全世界で3000万枚のセールスを記録したアバの定番ベストの限定スティール・パッケージ『アバ・ゴールド 40周年記念スチールブック・エディション』が12/10発売!
この発売を記念し、ABBAの『ライヴ・アット・ウェンブリー』のプロデューサー、Ludwig Anderssonがインタビューに答えてくれました。ABBAのベニー・アンダーソンの息子でもある音楽プロデューサーです。是非、お楽しみください。


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質問(以下Q):『Live At Wembly Arena』について。本当に素晴らしいライヴアルバムだと思いました。ABBAはあまりツアーもしていませんが、この最後のツアーのライヴがレコーディングされていた、というのは奇跡のようなものだと思います。そもそもライヴアルバムを作るという計画があってのことだったのでしょうか?

Ludwig(以下L): 二つ理由はあったんだ。ひとつはスウェーデンのテレビ番組が撮影をしていたということ。そしてふたつめには、ABBAはほとんどのツアーを常に撮影していたんだ。自分たちの楽しみのためだったり、何かのために、という目的で。だから僕は延々と終わることのない長さのライヴ音源を聴き返せねばならなかったんだ。あのツアーだけでなく、オーストラリア・ツアー、北米ツアー、他のヨーロッパでのツアーも残っていた。ほとんど全部を録音していたんじゃないかと、僕には思えたよ。選ぶ選択肢が多かったのはありがたいことだったが、でも全部を聴いたあとで思ったのは、ウェンブリー・アリーナのツアーがサウンド的に一番良かったということだ。また、最後のツアーだったということで曲のレパートリーが多かった点も利点だった。オーストラリア・ツアーの時点では、ABBAの代表曲と言える曲の多くがまだこの世に存在していなかったからね。で、ウェンブリーのツアーがいいと決まったあとは、今度はどの日を選ぶかということになったわけだが、結果的にはこの最終日が一番良かったんだ。

Q: 制作で大変だったのはどういう点でしたか?

L: どの日を選ぶかという部分。というのも、何が良いかという基準はないに等しいわけだし、ある意味、良い悪いを判断するのは不可能なんだ。最終的には僕が良いと感じられるものを選んだ。(曲目が)同じ6日分のライヴを聴いていると、どれがどれだか分からなくなってしまう。水曜日のこの曲の方が、火曜日の同じ曲よりも良かったかのか、悪かったのか?…とね。僕の直感と,全体の感じがいいと思えるものを選んでいった結果、最終日が一番良いだろうということになったんだ。間違いがあっても、誰かがビートをミスっても、音程が外れていても、気にしないことにしたよ。もともと、ほとんど誰もミスはしていないんだけど、たとえ多少ミスってたとしても,細かいことは気にせず、パフォーマンス全体の感じとかヴァイブを優先しようと思ったんだ。

Q: おっしゃる通り、ほとんどミスはないですよね?あんなにライヴでも完璧な歌と演奏だったことに驚きましたよ。

L: 僕もさ。関わっていた全員が驚いていたよ。バンドは全員が素晴らしいミュージシャンばかりの最高のバンドだったので、ほとんどミスはなかった。あったとしても、あえて直さず、そのままにしておいたんだ。もちろん、今日の技術をもってすれば,ミスはすべて直せる。ごまかすことも出来る。でも僕らはそうしなかった。その夜、起こったことをそのままにしておくことが大切だった。アルバムを聴くことで、その夜、リスナーもウェンブリー・アリーナに行ったのと同じ体験が出来るものにしたかったんだ。もちろんサウンドエンジニア達によって、素晴らしいミックスがされているが、ごまかしは何もないよ。

Q: アルバムを聴いただけでは気づかないかもしれない、作品の秘密を一つ教えて下さい。

L: ああ、ひとつあるよ!実は、ドラムの2つめのタムタム用のマイクが壊れていたんだ。ドラムキットの中では滅多に使わないタムタムだ。なので、それをドラマーが叩くたびに、不快なディストーションのかかった音がしたんだ。そこで、前の夜の音源から、そのタムタムの部分だけを選び出し、差し替えねばならなかった。叩いているのは同じドラマーだし、同じタムタムなので、本物に一番近いもの。しかも原因はテクニカルな問題だったわけだから、それは仕方がない。でも100%の再現ではなかった唯一の箇所はそこだけ。あとは、会場の雰囲気が盛り上がるよう、少しだけ手を加えた部分はあったよ。

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Q: 観客の歓声ということですね?

L: ああ。同じ観客だけど、少し音量をあげたり、アンビエンスを加え、いかにもその場にいるような感覚が増すようにしたんだ。でも作りものは何もない。すべて、その会場で録られていたサウンドだよ。

Q: お父さんやABBAのメンバーの助言はありましたか?

