BIOGRAPHY

Derrickhodge _130809

1979年7月5日、ウェスト・フィラデルフィアに生まれ、間もなくビューラー洗礼教会でその運命が定まった。母が聖歌隊で歌うのを見る一方、彼は、ベーシストのジョエル・ラフィンに目を奪われるようになった。7歳で家族と共にニュージャージー州ウィリングボロに転居すると、教会でゴスペルを演奏するほか、小学校のオーケストラでベースを担当し、クラシック音楽を鑑賞する力を養った。後に、デリックの中学校は彼にダブルベースを買い与え、彼はそれを演奏して、高校ジャズバンドと地元のユースオーケストラで賞をとり、バークリー・アンサンブル・コンペティションでソリスト賞を受賞した。一方、デリックは豊かな音楽環境を活かし、キーボーディスト/プロデューサーのジェイムズ・ポイザーなど年長の音楽家の支援を得た。高校のバンド顧問の助言により、ホッジは、エレクトリック・ベースでスカラーシップを得てテンプル大学に進学した。オーケストラに入り、すぐにダブルベースを学び直し、ジョン・フード、ヴィンス・フェイに師事した。3年次までにネオソウルの大物、ジル・スコット、ミュージック・ソウルチャイルド、フロートリーと共演していた。その道が彼を呼んでいたが、ホッジは学校に留まることを選ぶ。その後クリスチャン・マクブライドに師事し、卒業と共にフィラデルフィア・ジャズ界の大黒柱、ブーツィー・バーンズと契約し演奏を始めた。バーンズからピアニストのマルグリュー・ミラーを紹介され、ホッジはアルバム4作でミラーと共演した。その後ヒップポップに戻り、コモンと共にレコーディングとツアーを行い、やがてテレンス・ブランチャードのバンドの一員としてジャズに復帰。ブランチャードと共演したCD 4枚に加え、スパイク・リー監督作品のためのブランチャードの作品のうち2曲で演奏し、ブランチャードの推薦でサンダンス・コンポーザーズ・ラボにも出席した。そこで他ジャンルの作曲家たちと出会い、シカゴ・シンフォーニー・オーケストラから作品委嘱を受けることになった(6弦のベースと金管アンサンブルのための作品)。また、映画4作のための作曲も依頼された。2009年、長い雌伏のときを経たマックスウェルからのオファーでレコーディングに参加し、音楽監督も務めた。また、コモン、モス・デフ、シャーデーといった様々なトップアーティストと共演、レコーディングにも参加。そして2013年、第55回グラミー賞ベストR&Bアルバムをロバート・グラスパー・エクスペリメントのバンドメンバーとして受賞し、大きな注目を集めている。