BIOGRAPHY

MOTLEY CRUE / モトリー・クルー


Bioズルズルと夢の中に引き込まれ、皆感染していく肉体は銀の衣に包み隠される事を待ち続ける。
溝鼠たちは地を這い蹲り人間の魂を食い尽くす。
悪臭の漂う中希望を失うものもいれば、神を信じ祈るものもいる。
4人に一人、10万人はこの汚水の中に沈んでいく。
この街、プラスチックの天使達が誘惑する。
Welcome to Los Angeles.....

 

 TOMMY LEE トミー・リー(ドラム)

もしキース・ムーンやジョン・ボーナムが今も生きていたら、いったい何をしでかしてくれただろう。そう考える人は少なくないはずだ。しかしここに、度重なる死神からの誘いに乗らなかった伝説的ドラマーがいる。そして彼は今まさに、人生なかばの大成功を楽しんでいる。
2005年8月、トミー・リー3枚目のソロ・アルバム『TOMMYLAND: THE RIDE』がリリースされた。それ以外にも、彼が主人公のリアリティ番組が放映されたり、自伝もベストセラー、2005年に始まったモトリー・クルーのリユニオン・ツアーも大成功。トミー・リーの辞書に"妥協"の二文字はない。彼を追随できるロック・パーカッショニストは果たしてこの世に存在するだろうか? しかも、トミーは今、この上なくハッピーなのだ。『TOMMYLAND: THE RIDE』は、ロックとポップとエレクトロニカを融合させた、実に聴きやすく、楽しい作品だ。歌詞はロマンスやセレブライフなど、生きていく上での"癖"を歌ったものが多い。過去の2枚のアルバムとは明確に違う内容だ。1999年の『METHODS OF MAYHEM』はロックとハード・ハウス、インダストリアル、ヒップホップなど様々な音楽スタイルの集合体で、それはまさにトミーが言うとおり「これまで自分がやりたいと思ってきたこと全部をやった」結果であった。一方、2002年の『NEVER A DULL MOMENT』は彼が「心で書いた」パーソナルな内容。特に"BLUE"は、直前に亡くなったの父親に捧げる歌だった。そして『TOMMYLAND: THE RIDE』。すべてのロック・ファンを満足させるはずの傑作。ゲストも豪華だ。デイヴ・ナヴァロ(ジェーンズ・アディクション)、ジョエル・マッデン(グッド・シャーロット)、カール・ベル(FUEL)、デリック・ウィブリー(SUM 41)、アンドリュー・マクマホン(サムシング・コーポレイト)、ニック・カーター(バックストリート・ボーイズ)、そしてブッチ・ウォーカー。1stシングル"TRYING TO BE ME"は、携帯カメラの時代に有名人の苦労を歌うハード・ドライヴィングなロック・チューン。2ndシングル"GOOD TIMES"は、トミー主演のリアリティ番組の主題歌に決まっているが、モトリーの雰囲気を彷彿させる。また、アルバムではソングライターとしてだけでなく、ヴォーカリストとしても才能を発揮。"HELLO AGAIN"ではアンドリュー・マクマホンと掛け合い、失恋バラード"SAY GOOBYE"では、驚くことに、ポップ界のアイドル、ニック・カーターとデュエット。「ニックは大のロック・ファンなんだよ」とトミー。この曲はもともと、ニックのソロ・アルバム用に書かれたものだが、バックストリート・ボーイズの仕事が忙しくなり、棚上げされてしまった。また、"TIRED"でジョエル・マッデンが歌う歌詞が実に皮肉でおもしろい。"トミーはパメラに飽きた、エドはサルマに飽きた、パフィはJLoに飽きて、彼女はベンにも飽きられて、俺はおまえに飽きた"! NBC制作のリアリティ番組『TOMMY GOES TO COLLEGE』では、トミー自身が自らのセレブライフを笑いの種にする。2005年8月16日から放送され、要するに、ネブラスカ大学に一学期通うトミーを追いかけているのだ。ルームメイトを見つけたり、マーチングバンドのオーディションを受けたり、試験の前に一夜漬けしたり、もちろんパーティーもしたり。ロック・スターがネブラスカ州リンカーンの学校にもたらした影響は大きく、ある日、英文学の教授がいきなり彼の伝記『TOMMYLAND』(2004年10月発売)を教材に使った時、一番驚いたのはトミー本人だった。カリフォルニアの郊外の町に育った幼年時代から、モトリー・クルーのドラマーとして一世を風靡し、自由奔放な人生を送るまでを綴ったこの伝記は、ニューヨーク・タイムズ紙のベスト・セラー・ランキングに載った。全身タトゥーまみれのこの男が、実際は熱心な音楽ファンで、素晴らしい父親であることも明確になった。