BIOGRAPHY

ブジュ・バントン(Buju Banton)は1973年7月にジャマイカのキングストンに生まれた。本名はマーク・アンソニー・マイリー(Mark Anthony Myrie)で、ブジュ(Buju)とは幼少期のニックネームである「パンの実(ぽっちゃりした子供に使われるあだ名)」から取ったとされている。
13才でDJとしてのキャリアを開始した彼は、ジャマイカ音楽の中で最も重要で評価の高いアーティストの一人と広く考えられている。また彼は、ボブ・マーリーの息子達のみならず、ヒップホップ、ラテン、パンク・ロックなどのジャンルのアーティストを含む多くの国際的なアーティストとコラボレーションを行っている。
最初のレコーディングは1986年の「The Ruler」。その後、バニー・リー、ウィンストン・ライリー等、名プロデューサーのもとでリリースを開始して注目を集める。
1988年にウィンストン・ライリーの〈テクニークス〉からリリースされた「Stamina Daddy」でブレイク。スラックネス(下ネタ)やゴシップをテーマとした曲を、その端整なルックスに似つかわしく無いストロングな歌声でDJするスタイルが受けて、当時のトップ・スターのシャバ・ランクスの「二世」としてさらに注目を集める。
1992年には『スタミナ・ダディ(Stamina Daddy)』と『ミスター・メンション(Mr. Mention)』の2枚のアルバムで名を上げ、『ミスター・メンション(Mr. Mention)』はリリースと同時にジャマイカ史上最も売れたアルバムとなった。
1993年にマーキュリー・レコード(Mercury Records)と契約し、アルバム『VOICE OF JAMAICA』でメジャー・デビュー。その後、1994年に突如「ラスタ宣言」。それを期にそれまでのアイドル・スター路線とは決別し、ドレッド・ロックスと髭を伸ばし、スピリチュアルでメッセージ性の高いリリックを歌うようになる。
そのラスタ転身後の一作目となる95年のアルバム『TIL’ SHIOH』は世界的な大成功を収め、ブジュ・バントンの人気を世界レベルで決定付ける。
そして、この『TIL’ SHILOH』、また同路線の97年の『INNA HEIGHTS』の成功によって、ブジュ・バントンは単なる「スター」ではなく、「カリスマ」の称号を獲得。世界的なアーティストとしての人気を不動のものとすることとなる。
また自らのレーベルGargamel Musicを興し、トップ・プロデューサーの一人としても活躍している彼だが、2009年に彼はアメリカで麻薬関連の容疑で逮捕され、初の裁判では陪審員不一致の結果となった。その後2010年のアルバム「Before the Dawn」は第53回グラミー賞で最優秀レゲエ・アルバムを受賞した。しかし2011年には前述の刑事告発で有罪判決を受け、2018年12月まで米国で服役していた。
約8年の服役生活を経て、2019年3月にジャマイカのキングストンでライブを行い、アーティストとして復活を遂げたブジュ・バントンはレゲエ・シーンを代表するアーティストとして、世間の流行に関係無く圧倒的な人気と支持を集め続けている。