biography

杉 真理 Masamichi Sugi

1954年福岡県生まれ。1976年、慶應義塾大学工学部在学中に軽音楽同好会「リアル・マッコイズ」に在籍し、ビクターのコンテストに出場。これを契機に1977年にアルバム『Mari
& Red Stripes』でビクターよりデビュー。このアルバムに参加した竹内まりや、安部恭弘、青山純、新井田耕造、田上正和らはその後プロとして活躍。1978年に2ndアルバム『Swingy』をリリース後は作家活動を開始し、竹内まりや、レイジー、須藤薫らに楽曲を提供する一方、松任谷由実や須藤薫などのコーラス・アレンジを手がける。1980年にCBS・ソニーに移籍し、シングル「HOLD ON」とアルバム『SONG
WRITER』で再デビュー。また1981年には大滝詠一、佐野元春と共にシングル「A面で恋をして」を、翌年3月には『ナイアガラ・トライアングルVol.2』を発表し脚光を浴びる。また同時期に山口百恵、松原みき、松田聖子、須藤薫などに楽曲提供し、1982年からは松任谷由実、須藤薫と共にライヴ「Wonder Full Moon 行かないで夏休み」を実施、さらにシングル「バカンスはいつも雨-レイン-」がグリコアーモンドチョコレートのCMソング(堀ちえみ出演)に起用され大ヒットするなど、注目を集めることに。『STARGAZER』『MISTONE』など優れたポップ・センスを生かしたアルバム作りと、演劇性も取り入れたステージで人気を得たのもこの頃だ。その後も着実に活躍を続け、17枚のソロ・アルバムと20枚のオリジナル・シングル(12inch含む)をリリースする傍ら、『WINTER LOUNGE』などのオムニバスへの参加、”ピカデリーサーカス”としてのアルバムの発表、”BOX”としての活動、須藤薫とのユニット、村田和人との”アロハ・ブラザース”など、幅広く活動を続けている。最新作は2008年1月リリースのソロ・アルバム『魔法の領域』。また石川さゆり、竹内まりや、ハナレグミらが歌いお馴染みの「ウイスキーが、お好きでしょ」など、多くのCM作品でも知られる。

 

松尾清憲 Kiyonori Matsuo

1951年福岡県生まれ。九州大学工学部を卒業後”シネマ”を結成し、1980年4月にCBS・ソニーからシングル「グッバイ
ハートブレイク」でデビュー。1981年には鈴木慶一プロデュースによる1stアルバム『MOTION PICTURE』をリリース。鈴木左衛子(さえ子)、一色進らを擁したシネマは、当時としては最先端を行くブリティッシュ・ポップやニュー・ウェイヴ的な手法で人気を集めたが、アルバム1枚、シングル3枚を残して惜しまれつつ解散。その後ソングライターとしての活動を開始し、杏里、中川勝彦、中村あゆみ、田原俊彦、甲斐バンド、おニャン子クラブ、原田知世らに作品を提供。1984年、ポリドールよりシングル「愛しのロージー」でソロ・デビューし、1985年に1stアルバム『SIDE EFFECTS [恋の副作用]』と『SIDE EFFECTS VIDEO』、2ndアルバム『Help! Help! Help!』を、1987年には3rdアルバム『NO THANK YOU』を発表。その後は作家として、鈴木雅之のヒット曲「恋人」をはじめ、鈴木聖美、須藤薫、いいとも青年隊、池田聡、長山洋子、光GENJI、欧陽菲菲、河合その子、ribbon、飯田圭織、久宝留理子、稲垣潤一、キングトーンズ、最近ではAKB48のユニット”Not Yet”や横山由依などへの楽曲提供を続けながら、”BOX”や&”ピカデリーサーカス”としても活躍。さらに2000年にはソロ・アルバム『BRAIN PARK』『Passion Glory』、2002年には『Hello Shakespeare』、2004年には『SPIN』とボックス・セット『STRANGE YEARS』、2007年には『松尾清憲の肖像-ロマンの三原色』、2011年には最新作『One More Smile』を発表する一方、”シネマ”を再結成し、2006年には『シネマ ゴールデン☆ベスト』を、2007年にはニュー・アルバム『CINEMA RETURNS』を発表。この他にも”松尾清憲&パリテキサス”など、精力的に活動中。2010年5月22日には、イラストレーターの本秀康とのコラボによるCDムック『チョコレート・ラヴ』を発表。

