THE KILLERS / ザ・キラーズ
 |
《バイオグラフィー》
ブランドン・フラワーズ(vo) 1981年6月21日生まれ
デイヴィッド・キューニング(g) 1976年3月28日生まれ
マーク・ストーマー(b) 1977年6月28日生まれ
ロニー・ヴァヌッチィ(ds) 1976年2月15日生まれ
2004年夏。フジ・ロック・フェスティバルのステージに立った4人は、瞬時にしてオーディエンスを虜にした。出演ラインナップに、フランツ・フェルディナンド、キーン、22-20’s、スノウ・パトロールら話題の新人がひしめく中にあって、ザ・キラーズの前評判は決して「最高」ではなかった。そもそも、日本ではまだデビュー・アルバムも発売されていなかった(英米では同年6月に発売済み)。けれど、フェスが終わる頃には、この、虚構に満ちた歓楽の町ラスヴェガスからやって来た伏兵の、新人離れした堂々たるステージが、方々で話題に上るようになっていた。
ザ・キラーズの歴史は、01年秋、デイヴィッド・キューニング(g)がフリーペーパーに出したメンバー募集告知から始まる。募集告知に列挙されたフェイバリット・バンド??U2、オアシス、ザ・キュアー、ザ・スミス、ニュー・オーダーなど??につられてやって来たのが、ブランドン・フラワーズ(vo)だった。ふたりにリズム隊を加えた4人組はザ・キラーズとして活動を開始、ほどなくして、ギグで知り合ったマーク・ストーマー(b)と、ラスヴェガス大学でクラシック・パーカッションを専攻していたロニー・ヴァヌッチィ(ds)を迎えることになり、現在の布陣が整った。02年のことだ。ちなみにバンド名のザ・キラーズは、ニュー・オーダーの「クリスタル」のPVに登場する架空バンド=The Killersから拝借したものだという。
ラスヴェガス大学の音楽室に潜り込んで曲作りやリハーサルをしながら、地元でのライヴ活動もスタート。ところが、きらびやかなエンターテインメントの場には事欠かないラスヴェガスでも、キラーズのようなバンドが演奏できるロック・クラブは数が少なく、「お粗末なPAしかないようなクラブばっかり回っていた」そうだ。けれど、そうした経験こそが「PAに頼らず楽曲や演奏で勝負することを俺たちに教えたんだ」とも言う。
そんな彼らに最初に興味を持ったのは、イギリスのインディ・レーベル、リザード・キングだった。リザード・キングと契約を交わしたバンドは、同レーベルから03年9月にデビュー・シングル「ミスター・ブライトサイド」を発表。それに合わせてイギリスに渡り、ラスヴェガス以外では初めてとなるライヴをロンドンで実現させる。
03年10月、毎年ニューヨークで開催されるCMJミュージック・マラソンに出演する機会を得た彼らは、そこでのパフォーマンスをきっかけにメジャーであるアイランド/デフ・ジャムとの契約(イギリス以外)を獲得し、デビュー・アルバムに着手しながら、04年初頭にはUKツアーも敢行。03月、イギリスでの第2弾シングル「サムバディ・トールド・ミー」をリリース。前作に続きこのセカンド・シングルも全英チャートのトップ10に入り、キラーズへの期待度は高まっていった。
そして、04年6月。「契約前からたくさんのデモを作っていたから、デビュー・アルバム作りにも苦労はなかったよ。半分はデモみたいなものだしね。でも、そこにあるスポンテニアスな空気が、俺たちみんな気に入ってるんだ」とメンバー自らが表したデビュー・アルバム『ホット・ファス』をリリース。イギリスではアルバム・チャート6位に初登場し、半年以上のロングラン・ヒットの後05年1月には遂にチャート1位を獲得。また、本国アメリカでも最高位7位、300万枚を売り上げ、現在までに全世界での合計セールスは700万枚に達している。
『ホット・ファス』リリース後の彼らは大忙し。04年夏には、冒頭に記したフジ・ロック・フェスティバルをはじめとする各国の夏フェスに参加、10から11月は全米ツアー、12月には豪州ツアーを敢行。また、2004年度グラミー賞では3部門においてノミネートを受けた他、全米で大人気のドラマ『THE O.C.』(FOXテレビ)にゲスト出演するなどスター街道まっしぐら。
