| KILLING HEIDI |
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エラ・フーパー(V)、ジェシ・フーパー(G)、アダム・ペドレッティ(B)、ウォーレン・ジェンキンス(B)の4人組。
オーストラリアはヴィクトリア州の北部、メルボルンからは相当離れた場所にある田舎町、ヴァイオレット・タウン出身である当時16歳であったシンガー、エラ・フーパーと、その兄で18歳であった赤毛のギタリスト、ジェシ・フーパーを中心にし、さらに元Non
International Lifeformというバンドでドラムを叩いていアダム・ペドレッティ、またセッション・プレイヤーとしてメリル・ベインブリッジやリック・プライスらのバックで活動をしていたウォーレン・ジェンキンスが集まり1999年にバンドを結成。
インディーズから『KETTLE』というアルバムをリリースした後その音楽性に目をつけたオーストラリア音楽界を代表する名物プロデューサー、ポール・コスキー(過去にクラウデッド・ハウス、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンらのエンジニア/プロデューサーの経験を持つ)による強力サポートを得て、同年にシングル「ウィアー」でメジャー・デビューを果たす。このデビュー曲がいきなり全オーストラリアでトップ10ヒットを記録、さらに同年末にリリースしたセカンド・シングル「マスカラ」が2000年に入ってから全オーストラリアでトップ1に輝き、一躍オーストラリアでのトップ・アーティストの仲間入りをし、オーストラリアのシンボルにさえなりつつあった。そんな中、前述のポールによる前面バックアップを受け、2000年3月にデビュー・アルバムとなる『リフレクター』を発表。このアルバムの出来の素晴らしさを証明するかのようにRolling
Stone誌やTime Offといった音楽誌でのアルバム・レビューで高い評価を得る。このアルバムは全オーストラリア・アルバム・チャート初登場1位を獲得、(発売日当日だけで10万枚のセールスを記録したとか)このアルバムの発表を受けシングル「マスカラ」も再び全豪1位に返り咲き、新人バンドにして両チャートのトップを独占することになる。
本国の音楽関係者の中では、先に世界デビューを果たしたタクシーライドを早くも追い越し、サヴェージ・ガーデン以上の存在になり得る可能性を持つアーティストとして語られ、紅一点エラ・フーパーはオーストラリアのティーンに絶大な人気を博している。
その事を証明するかのように、オーストラリア盤Rolling Stone誌の読者投票では最優秀新人賞を獲得し、その年のオーストラリア盤グラミー賞であるARIAアワードでも4部門を受賞、当然世界のレコード会社から全世界デビューの話が上がり、ここ日本でもいよいよデビューを果たす。
2001/02/28更新 |
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