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オリジナル・メンバー:ジョン・フィリップス、デニ−・ドハ−ティ、キャス・エリオット、ミッシェル・フィリップスこの4人がママス・パパスを結成し、ジョンが書きためていた作品「夢のカリフォルニア」でデビューしたのは1965年。
これがいきなり全米NO.4の大ヒットになり、一躍最前線に躍り出ることになった。続く「マンデ−・マンデ−」もNO.1になり、この曲でグラミ−賞の最優秀コンテンポラリ−・ロックン・ロ−ル・グル−プの栄冠に輝いた(シナトラの「夜のストレンジャ−」にさらわれたが"最優秀レコ−ド"にもノミネ−トされた)。以降も「アイ・ソ−・ハ−・アゲイン」(NO.5)「愛の言葉」(NO.5)「愛する君に」(NO.2)、デビュ−までの道程を綴った自伝的な作品「クリ−ク・アレ−」(NO.5)など相次いでチャ−ト・ヒットを10数曲放ち、完成度の高いポップ・アルバムも4枚発表。ファ−ストがNO.1になったのを始め、タテ続けにベスト・セラ−を記録。アイドルでもない彼らのアルバムがこれだけの支持を得たのはヒッピ−世代の若者だけではなく、幅広いファン層を獲得していたからといえるだろう。
ソング・ライタ−としての資質に恵まれたジョン・フィリップス、ツヤのあるまろやかなリ−ド・ヴォ−カルを聞かせるデニ−、エンタテイナ−としての魅力をも合わせ持つパワフルな歌唱のキャス、美貌ゆえに"職場の花"と見られがちだがジョンとコンビで曲も書いたミッシェル("夢カリ"は二人の共作)。そんな4人が敏腕ル−・アドラ−(「タペストリ−」以降、1970年代のキャロル・キングのアルバムを制作したことでも知られる)やL.A.の一流ミュ−ジシャンたちと作り上げた贅沢なアメリカン・ポップスの極み。今聞いても胸がときめく。残念ながら1968年には解散(1971年に"契約遂行"のため一時的に再結成してアルバムを1枚リリ−ス)。その後、メンバ−は全員ソロ・アルバムを発表しているが、在籍中から単独で活動し、最も成功を収めた"ママ・キャス"は1974年7月29日に心臓発作のため早世。
1980年代に入り、1960年代の人気グル−プが相次いで復活する動きの中でママ・パパも再結成され、同時代の人気グル−プだったスパンキ−&アワ・ギャングの紅一点スパンキ−・マクファ−レン(体型が故ママ・キャスと類似!?)やロ−ラ・
マッケンジ−・フィリップス(ジョンが最初の妻ス−ジ−との間にもうけた娘)らを"ママ"に、そしてジョンとデニ−に加えて、ジョンのかつてのバンド仲間スコット・マッケンジ−(代表作「花のサンフランシスコ」はジョンの書き下ろし)を新たに"パパ"に迎えるなど顔ぶれは何度か変わっているが、各地でショ−を展開。そのライヴ音源も何種類かCD化されている。1994年には「ブル−ノ−ト」出演のため"初来日"も果たした(オリジナル・メンバ−のデニ−+スコット+若いママ2人。1997年にも来日公演)。
その間には、ジョンとスコットが共作者に名前を連ねたビ−チ・ボ−イズの「ココモ」(トム・クル−ズ主演の映画「カクテル」挿入歌)が1988年にNO.1ヒットになったり、また1990年代前半にはジョンとミッシェルの娘チャイナが、ブライアン・ウィルソン(ビ−チ・ボ−イズ)の娘カ−ニ−&ウェンディと組んだ女性トリオ、ウィルソン・フィリップスが大活躍するなど往年のファンの関心を呼び起こす話題も出回ったが、時は流れて2001年。ジョン・フィリップス逝去の報が入った。心臓疾患で入院中のL.A.の病院で3月18日の朝8時15分。65歳だった。
"夢カリ"の父、ジョンの死を悼むかのように同年、お蔵入りになっていたジョンのソロ・アルバム「PAY
PACK & FOLLOW」(何とスト−ンズのミック&キ−スたちとのセッション集!1977年録音)、さらには遺作となった新録音集「PHILLIPS
66」が相次いで出された。その遺作のオ−プニング曲は、ジョン自らが歌う「夢のカリフォルニア」だった。
(2002年2月27日:上柴とおる)
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