年が明けて05年は、早々から『Shockwaves NME Awards Tour 2005』(ザ・フューチャーヘッズ、カイザー・チーフス、ブロック・パーティと共に参加)と題された全英ソールド・アウト・ツアーがスタート。英国版グラミー賞と称されるBRITアウォーズでは2部門、NMEアウォーズでは4部門でノミネートされるなど各音楽賞でもすっかり常連となったキラーズは、3月の初単独来日公演、4月?5月の全米ツアーを経て、6月?7月には憧れのU2の欧州ツアーにおけるいくつかの公演で前座に抜擢されるという喜びも味わった。
そうした一方で、彼らが生き急いではいないことを物語るエピソードが生まれたのもこの頃だ。この年、乳ガンと診断されたことで『グラストンベリー・フェスティバル』の大トリ出演をキャンセルしたカイリー・ミノーグに代わりにこの大役をオファーされたキラーズは、あっさりこれを辞退、ファンを驚かせガッカリさせ、そして納得させた。ロニーのコメントは以下の通り。「ヘッドライナーを依頼されたけど、辞退したよ。俺達はまだ1年くらいのキャリアだから、ヘッドライナーにはふさわしくないと思ったんだ。アルバムだって1枚しかリリースしていないしね。グラストンベリーにグッド・ポジションで出演できるってだけで満足さ。07年にヘッドライナーが務められたらいいね!」バンドは予定通り初日のピラミッド(メイン)・ステージに出演し、大いに観客を沸かせた(出番前にロニーが食中毒にかかるというアクシデントも乗り越えて!)。
グラストンベリーの約1週間後、7月2日には『ライヴ8』のロンドン会場に登場、ブランドンが「今日ここに来てくれた人達は、家族みたいなものだね。アフリカで助けを求める俺たちの兄弟や姉妹のために集まったんだから。みんなで、彼らの住む世界を変えよう」とコメントした後、バンドは「オール・ディーズ・シングス・ザット・ユーヴ・ダン」を演奏した。後日ブランドンはこの時の経験がいかに素晴らしかったかを伝えるのに「今後ライヴで感動するには、火星でプレイしなくちゃいけないかも」と話している。
そのまた1週間後に開催されたスコットランドのフェス『T・イン・ザ・パーク』では、敬愛するニュー・オーダーのステージにブランドンが飛び入り、バンド名の由来になった「クリスタル」で共演。飛び入りと言えばブランドン、同年秋には地元ラスヴェガスでのU2のショウにも飛び入りし、5年前にはいち観客だった自分を振り返って感慨にふけったという。UKで『ホット・ファス』に伴うツアーのファイナルとなったのは、8月末のレディング&リーズ・フェスティバルで、観客大合唱のうちにステージは幕を閉じた。
その後10月初旬まで本国アメリカではフェスへの参加などが続いたが、この頃になると06年1月よりニュー・アルバムのレコーディングを開始するという情報も聞こえて来た。とはいえ、巷ではまだまだ『ホット・ファス』人気が衰えておらず、『MTV ビデオ・ミュージック・アウォーズ』、『アメリカン・ミュージック・アウォーズ』、『ビルボード・ミュージック・アウォーズ』、そして前年に続いて『グラミー賞』でも複数部門のノミネートを受け、キラーズの名前は世の中にくまなく浸透していった。
06年に入るとバンドは、英米数々の賞レースに引き続き参戦しながら、予定通り1月中旬にはニュー・アルバムの制作に取りかかった。成功を手にしたバンドにはつきものの、元マネージャーによる訴訟問題だの、雑誌のインタビューに端を発した他バンドとのいさこざも、スター・バンドに課せられる有名税のようなもの、と彼らが達観しているかどうかは分からないが、春以降ラスヴェガスからロンドンに場所を移して継続していたレコーディングも無事終了。いよいよ9月には待望のセカンド作『サムズ・タウン』がリリースされる。
(赤尾美香)
|