BIOGRAPHY

THE AUTOMATIC


Bioロブ / ヴォーカル、ベース
ペニー / シンセサイザー、パーカッション、ヴォーカル
フロスト / ギター、ヴォーカル
イワン / ドラムス

さて、果たしてこのまま学生として酒浸りで金欠の日々を過ごすべきか、それとも、同じ酒浸りでもロックスターな生活を目指すべきか...やがてTHE AUTOMATICとなる4人の若者は、確かに進路指導の先生泣かせだったかもしれない。けれど本当は、彼らの中では最初から進路は決まっていたのだ。

「予定では、一年学校を休んでバンドをやってみる。そして9月になったら、きちんと今後のことを決める」とイワン・グリフィス。

「一応書類みたいのがあって、それに手書きの手紙を添えなきゃならなかったんだけど、それが面倒でさ。ま、書類を出さなくても、そろそろわかってくれてる とは思うけど」と語るアレックス・ペニーは、心理カウンセラーを目指していたという。「未来の患者さんたちに申し訳ない」と言うが、その分音楽会が潤うの ならかまわないだろう。THE AUTOMATICのペニーはキーボードを弾き、テナガザルのように飛び回り、エーリアンのような声でバックコーラスを歌い、「せっぱ詰まるとカウベルを 叩く」。彼が初めて買ったアルバムは確か『NOW 35』。ちっともクールじゃないが、そんな彼にCOOL!と思わせたのは、2年前にカーディフで行われたTEEN SPIRITというイヴェントで、当時WHITE RABBITと名乗っていたTHE AUTOMATICの前身バンドを見た時だった。歌いながらベースを弾くロブ・ホーキンズがとてもイカしてたと言う。

そのロブ。今となっては「このバンドのいいところは絶対に退屈しないところ」と言えるが、当時は卒業試験とバンドの両立に悩み、バンドのセカンド・ギタリストに追いやられそうになって「しょっちゅうケンカしてた」んだそう。

なぜなら、ファースト・ギタリストの位置ははじめからジェームス・フロストと決まっていた。大きな目をしたエモ少年。将来有望なギタリスト。でも、ロッ ク・ギタリストにならなければプロ・ゴルファーになりたかった。ちなみにミイラとガイコツなら、ミイラに追いかけられる方がいいと言う。「だってミイラは 視界が悪いじゃん。僕は足が速くないからその方が好都合」!

そしてドラマーはイワン・グリフィス。彼の本当の夢はハワイでビーチ・バーを経営することだが、THE AUTOMATICも悪くないという。なぜなら「仲間と一緒にバンドやりながらタダ酒が飲めるから」。早く印税生活をしたいと待ち望んでいる。ちなみに 彼、フランケンシュタインは女々しいと思っている。

当初はもう一人ギタリストが欲しいと思っていた彼ら。でも、あるモダン・パンク・ポップ・バンドで飛び回る一人のチビっちゃいキーボード・プレイヤーを見 た瞬間、ギタリスト探しを辞め、そいつを採用した。「初めて買ったキーボードはKORGのEA1だった」というペニーは、キーボーディストとしてはまだま だだったが、一緒にAT THE DRIVE-INのカバーをジャムった時、みなそのヴォーカル・パフォーマンスに感動。その後キーボードでもめきめき力を付け、最近ではAlesis MicronやRoland Junoを操るまでになり、THE AUTOMATIC独自のサウンド・メイキングに大きく貢献している。

こうしてラインナップも固まり、彼らは、ブラーやアッシュ、レイディオヘッドといった共通する趣味を通じて絆を深めていった。しかしカーディフと言えばヘ ヴィなスクリーモ・シーンが存在し、その中で、例えばJarcrewのような実験性の高いハードコア・バンドから受けた影響も大きく、THE AUTOMATICのサウンドはユニークなものへと発展していった。

「とてもいい意味で影響されたと思う。他のバンドと同じことをやらなくてもいいと思える分プレッシャーは減ったし、一方で、絶対に違うことやってやろうってリキむ必要もなかった。つまり、いいとこ取りってわけ」(フロスト)

そこから生まれたTHE AUTOMATICらしさは、まず、ロブのドライヴ感あふれるベースとイワンのフィジカルなドラミングが絡み合うところから始まり、そこにフロストとペ ニーがスピード・スケートよろしく滑り込んできて、言うなれば、グラム・ハードコア・ファンタジー・アイランドのようなサウンドを紡ぎ出す。それは大胆 で、クレイジーで、怒りにみちていて、しかも楽しい。

最近までリヴァプールとカーディフ、リンカーンでレコーディングされていたデビュー・アルバムは、近頃で一番動きのある作品かもしれない。同郷の大先輩マニック・ストリート・プリーチャーズのように、彼らも “ノー・バラード” ポリシーを貫いた。「ただまあ、前にロブは “俺は絶対に革のパンツははかん” と言っていたけど、いつかカーディフのミレニアム・スタジアムで演奏することになったら、絶対ヤツははいてるだろう。ま、そういうもんだよ」とペニー。

ファースト・シングル “RECOVER” のキャッチーさはすでに周知のものとなっているが、アルバムには他にも強力なナンバーが揃う。彼らがバンドとして初めて書いた “BY MY SIDE” は、実際には最後に完成した曲で、多くの人のお気に入り。 “THAT’S WHAT SHE SAID” はディスコ・メタルと呼べるが、これはもともと3分半の、ヴォーカルもヴァースもないプログレ・ポップ・ナンバーで、この曲がきっかけでマネージメントはバンドに興味を持った。なぜなら「こんな横柄な曲聞いたことがなかったから」。ライヴの人気曲 “MONSTERS” は、遊園地でもサッカー場でもエイリアンの住む惑星でも一緒にみんなで歌える自慢の一曲。ちなみにこの場合のモンスターとは、土曜の夜になるとカーディフの町で酔ってたむろする地元民たちを言う。そしてセカンド・シングルの “RAOUL” は若いパンク・ナンバー。マイナー・キーのもの悲しい雰囲気は、リハーサル・ルームの向かいでサンドイッチを作っているオヤジに捧げられたものだと言う。

「僕らはカーディフでリハーサルするんだけど、道の向こうにカフェがあって、その人はサンドイッチを作っている。時に人は、自分が正しいと思ってやってて も、実は大嫌いな仕事にありついてしまったりする。僕らは、ちょっと何かに嫌になったり疲れたりすると、向かいのラオウルに会いに行くんだ。ちょっとした エスケープって言うのかな。ちょうど歌詞で煮詰まっていた時があって、ラオウルの所に気分転換しにいってたよ」(ロブ)

こうして最後には、すべては収まるべき所に収まった。だからもうこれ以上、進路指導の先生方には悩まないでいただきたい。なぜなら、THE AUTOMATICの4人がもう学校に戻ることはないから。