寺田恵子『PIECE OF MY HEART』<収録曲について>

1. 目を閉じれば 作詞:森雪之丞 作曲:寺田恵子
 30代の時に書いた曲で、その時の仮タイトルは「Burning Bridge」。これまでSHOW-YAやソロの楽曲会議にも何度か提出したことがあったが一度も選ばれなかった不運な曲だったが、是永巧一の目に留まり晴れて日の目を見ることになった。「あちこちで戦争はなくならないし、テロも今や他人事ではない。日本にいるから安心という対岸の火事ではいられない。だけど、諦めないで望んでいれば平和な時代は必ず来るという社会的なメッセージシング。その想いを雪之丞さんに伝えて作詞していただきました」

2. FLY ME AGAIN 作詞:森雪之丞 作曲:寺田恵子
「昔、自分にとっていい時代があって、SHOW-YAを離れてソロになって挫折を体験して、一線を退いたなと感じた時に、あの時は輝いていて良かったなあと。今はそこには戻れないわけだし、自分がいくら頑張ってもなかなか浮上できない現実がある。もしも許されるんだったら、もう1回空を羽ばたいてみたいなって思いがあって作った曲」

3. WALK 作詞/作曲:寺田恵子
 アルバム唯一の打ち込み曲で、タイトル通り歩きながら作った曲。「四つ打ちの曲をどうしても作りたかった。歩くペースは速くなっても遅くなってもいいから、晴れた日でも、雨が降っても、立ち止まらずに一歩ずつ前に進んでいこうよという想いを込めて作った曲。夢を持ち続けて歩いて行けば、きっと陽の当たるところは見つかるはず。是ちゃんのバンジョーが効いてる」

4. Fire In The Rain 作詞:安藤芳彦 作曲:寺田恵子
 楽曲会議で寺田自身が強く推した南部テイストある1曲。最近ふと夜中に思い立ってギターを弾いて歌っている中で出来た曲。「酒も入っていたけど、なんていい曲だろうと思って(笑)。Aメロ、Bメロ、Cメロ、Dメロも全部すんなり出てきた。久々に女性らしいメロディーラインだったので、詞の内容も女っぽいものにしたいと思った」という大人の女性のラブソング。「でも、ただ普通のラブソングじゃない。例えば、40代、50代、60代の大人の女性が恋をするには大っぴらに‟恋してまーす!”と言えない状態もあると思うの。好きだけど、好きだけでいいんじゃないっていう。それは恋が難しいオカマちゃんでもいいし、飲み屋のママさんでもいい、どこか内に秘めた恋も世の中にあってもいいんじゃないかなと思って作った」

5.黒い揚羽蝶~NO,NO,NO 作詞:湯川れい子 作曲:相沢行夫
 アコーディオンが効いたジャジーな曲。「この曲をアレンジしている時に湯川先生に歌詞のイメージを伝えてお願いした。それは仕事から家に帰ってきた歌うたいが、化粧もそのまま、洋服脱いでキャミソール1枚でヒールは履いたままで、靴のままで、レコードの針を落とす。曲が流れている中で酒を呑んでひとり小躍りしながら、ポソポソと歌っている。でも悲しい訳じゃない、寂しいわけでもない。かといって嬉しいわけでもない。そういう女性の微妙な心模様とかちょっと甘く切ない部分を感じるような歌詞をお願いしました」

6.嫌んなった with 木村充揮 作詞:沖てる夫 作曲:憂歌団
 79年に発表した憂歌団の代表曲のカヴァー。木村充揮とデュエットは、2人の個性のぶつかり合いがいい味を出している。ソロ作で初めてのデュエット曲となった。寺田は子供の頃から憂歌団ファンだったという。寺田は30代の頃に、神戸チキンジョージで開催された上田正樹のイベントで憂歌団と共演して木村に自分の長年の想いを伝えたという。その時に木村が答えた「まだまだ学んでいる最中です」という言葉にノックアウトされ、益々ファンになったという。昨年末のももいろクローバーZの『ゆく桃くる桃』のカウントダウンイベントのゲストで久々に逢った。その後、「誰とデュエットしたいか?」というスタッフからの問いに真っ先に「デュエットするなら木村さん!」と答えたという。「木村さんの歌のタイム感に合わせるのは大変だったけど、とても楽しかった」

7. 身も心も  作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの77年シングル曲のカヴァー。88年に竜童組、SHOW-YA、子供ばんど、アナーキーでメキシコ公演(メキシコ移民日墨百年祭)を行なった際に、竜童組が同曲を歌っているのを聴き、寺田は感銘した想い出があるそう。イントロのピアノは、ベット・ミドラーの「THE ROSE」のイントロを彷彿させる雰囲気が…。「それは狙ってる(笑)。「THE ROSE」みたいに音数を少なくしたいと思っていた。この曲は最初からアレンジの構想があって、ピアノとアコギとエレキギターのみで綴って、極力コードを変えない。シンプルにやりたいと思った」

