BIOGRAPHY

ソランジュ
ソランジュ&ザ・ハドリー・ストリート・ドリームス


SOLANGE
あのワールドワイド・スーパー・スター=ビヨンセの妹=ソランジュ、60年代~70年代のコンシャス・ソウルをオマージュしたハイ・クオリティでドレッ シーな移籍第1弾のアルバム『ソランジュ&ザ・ハドリー・ストリート・ドリームス』を完成。

アルバムのテーマは、”ソウル・ポップ”。
ビヨンセの妹であることや、その容姿から単なるシンガーとしてとらわれる傾向にある彼女だが、ビヨンセや、ケリー、ミッシェルなどデスティニーズ・チャイ ルドのソロ作品へのソウルへの深い造詣からくるユニークな楽曲提供やプロデュースなど、実はそのクリエイティヴィティへの過小評価がミュージシャン/評論 家から残念がられていた。しかしながら今回のアルバムのテーマを”ソウル・ポップ”とすることによって、遂にその才能を開花させる時が訪れた。
60年代~70年代をイデオロギーをなファンク/ソウル・ミュージックとともにメッセージを発してきたカーティス・メイフィールド、ダスティー・スプリン グフィールド、ミニー・リパートン、ダニー・ハザウェイ、マーヴィン・ゲイ、JB、シュープリームスなどへのオマージュが詰まった非常にメッセージ、サウ ンドとともにクオリティの高いアルバムをここに完成させた。
サポートするアーティストも、エグゼクティヴ・プロデューサーのロン・フェア、黄金のモータウン・サウンドを支えたラモント・ダジャー、先行トラック「ア イ・ディサイデッド」のファレル・ウィリアムス/ザ・ネプチューンズ、現在全米大ヒット・ロード爆進中のリル・ウェイン、エイミー・ワインハウスでその才 能がついにクロスオーヴァーしたマーク・ロンソン、ナールズ・バークレーのシー・ロー、ソウルショック&カーリン、Q-ティップ、ラファエル・サディー ク、ビラル、UKのダブ/クラブ・シーンの雄シーヴァリー・コーポレイションと納得のメンツが集まっている。

<ソランジュ・ストーリー>
直観っていうのは正しくない時もある。 つねに現実をそのまま反映しているってワケじゃないわ。 個人的にも私は、それを痛感してる。 セカンド・アルバ ム『ソランジュ&ザ・ハドリー・ストリート・ドリームス』(ミュージック・ワールド・エンターテインメント/ゲフィン・レコーズ)で、私のとってもプライ ベートな夢の世界へ、リスナーのみんなを招待したいと思ってる。先入観なんて取り除いてあげるわ。

ウェブスター英英辞書で”バイオグラフィー”っていう単語を探ってみると、「特定の人の記録、または経歴;伝記」なんていう定義が書かれてる。で、思いついたの。私自身の伝記(=ストーリー)は、私自身が一番良く知ってるんじゃないかって。だから、これは通常の”

バイオグラフィー”じゃないわよ。
私のパフォーマーとして日常は、年少の頃に始まった。その頃から、バレエ、ジャズ、タップ、モダン・ダンスを習っていて、デスチャのバック・ダンサーが突 如ツアーを離脱したのが理由で、その穴を埋めるためバック・ダンサーとしてヨーロッパ、オーストラリア、アジア、アフリカ、メキシコと世界中をまわった。 それがキッカケで、カルチャーやスタイル、アーティストのライフスタイルなんかが、より深く理解できるようになった。
16歳の頃に『ソロ・スター』(コロンビア・レコーズ)でアルバムデビューを果たした。R&B、レゲエ、オルタナ、カントリーまで、幅広いジャン ルとサウンドを取り入れたアルバムで、クリエイティヴィティの面では私にとって大きな転機となった。ファーストシングルは「フィーリング・ユー」。ノリエ ガをフィーチャリングしていて、レゲトン/ダンスホール・サウンドに感化された曲。ずっとこんなシングルを出してみたいって思ってた。レーベルの方たち は、違う意見だったんだけどね。アルバムを通して、大物プロデューサーの方たちが協力してくれた。ザ・ネプチューンズ、ティンバランド、ロックワイル ダー、そしてザ・アンダードッグス。だけど、このデビューアルバムでは、いわゆる”自分だけのサウンド”っていうのが、まだ見つけられてなかったの。同じ 頃に、ケリー・ローランドのデビューソロアルバム『シンプリー・ディープ』でソングライティングを任されて、そっち方面にも目覚め始めてたわ。

次に挑戦したのが、女優。映画出演を果たすのは、幼いころからの情熱だったの。チャンスが巡って くれば、どんなことも吸収できるって心の準備も整ってた。だから、『Johnson Familiy Vacation』で、セドリック・ザ・エンターテイナーとヴァネッサ・ウィリアムズの娘役に選ばれた時は、すぐにOKした。
『Johnson Family Vacation』の撮影が完成して間もなく、私は17歳にして人生最大で最高の偉業を果たすことになるの。それは、結婚と出産。その後数年間は、自分の 新しい家庭にエネルギーを注ぐことに専念して、アイダホ州の田舎町に引っ越した。その新しい人生経験が、ソングライターの自分にたくさんのインスピレー ションを与えてくれた。そこから生まれたライティング素材なんかを、他のアーティストの方たちとシェアするようになって、デスチャ・メンバーの3人それぞ れのプロジェクトや、デスチャ全体での音楽活動に歌詞(/楽曲)提供をした。それに、世界最大のスーパーマーケットチェーン「ウォルマート」のホリデー・ キャンペーン・ソングの歌詞も手掛けることが出来た。
私が最近、手掛けた作品では、たとえばビヨンセとの共同ライディングで「ゲット・ミー・バディード」や「アップ・グレイド・ユー」(共にビヨンセの 『B’Day』より)があるわ。そしてケリーのセカンド・アルバム『ミス・ケリー』より、「ラヴ」。 ミッシェル・ウィリアムスのもうすぐリリースされる アルバム『Unexpected』より、最新シングル曲「ウイ・ブレイク・ザ・ドーン」。で、今度は私自身のアルバム制作に専念ってワケなの。
最近出演した映画では、Vシネマで初週売り上げ歴代1位をゲットした、『チアーズ!』のシリーズ作『チアーズ3』(原題:『Bring It On: All Or Nothing』)。初週だけで75万枚のDVD売り上げだったらしいわ。こんな風に、とっても良い機会に恵まれてきたけど、今度は私自身がクリエイティ ヴな面で表現する時だ、って思った。で、こう”決心した”(「I Decided」)の、これからは良い機会を与えられるだけじゃなくて、芸術的表現の場を自分からゲットしていこう、ってね。
そこで私のニューアルバム『ソランジュ&ザ・ハドリー・ストリート・ドリームス』が誕生した。

