BIOGRAPHY

Kobayashi -kei

小林 桂(こばやし けい) 日本が誇る若きエンタティナー。 1979年5月9日生まれ。 両親、祖父ともにジャズ・ミュージシャンという音楽一家に生まれる。 本人は3歳!の時に見たデューク・エリントンのミュージカルなどに感銘を受けてこの道に進もうと決意したという。 5歳よりクラシック・バレエを始め、英国ロイヤル・バレエ・アカデミーの世界共通検定試験で最年少、最高点を獲得する。 13歳の時、ミュージカル「キッズ・イン・ザ・キッチン」で主役を務める。そして次第にジャズに興味を持ちはじめる。 15歳の頃からヴォーカリスト、ドラマーとして都内のライヴ・シーンで活動を開始 。 16歳の時、阪神大震災チャリティー・コンサートでハービー・ハンコックら世界の一流アーティストと同じステージに立つ。翌年、その一環として地元高校生ビッグバンドと共演したミニ・アルバム「K列車で行こう~17歳のジャズ」(ユニコム)を発表。 18歳で初のリーダー・アルバム「18/P.S.アイ・ラヴ・ユー」(ネクスト・レコード)を発売。高い評価を受ける。 1999年12月、本格的メジャー・デビューとなるアルバム「ソー・ナイス」(東芝EMI)を発表。大ベストセラーとなる。各マスコミにも取り上げられ大評判を博す。スイングジャーナル誌においては4ヶ月間、ヴォーカル・チャートの第1位を続け、年間のヴォーカル・チャートのNo.1も断トツで獲得。 2000年2月、ブルーノート・クラブ(東京/大阪/福岡)を含む<ソー・ナイス発売記念ツアー>を実施。各地ともチケットはSOLD OUTでこのツアーは伝説化される。 同月、ミュージカル「ミラクル」主演。 3月、台湾EMIから「ソー・ナイス」発売。4月に台湾にてプロモーション実施。現地で約40本近くのメディア(TV・ラジオ・雑誌)に取り上げられる。9月には韓国EMIからも発売となり、韓国でもプロモーションを実施する。 4月、スイングジャーナル誌読者人気投票<男性ジャズ・ヴォーカル>部門で第1位に選ばれる。(現在まで3年連続第1位を続けている) 同月、本人が歌う資生堂<アスプリール>(山口智子出演)のCMソング「スマイル」のオンエアがスタート。 10月、「ジャスト・ユー」発売。 10~3月まで、日本全国縦断<ジャスト・ユー・ツアー>敢行。各地のホールで熱狂的に迎えられる。 11月、2000年度日本ジャズ・ヴォーカル賞大賞を最年少で受賞。 12月、シンガポールで初の単独海外公演を実施。シンガポールEMIからも「ジャスト・ユー」発売。 2001年1月、スイングジャーナル主催ジャズ・ディスク大賞(2000年度)<ニュー・スター賞>を受賞。 4月、神宮球場のヤクルトー巨人戦で「君が代」独唱。 5月、手塚治虫原作、脚本大友克洋による超大作アニメ映画「メトロポリス」(東宝系)の主人公(ケンイチ)で声優に挑戦。 6月、TBS系「ブロードキャスター」のオープニング・テーマとして「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」がスタート。 9月、初のNY公演(ブルーノートNY)を実施。このライブは初のDVD「Live in NY」として発売される。 同月、アルバム「ミスティK」発売。同時に初の単行本も発表。 丸井のメンズ・ブランド ビサルノ のモデルを始める。 10月より全国縦断「MISTY K」ツアー開始。 10月、初のクリスマス・アルバム「ワンダーランド」発売。 2002年1月、アルバム「ミスティK」はスイングジャーナル・ジャズ・ディスク大賞<ヴォーカル賞>。 同3月には日本ゴールドディスク大賞<JAZZ ALBUM OF THE YEAR>も受賞。さらに同アルバムは台湾、香港、シンガポールに続き中国でも発売となる。 4月、札幌NORTH WAVEでDJをつとめるジャズ番組「SO NICE」がスタート。 7月、昨年に続きTBS系-TV「ブロードキャスター」のオープニングが「ナイト・アンド・デイ」になる。エンディング・テーマに「星に願いを」(4月~)「スマイル」(7月~)が選ばれ3曲の番組タイアップがスタート。 9月、アルバム「ソフトリー」発売。 10月より全国27公演の<ソフトリー・ツアー>を実施。オーチャードホールの模様はDVD化を予定。 11月、日米野球の開幕戦で<君が代>を斉唱。 12月、「ソフトリー」が文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 2003年4月、スイングジャーナル誌読者人気投票<男性ジャズ・ヴォーカル部門>で4年連続第1位に選ばれる。 7月、資生堂ピエヌの秋のキャンペーン・ソングとして「流し目プレイ☆」のTVCFがスタート。同曲は小林桂初のシングルとして8月に発売。 2004年2月、6thアルバム「ネイチャー・ボーイ」リリース。