L: ああ、全員聴いて「とてもいい」と言ってくれたよ。

Q: 完成後に聴いてもらっただけなんですね?

L: 父は同じ建物で仕事をしているから、当然、ミキシングの最中によく顔を出していたよ。残りの3人は完成後、いちどスタジオに来て聴いただけだが、とても満足してくれたようだよ。

Q: こんな素晴らしいコンサートをしながらも、ABBAは間もなく解散することになるのですが、そうするしかなかったのでしょうか?

L: やりたいことはすべてやった、という気持ちだったんじゃないかな。父とビョルンは『CHESS』というミュージカルの音楽制作に取りかかりたいと願ったし、それぞれが違うことをしたいと思った。それまで10年という長い期間、ABBAとして活動してきたわけだからね。多分、そう感じたんだよ。ただオフィシャルには、彼等は一度として解散はしていない。そこらへんに関しては、本人たちに聞いてもらうしかない。きっと他のことをやりたいと願ったからじゃないかと、僕は思うよ。

Q: 子供の頃、お父さんは常に忙しくて、遊ぶ暇もなかったのではないですか?

L: そんなことはまったくなかったよ。父は毎日5時半に帰宅し、夕食を作ってくれた。だから僕は父が留守がちだとは思ってなかった。普通の子供と同じ生活を送っていたよ。

Q: 寂しさを感じることはなかった?

L: まったく。いつも父は一緒にいる、という感じだったよ。

Q: あなたはお父さんと『Circle』という映画の製作中だと思いますが、現在もお父さんが音楽的に絶対に譲らないポイントはなんですか?

L:(笑)言いたい意味はわかるよ。でも僕と父はほとんど全てのことに関して感覚が同じなので、意見が食い違うことはあまりないんだ。そういう意味では仕事はしやすいよ。もちろん、たまに意見が合わないこともあるが、お互いに話し合えば、必ず何らかの答えにたどり着ける。今、取りかかっている『Circle』に関して言えば、僕と父の分担は別れているんだ。僕が映画のアーティスティックな部分を担当し、父は音楽スコアを今、書き上げているところ。だから、別々に作業をしている。でも父と仕事をするのは楽しいよ。いつも楽しみながらやっている。

Q: お父さんの音楽のポリシーというか、こだわりはなんだと思いますか?

L: ハードワーク。そして諦めないこと。もちろん、根にはものすごい才能と音楽への理解、知識、そして愛がある。それに加えて、働くことへの意欲と、何かを手にするには一生懸命働かねばならないということへの理解。それが父の凄いところだし、こだわりだったんじゃないかな。

Q: ポーラースタジオは70年代にはレッド・ツェッペリン、その後もジェネシスなど多くのバンドが訪れたスタジオですが、今も変わらず賑やかですか?

L: ポーラースタジオはもう存在しないよ。10年前に閉鎖してしまったんだ。でも3年前、ここストックホルムの群島の一つに、新しくRMVスタジオを建てた。まさに今もそのスタジオの中から君と話しているんだ。ここにはすべてがある。レコーディング・スタジオ、プロダクション・オフィス…すべてがこの建物の中にあるんだ。

Q: 今もいろんなバンドがそこでレコーディングするのですか?

L: ああ、貸し出しているから、たくさんのバンドがいつもレコーディングで使用している。誰も使っていない時は、僕のレコーディングとかで使っているよ。

Q: 最近は誰がそこでレコーディングしました?

L: 月曜日はスウェーデンのパンクロックバンド、ザ・ハイヴスがいたよ。前作も彼等はここでレコーディングしている。先週はドイツのHMバンド、スコーピオンズ。たまにはジャズ・トリオがいることもあるし、小さな交響楽団なら収容出来るくらいの大きさもある。そんなわけで、常に何らかのレコーディングが行われているという感じだよ。スウェーデンのアーティストがメインだけどね。

Q: ポーラースタジオのことはよく覚えていますか?

L: ああ。よく覚えているよ。学校が休暇で休みの時など、スタジオに遊びに行っていたよ。僕がお気に入りのピンボール・マシンがあったんだ。正直、大人になった僕がこういう仕事をしているのはあのスタジオのおかげだと思う。スタジオで過ごした時間、そこでの思い出は、子供の僕にはとても居心地が良くて、楽しかった。スタジオにいるミュージシャン達の楽しそうな顔…それを見ていた僕にとっても、スタジオは楽しそうな所、一生の仕事にするんだったらこれだと思ったんだと思うよ。

Q: あなたはポーラースタジオで仕事はしていないんですか?もう仕事を始めた時は、ポーラーは閉鎖していたんですか?

