Biography

フランスが誇るシャンソン界のスーパースター。

1924年5⽉22⽇フランス・パリ⽣まれ、⾔わずと知れた“シャンソンの神様”、レジェンドである。
2018年には94歳を迎えるが今も週3回は⾳楽出版社に出向き、ピアノを弾いて過ごすなど、圧倒的な“声”の存在感と“リズムの多様性”は健在だ。

60年代から70年代にかけて⽇本で起こった “シャンソン・ブーム”の代表曲「帰り来ぬ⻘春」は美しく悲哀に満ちたメロディーに素晴らしい訳詞がつく事によって、歌詞の意味、メロディー全てが時代のムードに⼀致し⼤ヒットする。他にも「ラ・ボエーム」「哀しみのヴェニス」「世界の果て」「コメディアン」「イザベル」など多くの曲に⽇本語の訳詞がつき、多くの⽇本⼈シンガーによって歌い継がれていく事になる。
⽗はグルジア系、⺟はアルメニア系移⺠の両親の元で育ち、9歳頃から家族の経営するレストランなどで姉と共に舞台に⽴った。
1946年エディット・ピアフに認められ本格的に歌い始める。その後、当時ピアニストであったポール・モーリアをアレンジャーに迎え数々のヒット・ソングを⽣む。ポール・モーリア夫⼈によると、アズナヴールがアレンジャーを探していた際、候補者は超多忙のクインシー・ジョーンズ、ミシェル・ルグラン、そして当時若⼿ピアニストのポール・モーリアの3⼈であった。アズナヴールはポールを選び、ここから2⼈の交流が始まり、アズナヴールの楽曲でポールがアレンジを⼿がけた数は130曲に及ぶ。

失恋や⼈⽣の悲哀を歌う彼の曲は、彼⾃⾝が英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語など外国語で歌う事により本国フランスのみならず世界中でヒットし、世界で最も有名なフランス⼈シンガーの1⼈になる。ライザ・ミネリ、プラシド・ドミンゴなど、彼の作品を歌った外国のシンガーも多い。シルヴィ・バルタンのヒット曲「アイドルを探せ」、エルヴィス・コステロによって有名になった映画「ノッティングヒルの恋⼈」の主題歌「She」などもアズナヴールの作品だ。

俳優としても⼤いに活躍し、フランソワ・トリュフォーのヌーヴェルヴァーグ映画の名作「ピアニストを撃て」などに60本以上の映画に出演している。

また、2017 年 8 ⽉には、80 年以上にも及ぶ芸能活動の功績が讃えられ、ハリウッドの殿堂⼊りを果たし「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム」で星形のプレートが披露され、2018 年 4 ⽉ 29 ⽇には⽇本における⾳楽分野の発展並びに⾳楽・映画を通じた⽇本・フランス間の交流強化、及び友好親善に寄与したとして、2018 年春の叙勲 旭⽇⼩綬章(きょくじつしょうじゅしょう)に選出されるなど、彼のキャリアはとどまるところを知らない。