そして、全世界のファンを熱狂の渦に巻き込んだ、モトリー・クルー再結成ツアー。『RED, WHITE & CRUE TOUR 2005: BETTER LIVE THAN DEAD』と銘打たれたこのツアーは、80年~90年代の黄金期の再来と言え、アメリカを2巡ソールド・アウトにした後、ヨーロッパやオーストラリアへ移動、2005年11月から12月にかけては日本を含むアジアに上陸。「6年近くバラバラに活動していたから、最初は不安もあった。でも、初日からすべてがしっくりきたんだ。ファンの反応も、すべてが、期待をはるかに上回るものだね」とトミー。ツアー前にリリースされたアンソロジー・アルバム『RED, WHITE & CRUE』もプラチナ・ディスクに認定されている。
ここで少し、トミーの経歴を振り返ってみよう。アテネ生まれのギリシャ人。2歳の時、両親と共に南カリフォルニアに移住。幼い時から背が高く、「すぐ食器棚に届いた」そうだ。やがて、食器棚から手にしたナイフやフォークをドラム・スティック代わりに使い出し、両親はトミー少年にドラムとピアノのレッスンを受けさせた。そして息子への愛情が高じて、父親はガレージを防音完備の練習部屋へと改造してしまう。トミー17歳の時、ベースのニッキー・シックス、ギターのミック・マーズ、ヴォーカルのヴィンス・ニールと共にモトリー・クルー結成。思わず拳を突き上げたくなるアンセムを書く術を知っていた彼らは、1stアルバム『TOO FAST FOR LOVE』(1981)でロック・ファンの心をわしづかみに。そのキャッチーなリフ満載の音楽はやがて、ロック史をも塗り替える勢いで、LAグラムメタル・ムーヴメントの発信源となっていく。その後、悪魔指向ということで議論の的となった『SHOUT AT THE DEVIL』(1983)、よりダークな雰囲気を持つ『THEATRE OF PAIN』(1985)と傑作が続き、『GIRLS, GIRLS, GIRLS』(1987)は究極のロックンロール・アルバム、そして『DR. FEELGOOD』(1989)の大ヒットで、ついにメインストリームへと流れ込んでいく。90年代に入ると、正真正銘のスタジアム・アクトに成長。しかし1992年にヴィンス脱退。元スクリームのシンガー、ジョン・コラビが後釜に収まり、94年に『MOTLEY CRUE』をリリース。いわゆる悩めるモダン・ロックのパワーを引き継ぐものだったが、1997年に『GENERATION SWINE』を出す頃にはヴィンスが復帰。まるで勢いを取り戻したかのように、『GREATEST HITS』(1998)、『LIVE, ENTERTAINMENT OR DEATH』(1999)、『SUPERSONIC AND DEMONIC RELICS』(1999)と次々リリース。2000年には『NEW TATTOO』を出すが、ここにトミー・リーの名前はなかった。トミーは、メソッズ・オブ・メイヘムという自分のバンドでレコーディングやツアーを行ない、ちょうどこの頃、元妻パメラ・アンダーソンとのホーム・ビデオ流出で、パパラッチの格好のターゲットとなる。2001年、メンバー全員の協力を得て、悪名高き自伝本『THE DIRT』が完成。10ヶ月という記録破りの時間をニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー・ランキングで過ごし、現在、映画化も進んでいる。しかしそんな中、トミー・リーをモトリー・クルーへと呼び戻したものは、ファンの声、ファンの力だった。当初は『RED, WHITE & CRUE』のリリースに合わせて、新曲を3曲収録するのが目的だったのだが、それはやがて再結成ツアーへと発展。その大盛況ぶりは今さら言うまでもないだろう。
最近のトミーは少しでもフリータイムがあると、二人の子供たち(長男ブランドン、次男ディラン)と過ごす。トミーはそんな普通の生活も大好きだ。しかし、近頃のロックのオリジナリティのなさには辟易してるという。「みんなどれも同じ。ルックスも同じ。ったく。ミック・ジャガーやデヴィド・ボウイたちはどこに行っちまったのかね。ロックには、ある程度の危うさが必要なんだよ。"こいつ、本当にショウの最後まで持つのか?"って思わせるようなもの。音楽も大事だけど、そういう要素がエキサイティングなんだよ。だからさ、みんな、もうちょっとヤバいことしてみようぜ!」
子供:ブランドン・トーマス(1996年5月6日生まれ)、ディラン・ジャガー(1997年12月29日生まれ)




