『ザ・ロスト・アルバム』はなぜ“奇跡”と呼ばれるのか!?

世紀の大発見!
ジャズ史上最高のカリスマの絶頂期を捉えた新曲を含むスタジオ録音作。

アメリカ音楽史の歴史的遺産、奇跡の発掘!
わずか40年間という短い生涯ながら、現在もジャズのみならず多くの音楽ファンを魅了し続けるカリスマ=ジョン・コルトレーン。
そのコルトレーンが絶頂期の1963年に吹き込んだ音源が、録音から55年の時を経て奇跡的に発表されます。
なぜ“奇跡”と呼ばれるのか!?

① なぜなら、これは“ロスト=失われた”作品だから!
コルトレーンの没後、スタジオやライヴ含め、さまざまなアルバムが発売されてきました。しかし、今回の『ザ・ロスト・アルバム』は、当時在籍していた米国インパルス・レーベルに録音の記録には残っていたものの、マスターテープがどこにも存在せず、長らく“謎”といわれていた音源です。
② なぜなら、これは“完全な新作”だから!
過去に海賊盤などでも一切世に出たことがなく、また、未発表のライヴ音源でもなく、これはコルトレーンが作曲した今回初登場となる新曲を含む、リリースを前提に録音されたスタジオ録音作品です。
③ なぜなら、コルトレーンの“絶頂期を捉えた録音”だから!
60年代に入り当時新興だったインパルス・レーベルと契約し、圧倒的なパフォーマンスでジャズ界のトップスターとなったコルトレーン。キャリアの絶頂期というべきこの時期に活動していた、マッコイ・タイナー(ピアノ)~ジミー・ギャリソン(ベース)~エルヴィン・ジョーンズ(ドラム)とのバンドは”黄金のカルテット”と呼ばれ、現在も絶大な人気を誇っています。
そのカルテットが名盤と呼ばれる『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』の録音前日にレコーディングしたのが本作『ザ・ロスト・アルバム』。その後フリー・ジャズへと傾倒していくコルトレーンが、スタンダードや自身の代表曲「インプレッションズ」を取り上げた作品で、同時期に録音され、“バラード3部作”と呼ばれ人気の高い、『バラード』、『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』、『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』に比肩する内容です。

ジョン・コルトレーン 『ザ・ロスト・アルバム』 3つの疑問

疑問① なぜ録音当時発表されなかった?!
これに関して確たる証拠や証言がなく、決定的な理由はわかりませんが、推測は以下の通りです。
当時所属のインパルス・レーベルは、『バラード』、『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』、『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』といった、(今回の未発表セッションとは異なる)企画要素の強い作品を連続して発表していました。
加えて、当時コルトレーンは人気が鰻登りの状態で、その人気に乗じて過去に所属したレーベル(プレスティッジ、アトランティック)より、各社の在籍時に録音していた音源がこぞって(まるで新作を装って)発売されました。そのため、市場にコルトレーンのアルバムがあふれて混乱をきたしていたそうです。

そんな状況のために、いつしかリリースのタイミングを逸してしまったと思われます。

疑問② 録音されたマスターテープはどこへ消えた?
録音されたマスターテープは、インパルス・レーベルが録音場所のヴァン・ゲルダー・スタジオから引き上げて管理していました。
コルトレーンの死後(60年代後半)、レーベルの親会社であるABCレコードはロサンゼルスへと本社を移転、インパルス関連のマスターテープもすべてロスの保管施設に移管されました。
やがて70年代初頭に入り、ABCレコードの経費削減の取り組みの一環として、保管費用の節約のため、貴重なマスターテープが次から次へと廃棄されました。カタログに存在する1アイテムにつき1本のテープ・コピーは保有される、という基準だったため、当時までにリリースされていなかった音源のテープは破棄されてしまったそうです。
そんな中に今回も未発表セッションのマスターも含まれていたと思われます。
疑問③ どのような経緯でテープが見つかった?
コルトレーンは毎回録音セッションを終えると、いつもリファレンステープをエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーから受け取り、家に持ち帰って演奏を再チェックするのを習慣としていました。それは、マスターテープと同時にモノラル録音された音源です。当時コルトレーンは、これらのテープの一部を自身の手元に置き、一部は当時の妻ナイーマに預けていました。
時は流れて2005年。NYマンハッタンでジャズ・ミュージシャンの遺品を中心とするオークションが開催され、ナイーマの遺族からの出品予定品目の中に、彼女の自宅に残されていた上記リファレンステープが含まれていたことで、テープの存在が明らかになりました。
それを受けて、ヴァーヴとコルトレーンの遺族との間でアルバム発売に向けての協議がスタート。その後ヴァーヴの担当者が会社を離れたためプロジェクトが頓挫していましたが、昨年担当者がヴァーヴに復帰したことで再び動き始め、テープの発見から13年の歳月を経て、ようやく今回世に出ることになりました。