8. 孤独な花火 作詞/作曲:織田哲郎
「織田さんにオファーした時、織田さんから「どんな曲を書いてほしいの?」と聞かれたので「泥くさいもの」って答えたの。私はカントリーブルースやブルースロックやカントリーロックが好きだから。そういう音楽性の曲はSHOW-YAではできないので、ソロの方がブルース色の強いものを歌いたくて、織田さんにお願いした。初めはキーが高いと思ったけど、気持ちよく歌えた曲でした」

9. WISH~風よ、嘆きの河を渡れ 作詞:安藤芳彦 作曲:寺田恵子
「今回はどの曲もこと細かく拘ったのだけど、これも着地させるまでかなり拘った1曲。誰も気にしないような鐘の音まで拘ったくらい。この曲のテーマは祈り。光が見えないくらいのどん底にいて、そんな沼から這い上がれない。逆にどんどん深みにハマっていく。それでもなんとか光を見たいともがき苦しんでいるという歌を歌いたかった。それを安藤さんに伝えて描いてもらった。詞のやり取りをする中で最終的には主人公を寺田恵子に変えて、個人的な意見になるように微調整してもらいました」

10.私は嵐 -Acoustic version- 作詞:安藤芳彦 作曲:寺田恵子
 寺田恵子の弾き語りライブで歌われる「私は嵐」のアコースティック・ヴァージョン。
寺田恵子がソロになってライブをやる時に必ずといっていいほど「限界LOVERS」と「私は嵐」を歌ってほしいという要望があり、その要望に応えてソロのバンドで歌っても、SHOW-YAとは違うサウンドに戸惑うファンの人も多かったそう。そこでアコギを始めてから、自分ひとりでできる「限界LOVERS」や「私は嵐」のアレンジを考えたのがアコースティック・ヴァージョン誕生のきっかけ。「寺田恵子がソロで歌う「限界~」や「~嵐」ということで、最初は誰にも文句は言わせないって気持ちが強かった。ギターも人前で弾けるように必死で練習しました。初めてアコースティック・ヴァージョンに挑戦したわりにはクオリティーの高いものができたなって思ってる。最初の頃はサビが来るまで何の曲をやっているんだろ?っていうくらい誰もわからなかった(笑)。私としてはそこまでやらないと差別化できなかったので。やり続けていく中で、自分自身もファンもSHOW-YAと寺田恵子は別のものだということを意識するようになったと思う」

11. Piece of my heart 作詞:寺田恵子、是永巧一、平石晴己 作曲:是永巧一、寺田恵子
 アルバムを作るにあたって是永との会話がヒントになり、レコーディング後半の方で着想した曲。寺田恵子のパーソナルな思いが綴られている。スタジオで一発録りをしたのだが、その雰囲気はジャニス・ジョプリンの「Mercedes Benz」っぽい感じを意識したそう。「是ちゃんといろいろな話をした。例えば、ソロに成り立ての頃は‟ダメだ、ダメだ”しか言われなくて、自分はSHOW-YAの冠がないとシンガーとして成り立たないんじゃないかと、引きこもりになりそうなくらい自信を失くしていた。そのうち歌も嫌いになって、それでも歌っていたけど、私は自分の中では音楽の才能なんかないんだ、音楽をやっているのが間違いないんだってところまで落ちた。それでもライブをやるとお客さんが見に来てくれて、私の歌を聴いて元気をもらったとか、明日から仕事が頑張れるっていう手紙をもらったりしていたのね。だから、一人でもそういう人がいる限り、私は歌い続けようと思った。寺田恵子の歌を誰も必要ないと思ったら、潔く音楽を辞めようって決めた。私の歌がそういう人たちにどういうものを与えるかを考えて、真摯に向き合うべきだと思ってから、心が動いた時に湧き上がってくる曲を絶対に書き留めるべきだと。曲を書いた時はどんな心境だったかも書き留めるべきだと思った。そういう話を是ちゃんにしたら、‟恵子ちゃんはみんなに凄く感謝しているんだね。それを歌にしたらいいんじゃない?”って。そんな話をした翌日に是ちゃんが‟英詞なんだけど曲を作ったから”と言ってこの曲を持ってきてくれた。それを‟詞を好きに組み立てて、なんとなくのコードを送るから好きに作って”と言われて、レコーディング最後の方で作った曲」 

大畑幸子