MICK MARS ミック・マーズ(ギター)
数年間LA近辺でバンドを渡り歩いた後、ミック・マーズは地元の新聞に募集広告を載せた。それを見てすぐに反応したのがニッキー・シックスとトミー・リーで、一発で採用決定。そこにヴィンス・ニールも加わり、ハリウッド界隈でライヴ活動を始めると、その奇想天外なステージに噂は口コミで広がっていった。ミックはジーン・シモンズばりに血を吐く、ニッキーは自分で自分に火をつける。やがてバンドはエレクトラ・レコードと契約を交わし、ミックとニッキーは曲作りのコラボレーターとして激動の日々をスタートさせる。それはその後モトリー・クルーをスーパー・スターダムへとのし上げるパートナーシップへと発展していく。
ミックは一般的に物静かで控えめなメンバーとして知られているが、これは彼が長年わずらっている病気のせいといえる。それは強直性脊髄炎という病気で、それによって背中が曲がってしまった彼は、その容姿から謎のメンバーと呼ばれることも多い。また、病気から端を発してアル中になり、リハビリ施設に入ったこともある。しかしバンドの方は順調で、1982年にはデビュー・アルバム『TOO FAST FOR LOVE』をリリース。83年に『SHOUT AT THE DEVIL』を出して以降は80sメタルの支配者的存在として君臨し、『THEATRE OF PAIN』(85年)、『GIRLS, GIRLS, GIRLS』(87年)とコンスタントにリリース。89年には最大のヒット・アルバム『DR. FEELGOOD』でその地位を極めた。それは、ミック・マーズのキャッチーなリフとニッキー・シックスの反抗的で性的な歌詞の最高な形での融合だった。
90年代に入るとモトリーは一つの分岐点にさしかかる。ヴィンス・ニールが脱退し、世の中はグランジに支配され、バンドにはジョン・コラビが加入。コラビはシンガーでありながらギター・プレイヤーとしても活躍。そのため94年の『MOTLEY CRUE』ではギタリストとしても参加するのだが、これにミックは激怒。しかしその怒りも収まらないうちにコラビは解雇。ヴィンスが戻り、オリジナル・ラインナップ復活。97年の『GENERATION SWINE』へと続いていく。
ちなみにミック・マーズの本名はボブ・ディール。1951年5月4日、インディアナ州テル・ホート生まれ。8歳の時に家族でカリフォルニアに移住。
子供:レス・ポール、ストーミー・リン(1973年9月4日生まれ)、エリック




