90Srock

ベスのつぶやき(ひとりごと)

パンクやニューウェーブ、ディスコ、ハードロックとさまざまな土壌を築いてきたジャンルがさらに細分化されて、各地で新たなムーブメントが続々と起こったのが90年代のロック・シーンよ。オルタナティヴ、ブリットポップという2大革命以外にも、ロックとクラブ・ミュージックのクロスオーバーやローファイ、ミクスチャー、ポストロックと、挙げればキリがないほど。ザ・ローリング・ストーンズをはじめ、多くのミュージシャンが初来日した来日ラッシュの年代でもあるわね。今年で20周年を迎えた「フジロック・フェスティバル」がスタートしたのも1997年。その初年度から今年で4回目のフジロック出演となったのがレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。84年のデビュー以来、ドラッグ問題やメンバー交代など紆余曲折のあった彼らは91年にリリースしたアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』で大ブレイク。濃厚なファンクとヘビーなサウンドを軸にパンクもラップもジャズも飲み込んで、ミクスチャー・ロックというものをメインストリームに押し上げた立役者ね。超ド級のラップロック「ギヴ・イット・アウェイ」、ボーカルのアンソニー・キーディスが自身の苦悩を綴ったバラード「アンダー・ザ・ブリッジ」など名曲満載で、このアルバムは全米チャート3位を記録。92年の来日公演中にギタリストのジョン・フルシアンテ脱退劇(その後再加入→再脱退)なんてこともあったけど、よりメロディを聴かせる作品となった97年の「カリフォルニケイション」は、2000年代に向けてレッチリをさらなるモンスター・バンドへと導いていくの。破天荒でお茶目なパフォーマンスも彼らの魅力ね。

全米ではインディ・レーベルやカレッジ・ラジオが独自の台頭をみせるなか、ワシントン州シアトルからロック史を変える音楽革命=グランジが誕生。その火つけとなったのはカート・コバーン率いるニルヴァーナ。91年に発表した2ndアルバム『ネヴァーマインド』はその最たる金字塔ね。パンクのD.I.Y.精神でメジャーとアンダーグラウンドの垣根を壊しただけでなく、重く暗い日常と向き合って違和感を吐き出した彼らの表現は、これまでにないリアリティを生んだ。シングルカットされた大ヒット曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」で歌われた<hello, hello, hello, how low?(ハロー、気分は最低かい?)>という強烈なメッセージは多くの若者たちを魅了し、バンドは一躍スターダムに浮上、92年にはマイケル・ジャクソンを抑えて全米1位を獲得。でも、カリスマ視され巨大化していくバンドと、それとは正反対のスピリットをもつ自身とのギャップに苦悩したカートはドラッグへと溺れていったの。その苦しみは93年のアルバム『イン・ユーテロ』にも出ているけれど、94年4月にカートが自殺したことで、グランジは終焉を迎える結末に。ニルヴァーナの代わりはいない。今でも熱烈なフォロワーを生み続けているバンドね。

98年〜01年のグラミー賞では4年連続で「最優秀男性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞」を受賞したレニー・クラヴィッツは、90年代以降を代表するソロ・ミュージシャンのひとり。2ndアルバム『ママ・セッド』(91年)でブレイク後、続く3作目『自由への疾走』(93年)は日本でも40万枚以上を売り上げ人気を確立。印象的なリフで始まるタイトル曲は多くのCMにも使われていたから、一度は耳にしたことがあるはずよ。古き良きルーツ・ミュージックのヴィンテージ感を持ちながら、ロックのダイナミズムを現代によみがえらせるナンバーは王道感バリバリで、同作はダブル・プラチナを、95年にリリースしたアルバム『サーカス』はオリコン1位を記録。当時のヒッピー風ファッション、ドレッド・ヘア、ギターはフライングVというスタイルもインパク大だったけれど、彼は全ての楽器をこなせるマルチ・プレイヤーでもあるのよね。
また、80年代のカラフルさとは裏腹に、90年代半ばには、内面世界をノイジーに爆発させた“インダストリアル・ロック”も。そのボス的存在、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーと共同制作したアルバム『アンチクライスト・スーパースター』で大成功を収めたのが、おどろおどろしい風貌でお馴染みのマリリン・マンソン。同作は、そのタイトルからも賛否両論をまとった問題作として大きな話題に。凶暴なメタル・サウンド、哲学的歌詞、演説的パフォーマンス、過激な発言はマンソンをトリック・スターに見せるけれど、まやかしでない鋭い風刺を効かせた世界はカルトな人気を誇っているわ。
そして、さまざまなシーンが隆盛した90年代の最後に現れたエミネム。彼はヒップホップ界の重鎮、ドクター・ドレーに見出され99年にアルバム『ザ・スリム・シェイディ LP』でデビュー。同作が全米ポップス・チャート初登場2位に輝いたことは大きな快挙で、ヒップホップをメインストリームに押し上げた初の白人MCとして時代の寵児に。しかも、タブーなし、言いたい放題のリリックは後々、批判も受けるけれど、完全なオリジナリティを極めた結果、もっとも売れたヒップホップ・ミュージシャンに。ちなみにスリム・シェイディというのは彼の別名で、歌詞にも度々登場するわ。エミネムが大ブレイクを果たすのは00年代だけれど、デビュー作にして「グラミー賞最優秀ラップアルバム部門」を受賞するなどその兆しとしては十分すぎるほど鮮烈なデビューだったわね。

 

 

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