2013年4月25日にイーグルスの記者会見がロンドンにて行われ、同日にグレン・フライとジョー・ウォルシュが日本のためにインタビューに答えてくれました。写真も当日のものです。

=結成から40年、今ここで『駆け足の人生~ヒストリー・オブ・イーグルス』というドキュメンタリーを作ろうと思ったのは何故ですか?

グレン・フライ:
「歳もとったし、皆が生きているうちに、作ってみようじゃないかということになったんだよ。メンバー4人だけでなく、僕らの関係者、話を聞きたい人たち全員について言っているんだよ。そんなわけで今、この物語を語ろうと思ったわけだ」

=自分ですべてのフッテージを観たのですか?それとも監督に任せたのですか?

グレン・フライ:
「すべてのフッテージを監督に渡した。その後で僕らメンバーのインタビューを撮影した。聞き忘れがあったところなどについては、再度インタビューした。彼等(監督とプロデューサー)に内容は一切まかせて、アーティスティックな権限をすべて与えたんだ。僕らは出演し協力したが、何をするかという事については一切口を出さなかったんだ」

=さて今回イーグルスの過去をおさらいすることになったと思うのですが、あなた方それぞれにとっての最高の思い出は?

ジョー・ウォルシュ:
「僕にとって最高の瞬間は『ホテル・カリフォルニア』が成功した時だ。僕は当時新メンバーで、アルバムが完成したときには、レコーディングも上手くいったので、きっと成功するだろうとは感じていたが、どこかに不安もあった。だからそれが現実になった時、とても感激したね」

グレン・フライ:
「イーグルスで起こったことの何もかもが、僕にとっては初めての体験だった。初めてのバンドでのライヴ、初めてのアルバム制作、初めてのヒット、初めて自分の声をラジオで聞いたこと・・。それらすべてが僕にとってかけがえのない思い出だ。今回フッテージを観て特に楽しく思ったのは、1977年のライヴの映像かな。キャピタル・センターでのライヴで、ジョーがバンドに加わった時のことだ。5人組として演奏した。僕ら以外だれも加わっていなくて、プログラミング(コンピューター等による自動演奏)があるわけでもなく、エレクトロニクスも一切使っていなかった。そのバンドを観て、聞いて、当時の自分たちの演奏の素晴らしさに今更ながら驚かされたよ。当時自分たちがあれほどうまいとは意識していなかったから。一生懸命リハーサルして、素晴らしい演奏をしようと努力していたのは確かだよ。でも今それを観てみると、あれが自分だったとは信じられないほどだよ。1977年、まだイヤフォンのモニターなんかもなかったし、僕らは素で演奏していたんだよ」

ジョー・ウォルシュ:
「そうさ!僕ら自分たちが演奏するのを観る機会はなかったからね。(笑い)ライヴではステージの上で仕事してたから!!」

=今こうやって自分たちの演奏を観たり聞いたりして、その価値をかみしめているわけですね。

グレン・フライ:
「俺たちは良いバンドだったんだよね。演奏はタイトだよ。ヴォーカルも一切外れていないし、演奏のグルーヴも最高で、フィーリングも最高。なんてうまいバンドなんだろう、って感じたね。まるで映像に写っているのが自分じゃないような気持ちにもなった(笑い)」

=他のウェスト・コースト・バンドとイーグルスとの決定的な違いは?

ジョー・ウォルシュ:
「僕らは南カリフォルニアのバンドなんだ。世界を変えようとしたヒッピー・バンドというのはサンフランシスコあたり、北カリフォルニアのバンドなんだよ。またイーグルスはそれらのバンドより後から出てきた」

グレン・フライ:
「以前にも言ったことだが、イーグルスは開拓者でなくセトラーズ居住者なんだ。開拓者が初めてウェストに来たとき、彼等こそが大陸を切り開いた人たちだった。その後に続いたのがセトラーズだ。安全な土地にやって来て家を築いた。そんな感じさ。僕ら以前のバンドは開拓者だった。僕らが愛し尊敬してやまないバンドだよ。ザ・ビートルズやビーチ・ボーイズ。バッファロー・スプリングフィールドにバーズ。こういったバンドが僕らの前にいた。しかし最終的には僕らは独自のスタイルを作り上げたと思う。それを目指していたんだ。僕らは独自のサウンドが欲しかった。例えばビーチ・ボーイズのレコードを聞けば、すぐにビーチ・ボーイズだとわかる。僕らも聞いてイーグルスとわかるオリジナルなサウンドが欲しいと思った」

=またそれらのバンドよりもイーグルスはずっと成功も大きく、また息も長かったわけですよね。バンド歴40年ですから。さて『ホテル・カリフォルニア』に出てくる有名な歌詞「そのスピリットは1969年からおいていません」という歌詞を人々はいろんな風に解釈していますが、69年にあって76年に失われていたものとは何ですか?

