Mon Koutaro Ooyama「ANIMA」

 

作家プロフィール

1979年奈良県生まれ。壁画・ライブペイントの制作や、アートプロジェクトの企画・監修・演出など、東京を拠点に国内外で活動する。これまでの実績にFacebook Japan本社やNIKE本社内の壁画制作、アートプロジェクト#BCTIONの企画・監修など。ライブペイントデュオDOPPELのメンバーでもあり、また、Yabugarashi名義でDJやトラック制作も行う。

 

制作年

2019

 

使用画材

アクリル、エマルションペイント

 

サイズ

H296×W1734cm

 

ステートメント

愛憎のジレンマからライブペイントしたことがある。僕が3歳の頃、妹が生まれる時になって祖母の家に預けられた。疎外された寂しさからか、母を盗られた嫉妬からか、真っ黒の墨を仏壇の部屋に撒き散らしたのだ。時は過ぎ、20代の僕はバンド活動と並行して、ライブペイントを音楽の現場で始めていた。誰かの注目を集めたくて、だけど言葉にするのは億劫で、絵の具を撒き散らすのだろうか。しかし30代のはじめ、3・11の直後、混乱し、沈み込んだ心を癒したのも絵だった。注目されたくはなく、独りそっと自慰的に描くことで落ち着きを取り戻せた。絵を描くことで、苛立ちや不安を和らげ、その絵が認められることで、承認欲求が満たされるのだった。

少年の頃から繰り返し読んだ手塚治虫の影響だろうか、いつからか哲学を求めるようにもなった。人の世に真剣に向き合うほどに、どこかで虚しさや馬鹿馬鹿しさを覚えるから、もっと豊かに人生を感じたくて、いろんな考え方を身に付けたかったのだ。思考停止ほどブサイクなことはないと思いつつも、しかしどうやら、考えてもしようがない領域があるようだ。「思い出す」という行為を、どのように実行しているのか誰も説明できないように。理解の裏面に、言葉になり損ねた何かがある。感覚の、眠りの、無意識の領域がある。この世の半分は、そういった、モヤっとした世界でできているのだと思うようになった。

ウツとウツツを移りゆく、意識と無意識をあわせ持った僕は、一貫性のある個人として説明できない。インディビジュアルを持たない人として世界を見たほうが、素直に矛盾を受け入れられる。ひいては、きっと、他人との通じなさを当たり前のこととして受け入れられるだろう。そういった、相反するものごとが、同時に在ったり、移り変わったりする世界観をビジュアライズして、絵を描いているのです。

 

音楽と制作に関して

振り返れば僕の学生時代は、京都と大阪でバンド「Echo Mountain」と「The Henircoots」の二つを掛け持ちし、音楽と絵にどっぷり浸かった貧乏生活を送っておりました。Aphex Twin, Ash Ra Tempel, Augustus Pablo, Boredoms, Beastie Boys, Can, Fela Kuti, Richie Hawtin, Ryoji Ikeda, Shing02, The Slits, Tortoiseなどなど、酔って夜遊びして音楽にやられて、ライブペイントして。そうしているうちに、ふと、音と絵はどちらもインスピレーションの源泉が繋がっていて、それぞれの蛇口をひねれば降りてくることに気づいたのでした。今でも「Yabugarashi」名義でDJとトラック制作しており、音楽は絵と一緒に、ずっと側にあり続けています。

 

Mon Koutaro Ooyama プレイリスト