VINCE NEIL ヴィンス・ニール(ヴォーカル)
モトリー・クルーが1981年に『TOO FAST FOR LOVE』で音楽シーンに殴り込みをかけた時、それはメタルとパンクとポップ・メロディーの見事な融合として注目を浴び、その後、そのサウンドは80年代ロックの代名詞となった。彼ら自身もメジャー契約を勝ち取り、2ndアルバム『SHOUT AT THE DEVIL』を出す頃にはマルチ・プラチナム・バンドに成長。『THEATRE OF PAIN』、『GIRLS, GIRLS, GIRLS』、『DR. FEELGOOD』と勢いはとどまるところをしらなかった。
その間ずっとバンドのフロントを支えてきたヴィンス・ニール。しかし彼は10年を少し過ぎた時点でバンドを去った。そしてワーナーとソロ契約を結ぶと、1993年に1stソロ・アルバム『EXPOSED』をリリース。レッド・ツェッペリンやオジー・オズボーンとの仕事で知られるロン・ネヴィソン・プロデュースによるアルバムは大変注目され、ファースト・シングル"SISTER OF PAIN"を皮切りに"YOU'RE INVITED BUT YOUR FRIEND CAN'T COME"、"CAN'T HAVE YOUR CAKE"、"LOOK IN HER EYES"とシングル・マーケットでも成功を収めた。2ndアルバム『CARVED IN STONE』は、ビースティー・ボーイズやベックを手掛けたダスト・ブラザースがプロデュースの指揮を執り、ヴィンスに新たな方向性を与えた。ヒップホップやインダストリアル・ビートを、いかにもヴィンスっぽいサウンドと重ねることで、その実験性が新旧のファンを引きつけた。また、このアルバムには"SKYLAR'S SONG"という曲があり、これは、ちょうどアルバムが出る頃に亡くなったヴィンスの娘に捧げられたものである。ヴィンスはその後も数年に渡って、スカイラーの名を冠したチャリティ・ゴルフ・トーナメントを主催している。
1995年、ヴィンスはモトリーに復帰し、その後モトリー・レコードという独自のレーベルを立ち上げると、全カタログを再発。オリジナル・アルバムも『GENERATION SWINE』、『NEW TATTOO』と続き、その他にもグレイテスト・ヒッツCD、DVD、レアもののコンピレーション、ライヴ・アルバム、ボックス・セットなどを精力的に出し続けた。しかしその間もヴィンスはサイド・プロジェクトに余念がない。2002年には『THE SURREAL LIFE』というWB局のヒット・リアリティ番組に出演。その後もCBSの『STILL STANDING』、WBの『GREETINGS FROM TUCSON』といった番組に出演。趣味のゴルフを楽しむ合間にソロ・アーティストとしての活動も続行し、かのウィスキー・ア・ゴーゴーでのパフォーマンスは『VINCE NEIL LIVE AT THE WHISKY』で見ることができる。
ヴィンスのフル・ネームはヴィンセント・ニール・ワートン。1961年2月8日、ハリウッド生まれ。最後にモトリーに加入したメンバー。前のバンドROCK CANDYがうまくいっていたこともあり、最初のオーディションは欠席。しかし数週間後再び声がかかり、この時はちゃんと参加して、正式メンバーとなる。1992年にモトリーを脱退した後2枚のソロ・アルバムをリリースするが、ヴィンスもモトリーも共にセールスが伸び悩み、マネージャーのアレン・コヴァックの口利きで96年に再結成。97年にはエレクトラ最後のアルバム『GENERATION SWINE』をリリースする。
子供:ニール、エリザベス・アシュリー、スカイラー・リネェ(1991年3月26日―1995年8月15日)




