BIOGRAPHY

Benベン・キム Ben Kim

アメリカ生まれのピアニスト、ベン・キムは自らの才能を遺憾なく発揮し、その演奏に対する評価は演奏会を重ねるごとに世界的に高まっている。驚くほどの成熟、完璧さ、そして洞察力を持ったピアニスト、ベン・キムのレパートリーはモーツァルト、シューマン、そしてシェーンベルクにおよび、さらにはマンフレッド・トロカーン、ジャクリーヌ・フォンティン、フレデリック・ジェフスキー、といった作曲家の作品も手がけている。想像力に富みながらも、楽譜に対する忠誠心を失わない演奏は各国の批評家、および聴衆から賞賛されている。

2006年、ミュンヘンにおける第55回ARD国際音楽コンクールで優秀を果たしたベン・キムは一機に世界の注目を浴びることとなった。彼はまず「世界一流のピアニストなる潜在力を持った存在」として、恩師と呼ぶべき偉大なピアニスト、レオン・フライシャーの目に留まったのである。キムに対する高い評価は世界的なコンサートホールとの契約にも見て取ることができる。カーネギー・ホール、ワシントン・ケネディー・センター、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、ゲヴァントハウス、ワルシャワ・フィルハーモニー・ホールでの演奏のほか、アスペン音楽祭、ラヴィニア音楽祭、ルール・ピアノ音楽祭を始めとする世界的な音楽祭にも参加している。最近共演したオーケストラとしては、バイエルン放送交響楽団、中央ドイツ放送交響楽団、ボルティモア交響楽団、サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館オーケストラ、ウルサン交響楽団が挙げられる。

ベン・キムはアメリカ、ヨーロッパ、東アジアにおいて数々の演奏会を行っており、その中には2008年にカーネギー・ホールのザンケルホールにおいて行われたオリンパス・チェンバー・プレイヤーズとの初共演や2009年のサントリーホールのデビューも含まれている。2009年のコンサート・スケジュールにはチェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団との13のコンサートからなる日本ツアーやベルリン・コンツェルトハウス、シュトゥットガルト・リーダーハレ、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウスといったホールを含むドイツ各地でのデビュー・コンサートが並んでいる。2010年には豊田市コンサートホールでセントラル愛知交響楽団と初共演、ソウル・アーツセンターではスウオン・フィルハーモニーとの初共演も果たしている。またアメリカではコロンビア交響楽団やオリンピア交響楽団と共演し、ジュピター弦楽四重奏団とはオレゴンやカリフォルニアで一連のコンサートを行った。

キムの演奏はアメリカのナショナル・パブリック・ラジオの「パフォーマンス・トゥディ」で放送された。この他にもアメリカの有名テレビ番組、「フロントライン/ワールド」やドイツ(ARD)、ポーランド(TVP)、チェコスロヴァキア(CT)、そして韓国国営放送(KBS)に出演している。2007年5月にはソニーミュージック・レーベルよりショパン、ドビュッシー、モーツァルトの作品を収めたアルバムをリリース。2011年には全曲ショパンのアルバムをユニバーサル ミュージック韓国よりリリース。さらには2007年夏に行なわれた世界的な音楽祭、ルール・ピアノ音楽祭のハイライトとなった彼の演奏を収めたCDもリリースされている。

ベン・キムはオレゴン州ポートランドに生まれ、その同じ地で育ち、最初の音楽教育を受けた。5歳のときにドロシー・ファールマンの下でピアノを始めたキムは、8歳でソロ・デビューを果たすこととなる。そして12歳でオーケストラ・デビューも果たし、オレゴンで音楽を学ぶ一方で、同時に数学や執筆にも強い興味を持ち、それらに時間をさくことも惜しまなかった。その後音楽への強い愛から音楽大学に進むことを決めるまでそれは続いた。

20歳でピーボディー音楽院においてレオン・フライシャーに師事し、同学院の音楽学士課程を終了し、その後もレオン・フライシャーとヨンヒ・ムーンに師事した。キムは2005-2007年に開催されたイタリア・コモ湖国際ピアノ・アカデミーにも参加する栄誉に恵まれた。このプロジェクトはマルタ・アルゲリッチとウィリアム・グラント・ナボレによって選ばれた7人の若手ピアニストを対象としたもので、キムはこの折に知り合ったイタリア人の友の影響でイタリア料理に強い興味を持つこととなった。彼は最近ベルリンに居を移し、ベルリン芸術大学でクラウス・ヘルヴィヒのもとで更なる研鑽を積んでいる。時間が許せば、ピアノを弾くことを目的としない旅行に出て、写真の腕を上げることに精を出している。

訳:久野理恵子