グレン・フライ:
「ドンがその歌詞を書いたんだ。でも僕らも意味は知っているよ。当時何が起こったかと言えば、誰もがあの時代理想を信じ平和を望んだ。そんな希望に満ちた時代は60年代と伴に幕を下ろした。68年ロバート・ケネディが次期大統領になると聞いたときの希望、また彼が暗殺された時の落胆。続くマーチン・ルーサー・キングの暗殺と、理想は破れ、純粋無垢な理想を失ったというのかな。76年に僕らは厳しい現実を知り、60年代にあった純粋無垢な理想を失った。ドンはそういう風に感じてあの歌詞を書いたんだと思うよ」

=何度も来日されていますね。グレンさんとジョーさん、それぞれの日本の想い出を一つずつ、聞かせてください。

グレン・フライ:
「若い女性ファンが多くて、皆がプレゼントをくれたのを覚えている。人生一度たりとも、あんなにプレゼントをもらったことはなかったね。その点が他の国と全然違っていて新鮮だった。僕ら、こんなにプレゼントもらっていいのかな。何もしてないのに…ってすまなく思ったよ。とても親切にしてもらったし、誰もがすごく礼儀正しく敬意を払ってくれた」

ジョー・ウォルシュ:
「プロモーターにはとても良くしてもらい、滞在はとても心地良かった。素晴らしい来日体験だった。観客の反応も最高で、日本は全くこれまでに言った事が叶ったような世界だった。何をするにも勝手が違っていて、それを教えてもらわなければならなかった。大冒険だったよ。初来日は。完全に圧倒されたね。それまでの自分の世界観が変わるような体験だったよ」

=現在ツアーに向けてリハーサル中ですが、来日の予定は?

グレン・フライ:
「行きたいね。絶対あと一度は行きたいよ。最後の来日で一緒だった9歳の息子がまた行きたいって。日本が大好きになって、息子はジャパニーズ・クラブを始めたり日本語を学び始めたりしているんだ。また日本に行きたいね。アジアの人はメロディのいい曲が好きだよね。僕らにはそんな曲が沢山あるからね。メロディを通してそこに込められているエモーションを理解してもらえたと思う。日本公演は毎回素晴らしい体験だよ。あと初来日の思い出で強烈なのは、初日のサウンド・チェックの時だね。とても早く着きすぎたんだ。どうなっているのか凄く興味があって。ちょうどスタッフの人たちがトラックから機材を積み下ろしているところで、その脇に一人の男がメモ帳を持って座っていたんだ。何をメモっているのか尋ねたんだ。そうしたらケースが積み下ろされた順序をメモしているって。そうすると積み入れるときに同じ順序で入れられるからって」

ジョー・ウォルシュ:
「細かいところまで気を配っているんだよ」

グレン・フライ:
「後日次のツアー会場に着いたとき、全く同じ顔ぶれのクルーがいたんだ。だから日本ではプロダクションの問題はいっさいないよ。皆凄くハード・ワーキングで完璧なんだ。皆自分の仕事に誇りをもっていて、実に細かいところまで気を配っている。自分はツアーの一員であり、ツアーを成功させようという意気込みはすごいよ。だから演奏中もどこからブンブンという雑音が聞こえたりなんてことは絶対ないよね」

=さて今回のツアーで若いファンに観てもらいたい点は?これから新しいものが生まれそうな予感はありますか?

グレン・フライ:
「今リハーサル中で、やりたいと考えていることを実現するまでには、ちょっとした時間がかかりそうなんだ。ステージには、観ていて面白いビジュアルを使いたいと思っている。新しい形でライヴをどう展開できるか模索中だよ」

 
 
 

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