L: ああ、父とビョルンは90年代にはスタジオを売却してしまっていて、別の人間が10年間、経営していたんだ。でも僕はなんだかんだとスタジオには出入りしていた。19歳の頃、あそこで何かをレコーディングしたことは覚えている。

Q: そんなあなたの経験から、スウェーデンがABBAを始めとした、数々の世界的バンドを生んだ理由はなんだと思いますか?

L: 本当に凄いことだよね。確かつい昨日、スウェーデン人プロデューサーのマックス・マーティンが19作目のビルボードNo.1シングルを手がけ、歴代最もアメリカでNo.1を打ち出したプロデューサーになったらしいよ。

Q: テイラー・スウィフトのシングルで、ということ?

L: ああ。レノン=マッカートニーが18作で、マックス・マーティンは19作らしい。そんなわけで大勢の人間が「その理由」を知ろうとしているよ。僕には、その理由なんてわからないけど、一つはスウェーデンの教育のおかげだと思う。もう長いこと、スウェーデンの学校では、すべての生徒が好きな楽器を無料で学べるというシステムをとってきた。そうすることで、ほぼ全員の子供がある程度、楽器が弾けるようになり、将来ミュージシャンになるかもしれない人口が自然と増えるわけだ。それに加え、国際的な音楽地図におけるスウェーデンという意味で、ABBAがドアを開いたわけでが、もっと以前からもスウェーデンの文化において、音楽というのは大きな位置を占めていた。ABBA以降は、こんな北の果てにある小さな国からでも、国際的に成功できるという可能性が多くの者に希望を与えたんだろうね。そしてロクセットやカーデガンズなど…多くのバンドを生んだ。今は、多くのストックホルムのプロデューサーやソングライターが国際的な成功を収めている。それは互いにとっていいことなんだよ。音楽をクリエイトする人間の宝庫という評価が認められるようになり、一人に成功できるのだから、2人めだって、3人めだって成功出来るかもしれない…それが6人になり、12人になり…そんな相乗効果をもたらしているんだと思う。僕らスウェーデン人としては、非常に誇りに思うべき、伝統と文化だ。

Q: サウンドにおいて、2014年のテクノロジーがABBAの1970年代の録音済音源に与えるものは大きかったですか?

L: いや、メインはオリジナルのABBAのミュージシャンシップが高かったことだよ。もちろん、今日のテクノロジーを用いれば、何だって良くすることは出来る。でもオリジナルのプロダクツが劣っていたら、どんなテクノロジーを用いた所で、「そこそこ悪い」ものにしかならない。もちろん、出来ることもいっぱいあるが、僕らはそういうトリックはほとんど使わなかった。ごまかすことはしなかったんだ。そうした方が、今の時代は時間も速いし、楽かもしれない。デジタル世界では15年前より、行きたい所にずっと早く行けるようになった。つまりテクノロジーを使ってしまった方が楽なことも多い。でも楽だったとしても、オリジナルのクォリティがそれで上がることはない。それは音楽に限らないよ。どんな時も元になるsource(音源、ソース)が大事なんだ。今回の『ウェンブリー・ライヴ』に関して言うなら、ソースがしっかりしていたんだ。

Q: 何か、このアルバムを聴く日本のファンにメッセージはありますか?

L: これはファンのために作られたアルバムだよ。というのも、ABBAに興味がない人が、まず最初に手にするアルバムとしてライヴ・アルバムを選ぶのか?と言われれば、僕にはわからない。僕がやりたかったのは、コンサート会場でABBAのライヴを一晩楽しんでいる気分が体験できるようなアルバムを作ることだった。リスナーにとっても、僕にとっても。だから編集は一切ない。実際、ウェンブリーで鳴っていた音が、このアルバムで鳴っている。可能な限り、あの晩を再現したつもりだよ。だからアルバムを聴く時はぜひ、会場でコンサートを見ている自分を想像しながら聴くことをおすすめするよ。

Q: もしライヴ映像とかも残っているんだったら、いつか『ABBAザ・ムーヴィー』のような映画も見てみたいですね。

L: どうかな。あの晩の映像は残っているし、何年か前に出たDVDにずいぶんと使われている。でもこのライヴアルバムを聴くのとはまた異なる体験だ。やはり音と映像が合体するのが一番いいんだろう。そうならないとも限らないが。もしかしたら次のアニバーサリーの時になるのかな?その時になってみないとなんともわからないね。

Q: どうもありがとうございました。

電話インタビュー構成 ユニバーサルミュージックジャパン
訳:丸山京子