NIKKI SIXX ニッキー・シックス(ベース)
1958年12月11日、午前7時11分、カリフォルニア州サンホセ生まれ。伝記本『THE DIRT』の中で、ニッキーは母親について「アイダホ生まれの田舎娘。でもその瞳は輝いていた。ウィットに富み、意志が強く、とびっきりの美人。でもそのワイルドさに歯止めはきかなかった」と説明している。これぞ血筋というものか。ニッキーの本名はフランク・フェラーノ。父親によって名付けられたが、その父親はニッキーが子供の頃家を出る。また、彼にはリサという姉妹もいたことを知るが、彼女はダウン症の上盲目で、そのための施設に入っていた。35歳の生涯を閉じるまで、一度も会うことはなかった。基本的にニッキーは母親とハリウッドに住んでいたが、彼女はジプシーのような生活を送っていたため、代わりに祖父母とテキサスやアイダホ、ニュー・メキシコで過ごすことも多かった。ちなみに母親はフランク・シナトラのバック・コーラスをやっていたこともあり、一時期リチャード・プライヤーと付き合ってもいた。ネヴァダ州スパークスのカジノでディーラーをやっていたこともある。今日になって彼は、おそらく両親は自分を精一杯育ててくれたに違いないと話すが、父親母親それぞれとの関係を、決して嬉しそうに語ろうとはしないのだ。ハイスクール時代のニッキーは、グラムとパンクを混ぜたような奇妙なファッションでイジメられた。しかしイジメられればイジメ返す。しかもかなり暴力的に。そしてついには家を飛び出し学校も退学になるが、この頃の経験はのちに、同じような問題を抱えた子供たちのためのチャリティ活動RUNNING WILD IN THE NIGHTへと繋がっていく。「自分が実際に経験したことをベースに、自分たちの責任ではないのに、このような立場に置かれてしまった子供たちのために何かしたかった」とニッキー。そんな中、唯一の味方であり、自分がストリートでのたれ死なずにすんだのは、音楽のおかげだったと言う。もう一歩で少年院行きであることを本人もよくわかっていた。けれど彼の夢はロック・スターになること。「その時俺が持っていたのはエアロスミスのテープと盗んだラジカセ、アイダホ行きのバス券、そして大きな夢だけだった」。アイダホに戻った彼は、祖父母と暮らしながら農地の用水路を掘っていた。そして稼いだお金でレス・ポールのコピーを109ドルで買うと、再びグレイハウンド・バスに乗って、今度はLAに向けて旅立った。70年後半のLAはパンク花盛りだったが、ニッキーは片足をイングリッシュ・グラム・ロック、もう片足をヘヴィ・メタルにつっこみ、共に世界征服を目指すパートナーを探し始めた。一時はLONDONというバンドに在籍したが、1981年にトミー・リーと運命的出会いを果たし、LAのRecyclerという新聞に"ラウドで下品でアグレッシヴなギタリスト、求むバンド"という広告を載せたミック・マーズと意気投合。トミーの紹介で、ハイトーンの金髪サーファー野郎ヴィンス・ニールも加わって、モトリー・クルー結成。1981年1月17日に初めてギグを行うと、同じ年には自分たちのレーベル、レザー・レコードよりデビュー・アルバム『TOO FAST FOR LOVE』をリリース。そして25年と4000万枚分のアルバムを経た今も、彼らはまだまだ疾走し続けている。今回の『CARNIVAL OF SINS』ワールド・ツアーは、POLLSTAR社2005年度コンサート総売上第6位に輝いた。

このようにモトリーの活動にまったく終わりは見えてこないが、ニッキーはこれまで、58とブライズ・オブ・ディストラクションという二つのソロ・プロジェクトに参加した。いずれも、彼のソングライターとしての別の側面を見せる興味深い内容であった。また、ロックンロール・ミュージカル『ジキルとハイド』のために数曲書き、ミートローフやSALIVA、マリオン・レイヴンなどにも楽曲を提供している。自身の伝記本で、今や世界中のロッカーのバイブルとも言える『THE DIRT』の著作にも深く関わり、今は映画化されるのを待っている段階だ。モトリーの活動以外にも彼自身のソロ・プロジェクトであるSixx AMもリリースし、彼の身辺は慌しくなりモトリーのアルバムリリースは?と疑問符の中、このアルバムが登場した!

 
 
 

MOVIE

YouTubeにて 「セインツ・オブ・ロスアンゼルス 」 視聴開始!