力を入れるなど、様々な試みを行っている。
デジタル・ダウンロードやサブスクリプション・サービスをはじめ、急速に変化し多様化している音楽マーケットの中で、レコードの歴史そのものともいうべき伝統を持つDGは、多彩なアーティストと優れた技術力、そして新しい発想を以て、日々輝かしい才能の紹介のために挑戦を続けている。2018年には創立120年を迎えるこの老舗レーベルが新たな歴史をどのように刻んでゆくか、その動向は、今後ますます目が離せないだろう。

歌崎和彦


  • http://www.riaj.or.jp/
  • http://www.universal-music.co.jp/faq/legal/
  • http://www.stopillegaldownload.jp/
  • http://www.riaj.or.jp/lmark/