 

小室和幸 Kazuyuki Komuro

1952年、神奈川県生まれ。湘南で育ち、小さい頃から映画音楽やイージーリスニングに触れ、中学時代にエレキ・ギターで”ベンチャーズ”のナンバーを弾き始めたことから本格的にバンド活動へとのめり込む。”ビーチ・ボーイズ”やポール・モーリアの音楽も愛する一方、第1回「ライトミュージックコンテスト」湘南地区で優勝し、1975年に”アニマル・クラッカー”を結成、後にこれが”ブルーベリー・ジャム”となり、1978年にキティからシングル「きまぐれなつむじ風」でデビュー。同年にシングル「夢」「雨のピリオド」をリリース後、1979年に1stアルバム『ブルーベリー・ジャム』を発表するが、1980年に解散。その後”ブルーベリー・ジャム”時代のメンバーと共に”セイル・アウェイ”を結成し、ワーナー・パイオニアから1981年にシングル「Sail Away」でデビュー。同年に2ndシングル「パジャマを着た天使」(この曲で東京音楽祭にも出場)を、1982年には3rdシングル「もう一度抱きしめたい」と1stアルバム『SWEET SWEAT』をリリース。”ブルーベリー・ジャム”時代から一貫して拘ってきたハーモニー、特にブライアン・ウィルソン譲りの優れた美しいコーラスで、注目を集める。その後、学生時代から親交のあった杉真理と再び巡り会い、杉真理のライヴやレコーディングに”セイル・アウェイ”として参加、それが後に”BOX”の結成へと繋がっていく。また並行して1984年には難波弘之率いる”Sense of Wonder”にベース&Voで加入する一方、財津和夫、TUBE、島田歌穂、EBIなどのライヴでも活躍。1995年には画家の井上直久の画集『イバラード博物史』のイメージ・アルバムをリリース、また松尾清憲のアルバムの共同プロデュースやライヴ、さらに井上直久の『イバラード時間」DVD/CD(スタジオ・ジブリ)で音楽を担当する一方、ボイス・トレーニング教室を主宰して後進の指導にあたるなど、精力的に活動中。

 

田上正和 Masakazu Tagami

1959年、東京都生まれ。下町で育ち、中学時代には友人達と”コインズ”を結成し、”ビートルズ” “ベンチャーズ”
“シャドウズ”などのコピーを始める。その後”コインズ”で「ライトミュージック・コンテスト」に出場、1974年からは学校の先輩たちのバンドに参加するようになり活動も本格化。その頃、田上らのバンドにスカウトされる形で加入し、Vo&Gとして一緒に活動したのが野口五郎だった。1975年に野口五郎がデビューすることになりバンドを脱退、この辺りから田上はリード・ギターとしてさらに頭角を現し、ディスコなどでの演奏機会も増え、当時はR&Bに始まり、いわゆるニュー・ロックからビートルズ・ナンバーのコピーまでをレパートリーとしていた。そして特に”ビートルズ”に関しては、彼らのフル・コピー・バンドを結成し、サウンドの研究を始める。1976年に”コインズ”時代の仲間がグレコ主宰の「Aロックコンテスト」に出演するのをサポートし、彼らが優秀グループに選ばれたことを切っ掛けに、”キャロル”の前座などを務め、ここから次第にプロの世界へと活躍の場を拡げていくことに。1977年からはサポートやレコーディングでも活躍、そしてこの頃に小室和幸と出会っている。さらに杉真理と意気投合し、杉のバンドに参加。また中村雅俊や舘ひろしらのバンドでも活動。杉がビクターから発表した『Mari & Red Stripes』『Swingy』では竹内まりや、安部恭弘、青山純、新井田耕造らと共演を果たす。1980年に杉真理がCBS・ソニーに移籍したことに伴い、杉のバンド”ザ・ドリーマーズ”のメンバーとしてツアーやレコーディングなどで活躍。1987年秋からは杉真理、小室和幸、松尾清憲と共にデモ・テープ作りを開始し、これが”BOX”へと繋がっていく。1991年に音楽活動を休止したことで”ザ・ドリーマーズ””BOX”を離れることとなるが、2002年発売のジョージ・ハリスンのトリビュート盤 『Gentle Guitar Dreams』に”BOX”として参加したのを足がかりに音楽活動を復活させ、ファンを喜ばせている。