かつて、パパが私をヒューストンのダウンタウンにある空き地へ連れて行ってくれたことがあるの。 パパはそこにスタジオを建てて、私がライティングしたりレコーディングが出来るよう、レコード・レーベルもつくるって言ってくれた。でも、そこの近所は ちょっぴり荒れ果てていて、プレハブの家々が並んでて、ホームレスの人とか、ドラッグが蔓延ってるようなエリア。それでも、彼にはヴィジョンと夢があった のよね。「絶対実現してみせる」っていう決心と共にね。で、そのロケーションは現在、彼のレーベルの本社として活躍してる。元々、私が幼少の頃に住んでた 家の小さな空き部屋で始まったことが、あそこまで大きくなるってね。そして、その場所のストリートの名前が、「ハドリー・ストリート」。もちろん、今回の アルバム制作はそこでスタートしたわ。パパのヴィジョンと決心へのオマージュを込めて制作に取りかかった。同時に、アーティストとしての私の成長でもあ り、進化を象徴する場所でもある。そう考えると、徐々に音楽制作をすることに自信と勇気が湧いてきてね、私のインスピレーションになってる、昔のレコード なんかを取り出したの。例えば、シャギー・オーティスやマーヴィン・ゲイ、オーティス・レディング。力強い彼らのメッセージとメロディーは、私に直接語り かけてきた。だから音の面では、彼らのようなソウル・ミュージックに、ロンドンやフランスでのツアー中に吸収してきたエレクトロ・サウンドやポップ・サウ ンドを加えたって感じね。リリカルな面では、自分のストーリーを文字にしようって”決心した”の。私のストーリーが、リスナーのみんなのインスピレーショ ンになれば嬉しいって思ってる。そして一番大切なことは、出し惜しみしない、ってことね。

アルバムのサウンドを一言で言い表すと、「もし、60年代~70年代のシュープリームス、マーヴェレッツ、ダスティー・スプリングフィールドやミニー・リパートンが、現代のポップミュージックをつくっていれば」をテーマにしてる。

プロデューサー陣には、やっぱり私の求めてるサウンドをすぐに作れちゃうような人が理想だったん だけれど、そう簡単じゃなかった。私の過去の人間関係などが邪魔して、すぐにはOKを出してくれない人もいた。だから、実際に彼らに私の音楽を聴いても らったの。マネージャーやエージェントの方たちを通して、何度もラヴコールを送ったんだけど、実際にプロデューサーの方たちが私の音楽を聴いてくれるまで は、私と仕事をしようって気にならなかったみたい。仕方ないんだけどね。

シー・ローとはクラブで偶然出会ってね、私のアルバムを聴いてもらうよう頼んだの。で、彼を私の クルマまで引っ張ってきて聴いてもらった。彼はその場でOKを出してくれた。さっそく、次の週に彼と「T.O.N.Y」、「サンドキャッスル・ディスコ」 をレコーディングした。それから、プロデューサーのジャック・スラッシュは、アルバム中3曲を制作してくれてる(「T.O.N.Y」、「ウドゥヴ・ビー ン・ゼアー」、「オード・トゥ・マーヴィン」)。彼は私の描いていたサウンドそのままを表現してくれた。

結局、レコーディングが終わるまでには、元々一緒に仕事してみたいって思ってたプロデューサーや アーティスト達が参加してくれていた。Q-ティップやファレル、ラファエル・サディーク、ボーズ・オヴ・カナダ、そしてマーク・ロンソン。伝説的なあのラ モント・ドジャーが制作に加わってくれるって知らせを受けた時は、感激して興奮が収まらなかった。その嬉しさはコトバなんかじゃ表現できない。彼みたいな 大物スーパースターが私のアルバムに貢献してくれるなんて!

私はこう望んでるの。このアルバムを聴いてくれたみんなに、音楽がかつてメロディアスでスウィー トでソウルフルだった頃をもう一度体験してもらいたい、って。「派手さ」だけが売り物じゃなくて、「インスピレーション」や「ストーリーテリング」の要素 がふんだんに用いられた音楽をね。そして、トレンドに惑わされないそんな素晴らしい耳を持っているリスナーのみんなには、是非、私のフォロアーになっても らいたいわ。

アルバム収録楽曲の「ゴッド・ギヴン・ネーム」は、こんな歌詞でスタートするの。
「この箱の中から、私を救い出して/とっても息苦しいわ/ラベルなんて剥がして、先入観なんて取り除いて/私の声を聴いて、そして耳で感じ取ってほしい。」 まさにそれが、今回のアルバムで達成したいことよ。

“ハドリー”は長い道のりね。そして私はスタートしたばかり。