「私が意図しているのは、新しい存在に変わる変身の物語だ」
――オウィディウス『変身物語』

 2009年に本盤の作曲に着手した時、最初はシンプルな対位法的テーマが、あたかも永遠に上昇を続けるように、和声が上行していくというアイディアから始まった。そのアイディアを変化させ、一定の形を与えながら、さまざまなヴァリエーションを作曲していった。そのうち、音楽は脱構築と再構築のプロセスの中で、徐々に突然変異を始め、最初に作ったデモ音源はハードディスクの暗い片隅に追いやられてしまった。これまでに私が制作したアルバムと異なり、本盤では、あるコンセプトや物語が音楽に結びつこうとしなかった。音楽自身が自分で成長し、形をとるのを待ち望んでいたのである。成長には時間がかかりそうだったので、私は完成を急がず、何年ものあいだ、周期的に成長を促してやった。

 声楽の曲も必要だというアイディアが浮かんだ時、古代ローマの詩人オウィディウスがオルフェ(オルフェウス)の神話を独自に解釈した『変身物語』のテキストが魅力的だと感じた。オウィディウスが詩の中に込めた死、再生、記憶、無常、愛、芸術といったテーマは、本作の作曲期間に私が体験したこと――それまでの関係が消えて、新しい関係が始まり、それまでの生活が終わり、新しい生活が新しい街(訳注:ベルリンのこと)で始まる――と関連があるかもしれない。

 モーリス・ブランショの解釈(訳注:ブランショ著『文学空間』)によれば、オルフェがユーリディス(エウリディケ)に向ける注視は、芸術の霊感、すなわち”夜の本質”のメタファーだという。オルフェは冥府を去る時、後ろを振り向いてはならないという神々の命令に背いたが、同様に芸術も、“経験の限界”を乗り越えようとする逸脱から生まれるのである。また、オルフェの神話は、歌に関する神話、物語に関する物語でもある。一瞬という時間、捉えがたい思念、記憶のはかなさ、死者の影響力の大きさについて語っている。

 ゴーストにあふれる新しい街、ベルリンに住み始めた私は、ようやく後ろを振り返る勇気を見つけると、断片的な作曲を終え、音楽に一定の形を与えていった。当然のことながら、最初に着想した、捉えがたくもずっと美しいアイディアは、破棄することにした(それらは、いまでは地下の奥深くに存在している)。こうして、いまリスナーが手にとられている本盤が出来上がった。

 ジャン・コクトーの映画『オルフェ』の中で、ジャン・マレー演じるオルフェはカー・ラジオに熱心に聞き入り、短波放送の雑音から聞こえてくる奇妙で前衛的な詩に耳を傾ける。コクトーは、BBCが占領地に向けておこなったレジスタンス放送――第2次世界大戦中に短波で放送された暗号放送――から霊感を受けた。コクトーへのオマージュと、私が新しく住み始めた街へのオマージュとして、数字や文字や暗号文の朗読からなる「乱数放送」の不思議な録音を音楽に加えることにした。「乱数放送」の発信源は不明だが、おそらくはどこかの諜報機関ではないかと言われている。ベルリンの壁の崩壊以後、乱数放送はほとんど放送されなくなったが、いくつかの放送局が、いまも天空に向けてミステリアスな信号を発し続けている。

ヨハン・ヨハンソン
(訳・編:前島秀国)