BIOGRAPHY
LUCIANO PAVAROTTI ルチアーノ・パヴァロッティ (テノール)
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世界で最も売れたクラシック・ヴォーカリストとして知られるパヴァロッティは1935年10月12日、イタリア、モデナ生まれ。
輝かしい歌声から“キング・オブ・ハイC”と讃えられた20世紀最大のテノール歌手。
文字通りのスーパースターで、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴらと共に結成した「三大テノール」のひとりとして、幅広い人気を誇った。
「神に祝福された声」と評されたイタリアの空を思わせる明るく豊かな美声は世界中の人々から愛された。
2007年9月6日、モデナにて死去。
<パヴァロッティ年表>
| 1935年 | 10月12日 イタリア、モデナに生まれる 父はパン屋でアマチュア歌手、母はタバコ工場に勤めていた。 後の名ソプラノ、ミレッラ・フレーニと同じ保育園に通う。 |
| 1947年 | モデナで伝説的テノール歌手ジーリのリサイタルを聞き、声楽家を志す |
| 1951年 | モデナのサッカー・チーム「レパント」に加入。その後モデナの師範学校に学び、2年間だけ教壇に立つ |
| 1954年 | 有名な声楽教師のアリゴ・ポーラに師事、本格的な声楽の勉強が始まる |
| 1957年 | マントヴァでエットレ・カンポガリアーニに師事。そこで旧友のフレーニに再会する。 |
| 1961年 | レッジョ・エミリア国際コンクールで優勝。 4月28日 同地のテアトル・ムニチパーレで《ラ・ボエーム》のロドルフォでデビューを飾る。指揮はモリナーリ=プラデルリだった。 9月30日 アウダ・ヴェローナと結婚。 |
| 1962年 | 長女のロレンツァが生まれる |
| 1963年 | アムステルダムの歌劇場で《ランメルモールのルチア》のエドガルドを歌い、国外デビュー。 ウィーン国立歌劇場、《ボエーム》のロドルフォでロンドンのコヴェント・ガーデンにデビュー(ステファノの代役だった)。 (本格的なメジャー・オペラ・ハウス・デビュー。2013年で50年) バルセロナで《蝶々夫人》のピンカートン。 |
| 1964年 | グラインドボーン歌劇場で《イドメネオ》のイダマンテ。 DECCAと録音契約(2014年で50年) |
| 1965年 | マイアミで《ランメルモールのルチア》のエドガルドを歌い、アメリカ・デビュー。 《リゴレット》のマントヴァ公爵でミラノ・スカラ座デビュー。 |
| 1966年 | 初のオペラ全曲録音《テンダのベアトリーチェ》。 |
| 1967年 | ミラノ・スカラ座のトスカニーニ生誕100年記念コンサートで、カラヤン指揮のもとヴェルディのレクイエムを歌い、一躍世界の注目を集める。《ラ・ボエーム》のロドルフォでサンフランシスコ歌劇場にデビュー。 DECCAと専属契約を結ぶ。 |
| 1968年 | 《ラ・ボエーム》のロドルフォでメトロポリタン歌劇場(以降MET)にデビュー、世界の3大歌劇場でのデビューを33歳で達成。 次いで同劇場で《連隊の娘》にも登場。 |
| 1971年 | NHKが招いたイタリア歌劇団の一員として初の来日。《リゴレット》の公爵を歌い、聴衆の一人が感激のあまり舞台に上がり、彼に抱きつくというハプニングもあり、大きな評判を呼ぶ。 |
| 1974年 | 《ラ・ボエーム》のロドルフォでパリ・オペラ座デビュー。 |
| 1975年 | METの一員として来日、《ラ・ボエーム》のロドルフォを披露。 |
| 1977年 | 単身来日、リサイタルとオペラ・アリア・コンサート。 以降、もはやオペラ歌手という領域を超えたスーパースターとして世界中で活躍。 |
| 1981年 | METで初めてドラマティックな役柄の《アイーダ》のラダメスを歌う。 |
| 1982年 | パヴァロッティ主演の映画《イエス・ジョルジョ》が制作、公開される。(日本未公開) |
| 1985年 | スカラ座10年ぶりの《アイーダ》公演でラダメスを歌う。 |
| 1986年 | デビュー25周年を盛大に祝う。中国ツアーを行う。 |
| 1989年 | この頃からアリーナ・コンサートが始まる。 12年ぶりに来日。東京ドームと大阪城ホールで公演を行う。 |
| 1990年 | 7月7日 ローマのカラカラ浴場で、ドミンゴ、カレーラスとともに《3大テノール/世界の競演》に参加。これはCD/映像で発売される。ベスト・アルバム《Essential Pavarottli》がイギリス・ポップ・アルバム・チャートの第1位に輝く。 |
| 1991年 | 7月30日 ロンドン、ハイドパークにて15万人以上を集客、コンサートを行う。 |
| 1992年 | メトロポリタン歌劇場との初のレコーディング《マノン・レスコー》を行う。 9月 モデナにて「パヴァロッティ&フレンズ」。スティング、スザンヌ・ヴェガ、ネヴィル・ブラザーズ、ズッケロ等ポップ/ロック系のアーティストと共にチャリティ・ライヴ。 |
| 1993年 | 1月 横浜アリーナにてコンサート。 6月26日 NYセントラル・パークで50万人以上を集客、100万人の世界中の人々がテレビ観賞。 |
| 1994年 | 3大テノール、ロサンゼルス公演(ドジャーズ・スタジアム)。 9月13日 「パヴァロッティ&フレンズ」ブライアン・アダムスと共演。 |
| 1995年 | 5月8日 ロンドンでチャリティー・ガラ・コンサート。 9月12日 「パヴァロッティ&フレンズ」ボスニアの子供たちのために、U2ボノ、クランベリーズのドロレス、マイケル・ボルトン等。 |
| 1996年 | 「パヴァロッティ&フレンズ」戦争で傷ついた子供たちのために、エリック・クラプトン。 3大テノール、6月29日の東京公演(国立競技場)を皮切りに世界ツアー。¥75,000の高額チケットが話題に。 |
| 1998年 | 「パヴァロッティ&フレンズ」リベリアの子供たちのために、ボン・ジョヴィ。 7月10日 パリのシャン・ド・マルス広場で3度目の3大テノール・コンサートが行われる。 |
| 1999年 | 「パヴァロッティ&フレンズ」グアテマラとコソボの子供たちへ、マライア・キャリー。 |
| 2000年 | 「パヴァロッティ&フレンズ」カンボジアとチベットの子供たちへ、F.イグレシアス。 |
| 2002年 | 3大テノール 横浜アリーナ公演。これが最後の3大テノール公演に。 |
| 2004年 | 3月 MET公演を機にオペラ上演から引退。引退ワールド・ツアーを東京から開始。以降中央アメリカ、南アメリカ、USA、スペイン、フランス、ギリシャ、キプロス、クロアチア、中国、ロシア、チェコ、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドにて引退公演。 |
| 2005年 | 12月 台北でのコンサートを行う。これが最後のコンサートとなる。 故郷モデナに、声楽アカデミーを設立し、亡くなる数週間前まで直接指導を行う。 |
| 2006年 | 2月 イタリア、トリノ冬季オリンピック開会式で《誰も寝てはならぬ》を歌う。これが最後の演奏となる。 |
| 2007年 | 9月6日 膵臓がんのため死去。 |